京都十二薬師霊場特別公開「真正極楽寺(真如堂)」へ

10月16日(月)の早朝に、ラグビーワールドカップ2023フランス大会でのベスト4が出揃いました。日本に勝った、イングランドとアルゼンチンが、ともにベスト4に残りましたね。それと、南アフリカとフランスも熱戦でした。次は21日(土)4時からアルゼンチンvsニュージーランド、22日(日)4時からイングランドvs南アフリカともに見逃せないです。

Jリーグも21日(土)から再開され、ガンバ大阪は、名古屋グランパスと戦います。最近5試合未勝利と燦々たる成績ですが、怪我していた三浦弦太選手や半田 陸選手の復帰も近いと聞いているので、是非とも連敗脱出してほしいものです。このままだったらJ2転落するかもよ😉。

さて、この日の最低気温は14.5℃と少し肌寒く感じました。ただ、最高気温が25.6℃と夏日を記録。寒暖差が大きいので、鼻がムズムズしてしまいます。それで、久しぶりにマスクをして外出しました。この日は、京都十二薬師霊場特別公開真正極楽寺(真如堂)に行き、初公開された石薬師堂内に安置されている石薬師を見て来ました。

ここからは、通称の真如堂と書きます。真如堂は、春の桜、秋の紅葉の名所として知られています。私も何度か訪れていますが、堂内にある庭園の拝観は、桜も紅葉も関係ないので、あまり入っていません。2013年(平成25年)3月9日(土)2014年(平成26年)9月15日(月・祝)に入ってから来てません。桜は、2018年(平成30年)3月31日(土)に来てから、行ってません。それで、石薬師堂を見たあと、久しぶりに拝観するつもりで、真如堂に向かいました。

我が家から真如堂まで、バス一本で行けますが、このバスが大変混むので、真如堂に足が向かなかった理由の一つです。この日も早朝から乗り込みましたが、やっぱりメッチャ混んでましたね。バスは真如堂前で降ります。そして急な坂を・・・?。

IMG_8607.jpgここから急な坂を登ります。車も通る道路でしたが、車が来ずに良かったです。

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最後に、ここの階段を上がって真如堂の境内に入ります。石標には「真如堂東参道」と書いてありました。

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途中に、「京都十二薬師霊場特別公開」の看板が出てました。看板の写真にあるように石薬師を今日は見に来ました。

IMG_8613.jpgIMG_8623.jpg石薬師が安置されている「石薬師堂」の場所は知らなかったけど、案内版が出てて助かりました。

IMG_8624.jpg8時51分に来てみたら、お堂は開いてました。堂内には案内の方が居て、聞いてみたら「どうぞ」と言うことでお堂に入らせて貰うことにしました。

IMG_8622.jpgIMG_8621.jpgIMG_8615.jpg堂内の撮影は禁止されてました。石薬師は本邦初公開と言われてました。間近で見せて貰い良かったです。

こちらの石薬師は、伝教大師最澄の作と伝わります。平安遷都の頃、大地より光沢のある蓮華の蕾に似た石が湧き出てきました。第50代桓武天皇は、その石上にお堂を建立され、石の頭で彫った薬師如来を安置されたといいます。その後、禁中では数々の奇端が起こったといいます。時が下り、第106代正親町天皇は今出川内府に命じ、真如堂の僧全海に命じてこの石薬師を本尊として祀られせました。当時、真如堂は寺町今出川南の公家屋敷の中にありましたが、1693年(元禄6年)の移転に伴い、石薬師も他の堂宇と共に現在地に移されました。現在の建物は、1966年(昭和41年)に東山五条の金光院より寄進・移転されたものです。旧地には今も「真如堂前町」「真如堂突抜町」「石薬師通り」などの地名・通り名が、御所東北の門「石薬師門」の名が残ってます。それは石薬師への信仰が篤かったことがうかがえます。普段、こちらのお堂は閉まっており、石薬師が御開帳されるのは本邦初で、大変貴重な機会と言えます。

IMG_8624.jpgさほど広くない堂内に長居は出来ないので、早々に出ました。この日は月曜日でしたが、週末には多くの方が来られたようです。

IMG_8625.jpg次に、久しぶりの庭園を見に拝観します。拝観は本堂から入ります。

IMG_8629.jpgIMG_8631.jpg8時59分に着きました。「本堂」前には、フジバカマが綺麗に咲いてました。

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堂内では、僧侶の方が読経をあげられていました。調べてないですけど、何か行事があったのかも知れません。

拝観受付所で、「堂内のお参りだけなら無料ですけど」と言われましたが、久しぶりに庭園を見たかったので、拝観をお願いし、十二薬師霊場の御朱印もお願いしました。

IMG_8633.jpgここから有料エリアです。堂内での読経が続いていたので、お参りは帰りに寄ります。

帰ってからパンフを読んで分かったことで、10月14日~10月16日まで「引声念仏会(いんぜんえんぶつえ)」が行われました。本堂の左手奥には摩多羅神像のお厨子がこの期間だけ御開帳されてました。

真如堂は、正式には鈴聲山 真正極楽寺(れいしょうざん しんしょうごくらくじ)といい、比叡山延暦寺を本山とする天台宗のお寺です。984年(永観2年)比叡山の戒算(かいさん)上人が第66代一条天皇の御母東三条院藤原詮子(ふじわらのせんし)の御願によって神楽岡東の離宮内に堂を建て、慈覚大師の作と伝える阿弥陀如来の像を安置したのがこの寺のはじまりです。その後、一条天皇の勅願寺となり、また不断念仏の道場として浄土真宗の開祖親鸞聖人など多くの念仏行者に篤い信仰を集め、慈覚大師が唐より招来した「引声念仏会」を伝承する念仏の寺です。応仁の乱の戦禍に遭い幾度か寺地を変え、1485年(文明17年)室町幕府八代将軍足利義政の妻日野富子の帰依により旧地に再興したが、室町幕府十三代将軍足利義輝の菩提を弔うため他に転じ、1693年(元禄6年)に旧祉の西南、現在地に戻って復興しました。今の堂舎は1705年(宝永2年)の再建で、本堂の本尊阿弥陀如来立像一躯(重文)は平安時代後期の作です。寺宝には室町時代の真如堂縁起三巻(重文)ほか、1183年(寿永2年)に仏師運慶の願経として名高い法華経六巻(国宝)などがある。境内には第111代後西天皇の皇女真珠院宮の墓をはじめ、藤原氏一門や春日局の生父 斎藤内蔵助利三など著名な人の墓が多い。また、紅葉や桜の名所として知られています。

IMG_8634.jpgIMG_8635.jpg先程、石薬師堂から渡り廊下を横切った所です。

IMG_8637.jpgIMG_8638.jpgここから「書院」に入ります。ここから室内の写真撮影は禁止です。

IMG_8645.jpgIMG_8677.jpg最初に見るのは、2010年(平成22年)に出来た重森千青氏(重森三玲の孫)作庭の「随縁の庭」です。

IMG_8641.jpgIMG_8642.jpgIMG_8676.jpg「随縁」とは「随縁真如」の略。この庭は背後にある三井家の仏堂(位牌殿)の蟇股に付けられた四つ目の家紋をモチーフに葛石で仕切られた様相を見せています。

こちらの部屋の襖絵は鈴木松年の「松の図」です。鈴木松年は、明治から大正にかけて活動した日本画家で、この襖絵は「明治辛卯」とあることから、1891年(明治24年)、松年51歳の時に描かれたと思われる。

IMG_8673.jpg次に「涅槃の庭」を見に行きます・・・と、その前に「仏間」がありました。ここでお参りを済ませます。

仏間には中央に親鸞聖人合掌像(伝親鸞聖人自作)、右手に阿弥陀如来立像(江戸時代)、左手に不空羂索観音像(江戸時代)が祀られてました。阿弥陀如来立像は、本堂のご本尊のお前立ちまちは出開帳用に造られたものと考えられます。親鸞聖人合掌像は、親鸞聖人が法恩のために自ら真如堂に奉納されたと言われ、戦前頃までは本堂の裏にあった見真堂のご本尊でした。不空羂索観音像は、もれなく人々を救ってくれる仏様です。ここの襖絵は、前川孝嶺松図」(1905年作)でした。

IMG_8669.jpg涅槃の庭」は東側にありますが、先に南側を見ていきます。

IMG_8655.jpgIMG_8654.jpgIMG_8653.jpg書院の南には「燈明寺石燈籠」がありました。作者不明、鎌倉時代の作、山城国にあった燈明寺に伝わっていた石灯籠で、新町三井家宗山居士が同寺より入手、新町の同邸に置かれていたもので、1985年(昭和60年)に当寺に寄贈されました。

IMG_8659.jpgIMG_8660.jpg涅槃の庭」です。この時間では、正面から太陽の陽が差し込みます。東山三十六峰を借景に造られて、如意ヶ嶽の大文字がはっきりと読み取れます。

IMG_8647.jpgIMG_8648.jpgIMG_8651.jpgこの「涅槃の庭」と呼ばれる枯山水庭園は、1988年に曽根三郎氏によって作庭されましたる向かって左(北)を頭にしたお釈迦様が右脇を下に横たわり、その周りを弟子や生類たちが囲んで嘆き悲しんでいる様子が石によって表現されています。

IMG_8650.jpgIMG_8666.jpgこちらにも襖絵はあります。写真はありませんが、じっくりと見て行きました。

書院の襖絵は、前川文嶺の筆で「孔雀図」と「鶴図」でした。孔雀図は1905年(明治38年)の作。文嶺68歳の作で、忠実な円山応挙風。鶴図も1905年(明治38年)の作。南四面が前川文嶺筆、北西八面が前川孝嶺筆で、二人で分担して描いています。

IMG_8678.jpg最後に、案内にしたがって進むと、ここはすっかり忘れてましたが、茶室に至る露地庭園がありました。

IMG_8685.jpg茶室認許庵」がありました。扁額に名前が書いてあったので多分ですが・・・?。

IMG_8682.jpgIMG_8681.jpg茶室の横には「四阿」もありました。

IMG_8684.jpg以前、このブログを読んで分かったことですが、円山応挙の襖絵も見た覚えがありました。今は非公開になっているのでしょうか?。多分「四季殿」だったと・・・。

IMG_8687.jpg次に、案内に従って進みます。多分、左の部屋が「四季殿」でしょう。

IMG_8688.jpgIMG_8689.jpgIMG_8690.jpgIMG_8691.jpg再び、渡り廊下を通って本堂に戻ります。

IMG_8692.jpgIMG_8693.jpg帰りは左側を通って「本堂」に入ります。

IMG_8696.jpgIMG_8697.jpgこちらは「本堂裏堂」にあたります。そこに「釈迦三尊像」をガラス越しで見られました。

真如堂の大涅槃図の作者でもある僧厭求(えんぐ)が、江戸時代に描いた釈迦三尊です。釈迦三尊とお釈迦様が左右に脇侍を従えた構図のことをいいます。2015年(平成27年)4月に修復を終え公開されるようになりました。

IMG_8698.jpgIMG_8699.jpgここから堂内に入り、預けていた朱印帳を受取ました。「引声念仏会(いんぜんえんぶつえ)」は、まだまだ続いてましたね。

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十二薬師霊場の御朱印石薬師」をいただきました。

IMG_8700.jpg本堂」は、1717年(享保2年)の再建。毎年11月15日の年一回に御本尊が鎮座する御厨子を開帳されます。

秘仏御本尊洛陽六阿弥陀めぐり第一番「阿弥陀如来」(中)、晴明の命を救った念持仏「不動明王」(左)、伝教大師最澄作と伝わる観音様「千手観音」(右)が、内陣まで入ってお参りできます。なお、この日の庭園の拝観は停止されます。

IMG_8701.jpgせっかくメッチャ込みのパスに乗ってやって来ので、もう少し境内を散策します。見えているのが「三重塔」で、この真如堂のシンボルですね。1818年(文化14年)の再建。

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この木には案内が書いてあって、「花の木」は、新芽が吹くのに先立つ3月下旬、真っ赤な花を咲かせることから、この名があるそうです。

IMG_8704.jpg涼しさの 野山に満つる 念仏かな」と、向井去来が詠んだ句。松尾芭蕉の弟子であった去来は、真如堂で出張御開帳信濃善光寺の阿弥陀如来の法要に参列し、この句を詠んだそうです。

IMG_8707.jpg次にその三重塔の前にある「鎌倉地蔵」に寄りました。普段扉は、このように開いてません。2013年(平成25年)3月9日(土)に参加した「助成文化材特別鑑賞」では内部を見せて貰いました。

江戸時代にこの像を篤く信仰していた甲良豊後守宗廣の枕元にこの像が現れて「私を衆生済度の霊場である真如堂に移しなさい」と告げます。そして鎌倉から真如堂に遷座されました。

IMG_8710.jpg次に「総門(赤門)」を見に行きます。

IMG_8713.jpgIMG_8712.jpg今日は東門から入ったので、正門である「総門(赤門)」まで来ました。1695年(元禄8年)に完成。赤門と呼ばれて親しまれています。

IMG_8715.jpg再び境内に戻って、「千体地蔵堂」に寄りました。こうして不断は扉は閉まっています。ただ2013年(平成25年)3月9日(土)に参加した「助成文化材特別鑑賞」では内部を見せて貰いました。

元禄年間(1688年~1704年)に多くの人々から小さな地蔵の寄進を受けて造営されしまた。極彩色に施された地蔵菩薩の背面に10㎝ほどの地蔵尊が千体安置されています。

IMG_8716.jpg次に寄ったのか゜「元三大師堂」です。ここでは正面に元三大師の画像が祀られています。元大三大師とは、「降魔大師」とも呼ばれた霊験ある高僧で、比叡山延暦寺第18代座主慈恵大師良原のことです。他には、「地蔵尊」や「不動尊」も祀られています。

IMG_8717.jpgそのお隣が「新長谷寺」です。藤原山陰(ふじわらのやまかげ)は、幼い頃海に落ちたところ亀に助けられました。長谷寺観音を篤く信仰していた山陰は、観音像を2体造らせ、一体は総持寺に、もう一体は、家領の京都・吉田に移して長谷寺を建立しました。しかし明治の神仏分離の時、ここに移されたとのことです。

IMG_8718.jpg帰るために本堂に戻り、その前にある「京都映画誕生の碑」に寄りました。牧野省三が初めて劇映画を作った、その第1作「本能寺合戦」を撮影したのが、真如堂境内だったそうです。京都で映画が創られて100年目の2008年(平成20年)10月1に記念として、この碑を建立されました。

「本能寺合戦」は、1908年(明治41年)9月17日に製作・公開された日本映画です。横田商会製作・配給。牧野省三の監督第1作で、日本初の旧劇映画です。

IMG_8720.jpgそして、その横にある「伝教大師像」です。天台宗を開かれた伝教大師最澄が東国を巡られたときの姿をイメージして、仏師 西村公朝師が作られました。

故西村公朝師は、奥嵯峨にある1200躰もの石造の羅漢さんが見られる愛宕念仏寺の前住職で仏像彫刻家として知られています。

IMG_8721.jpg最後に「萬霊堂」に寄って、ここを出て行きました。こちらには三井家によって建立され、地蔵菩薩を中心に有縁無縁の精霊を祀っています。

IMG_8722.jpgIMG_8724.jpgここから如意ヶ嶽の大文字が、はっきり見えました。それで望遠で撮って見たわけです。

IMG_8609.jpgIMG_8725.jpg帰りも、市バスで帰るため、この急な坂を下りました。真如堂前からバスに乗るつもりが、早く着きすぎたため、錦林車庫まで行き帰路に着きました。

この日の最高気温は25.6℃と夏日でした。ただ最低気温が14.5℃と低かったです。あの猛烈に暑かった7月から9月が嘘のように冷えてきましたね。外出日和が続いています。

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