京丹後市久美浜町を巡る 如意寺へ
JR福知山駅の南口を8時50分過ぎに出発、ナビの誘導にしたがって北に向かって進むと、牧川に架かる牧川橋を渡ると、右に進めば「舞鶴・宮津」方面、左に進めば「鳥取・朝来」方面ですが、車は左折し、国道9号線に入りました。牧川沿いこくどう9号線を走ると野花の信号に出会うので、そこを右折し国道426号に入ります。ここからずっと426号線を北上することとなります。途中の登尾トンネル内で、京都府から兵庫県に入ります。こちらの方が京丹後市に行くには近いから。「ホテル シルク温泉やまびこ」やドウダンツツジが有名な「安国寺」の側を通りました。先輩は何度か行かれているようで案内して貰いましたが私は未訪です。その後、兵庫県豊岡市但東町出合の交差点に差し掛かると、右折します。そこから国道482号線に入り京丹後市に方向に向かいます。道なりに北上しますが途中の「たんたんトンネル」内で、兵庫県から再び京都府に入ります。トンネルを出たら京都府京丹後市久美浜町です。目的地の久美浜に入りました。そして国道482号線は「佐野たけだ橋」まで。そこを左折すると国道312号線に変わります。一路西に向かって久美浜町の市街地を目指すと本願寺前を右折、そのまま海側に向かって車を走らすと、目的地の駐車場に着きました。
この日、最初の目的地は海の見える花の寺 宝珠山 如意寺です。私は初めて久美浜に来たので、勿論初めてですが、先輩も初めてだそうです。ただこの前は、何度か通られたようですが😊。
ここには、10時3分に着きました。ほぼ予定どおりです。駐車場は広いので、何処に停めても・・・でした😊。
京都市内に住んでいるので、海が見えてるお寺は新鮮です。海は帰りにもう一度見に行きます。
天平年間(奈良時代)、行基菩薩が当地に来られたとき、山上より火出て海に入り、また海より火出て山に昇るを見て海に綱を引かせたところ、如意宝珠の舎利塔を得た。行基菩薩は伽藍を建立しこれを納め、宝珠山如意寺と号された、これが如意寺の開基です。本尊は菩薩一刀三礼三年と伝えられる十一面観世音菩薩。鎌倉時代後期、第92代伏見天皇は如意寺に深く帰依され、正四位行左馬頭藤原定成を勅使として「如意寺」墨書の勅額を下賜されました。ここの寺域は、院家十二坊の伽藍を有し栄えましたが、応永年間(1394~1428)の兵火でその多くが消失。しかし、戦国期の天文、江戸期の寛文年間(1661~1673)・寛延年間(1748~1751)・寛政年間(1789~1801)、また明治後半に大復興事業が行われるなど、往時より参籠・参拝する者常に絶えず、「萬人帰依の祈願寺」として今日に至ります。1710年(宝永6年)に宝珠を、が、1920年(大正7年)には銅尖塔(平安後期)が伽藍より出土し、銅尖塔は国の重要美術品に指定されています。ご本尊は霊水「閼伽井の水」と共に眼守護の御利益で知られ本尊会である「千日会(8月9日)」には久美浜湾岸一帯で、花火・灯篭流し・大文字焼きなど町を挙げての夏祭となります。不動堂は1983年(昭和58年)の新築で、和・唐・天竺の三様式融合、日本唯一の珍しい重層宝玉造りです。党内には弘法大師の自刀と伝わる日切不動尊を祀り、毎日御祈祷が行われています。庫裡の阿弥陀如来は平安後期、恵都僧都作と伝わる美しい座像です。仁王門の金剛力士像は鎌倉初期のもので、いずれも一木造りの立派な仏像です。当寺は「関西花の寺二十五ヵ所霊場」の第七番札所であり、年間数百種類の花木や山野草が咲く。特に、境内周辺に密生する「みつばつづじ」の自生林は4月上〜中旬満開となり、一帯をピンク色に染めて見事であす。如意寺は高野山真言宗で、初詣・節分をはじめ、厄除・安産・病気平癒・心願成就・合格・縁結びなどの「花と仏の祈願寺」です。
最初に見るのは「仁王門」です。こちらには金剛力士像が祀られていたので見てみます。
「曼荼羅宝壺(まんだらほうこ)」、上からお賽銭を入れると妙音を発し胴体部分を手で静かに回せば胎蔵界曼荼羅諸仏の功徳が得られるそうです。ただ、お賽銭は本堂のご本尊前にお供えするつもりです。
この金剛力士像(久美浜町指定文化財)は、鎌倉時代初期に造られたもの。高さ2㍍37㌢の木像で、最近精密な解体補修が行われました。
仁王門を入って左手に「手水舎」がありました。駐車場にも車止まってなかったし、境内には誰も居ないようです。
右手には「納経所」と「庫裏」がありますが、ここは帰りに寄ります。先ずは奥り本堂まで行ってみます。
この階段を上がると、目の前に不動堂がありますが、遠回りして先に、海の見える「鐘楼」から見て行きます。
海を見てから「不動堂」に戻って来ました。この堂は、和様・唐様・天竺様を融合した珍しい三様式融合の建物。日本唯一の重層宝形造。設計・施工は、金閣寺再建にも関わった現代の名工・中村淳治棟梁最後の作。1983年(昭和58年)建立。
不動堂の手前には「六角堂」がありました。中を覗くと日切不動尊絵馬、縁結び絵馬、千羽鶴の奉納所になってました。
堂内に入りました。こちらの右の壇には「薬師如来」、中央に「日切大聖不動明王」、左の壇には「毘沙門天」が祀られています。
堂内、左には「役行者像」も祀られていました。
不動堂の右手奥に出ると「本堂」がありました。江戸時代様式のままに昭和初期、中期に大修理。単相層宝形造瓦葺。
こちらも堂内に入れました。ご本尊は十一面観世音菩薩ですが秘仏です。厨子の前にお前立ちが祀られていました。
堂内の左右にも見てみました。左手の手前は賓頭盧尊ですね、これだけ分かりました。
本堂を出て、左手から「珠山千年石(じゅざんせんねんせき)の庭」を見に行きます。事前に調べて知ってました。
この如意寺は1300年の歴史があります。伽藍が2㌔離れた観音山中腹と現在地の二箇所あり、50年余前に現在地に全伽藍を統一しました。2008年(平成20年)に作庭の際に、観音山伽藍の参道の石段一部を敷石として活用しています。そして山号の「宝珠山」に因み「珠山゛ン年の庭」と名付けられました。作庭は、植治次期十二代小川勝章氏の監修を得て大改修。境内を囲む両側の山の斜面を適度に手入れすることによって、自生の「みつばつつじ」(見頃は、4月初~中旬)の生育を守っています。また、マンサク、コブシ、山桜、ガマズミなどどの落葉広葉樹の下に、さまざまな山野草が咲き誇ります。
この庭は、植治次期十二代小川勝章氏が監修されていたんですね。次期十二代小川勝章氏の作庭した岩倉 実相院門跡の「こころのお庭」は見たことがあります。そして植治11代目小川治兵衛氏の講演は洛翠庭園ま参観時に聞きました。やっぱり7代目小川治兵衛が作庭した庭園がもっとも知られているし有名です。
先ず、庭園の前に名水「閼伽井の水」を見て行きました。
ここが「珠山千年石(じゅざんせんねんせき)の庭」の入口でしょう。事前に調べて知ってましたが無料のようです。
この山野草の「ホトトギス」だけ名前が分かりました。
庭園内を回って、元の所へ出てきました。後は、納経所に行き御朱印を貰うだけです。
納経所の横にある「庫裡」を覗くと、恵心僧都作と云われる阿弥陀如来座像が祀られていました。ただ、こちらには上がれないようです。
御朱印を貰うときに、庫裏が本堂かなぁ・・・と思って聞いてみました。やっぱり本堂は、先にお参りさせて貰ったお堂でしたね。今日は、鞄の重さを考えて朱印帳を持ってきてません。書き置きをいただきました。
「御本尊」の御朱印です。この天女の絵柄は、書き置きのみです。
「日切不動尊」の御朱印です。遠路遙々来て、不在だったら・・・と考えていので、いただけて良かったです。
私らが、ここを出るときには人が増えてきました。駐車場にも3台も止まっているし、直ぐに出ても良かったんですが、海を見たいので、道路を横断し、海岸まで行きました。
ここから見える海は「久見浜湾」です。荒々しい日本海ではありません。久見浜湾は、周囲28㌔潟湖で、波が穏やかな内海です。
海の匂いをかいだあと、駐車場に戻り10時27分に、ここを出て行きました。
予約しているレストランには、車で10分程度で行けるので、あと一箇所寄って行くつもりが、駐車場が分からず、そのままレストランに直行することになりました。
この日、最初の目的地は海の見える花の寺 宝珠山 如意寺です。私は初めて久美浜に来たので、勿論初めてですが、先輩も初めてだそうです。ただこの前は、何度か通られたようですが😊。
ここには、10時3分に着きました。ほぼ予定どおりです。駐車場は広いので、何処に停めても・・・でした😊。
京都市内に住んでいるので、海が見えてるお寺は新鮮です。海は帰りにもう一度見に行きます。
天平年間(奈良時代)、行基菩薩が当地に来られたとき、山上より火出て海に入り、また海より火出て山に昇るを見て海に綱を引かせたところ、如意宝珠の舎利塔を得た。行基菩薩は伽藍を建立しこれを納め、宝珠山如意寺と号された、これが如意寺の開基です。本尊は菩薩一刀三礼三年と伝えられる十一面観世音菩薩。鎌倉時代後期、第92代伏見天皇は如意寺に深く帰依され、正四位行左馬頭藤原定成を勅使として「如意寺」墨書の勅額を下賜されました。ここの寺域は、院家十二坊の伽藍を有し栄えましたが、応永年間(1394~1428)の兵火でその多くが消失。しかし、戦国期の天文、江戸期の寛文年間(1661~1673)・寛延年間(1748~1751)・寛政年間(1789~1801)、また明治後半に大復興事業が行われるなど、往時より参籠・参拝する者常に絶えず、「萬人帰依の祈願寺」として今日に至ります。1710年(宝永6年)に宝珠を、が、1920年(大正7年)には銅尖塔(平安後期)が伽藍より出土し、銅尖塔は国の重要美術品に指定されています。ご本尊は霊水「閼伽井の水」と共に眼守護の御利益で知られ本尊会である「千日会(8月9日)」には久美浜湾岸一帯で、花火・灯篭流し・大文字焼きなど町を挙げての夏祭となります。不動堂は1983年(昭和58年)の新築で、和・唐・天竺の三様式融合、日本唯一の珍しい重層宝玉造りです。党内には弘法大師の自刀と伝わる日切不動尊を祀り、毎日御祈祷が行われています。庫裡の阿弥陀如来は平安後期、恵都僧都作と伝わる美しい座像です。仁王門の金剛力士像は鎌倉初期のもので、いずれも一木造りの立派な仏像です。当寺は「関西花の寺二十五ヵ所霊場」の第七番札所であり、年間数百種類の花木や山野草が咲く。特に、境内周辺に密生する「みつばつづじ」の自生林は4月上〜中旬満開となり、一帯をピンク色に染めて見事であす。如意寺は高野山真言宗で、初詣・節分をはじめ、厄除・安産・病気平癒・心願成就・合格・縁結びなどの「花と仏の祈願寺」です。
最初に見るのは「仁王門」です。こちらには金剛力士像が祀られていたので見てみます。
「曼荼羅宝壺(まんだらほうこ)」、上からお賽銭を入れると妙音を発し胴体部分を手で静かに回せば胎蔵界曼荼羅諸仏の功徳が得られるそうです。ただ、お賽銭は本堂のご本尊前にお供えするつもりです。
この金剛力士像(久美浜町指定文化財)は、鎌倉時代初期に造られたもの。高さ2㍍37㌢の木像で、最近精密な解体補修が行われました。
仁王門を入って左手に「手水舎」がありました。駐車場にも車止まってなかったし、境内には誰も居ないようです。
右手には「納経所」と「庫裏」がありますが、ここは帰りに寄ります。先ずは奥り本堂まで行ってみます。
この階段を上がると、目の前に不動堂がありますが、遠回りして先に、海の見える「鐘楼」から見て行きます。
海を見てから「不動堂」に戻って来ました。この堂は、和様・唐様・天竺様を融合した珍しい三様式融合の建物。日本唯一の重層宝形造。設計・施工は、金閣寺再建にも関わった現代の名工・中村淳治棟梁最後の作。1983年(昭和58年)建立。
不動堂の手前には「六角堂」がありました。中を覗くと日切不動尊絵馬、縁結び絵馬、千羽鶴の奉納所になってました。
堂内に入りました。こちらの右の壇には「薬師如来」、中央に「日切大聖不動明王」、左の壇には「毘沙門天」が祀られています。
堂内、左には「役行者像」も祀られていました。
不動堂の右手奥に出ると「本堂」がありました。江戸時代様式のままに昭和初期、中期に大修理。単相層宝形造瓦葺。
こちらも堂内に入れました。ご本尊は十一面観世音菩薩ですが秘仏です。厨子の前にお前立ちが祀られていました。
堂内の左右にも見てみました。左手の手前は賓頭盧尊ですね、これだけ分かりました。
本堂を出て、左手から「珠山千年石(じゅざんせんねんせき)の庭」を見に行きます。事前に調べて知ってました。
この如意寺は1300年の歴史があります。伽藍が2㌔離れた観音山中腹と現在地の二箇所あり、50年余前に現在地に全伽藍を統一しました。2008年(平成20年)に作庭の際に、観音山伽藍の参道の石段一部を敷石として活用しています。そして山号の「宝珠山」に因み「珠山゛ン年の庭」と名付けられました。作庭は、植治次期十二代小川勝章氏の監修を得て大改修。境内を囲む両側の山の斜面を適度に手入れすることによって、自生の「みつばつつじ」(見頃は、4月初~中旬)の生育を守っています。また、マンサク、コブシ、山桜、ガマズミなどどの落葉広葉樹の下に、さまざまな山野草が咲き誇ります。
この庭は、植治次期十二代小川勝章氏が監修されていたんですね。次期十二代小川勝章氏の作庭した岩倉 実相院門跡の「こころのお庭」は見たことがあります。そして植治11代目小川治兵衛氏の講演は洛翠庭園ま参観時に聞きました。やっぱり7代目小川治兵衛が作庭した庭園がもっとも知られているし有名です。
先ず、庭園の前に名水「閼伽井の水」を見て行きました。
ここが「珠山千年石(じゅざんせんねんせき)の庭」の入口でしょう。事前に調べて知ってましたが無料のようです。
この山野草の「ホトトギス」だけ名前が分かりました。
庭園内を回って、元の所へ出てきました。後は、納経所に行き御朱印を貰うだけです。
納経所の横にある「庫裡」を覗くと、恵心僧都作と云われる阿弥陀如来座像が祀られていました。ただ、こちらには上がれないようです。
御朱印を貰うときに、庫裏が本堂かなぁ・・・と思って聞いてみました。やっぱり本堂は、先にお参りさせて貰ったお堂でしたね。今日は、鞄の重さを考えて朱印帳を持ってきてません。書き置きをいただきました。
「御本尊」の御朱印です。この天女の絵柄は、書き置きのみです。
「日切不動尊」の御朱印です。遠路遙々来て、不在だったら・・・と考えていので、いただけて良かったです。
私らが、ここを出るときには人が増えてきました。駐車場にも3台も止まっているし、直ぐに出ても良かったんですが、海を見たいので、道路を横断し、海岸まで行きました。
ここから見える海は「久見浜湾」です。荒々しい日本海ではありません。久見浜湾は、周囲28㌔潟湖で、波が穏やかな内海です。
海の匂いをかいだあと、駐車場に戻り10時27分に、ここを出て行きました。
予約しているレストランには、車で10分程度で行けるので、あと一箇所寄って行くつもりが、駐車場が分からず、そのままレストランに直行することになりました。
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