令和5年度 第59回 京都非公開文化財特別公開 高山寺 金堂へ
令和5年度 第59回 京都非公開文化財特別公開が始まり、京都市文化観光保護財団からは招待券を2枚貰いました。1枚は、11月8日(水)に鹿苑寺(金閣寺)の方丈公開に使いました。そして最後の1枚は、紅葉名所である高山寺の金堂が初公開されるとあって、こちらに使うことを決めてました。公開期間が11月11日(土)から11月20日(月)で、紅葉が見頃の時です。特別公開と紅葉を同時に見られるので、11月14日(火)に行くことを決めました。
京都では有名な紅葉の名所で、世界文化遺産にも登録されているので、日本各地から観光客が来られるでしょうし、外国人観光客も来られるでしょう、混雑必至と思い、金堂の公開時間は9時からですが、高山寺には8時30分から入れます。それなら8時30分に行くことを第一に考えました。ただ、11月の高山寺は留意する点があって、高山寺の駐車場は無料ですが、11月中は1040円必要です。それと、11月の間は、高山寺に入るのに入山料500円が必要です。普段は無料のところ、1540円が余分に要ります。これは前から分かっていたことで納得して今日は車で出掛けました。
京都と言うより全国的に、11月10日(金)の雨を境に冬型の気候となり、秋を通り越して冬が来たような、そんな冷え込んだのは前日の13日(月)で、最低気温が6.5℃、最高気温も11.1℃までしか上がりませんでした。そして当日の朝です。最低気温が5.7℃と冷え込んだので、この秋初めて暖房を使いました。前日は我慢しましたが、今朝は無理でした😊。服装も冬のジャンバーを着て高山寺に向かましたが、比較的空いていたので、予定の時間より少し早く着きました。
8時23分頃に駐車場に着きました。ただ、駐車料金は1040円と、2018年(平成30年)11月26日に行ったときより40円値上がりしてました😊。それより、8時23分には裏参道の門は開門されてました。
高山寺(こうさんじ)は、栂尾山と号する真言宗のお寺で、ご本尊は釈迦如来です。1994年(平成6年)に世界文化遺産に登録されました。また、高山寺のある栂尾を始め、槙尾、高雄は愛宕山三尾といわれ、いずれも紅葉の名所として知られています。寺伝によると奈良時代の774年(宝亀5年)第49代光仁天皇の勅願により開創され、当初、神願寺都賀尾房と称したが、1206年(建永元年)に、後鳥羽上皇の院宣によって明恵(みょうえ)上人が華巌宗興隆の道場として再興し寺名を高山寺と改め中興開山し学問寺として伝わり、皇族・公卿・武士及び民衆など多くの人々の信仰をあつめました。そして「鳥獣人物戯画絵巻」に代表される数多くの文化財(国宝・重要文化財1万点余)が高山寺に集積されました。
見たところ、駐車場には10台ぐらい止まってました。ただ観光バスは1台も止まってません。裏参道では石段をかなり登ることになります。
調べたら、2005年(平成17年)8月17日に初めてきて、2011年(平成23年)5月14日、2013年(平成25年)10月30日、2018年(平成30年)11月26日に来てました。ただ、子供の頃には何度か遠足で来たように覚えています。
階段を登り切ると、入山受付所があります。ここは11月だけ人が在住しているわけです。入山料は500円でした。ここは値上がりしてませんでした。
金堂は9時からなので、先に国宝「石水院」に向かいました。ただ、ここまで来てみて紅葉はイマイチでした。
8時28分に「書院山門」前に着きました。石水院は、このなかにあります。
奥に見えているのが国宝「石水院」です。この辺りの散策は後にして、とりあえず急ぐので玄関に向かいます。
「書院玄関」から入ります。靴を下駄箱に預けて上がると、左手に受付がありました。
拝観料は1000円でした。2018年(平成30年)11月26日に来た時は800円でしたので、200円の値上げです。ただ、私は石水院の拝観券を高山寺からいただいていたので、ここはパスで入れました。
今年の4月28日(金)から6月30日(金)まで「 台風災害の復興プロジェクト」と題してクラウドファンディングを実施されました。私は少しばかり協力させて貰った次第です。2018年(平成30年)11月26日に行ったとき、実際に大木が至る所に倒れているのを目にしたからです。その返礼品として石水院の拝観券をいただきました。
あと御守りと特別御朱印もいただきました。御守りは妻が鞄に付けていますし、拝観券は、こうして本日使いました。
受付を済ませて書院から渡り廊下を通って石水院に入ります。既に3組の方が入られてました。
石水院は、明恵上人時代の唯一の遺構として伝わり、希少な鎌倉時代の寝殿造風建築としても知られ国宝に指定されています。上人が後鳥羽上皇より学問所を賜ったものとされています。簡素な佇まいの寝殿造り住宅建築で、1889年(明治22年)に金堂の東より現在地に移築されました。西正面は、かつて春日明神・住吉明神の拝殿あったところで、今は明恵上人が敬愛した善財童子像が置かれています。欄干には、富岡鉄斎の木額「石水院」が架かっており、寺号の由来ともなった後鳥羽上皇の勅額「日出先照高山之寺」や、明恵上人筆とされる木額「阿留辺幾夜宇和」が当時より伝わります。もとは経蔵兼社殿として使われ、現在は住宅風にあらためられており、簡素かつ開放的な造りは、周囲の自然とよく調和しています。そして広く開け放たれた南縁の前には、もみじ(紅葉)の景色が一面に広がります。また国宝「鳥獣戯画」(複製)も常時展示されています。
明恵上人が敬愛した善財童子像と、本来なら真っ赤に染まる紅葉がバックに映えるんですが、紅葉の見頃はもう少し先になりそうです。
これから紅葉も進むかも知れませんが、2週間前に訪れた神護寺に比べ、紅葉の色が悪いです。今年の高温そして小雨が影響したのかも知れません。
由緒に書いてあった、富岡鉄斎の木額「石水院」が架かってますね。
ここは、元は拝殿だったんですね。今は善財童子像が置かれているので、皆さん写真を撮られてました。
石水院の西面を見ています。嵐山が見頃を迎えているのに、嵐山より高所の高山寺の紅葉はあまり進んでません。
石水院の南面を見ています。こちらか見る風景がメインでしょう。しかし、紅葉は進んでません。色も悪そうです。
「木彫りの狗児」(重文)。明恵上人が日頃から慈しんだ小犬の像です。当代一流の仏師湛慶の作と伝わります。
国宝「明恵上人樹上坐像図」です。山中で赤松が二股になった樹の上で坐禅没入する姿が描かれています。本物は京都国立博物館に寄託されているので複製でしょう😊。
由緒にあったように扁額は後鳥羽上皇より下賜された「日出先照高山之寺」が架かっています。忘れずに撮りました。
石水院の東面には国宝「鳥獣人物戯画絵巻」のレプリカを見ることができます。本物は京都国立博物館に寄託されてて、2014年(平成26年)11月8日に「国宝 鳥獣戯画と高山寺展 特別鑑賞会」で見せて貰いました。
東面の眼下には周山街道が見えてて、木々の隙間から車が見えます。
今日は、金堂の特別拝観に来ました。団体さんも入って来られ、狭い石水院内も混んできたので出て行くことに。「書院」では茶席もありました。
8時40分に石水院を出ました。
行きはスルーしましたが1322年(元亨2年)の造立の「石水院石標」がありました。
8時40分に「書院山門」出ました。ただ、まだ時間が早いです。少し寄って行きます。
高山寺には「日本最古の茶園」があるので、見ていきます。
高山寺は日本の茶の発祥の地として知られています。明恵上人は栄西禅師が宋から持ち帰った茶の実を山内で育て始めたと言われています。眠りを覚ます効果があるとも言われていたため、明恵上人は衆僧に飲茶をすすめたという。明恵上人は高山寺の茶の苗を宇治へ移植し、その後、中世以降、栂尾で栽培された茶は本茶、それ以外は非茶と呼ばれ、毎年天皇への献茶も行われました。
小さな茶園の前には「日本最古之茶園」が石碑が立ってます。毎年5月に茶摘みが行われ、11月8日の献茶式の際に明恵上人に新茶が献上される。
茶園を見た後、石段を降りて、書院山門から金堂に向けて石段を登って行きます。
2013年(平成25年)10月30日に来た時は、鬱蒼として木々に覆われたいたように思いますが、2018年(平成30年)の台風21号の強風でなぎ倒されたのでしょう。
そして「開山堂」までやって来ました。ここも寄って行きます。
通常非公開の「開山堂」の周りは紅葉が綺麗でした。明恵上人の命日の1月19日と11月8日の献茶式のとき特別に公開されます。
1230年(寛喜2年)に58歳の明恵上人庵室のの一部を禅堂院に移して禅河院と名付け住房とされました。上人はそこで晩年を過ごし入寂されました。弟子たちは師の木像(明恵上人坐像)をここに安置し御影堂としました。ただ兵火により焼失し、現在の宝形造りの建物は江戸時代に再建されたもの。
開山堂のお隣には「聖観音像」が祀られてました。手前には石灯籠も見えます。手前には「手水鉢」もありました。
「阿字碑」です。阿字は梵語の第一字母で、一切の語の根本であり、万物の根源を示す真言とされる。
開山堂から石段を上がると、一段と急な石段を登ってみます。その先には「御廟」があるからです。
開山堂の背後の高台に明恵上人の墓所である御廟があります。「開山廟」の手前には右に「妙法経塔」(重文)、左に「宝篋印塔」(重文)が建つ。
金堂までが、思っていたより遠かったので、その先に見えている「仏足石」に寄りませんでした。
先程スルーした「仏足石」が眼下に見えています。金堂まで、もう少し登れば着きそうです。
その前に「旧石水院」があった場所に寄りました。今は、もちろん何もありません。
8時50分に「金堂」に着きました。ただ思っていたより人が多く集まっています。10名ぐらいかなぁ。
金堂内部に入れるのは始めただそうです。毎月1日の午前9時からのお勤めの時にはご本尊は見られるみたいです。
中世の「高山寺縁起」によると、金堂を中心に東に阿弥陀堂・羅漢堂・経蔵が、西に、三重塔・鐘楼・鎮守社が並ぶ状況が描かれています。しかし、室町時代の1574年(天文16年の兵火によりに消失。その後、江戸時代の1634年(寛永11年)に仁和寺の古御堂を移築したと伝わります。金堂とともに焼失したご本尊は、奈良の円照寺からの寄進より安置されました。
時計を見ていて8時55分頃に受付を始められました。私は招待券を出して靴を袋に入れ、堂内に入りご本尊を参拝させて貰いました。ざっと20名ぐらいの人が堂内でガイドさんの話しを聞きました。ガイドさんの話しは上手でしたが、私にとって興味を引く話しをされなかったので、10分ぐらいで出ました。
ご本尊は「木造釈迦如来坐像」でした。毎月1日には外からですが見られるようですし、これで1000円・・・と思います。
金堂を出る前から外が賑やかでしたが、団体さんが来られてました。団体さんの中には興味があって入られた方が居たかもしれません。せっかく来たので金堂周りを一周しました。
帰りは表参道から下ります。この石段、凄く急なんですね、一段一段降りて行きました。
一段一段が高いので、ここから登ったらきついだろなぁ・・・と思い降りました。
表参道から石水院の屋根が見えます。この辺りの紅葉は綺麗でした。
駐車場に車を止めているので、帰りも裏参道から降りました。
団体さんの帰りの集合時間と重なったのでしょう、団体さんの後ろから降りました。9時23分駐車場に入りました。
戻ると車の数が凄く増えてました。それと他府県ナンバーばっかり。京都ナンバーは2台だけでした😊。
帰りも比較的道路は空いてました。高雄行きのバスを見ると多くの人が乗ってましたね。今日は高山寺だけで帰宅しました。
京都では有名な紅葉の名所で、世界文化遺産にも登録されているので、日本各地から観光客が来られるでしょうし、外国人観光客も来られるでしょう、混雑必至と思い、金堂の公開時間は9時からですが、高山寺には8時30分から入れます。それなら8時30分に行くことを第一に考えました。ただ、11月の高山寺は留意する点があって、高山寺の駐車場は無料ですが、11月中は1040円必要です。それと、11月の間は、高山寺に入るのに入山料500円が必要です。普段は無料のところ、1540円が余分に要ります。これは前から分かっていたことで納得して今日は車で出掛けました。
京都と言うより全国的に、11月10日(金)の雨を境に冬型の気候となり、秋を通り越して冬が来たような、そんな冷え込んだのは前日の13日(月)で、最低気温が6.5℃、最高気温も11.1℃までしか上がりませんでした。そして当日の朝です。最低気温が5.7℃と冷え込んだので、この秋初めて暖房を使いました。前日は我慢しましたが、今朝は無理でした😊。服装も冬のジャンバーを着て高山寺に向かましたが、比較的空いていたので、予定の時間より少し早く着きました。
8時23分頃に駐車場に着きました。ただ、駐車料金は1040円と、2018年(平成30年)11月26日に行ったときより40円値上がりしてました😊。それより、8時23分には裏参道の門は開門されてました。
高山寺(こうさんじ)は、栂尾山と号する真言宗のお寺で、ご本尊は釈迦如来です。1994年(平成6年)に世界文化遺産に登録されました。また、高山寺のある栂尾を始め、槙尾、高雄は愛宕山三尾といわれ、いずれも紅葉の名所として知られています。寺伝によると奈良時代の774年(宝亀5年)第49代光仁天皇の勅願により開創され、当初、神願寺都賀尾房と称したが、1206年(建永元年)に、後鳥羽上皇の院宣によって明恵(みょうえ)上人が華巌宗興隆の道場として再興し寺名を高山寺と改め中興開山し学問寺として伝わり、皇族・公卿・武士及び民衆など多くの人々の信仰をあつめました。そして「鳥獣人物戯画絵巻」に代表される数多くの文化財(国宝・重要文化財1万点余)が高山寺に集積されました。
見たところ、駐車場には10台ぐらい止まってました。ただ観光バスは1台も止まってません。裏参道では石段をかなり登ることになります。
調べたら、2005年(平成17年)8月17日に初めてきて、2011年(平成23年)5月14日、2013年(平成25年)10月30日、2018年(平成30年)11月26日に来てました。ただ、子供の頃には何度か遠足で来たように覚えています。
階段を登り切ると、入山受付所があります。ここは11月だけ人が在住しているわけです。入山料は500円でした。ここは値上がりしてませんでした。
金堂は9時からなので、先に国宝「石水院」に向かいました。ただ、ここまで来てみて紅葉はイマイチでした。
8時28分に「書院山門」前に着きました。石水院は、このなかにあります。
奥に見えているのが国宝「石水院」です。この辺りの散策は後にして、とりあえず急ぐので玄関に向かいます。
「書院玄関」から入ります。靴を下駄箱に預けて上がると、左手に受付がありました。
拝観料は1000円でした。2018年(平成30年)11月26日に来た時は800円でしたので、200円の値上げです。ただ、私は石水院の拝観券を高山寺からいただいていたので、ここはパスで入れました。
今年の4月28日(金)から6月30日(金)まで「 台風災害の復興プロジェクト」と題してクラウドファンディングを実施されました。私は少しばかり協力させて貰った次第です。2018年(平成30年)11月26日に行ったとき、実際に大木が至る所に倒れているのを目にしたからです。その返礼品として石水院の拝観券をいただきました。
あと御守りと特別御朱印もいただきました。御守りは妻が鞄に付けていますし、拝観券は、こうして本日使いました。
受付を済ませて書院から渡り廊下を通って石水院に入ります。既に3組の方が入られてました。
石水院は、明恵上人時代の唯一の遺構として伝わり、希少な鎌倉時代の寝殿造風建築としても知られ国宝に指定されています。上人が後鳥羽上皇より学問所を賜ったものとされています。簡素な佇まいの寝殿造り住宅建築で、1889年(明治22年)に金堂の東より現在地に移築されました。西正面は、かつて春日明神・住吉明神の拝殿あったところで、今は明恵上人が敬愛した善財童子像が置かれています。欄干には、富岡鉄斎の木額「石水院」が架かっており、寺号の由来ともなった後鳥羽上皇の勅額「日出先照高山之寺」や、明恵上人筆とされる木額「阿留辺幾夜宇和」が当時より伝わります。もとは経蔵兼社殿として使われ、現在は住宅風にあらためられており、簡素かつ開放的な造りは、周囲の自然とよく調和しています。そして広く開け放たれた南縁の前には、もみじ(紅葉)の景色が一面に広がります。また国宝「鳥獣戯画」(複製)も常時展示されています。
明恵上人が敬愛した善財童子像と、本来なら真っ赤に染まる紅葉がバックに映えるんですが、紅葉の見頃はもう少し先になりそうです。
これから紅葉も進むかも知れませんが、2週間前に訪れた神護寺に比べ、紅葉の色が悪いです。今年の高温そして小雨が影響したのかも知れません。
由緒に書いてあった、富岡鉄斎の木額「石水院」が架かってますね。
ここは、元は拝殿だったんですね。今は善財童子像が置かれているので、皆さん写真を撮られてました。
石水院の西面を見ています。嵐山が見頃を迎えているのに、嵐山より高所の高山寺の紅葉はあまり進んでません。
石水院の南面を見ています。こちらか見る風景がメインでしょう。しかし、紅葉は進んでません。色も悪そうです。
「木彫りの狗児」(重文)。明恵上人が日頃から慈しんだ小犬の像です。当代一流の仏師湛慶の作と伝わります。
国宝「明恵上人樹上坐像図」です。山中で赤松が二股になった樹の上で坐禅没入する姿が描かれています。本物は京都国立博物館に寄託されているので複製でしょう😊。
由緒にあったように扁額は後鳥羽上皇より下賜された「日出先照高山之寺」が架かっています。忘れずに撮りました。
石水院の東面には国宝「鳥獣人物戯画絵巻」のレプリカを見ることができます。本物は京都国立博物館に寄託されてて、2014年(平成26年)11月8日に「国宝 鳥獣戯画と高山寺展 特別鑑賞会」で見せて貰いました。
東面の眼下には周山街道が見えてて、木々の隙間から車が見えます。
今日は、金堂の特別拝観に来ました。団体さんも入って来られ、狭い石水院内も混んできたので出て行くことに。「書院」では茶席もありました。
8時40分に石水院を出ました。
行きはスルーしましたが1322年(元亨2年)の造立の「石水院石標」がありました。
8時40分に「書院山門」出ました。ただ、まだ時間が早いです。少し寄って行きます。
高山寺には「日本最古の茶園」があるので、見ていきます。
高山寺は日本の茶の発祥の地として知られています。明恵上人は栄西禅師が宋から持ち帰った茶の実を山内で育て始めたと言われています。眠りを覚ます効果があるとも言われていたため、明恵上人は衆僧に飲茶をすすめたという。明恵上人は高山寺の茶の苗を宇治へ移植し、その後、中世以降、栂尾で栽培された茶は本茶、それ以外は非茶と呼ばれ、毎年天皇への献茶も行われました。
小さな茶園の前には「日本最古之茶園」が石碑が立ってます。毎年5月に茶摘みが行われ、11月8日の献茶式の際に明恵上人に新茶が献上される。
茶園を見た後、石段を降りて、書院山門から金堂に向けて石段を登って行きます。
2013年(平成25年)10月30日に来た時は、鬱蒼として木々に覆われたいたように思いますが、2018年(平成30年)の台風21号の強風でなぎ倒されたのでしょう。
そして「開山堂」までやって来ました。ここも寄って行きます。
通常非公開の「開山堂」の周りは紅葉が綺麗でした。明恵上人の命日の1月19日と11月8日の献茶式のとき特別に公開されます。
1230年(寛喜2年)に58歳の明恵上人庵室のの一部を禅堂院に移して禅河院と名付け住房とされました。上人はそこで晩年を過ごし入寂されました。弟子たちは師の木像(明恵上人坐像)をここに安置し御影堂としました。ただ兵火により焼失し、現在の宝形造りの建物は江戸時代に再建されたもの。
開山堂のお隣には「聖観音像」が祀られてました。手前には石灯籠も見えます。手前には「手水鉢」もありました。
「阿字碑」です。阿字は梵語の第一字母で、一切の語の根本であり、万物の根源を示す真言とされる。
開山堂から石段を上がると、一段と急な石段を登ってみます。その先には「御廟」があるからです。
開山堂の背後の高台に明恵上人の墓所である御廟があります。「開山廟」の手前には右に「妙法経塔」(重文)、左に「宝篋印塔」(重文)が建つ。
金堂までが、思っていたより遠かったので、その先に見えている「仏足石」に寄りませんでした。
先程スルーした「仏足石」が眼下に見えています。金堂まで、もう少し登れば着きそうです。
その前に「旧石水院」があった場所に寄りました。今は、もちろん何もありません。
8時50分に「金堂」に着きました。ただ思っていたより人が多く集まっています。10名ぐらいかなぁ。
金堂内部に入れるのは始めただそうです。毎月1日の午前9時からのお勤めの時にはご本尊は見られるみたいです。
中世の「高山寺縁起」によると、金堂を中心に東に阿弥陀堂・羅漢堂・経蔵が、西に、三重塔・鐘楼・鎮守社が並ぶ状況が描かれています。しかし、室町時代の1574年(天文16年の兵火によりに消失。その後、江戸時代の1634年(寛永11年)に仁和寺の古御堂を移築したと伝わります。金堂とともに焼失したご本尊は、奈良の円照寺からの寄進より安置されました。
時計を見ていて8時55分頃に受付を始められました。私は招待券を出して靴を袋に入れ、堂内に入りご本尊を参拝させて貰いました。ざっと20名ぐらいの人が堂内でガイドさんの話しを聞きました。ガイドさんの話しは上手でしたが、私にとって興味を引く話しをされなかったので、10分ぐらいで出ました。
ご本尊は「木造釈迦如来坐像」でした。毎月1日には外からですが見られるようですし、これで1000円・・・と思います。
金堂を出る前から外が賑やかでしたが、団体さんが来られてました。団体さんの中には興味があって入られた方が居たかもしれません。せっかく来たので金堂周りを一周しました。
帰りは表参道から下ります。この石段、凄く急なんですね、一段一段降りて行きました。
一段一段が高いので、ここから登ったらきついだろなぁ・・・と思い降りました。
表参道から石水院の屋根が見えます。この辺りの紅葉は綺麗でした。
駐車場に車を止めているので、帰りも裏参道から降りました。
団体さんの帰りの集合時間と重なったのでしょう、団体さんの後ろから降りました。9時23分駐車場に入りました。
戻ると車の数が凄く増えてました。それと他府県ナンバーばっかり。京都ナンバーは2台だけでした😊。
帰りも比較的道路は空いてました。高雄行きのバスを見ると多くの人が乗ってましたね。今日は高山寺だけで帰宅しました。
この記事へのコメント
紅葉時期に行けたら最高です。初公開の金堂が見られるなんて、羨ましいです。
やはり起伏ある境内は結構広くて、見所も多そうです。
紅葉はもう少し先でしたか。それでも、山の中の景観がいいですね。
もちろん、複製とはいえここで「鳥獣戯画」を見るはワクワクしそう。
石水院も素晴らしいです。
高山寺は、そんなに家から遠くないので、紅葉の時に行きたいところ、普段無料の駐車場も1040円いるし、普段は要らない入山料500円は要るし、石水院も800円から1000円に値上げされてるしね。ただ紅葉は素晴らしいです。人も多く来られます。今年は紅葉が遅かったので、平年なら紅葉綺麗でしょうけど、まだ早かったですね。平成30年9月の台風災害を見ているので、随分復旧が進んだなぁと思いました。