「令和5年保存修理完了 開館20周年記念」並河靖之七宝記念館へ
京都では、11月11日(土)の最低気温が13.4℃でしたが、それを境に寒さが増して、それ以降はずっと最低気温が10℃を下回るようになりました。今週は11月15日(水)に真如堂に行きました。天気は良かったんですが、17日(金)の深夜からダブル低気圧の影響で雨が降り出し、早朝には、かなりの雨量を記録するほど。ただ、天気予報では9時過ぎぐらから雨が止みそうだったので、予定どおり岡崎にある並河靖之七宝記念館に向かう事にしました。
並河靖之七宝記念館の入館券は、京都市文化観光保護財団からいただいてました。先日訪れた金閣寺方丈や高山寺金堂とは別の招待券でした。並河靖之七宝記念館では「秋季特別展」として「並河靖之、その人生観 七宝と親交」と題して、9月1日(金)~12月17日(日)まで公開でしたが、招待券は、10月1日(日)から11月26日(日)(月、木休館)までが有効期間で、秋の紅葉とセットで、11月10日(金)に最初、行く予定を立てましたが、大雨で断念。そして次に17日(金)にしたわけです。ただ、この日も雨降りだったので近くの紅葉は断念し、並河靖之七宝記念館だけ行くことになりました。
9時過ぎにバスに乗りましたが、雨は小雨で傘は必要ありません。時間どおりに来たバスに乗り、次に地下鉄に乗り継いで東山駅までやって来ました。予定より20分も早く着いてしまいました。
小雨が降り続くなか、東山駅を出て、白川沿いを歩きました。
白川沿いを歩いて、仁王門通りに出ました。私は横断歩道を渡ります。東山駅からの皆さんは平安神宮に向かわれるのでしょう、
疎水沿いに架かる「慶流橋」から西側を撮りました。見えているのが「京都国立近代美術館」です。
北側には平安神宮の大鳥居が建っています。小雨が降ってて、傘を差している方もチラホラ。
次に神宮通りに架かる「慶流橋」から東側を撮りました。
仁王門通りを少しだけ東の散策路を歩きました。そして引き返し向かいに「京都市京セラ美術館」が見えたので撮りました。
再び白川まで戻ると、雨脚が強くなって、私も傘を差しました。
白川沿いを歩いて9時58分に「並河靖之七宝記念館」に着きました。雨が強くなってきたので、ここで開館を待つことさせて貰いました。
この外観での注目は、「虫籠窓(むしこまど)」です。「駒寄」(馬を繋ぐためのもの)とともに京町屋の外観の特色が出ています。
この記念館は、七宝作家で1896年(明治29年)に帝室技芸員となった並河靖之が、職住一体として構えた旧邸宅と工房跡です。館内には、並河靖之制作の数多くの七宝作品や、海外の来訪者のために鴨居を高くしてガラス障子を曳き回した開放的な主屋、旧工房、旧窯場が残されています。また庭園は七代目小川治兵衛(植治)の作庭で、琵琶湖疎水を園池に引き入れています。建物は国登録有形文化財、京都市指定歴史的意匠建造物、庭園は京都市指定名勝庭園の指定を受け、明治期の住宅の佇まいを良好に残す京都の近代文化遺産のひとつです。
拝観料は1000円のようです。10時の開館を待ちましたが、時間通りでしたね開門されたのは。
入ると正面に「通り庭」があって、“おくどさん"がありますが、先に受付をされました。
門を入って左手に拝観受付所がありました。そこで京都市文化観光保護財団からいただいた招待券を出しました。ここには2011年(平成23年)8月6日に「京の夏の旅」で来て以来、12年振りの訪問です。受付を済ませると「第一展示室」を通り抜け庭に出ます。
展示室を抜けると「玄関の間」に出ました。主屋には、後程上がることにして先に庭園を見ます。
並河家庭園(京都市指定名勝)は、七宝作家で1896年(明治29年)に帝室技芸員となった並河靖之が、、職住一体として構えた邸宅内に造られたものです。並河家の庭園と建物との竣工時の様子は、竣工披露された翌日の「日出新聞」(1894年・明治27年11月16日)の記事から知られています。庭園を手掛けたのは七代目小川治兵衛(植治)です。琵琶湖疎水を水源とする園池の水は、もともと七宝の研磨を目的に引かれた水を流用したものです。構成はは、表玄関の「通り庭」と敷地の北東隅にある「坪庭」、園池を中心として座敷前に広がる「平庭」に大別でき、明治期の住宅庭園の有り様を今に伝えています。七代目小川治兵衛(植治)が後の作風を築きあげるうえで重要な時期に造られたものであり、明治期の住宅の佇まいを良好に残し、並河靖之の芸術観をも受入れた密度の濃い庭園として貴重なものです。
主屋には、ここから上がるようです。手前の「沓脱石」は滋賀の膳所城で使用していたと伝わる、櫓石だとか。
こちらは案内図では「滝口」とありました。
雨が本降りとなってきたので、ここで「主屋」に上がります。主屋内は撮影禁止ですが、庭に向かっての撮影はOKと聞いてました。
上がる前に、「一文字手水鉢」を撮りました。鞍馬石の川石で、水穴を一文字に彫り込んだものを宙に浮かして据えてあります。
「障子」の桟は、青蓮院門跡「茶室 好文亭」の写し。ガラスの高さは座る人の目線にあわせ応接間と座敷で異なります。
雨が止みそうにもなかったので、「第2展示室」に向かいます。庭にある丸い石は「踏分石」で、寺社の礎石風に置かれています。
「第二展望室」(旧工房)は、靴のまま上がります。展示品もゆっくり鑑賞しました。写真は第二展望室から見た庭園です。
案内に従って、次に「旧窯場」に入りました。窯場当時の仕様が残り、当家の歴史を知る上で欠くことのできない施設となっています。
次に「東回廊」に向かいました。手前は「集水桝」と案内図では書いてありました。
この庭を作庭した七代目小川治兵衛(植治)のパネルもありました。無鄰菴にもありますね。
こちらはと「井戸」でしょう。
雨は止みませんが、池の鯉の餌やりを見ることがでました😊。
10時25分頃に、ここを出ました。出たら雨が止みました😂。ただ入口の通り庭を見損ねたのは残念です。
この日は、四条烏丸に11時、妻と待合せをしてました。こちらの用事が今日のメインでした。それで、ここを10時30分には出て行く必要があったですが、「通り庭」不覚でしたね。帰りも「東山駅」を利用しましたが、もう凄い人でした。秋の京都は紅葉以外でも混んでます。
並河靖之七宝記念館の入館券は、京都市文化観光保護財団からいただいてました。先日訪れた金閣寺方丈や高山寺金堂とは別の招待券でした。並河靖之七宝記念館では「秋季特別展」として「並河靖之、その人生観 七宝と親交」と題して、9月1日(金)~12月17日(日)まで公開でしたが、招待券は、10月1日(日)から11月26日(日)(月、木休館)までが有効期間で、秋の紅葉とセットで、11月10日(金)に最初、行く予定を立てましたが、大雨で断念。そして次に17日(金)にしたわけです。ただ、この日も雨降りだったので近くの紅葉は断念し、並河靖之七宝記念館だけ行くことになりました。
9時過ぎにバスに乗りましたが、雨は小雨で傘は必要ありません。時間どおりに来たバスに乗り、次に地下鉄に乗り継いで東山駅までやって来ました。予定より20分も早く着いてしまいました。
小雨が降り続くなか、東山駅を出て、白川沿いを歩きました。
白川沿いを歩いて、仁王門通りに出ました。私は横断歩道を渡ります。東山駅からの皆さんは平安神宮に向かわれるのでしょう、
疎水沿いに架かる「慶流橋」から西側を撮りました。見えているのが「京都国立近代美術館」です。
北側には平安神宮の大鳥居が建っています。小雨が降ってて、傘を差している方もチラホラ。
次に神宮通りに架かる「慶流橋」から東側を撮りました。
仁王門通りを少しだけ東の散策路を歩きました。そして引き返し向かいに「京都市京セラ美術館」が見えたので撮りました。
再び白川まで戻ると、雨脚が強くなって、私も傘を差しました。
白川沿いを歩いて9時58分に「並河靖之七宝記念館」に着きました。雨が強くなってきたので、ここで開館を待つことさせて貰いました。
この外観での注目は、「虫籠窓(むしこまど)」です。「駒寄」(馬を繋ぐためのもの)とともに京町屋の外観の特色が出ています。
この記念館は、七宝作家で1896年(明治29年)に帝室技芸員となった並河靖之が、職住一体として構えた旧邸宅と工房跡です。館内には、並河靖之制作の数多くの七宝作品や、海外の来訪者のために鴨居を高くしてガラス障子を曳き回した開放的な主屋、旧工房、旧窯場が残されています。また庭園は七代目小川治兵衛(植治)の作庭で、琵琶湖疎水を園池に引き入れています。建物は国登録有形文化財、京都市指定歴史的意匠建造物、庭園は京都市指定名勝庭園の指定を受け、明治期の住宅の佇まいを良好に残す京都の近代文化遺産のひとつです。
拝観料は1000円のようです。10時の開館を待ちましたが、時間通りでしたね開門されたのは。
入ると正面に「通り庭」があって、“おくどさん"がありますが、先に受付をされました。
門を入って左手に拝観受付所がありました。そこで京都市文化観光保護財団からいただいた招待券を出しました。ここには2011年(平成23年)8月6日に「京の夏の旅」で来て以来、12年振りの訪問です。受付を済ませると「第一展示室」を通り抜け庭に出ます。
展示室を抜けると「玄関の間」に出ました。主屋には、後程上がることにして先に庭園を見ます。
並河家庭園(京都市指定名勝)は、七宝作家で1896年(明治29年)に帝室技芸員となった並河靖之が、、職住一体として構えた邸宅内に造られたものです。並河家の庭園と建物との竣工時の様子は、竣工披露された翌日の「日出新聞」(1894年・明治27年11月16日)の記事から知られています。庭園を手掛けたのは七代目小川治兵衛(植治)です。琵琶湖疎水を水源とする園池の水は、もともと七宝の研磨を目的に引かれた水を流用したものです。構成はは、表玄関の「通り庭」と敷地の北東隅にある「坪庭」、園池を中心として座敷前に広がる「平庭」に大別でき、明治期の住宅庭園の有り様を今に伝えています。七代目小川治兵衛(植治)が後の作風を築きあげるうえで重要な時期に造られたものであり、明治期の住宅の佇まいを良好に残し、並河靖之の芸術観をも受入れた密度の濃い庭園として貴重なものです。
主屋には、ここから上がるようです。手前の「沓脱石」は滋賀の膳所城で使用していたと伝わる、櫓石だとか。
こちらは案内図では「滝口」とありました。
雨が本降りとなってきたので、ここで「主屋」に上がります。主屋内は撮影禁止ですが、庭に向かっての撮影はOKと聞いてました。
上がる前に、「一文字手水鉢」を撮りました。鞍馬石の川石で、水穴を一文字に彫り込んだものを宙に浮かして据えてあります。
「障子」の桟は、青蓮院門跡「茶室 好文亭」の写し。ガラスの高さは座る人の目線にあわせ応接間と座敷で異なります。
雨が止みそうにもなかったので、「第2展示室」に向かいます。庭にある丸い石は「踏分石」で、寺社の礎石風に置かれています。
「第二展望室」(旧工房)は、靴のまま上がります。展示品もゆっくり鑑賞しました。写真は第二展望室から見た庭園です。
案内に従って、次に「旧窯場」に入りました。窯場当時の仕様が残り、当家の歴史を知る上で欠くことのできない施設となっています。
次に「東回廊」に向かいました。手前は「集水桝」と案内図では書いてありました。
この庭を作庭した七代目小川治兵衛(植治)のパネルもありました。無鄰菴にもありますね。
こちらはと「井戸」でしょう。
雨は止みませんが、池の鯉の餌やりを見ることがでました😊。
10時25分頃に、ここを出ました。出たら雨が止みました😂。ただ入口の通り庭を見損ねたのは残念です。
この日は、四条烏丸に11時、妻と待合せをしてました。こちらの用事が今日のメインでした。それで、ここを10時30分には出て行く必要があったですが、「通り庭」不覚でしたね。帰りも「東山駅」を利用しましたが、もう凄い人でした。秋の京都は紅葉以外でも混んでます。
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