洛西の禅宗庭園 洪隠山 西芳寺(苔寺) 初冬の風景
12月5日(火)は、曇り空で時々小雨が降る天候で、最高気温は10.9℃しか上がりませんでした。最低気温が4.9℃でしたので、一日中寒かったです。そして翌日の6日(水)は、天気予報では晴れと出てましたが曇ってました。ただ夜も曇っていたので放射冷却が効かず、冷え込みはそんな低くは無かったです。最低気温は6.5℃でした。
今日は世界遺産 西芳寺(苔寺)を予約してました。今年の6月13日(前編)、6月13日(後編)に行きました。その時は初夏の苔は輝いてました。何度か西芳寺(苔寺) には行ってますが、紅葉の時期には行ったことがありません。今年こそ行って見ようと思い予約を試みたところ、11月下旬は取れませんでした。そして押さえられたのが12月6日(水)、例年なら見頃が終了しているでしょう。ただ今年は気温が高かったこともあって、12月に入っても京都の紅葉の名所では見頃が続いています。少し期待をしながら家を出て、近くのバス停から市バスに乗りました。我が家から西芳寺(苔寺) までの直通バスはありません。嵐山で京都バスに乗り換えが必要でしたが、私は松尾大社から歩くことを選択しました。
松尾大社には、井堂雅夫画伯の書かれた干支の大絵馬を撮りにきたわけです。毎年、ここの絵馬は撮りに来ています。
次に苔寺に行くので、ここで長居はできません。9時13分に「楼門」を出て苔寺に向かいました。以外と紅葉、持ってましたね。
松尾から鈴虫寺や苔寺に行かれる方も多いのでしょうか、住宅街の所々に道案内が出ています😊。私は、この辺りの土地勘があるので、地図は不要です。西芳寺川まで来ると、賑やかな集団と一緒になってしまいました。言葉から中国系かなぁ。韓国ではないようです。そろそろ中国人の団体も増えてきました。それより何処から歩いてきたんかなぁ、この集団😊。
ゆっくり歩いて9時33分に西芳寺川に架かる「大歇橋(だいけつきょう)」に着きました。その先には「総門」があります。
6月13日に来た時は、開門まで随分待たされたので、それでゆっくりゆっくり歩きました。
9時36分に「邀月橋(ようげっきょう)」のある「衆妙門」前に着きました。ここで開門まで待ちます。
前回は、多くの方が待たれてましたが、紅葉の時期に、この時間に待っていたのは1組だけ。拍子抜けです。ただ前途した通り中国人の団体さんなども来られましたが、それほど多くは無かったように思います。そして、9時47分に開門され、「一般社団法人 西芳会」から送られて来たメールに添付されたQRコードを機械に通して受付完了です。記念品に筆ペン貰いました。要らんけど😊。
入ると左手に1969年(昭和44年)落成の「本堂(西来堂)」が見えます。ただ正面からの写真は遠慮して欲しいと。
遠目でも綺麗な紅葉が見えました。ただ庭園は後からです。先に「玄関」から靴を脱いで入ります。
寒いからでしょう、扉は閉まってますが自分で開けて閉めます。暖房が外気によって逃げるからでしょう。ここからは撮影禁止のため写真はありません。2021年(令和3年)6月28日にも来ているので、要領は分かってます。自宅から書きやすい筆ペンを持って来たので、さっと写経を済ませます。写経は「延命十句観音経」でした。ご本尊前にお供えして、本尊に手を合わせ玄関から出て行きました。
今日は御朱印をお願いしていないので、待たずに済みました。それで直ぐに出て来られたわけです。こちらは玄関前にあった枯山水庭園です。
今年は紅葉の持ちが良いのは分かってましたが、まだ見頃が続いています。ここには「庭園入口」の案内が出てました。
庭園入口を入る前に、この辺りの紅葉を撮りました。多分、出てきたら人が多いと思ったから😊。
紅葉も散り始めですね。この日しか予約でなかったので仕方ないんですが、これでも充分です。
左手に「庫裏」、庭園の入口が見えてきました。ただ、まだ入りません。
前回の6月13日に来た時、帰りに寄ろうと思っていたら、人が多くて撮れなかったので、今日は先に寄りました。向こうに見えているのは「中門」です。
1977年(昭和52年)までの拝観は、総門から入って中門を通り庭園に出ていたそうです。現在、中門は使われていません。
それでは、いよいよ庭園に入ります。6月13日以来です。
庭園に入ると左に「観音堂」があります。
右手には「皇后陛下行啓記念樹」と書かれた石碑があります。上皇后美智子様でしょうね、知らんけど😊。
「史蹟及名勝 西芳寺庭園」と書かれた石碑があって、拝観順路は右手になります。
順路に従って、石畳を降りて行きます。そして左手を見ると・・・?。
左を見れば「金剛池」があって、2列に並んだ石が見えます。この石は「夜泊石(よどまりいし)」と言って、かつて本堂の南にあった瑠璃殿を結ぶ橋の橋脚であったらしい。
この金剛池の周りの紅葉が綺麗です。私も空いている間に左手に行こうかなぁと思ったんですが、やっぱり基本通り反時計回りで庭園を巡りました。今回、私は庭園を2周したんです。多くの方が(多分外国人)時計回りで回られましたね。やっぱり紅葉につられたのでしょう😊。
次に右手の奥に大正時代に建てられた茶室「少庵堂」が見えます。苔はまるでビロードのようですね。
少庵堂は、1920年(大正9年)に建てられた。茶人の千少庵の名にちなんでその名がつけられ、千少庵の木造の像が収められています。千少庵は日本における茶の湯の普及に大きな功績を果たした茶人の千利休の養子(二男)です。
綺麗な苔の上にモミジの枯れ葉が落ちてます。この日、庭師の方が枯れ葉の清掃されてました。
茶室「少庵堂」を振り返って見てみました。盛りを過ぎても紅葉は綺麗です。
先程表から写真を撮った「中門」の裏手です。1975年(昭和50年)までの拝観者は、ここを出入りしていたと思います。
次に注連縄をされた石が見えました。「影向石」(ようこうせき)といい、松尾明神が老翁と化し影向した伝説があります。この石は寺の鎮守として神聖化されてるそうです。
こちらは「発掘調査」をされてる現場です。現在は石組みだけですが、かつて室町時代には西芳寺川から渓流が引かれ、黄金池へ注いだいたと伝わり、700年前の様子を復元するために発掘調査をされてるようです。
ここら塀越しに「総門」の屋根が見えました。この辺りの落葉多かったです。
茶室「湘南亭」(重文)まで来ました。ここでは、この前の石碑に注目です。
明治維新の際に岩倉具視が一時隠棲し、幕府からの難を逃れたことを示す石碑が建っています。岩倉具視と当時の西芳寺の住職が従兄弟の関係であったことから、ここに潜んでいたという。
岩倉具視は公武合体による朝権回復のため積極的に和宮降嫁問題が起こると積極的に推進。しかし、攘夷派に糾弾され1862年(文久2年)8月に辞官出家の上、蟄居を命じられ、一時西芳寺(苔寺)の湘南亭に身を寄せました。その後、岩倉へ移ることに。私が子供の頃、岩倉具視は5百円札の人で知ってました😊。
杮葺で、入母屋造りの待合からなるL字型の構造です。夢窓疎石の時代に造られたが、その後荒廃し、千利休の二男が復興させた。北側には「露台」を設けてあり庭を一望できます。
境内は1万坪の広さがあります。現在は「上段の庭」の公開はされてませんが庭園も広いです。写真の枚数も多くなったので、続きは後編で😊。今まで、西芳寺(苔寺)には、苔の綺麗な6月にしか行ってませんでした。前途した6月13日(前編)、6月13日(後編)と、2021年(令和3年)6月28日(前編)、2021年(令和3年)6月28日(中編)、2021年(令和3年)6月28日(後編)。初めての秋の苔寺は紅葉も綺麗でした。それは後程😊。
今日は世界遺産 西芳寺(苔寺)を予約してました。今年の6月13日(前編)、6月13日(後編)に行きました。その時は初夏の苔は輝いてました。何度か西芳寺(苔寺) には行ってますが、紅葉の時期には行ったことがありません。今年こそ行って見ようと思い予約を試みたところ、11月下旬は取れませんでした。そして押さえられたのが12月6日(水)、例年なら見頃が終了しているでしょう。ただ今年は気温が高かったこともあって、12月に入っても京都の紅葉の名所では見頃が続いています。少し期待をしながら家を出て、近くのバス停から市バスに乗りました。我が家から西芳寺(苔寺) までの直通バスはありません。嵐山で京都バスに乗り換えが必要でしたが、私は松尾大社から歩くことを選択しました。
松尾大社には、井堂雅夫画伯の書かれた干支の大絵馬を撮りにきたわけです。毎年、ここの絵馬は撮りに来ています。
次に苔寺に行くので、ここで長居はできません。9時13分に「楼門」を出て苔寺に向かいました。以外と紅葉、持ってましたね。
松尾から鈴虫寺や苔寺に行かれる方も多いのでしょうか、住宅街の所々に道案内が出ています😊。私は、この辺りの土地勘があるので、地図は不要です。西芳寺川まで来ると、賑やかな集団と一緒になってしまいました。言葉から中国系かなぁ。韓国ではないようです。そろそろ中国人の団体も増えてきました。それより何処から歩いてきたんかなぁ、この集団😊。
ゆっくり歩いて9時33分に西芳寺川に架かる「大歇橋(だいけつきょう)」に着きました。その先には「総門」があります。
6月13日に来た時は、開門まで随分待たされたので、それでゆっくりゆっくり歩きました。
9時36分に「邀月橋(ようげっきょう)」のある「衆妙門」前に着きました。ここで開門まで待ちます。
前回は、多くの方が待たれてましたが、紅葉の時期に、この時間に待っていたのは1組だけ。拍子抜けです。ただ前途した通り中国人の団体さんなども来られましたが、それほど多くは無かったように思います。そして、9時47分に開門され、「一般社団法人 西芳会」から送られて来たメールに添付されたQRコードを機械に通して受付完了です。記念品に筆ペン貰いました。要らんけど😊。
入ると左手に1969年(昭和44年)落成の「本堂(西来堂)」が見えます。ただ正面からの写真は遠慮して欲しいと。
遠目でも綺麗な紅葉が見えました。ただ庭園は後からです。先に「玄関」から靴を脱いで入ります。
寒いからでしょう、扉は閉まってますが自分で開けて閉めます。暖房が外気によって逃げるからでしょう。ここからは撮影禁止のため写真はありません。2021年(令和3年)6月28日にも来ているので、要領は分かってます。自宅から書きやすい筆ペンを持って来たので、さっと写経を済ませます。写経は「延命十句観音経」でした。ご本尊前にお供えして、本尊に手を合わせ玄関から出て行きました。
今日は御朱印をお願いしていないので、待たずに済みました。それで直ぐに出て来られたわけです。こちらは玄関前にあった枯山水庭園です。
今年は紅葉の持ちが良いのは分かってましたが、まだ見頃が続いています。ここには「庭園入口」の案内が出てました。
庭園入口を入る前に、この辺りの紅葉を撮りました。多分、出てきたら人が多いと思ったから😊。
紅葉も散り始めですね。この日しか予約でなかったので仕方ないんですが、これでも充分です。
左手に「庫裏」、庭園の入口が見えてきました。ただ、まだ入りません。
前回の6月13日に来た時、帰りに寄ろうと思っていたら、人が多くて撮れなかったので、今日は先に寄りました。向こうに見えているのは「中門」です。
1977年(昭和52年)までの拝観は、総門から入って中門を通り庭園に出ていたそうです。現在、中門は使われていません。
それでは、いよいよ庭園に入ります。6月13日以来です。
庭園に入ると左に「観音堂」があります。
右手には「皇后陛下行啓記念樹」と書かれた石碑があります。上皇后美智子様でしょうね、知らんけど😊。
「史蹟及名勝 西芳寺庭園」と書かれた石碑があって、拝観順路は右手になります。
順路に従って、石畳を降りて行きます。そして左手を見ると・・・?。
左を見れば「金剛池」があって、2列に並んだ石が見えます。この石は「夜泊石(よどまりいし)」と言って、かつて本堂の南にあった瑠璃殿を結ぶ橋の橋脚であったらしい。
この金剛池の周りの紅葉が綺麗です。私も空いている間に左手に行こうかなぁと思ったんですが、やっぱり基本通り反時計回りで庭園を巡りました。今回、私は庭園を2周したんです。多くの方が(多分外国人)時計回りで回られましたね。やっぱり紅葉につられたのでしょう😊。
次に右手の奥に大正時代に建てられた茶室「少庵堂」が見えます。苔はまるでビロードのようですね。
少庵堂は、1920年(大正9年)に建てられた。茶人の千少庵の名にちなんでその名がつけられ、千少庵の木造の像が収められています。千少庵は日本における茶の湯の普及に大きな功績を果たした茶人の千利休の養子(二男)です。
綺麗な苔の上にモミジの枯れ葉が落ちてます。この日、庭師の方が枯れ葉の清掃されてました。
茶室「少庵堂」を振り返って見てみました。盛りを過ぎても紅葉は綺麗です。
先程表から写真を撮った「中門」の裏手です。1975年(昭和50年)までの拝観者は、ここを出入りしていたと思います。
次に注連縄をされた石が見えました。「影向石」(ようこうせき)といい、松尾明神が老翁と化し影向した伝説があります。この石は寺の鎮守として神聖化されてるそうです。
こちらは「発掘調査」をされてる現場です。現在は石組みだけですが、かつて室町時代には西芳寺川から渓流が引かれ、黄金池へ注いだいたと伝わり、700年前の様子を復元するために発掘調査をされてるようです。
ここら塀越しに「総門」の屋根が見えました。この辺りの落葉多かったです。
茶室「湘南亭」(重文)まで来ました。ここでは、この前の石碑に注目です。
明治維新の際に岩倉具視が一時隠棲し、幕府からの難を逃れたことを示す石碑が建っています。岩倉具視と当時の西芳寺の住職が従兄弟の関係であったことから、ここに潜んでいたという。
岩倉具視は公武合体による朝権回復のため積極的に和宮降嫁問題が起こると積極的に推進。しかし、攘夷派に糾弾され1862年(文久2年)8月に辞官出家の上、蟄居を命じられ、一時西芳寺(苔寺)の湘南亭に身を寄せました。その後、岩倉へ移ることに。私が子供の頃、岩倉具視は5百円札の人で知ってました😊。
杮葺で、入母屋造りの待合からなるL字型の構造です。夢窓疎石の時代に造られたが、その後荒廃し、千利休の二男が復興させた。北側には「露台」を設けてあり庭を一望できます。
境内は1万坪の広さがあります。現在は「上段の庭」の公開はされてませんが庭園も広いです。写真の枚数も多くなったので、続きは後編で😊。今まで、西芳寺(苔寺)には、苔の綺麗な6月にしか行ってませんでした。前途した6月13日(前編)、6月13日(後編)と、2021年(令和3年)6月28日(前編)、2021年(令和3年)6月28日(中編)、2021年(令和3年)6月28日(後編)。初めての秋の苔寺は紅葉も綺麗でした。それは後程😊。
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