「京都十六社朱印めぐり」長岡天満宮へ
1月10日(水)は、「京都十六社朱印めぐり」の京都南部の神社を巡るつもりでしたが、天気予報が昼から雨降りと出ていたので、「京都十六社朱印めぐり」の神社で、唯一京都市以外の神社である長岡天満宮だけ行くことにしました。
この日の最低気温1.8℃と冷え込むなか自宅から市バスを乗って阪急嵐山駅まで行き、阪急嵐山線の電車に乗って、桂駅へ。そこから京都線に電車に乗り換えて長岡天神駅まで行きました。その桂から乗った電車ですが、天下茶屋行きでした。私が乗っていた電車は7時台でしたが、天下茶屋の文字が懐かしかったです。桂駅からではそうでもありませんが、高槻駅、茨木駅と凄く混雑したのを覚えています。
阪急嵐山駅を8時8分に出る電車に乗って桂に8時16分に着きました。ただ降りる人が多くて、なかなか前に進みません。私は急がないので、ゆっくり階段を上がって京都線のホームに。そして8時21分発の天下茶屋行きに余裕で乗れました。
長岡天神駅には8時30分に着きました。西口から出て、ゆっくり歩いて行くと8時40分「正面大鳥居」が見えて来ました。
山城国乙訓郡長岡の地は、御祭神の菅原道真公が在原業平と共に詩歌管絃を楽しまれたところであります。道真公が大宰府に左遷させられた時、この地に立ち寄り「吾が魂、長くこの地に留まるべし」と名残を惜しまれた縁故により公卿自作の木像を祀ったのが長岡天満宮の創立です。それ以来、皇室の崇敬厚く、1617年(元和3年)には八条宮家の領地となり、度々の御寄進・御造営をうけ、1638年(寛永15年)には八条ヶ池が築造され、中堤の石太鼓橋は加賀藩前田家の寄進です。4月下旬には樹齢約170年余りのキリシマツツジ(長岡京市の天然記念物)が見頃を迎え、新緑に映える真紅のキリシマツツジは我が国随一のものと称されます。
信号が青に変わるのを待って、その先にある「大絵馬」を撮りました。
階段を上がって、1998年(平成10年)に建立された鳥居をくぐります。
ここは5月の連休の頃、見事に「キリシマツツジ」が咲き、真っ赤に染まります。ただ真ん中の通路は通行止めでした。
行きは向かって左(南側)の通路を通ります。帰りは北側を通る予定です。
「八条ヶ池」を見ながら歩いて行きます。向こうに見えているのが筍料理の名店「錦水亭」です。
「太鼓橋」まで来ました。帰りは、ここを通らないので振り向いて正面大鳥居を撮りました。
真ん中の通路から正面大鳥居を撮りました。ご覧のように通行止めになっています。
8時45分「一の鳥居」まで来ました。雨が降りそうな天気でしたが、傘は要りませんが小雨降ってきましたね。
ここには菅原道真公ゆかりの石碑が点在してます。最初は、「長岡保勝会の事業竣工記念碑」です。中小路宗城元宮司が保勝会を組織して、その収益で社殿、社務所、池周辺の境内整備を行った記念して1922年(大正11年)に建立されました。
次に、菅公御歌「海ならず たたへる水の 底までも 清き心は 月ぞ照らさむ」とありました。
向かいには「以誠接萬事」と書かれた石碑です。御祭神の菅原道真の至誠の心を現した「誠を以って萬事に接する」と書いてあります。
向かいに移動して「塩田藪柑子、花野里美夫妻句碑」で「文道の宮の余光につつしせ燃ゆ(藪柑子)、風韻に心耳を澄ます梅の宮(里美)」と書かれています。2002年(平成14年)に建立されました。
吟道賀堂流長岡京吟詠会(主宰 故千阪賀秀先生)の結成20周年の記念に奉納されましたもの。「菅公頌徳詩文」は千阪先生の作詞によるものです。1992年(平成4年)建立。内容は、「冤罪左遷されて一身を虔み 詩を詠じ学を研て天真を養う 誠忠滅せず志を埋むと雖ども 遺徳長えに伝う文教の神」と書いてありました。
参道を南に歩き、次に東に曲がると角に2018年(平成30年)9月2日に襲来した台風21号の強風により、倒壊した「二の鳥居」の残骸を見ることができます。
2021年(令和3年)11月に建立された新しい石碑を通ります。
階段を上がって「三の鳥居」まで来ました。
鳥居をくぐり石段を上がると菅公歌碑がありました。「海ならず たたへる水の 底までも 清き心は 月ぞ照らさむ」と書かれています。
本殿に行く、最後の「四の鳥居」です。
8時50分に鳥居をくぐり社務所を見ると、閉まってます。そして向かって右手に「仔牛の像」があって、その横に「手水舎」があったので、手と口を清めました。
また、その横には「神牛像」があって、天満宮にこの牛が多い理由が書いてありました。
菅原道真公が大宰府に左遷された時、刺客に襲われ命も危なかったときに、荒れ狂った白牛が、刺客から命を守ったという故事と、大宰府で無くなれたとき、遺骸を載せた車を曳いていた牛が突然ひれ伏して動かなくなり、そこを墓所とし、現在の太宰府天満宮がその地に建てられた。牛が菅公の御神使となったのはこれらの事跡によるものだそうです。
空いている間に「本殿」に行きました。御祭神は、学問の神様菅原道真公。静かに参拝させて貰いました。
社務所が開かないので、本殿の向かって左手にある「長岡稲荷大明神」に向かいます。
その前に「本殿」が見えました。屋根だけですが😊。
鳥居を抜けると、最初に「山神社」がありました。御祭神は大山祇神(おおやまつみのかみ)です。
次に「松尾竜神」と「菅竜神」が、ありました。
このエリア最後が「長岡稲荷社」で、ご祭神が宇迦之御霊神(うかのみたまのかみ)です。1900年(明治33年)に建立されました。
ここを出たら、向かいが社務所です。ただ、まだ開いてません。
こちらの胸像は、「中小路宗城大人之像」(左)と「中小路宗康大人之像」(右)です。ちなみに、この前が社務所です。
次に、本殿向かって右に移動です。「八幡宮神社本殿」(右)で御祭神は応神天皇。「春日大明神本殿」(左)で御祭神が、武甕槌命、経津主命、天児屋根命、比売神でした。
さらに奥に行くと「交通安全祈祷殿」がありました。
このまま進むと「錦景苑」に出ます。そこには社殿があって「白太夫社」(右)がありました。御祭神が、渡会晴彦翁。そして「和泉殿社」(左)の御祭神が、菅原定義卿でした。
この「錦景苑」は紅葉で知られています。一度見てみたいですね。
苑内を下って行くと、「笠松地蔵」と呼ばれるお地蔵さんが二体祀られています。1974年(昭和49年)に池を改修した際に池の底から発見され、その後1977年(昭和52年)にもさらに一体が発見され祀られました。
この「錦景苑」にも石碑がありました。菅公御歌で「このたびは 幣もとりあへず 手向く山 紅葉の錦 神のままに」と書いてありました。
錦景苑を出て、再び「三の鳥居」をくぐります。
9時1分に社務所に行くと、開ける準備をされてました。私の前にお一人居て、次に私が。少し待って「京都十六社朱印めぐり」の御朱印と期間限定御朱印をいただきました。
原画は、日本画家の丸山務。長岡京市在住だそうです。
9時5分に「三の鳥居」から出て行きました。
帰りは「旧二の鳥居」は通らず、駐車場を通ります。その前に歌碑がありました。「さらさらと乾ける音は竹やぶの幾万の葉がこぞりたつ音」(松田繁太郎)、「白き空に花びらひらと山茶花の寒の響きを韻してをらむ」(松田加代)と書いてあります。
帰りは、行きと違い北側を通ります。傘が要らないぐらいの小雨は降り続いています。
少しだけ「八条ヶ池」に架かる「水上橋」を歩きました。
9時11分に「正面大鳥居」をくぐり長岡天満宮を出ました。
歩いて阪急長岡天神駅に戻りました。そしたら直ぐに電車が来て9時21分の特急に乗れました。桂駅まで止まらなかったので、思っていたより早く桂まで戻れましたが、特急は凄く混んでました。乗れるかなぁと思うほど。桂駅まで身動きできませんでしたね。
桂駅に9時26分に着いて、嵐山行きの電車を待ちました。途中回送電車が来ましたが、このあとに嵐山行きが入ってきました。
9時41分に嵐山駅に着いて、バスに乗らず歩いて帰ることにしました。写真は「渡月橋」です。奥に見えているのが愛宕山ですね。
渡月橋の途中で東を見ると、左に比叡山、右に如意ヶ嶽の大文字が見えました。
嵐山 渡月橋東詰まで来ました。やっぱり嵐山は人が多いです。桂川は河川工事のため景観が悪いのに・・・。
日中も太陽が出ず、気温が上がりませんでした。最高気温は8.7℃でした。雨は小雨でしたが、やっぱりこれからは暖冬と言われてますが、陽がささないと寒いです。「京都十六社朱印めぐり」も残り8社、折り返しです😊。
この日の最低気温1.8℃と冷え込むなか自宅から市バスを乗って阪急嵐山駅まで行き、阪急嵐山線の電車に乗って、桂駅へ。そこから京都線に電車に乗り換えて長岡天神駅まで行きました。その桂から乗った電車ですが、天下茶屋行きでした。私が乗っていた電車は7時台でしたが、天下茶屋の文字が懐かしかったです。桂駅からではそうでもありませんが、高槻駅、茨木駅と凄く混雑したのを覚えています。
阪急嵐山駅を8時8分に出る電車に乗って桂に8時16分に着きました。ただ降りる人が多くて、なかなか前に進みません。私は急がないので、ゆっくり階段を上がって京都線のホームに。そして8時21分発の天下茶屋行きに余裕で乗れました。
長岡天神駅には8時30分に着きました。西口から出て、ゆっくり歩いて行くと8時40分「正面大鳥居」が見えて来ました。
山城国乙訓郡長岡の地は、御祭神の菅原道真公が在原業平と共に詩歌管絃を楽しまれたところであります。道真公が大宰府に左遷させられた時、この地に立ち寄り「吾が魂、長くこの地に留まるべし」と名残を惜しまれた縁故により公卿自作の木像を祀ったのが長岡天満宮の創立です。それ以来、皇室の崇敬厚く、1617年(元和3年)には八条宮家の領地となり、度々の御寄進・御造営をうけ、1638年(寛永15年)には八条ヶ池が築造され、中堤の石太鼓橋は加賀藩前田家の寄進です。4月下旬には樹齢約170年余りのキリシマツツジ(長岡京市の天然記念物)が見頃を迎え、新緑に映える真紅のキリシマツツジは我が国随一のものと称されます。
信号が青に変わるのを待って、その先にある「大絵馬」を撮りました。
階段を上がって、1998年(平成10年)に建立された鳥居をくぐります。
ここは5月の連休の頃、見事に「キリシマツツジ」が咲き、真っ赤に染まります。ただ真ん中の通路は通行止めでした。
行きは向かって左(南側)の通路を通ります。帰りは北側を通る予定です。
「八条ヶ池」を見ながら歩いて行きます。向こうに見えているのが筍料理の名店「錦水亭」です。
「太鼓橋」まで来ました。帰りは、ここを通らないので振り向いて正面大鳥居を撮りました。
真ん中の通路から正面大鳥居を撮りました。ご覧のように通行止めになっています。
8時45分「一の鳥居」まで来ました。雨が降りそうな天気でしたが、傘は要りませんが小雨降ってきましたね。
ここには菅原道真公ゆかりの石碑が点在してます。最初は、「長岡保勝会の事業竣工記念碑」です。中小路宗城元宮司が保勝会を組織して、その収益で社殿、社務所、池周辺の境内整備を行った記念して1922年(大正11年)に建立されました。
次に、菅公御歌「海ならず たたへる水の 底までも 清き心は 月ぞ照らさむ」とありました。
向かいには「以誠接萬事」と書かれた石碑です。御祭神の菅原道真の至誠の心を現した「誠を以って萬事に接する」と書いてあります。
向かいに移動して「塩田藪柑子、花野里美夫妻句碑」で「文道の宮の余光につつしせ燃ゆ(藪柑子)、風韻に心耳を澄ます梅の宮(里美)」と書かれています。2002年(平成14年)に建立されました。
吟道賀堂流長岡京吟詠会(主宰 故千阪賀秀先生)の結成20周年の記念に奉納されましたもの。「菅公頌徳詩文」は千阪先生の作詞によるものです。1992年(平成4年)建立。内容は、「冤罪左遷されて一身を虔み 詩を詠じ学を研て天真を養う 誠忠滅せず志を埋むと雖ども 遺徳長えに伝う文教の神」と書いてありました。
参道を南に歩き、次に東に曲がると角に2018年(平成30年)9月2日に襲来した台風21号の強風により、倒壊した「二の鳥居」の残骸を見ることができます。
2021年(令和3年)11月に建立された新しい石碑を通ります。
階段を上がって「三の鳥居」まで来ました。
鳥居をくぐり石段を上がると菅公歌碑がありました。「海ならず たたへる水の 底までも 清き心は 月ぞ照らさむ」と書かれています。
本殿に行く、最後の「四の鳥居」です。
8時50分に鳥居をくぐり社務所を見ると、閉まってます。そして向かって右手に「仔牛の像」があって、その横に「手水舎」があったので、手と口を清めました。
また、その横には「神牛像」があって、天満宮にこの牛が多い理由が書いてありました。
菅原道真公が大宰府に左遷された時、刺客に襲われ命も危なかったときに、荒れ狂った白牛が、刺客から命を守ったという故事と、大宰府で無くなれたとき、遺骸を載せた車を曳いていた牛が突然ひれ伏して動かなくなり、そこを墓所とし、現在の太宰府天満宮がその地に建てられた。牛が菅公の御神使となったのはこれらの事跡によるものだそうです。
空いている間に「本殿」に行きました。御祭神は、学問の神様菅原道真公。静かに参拝させて貰いました。
社務所が開かないので、本殿の向かって左手にある「長岡稲荷大明神」に向かいます。
その前に「本殿」が見えました。屋根だけですが😊。
鳥居を抜けると、最初に「山神社」がありました。御祭神は大山祇神(おおやまつみのかみ)です。
次に「松尾竜神」と「菅竜神」が、ありました。
このエリア最後が「長岡稲荷社」で、ご祭神が宇迦之御霊神(うかのみたまのかみ)です。1900年(明治33年)に建立されました。
ここを出たら、向かいが社務所です。ただ、まだ開いてません。
こちらの胸像は、「中小路宗城大人之像」(左)と「中小路宗康大人之像」(右)です。ちなみに、この前が社務所です。
次に、本殿向かって右に移動です。「八幡宮神社本殿」(右)で御祭神は応神天皇。「春日大明神本殿」(左)で御祭神が、武甕槌命、経津主命、天児屋根命、比売神でした。
さらに奥に行くと「交通安全祈祷殿」がありました。
このまま進むと「錦景苑」に出ます。そこには社殿があって「白太夫社」(右)がありました。御祭神が、渡会晴彦翁。そして「和泉殿社」(左)の御祭神が、菅原定義卿でした。
この「錦景苑」は紅葉で知られています。一度見てみたいですね。
苑内を下って行くと、「笠松地蔵」と呼ばれるお地蔵さんが二体祀られています。1974年(昭和49年)に池を改修した際に池の底から発見され、その後1977年(昭和52年)にもさらに一体が発見され祀られました。
この「錦景苑」にも石碑がありました。菅公御歌で「このたびは 幣もとりあへず 手向く山 紅葉の錦 神のままに」と書いてありました。
錦景苑を出て、再び「三の鳥居」をくぐります。
9時1分に社務所に行くと、開ける準備をされてました。私の前にお一人居て、次に私が。少し待って「京都十六社朱印めぐり」の御朱印と期間限定御朱印をいただきました。
原画は、日本画家の丸山務。長岡京市在住だそうです。
9時5分に「三の鳥居」から出て行きました。
帰りは「旧二の鳥居」は通らず、駐車場を通ります。その前に歌碑がありました。「さらさらと乾ける音は竹やぶの幾万の葉がこぞりたつ音」(松田繁太郎)、「白き空に花びらひらと山茶花の寒の響きを韻してをらむ」(松田加代)と書いてあります。
帰りは、行きと違い北側を通ります。傘が要らないぐらいの小雨は降り続いています。
少しだけ「八条ヶ池」に架かる「水上橋」を歩きました。
9時11分に「正面大鳥居」をくぐり長岡天満宮を出ました。
歩いて阪急長岡天神駅に戻りました。そしたら直ぐに電車が来て9時21分の特急に乗れました。桂駅まで止まらなかったので、思っていたより早く桂まで戻れましたが、特急は凄く混んでました。乗れるかなぁと思うほど。桂駅まで身動きできませんでしたね。
桂駅に9時26分に着いて、嵐山行きの電車を待ちました。途中回送電車が来ましたが、このあとに嵐山行きが入ってきました。
9時41分に嵐山駅に着いて、バスに乗らず歩いて帰ることにしました。写真は「渡月橋」です。奥に見えているのが愛宕山ですね。
渡月橋の途中で東を見ると、左に比叡山、右に如意ヶ嶽の大文字が見えました。
嵐山 渡月橋東詰まで来ました。やっぱり嵐山は人が多いです。桂川は河川工事のため景観が悪いのに・・・。
日中も太陽が出ず、気温が上がりませんでした。最高気温は8.7℃でした。雨は小雨でしたが、やっぱりこれからは暖冬と言われてますが、陽がささないと寒いです。「京都十六社朱印めぐり」も残り8社、折り返しです😊。
この記事へのコメント
寒かったんですね。風景にも何となく寒さが
感じられるように思いました。天満宮は各地に
ありますが、ここは道真が太宰に左遷される途中に
立ち寄られた所でしたか。それでは、
皇室の崇敬が篤いのも当然の事かと思います。
「海ならず たたへる水の 底までも 清き心は 月ぞ照らさむ」
なんて、和歌で身の潔白を訴えてる訳ですから。
手厚くお祀りしないと危ないと思ったのかも知れませんね。
三連休前に風邪をひいてコメント遅くなり申し訳ありません。
この日は、大変寒かったですが、今頃は早咲きの梅が咲き誇っているでしょうね。
菅原道真公は、大宰府へ左遷される折に寄られた所が、所々あり、この近くの大山崎や伏見区なんかにあります。
数多くの伝説が残るのも菅原道真公ならではでしょうか。