「京都十六社朱印めぐり」藤森神社へ

1月12日は「京都十六社朱印めぐり」の残り8社のうち、4社を巡りました。最初は京都市伏見区にある藤森神社です。

この日の朝は寒かったです。暖冬と言われてましたが、やっぱり冬は寒いです😊。藤森神社には、毎年、年頭に「京都十六社朱印めぐり」で来てますが、それ以外にも、「京都刀剣御朱印めぐり」で来てました。そして毎年5月5日に行われる「藤森祭」での「駈馬神事」は特別観賞席から見られましたが、約180㍍の馬場を全力疾走する馬の力強さと華麗なる騎乗術が素晴らしいですね。

さて、当日は市バスで太秦天神川駅まで行き、地下鉄東西線に乗って三条京阪まで乗ります。8時17分に着いて、少し急ぎ足で京阪三条まで歩き、4番線に止まっている京阪本線準急の淀屋橋行きに乗り込み、特急の通過を待って、8時23分に発車しました。目的地は墨染駅です。手前の藤森で降りたら遠回りになります😊。墨染駅に8時38分に着いて、目的の藤森神社まで歩きです。

IMG_2772.jpg8時45分に藤森神社の看板が見えて来ました。

藤森神社は、平安遷都以前に建立された古社で、素戔嗚尊、神功皇后、日本武尊など十二柱に及ぶ神々を祀り、洛南深草の産土神として崇敬されています。「菖蒲の節句」発祥の神社として知られ、菖蒲が勝負に通じること、毎年5月5日に行われる藤森祭で曲乗りの妙技で有名な「駈馬神事」が行われることから、勝運と馬の神社として特に信仰が厚い。また、日本書記の編者であり、日本最初の学者である舎人親王を祭神としていることから、学問の神としても信仰されています。本殿は、1712年(正徳2年)に第114代中御門天皇より賜った宮中内侍所(賢所)の建物と伝わります。また、本殿背後東にある八幡宮は第15代応神天皇を祀り、西にある大将軍社は、磐長姫命(いわながひめのみこと)が祀られている。どちらも重要文化財に指定されており、特に、大将軍社は平安遷都のとき、王城守護のため京都の四方に祀られた社の一つであるといわれ、古来より方除けの神として信仰されています。本殿東の、神功皇后が新羅信仰の際に軍旗を埋納したといわれる旗塚や、二つとない良い水として名付けられたという名水「不二の水」は有名です。6月の紫陽花が見事で、「紫陽花の宮」とも呼ばれています。

IMG_2773.jpg藤森神社には「南鳥居」から入りました。まだ9時まで15分もあるので、境内を久しぶりにゆっくり散策します。

この石造鳥居は、1711年(正徳元年)の銘があって、扁額がありません。かつて第108代後水尾天皇筆の額が架けてあったようです。江戸時代前の道が西国大名参勤交代の道筋にあたっていたので、各大名は神社前を通る時、篭から降り、拝礼をして槍などを倒して通行しなければならなかったようです。しかし幕末動乱の時代となりこのような悠長なことは時代に即しないと新撰組の近藤勇が外したと伝わります。

IMG_2775.jpgこちらが人が通る所で、車やパイクは、左の柵の外側を通ります。「駈馬神事」はここです。ここで馬が颯爽と駆け抜けます。

IMG_2776.jpg暫く歩いて行くと「焼塩屋権兵衛之碑」の石碑を見つけました。何度も来ていたのに気づかなかったようです。

IMG_2777.jpg この碑は1920年(大正9年)3月に建立されたようです。ただ案内板は綺麗だったので最近かもです。案内には・・・?。

焼塩屋権兵衛(姓は平田)は深草村に生まれました。とても人情に厚く多くの人々に慕われた町の年寄(役員)に選ばれました。1779年(安永8年)伏見奉行に小堀政方が着任しその後地位を利用して暴政を振舞うよになり、そのため伏見の人々を窮地の底に陥る結果となった。こうした人々の苦難を救おうと1785年(天明5年)9月、焼塩屋権兵衛は伏見の町人文殊九助と丸屋九兵衛ら7名が寺社奉行へ命がけの出訴した。これは伏見奉行小堀政方が町人に対し不法な御用金を課したことなどを訴えたものである。その後京都町奉行所や評定所で審理が行われ、1788年(天明8年)5月に小堀は改易、出訴当事者として調べられた町人7名は御構いなしという判決が出された。しかし7人ともすでに病死や牢死で判決時に在世したものはいなかった。深草そして伏見の地が栄えて来たのはひとえに焼塩屋権兵衛ら義民の犠牲の賜物である。

IMG_2779a.jpg次の石碑は「蒙古塚」です。蒙古の将兵と戦利の兵器を納めた所とされています。

『拾遺都名所図会』巻五によれば、781年(天応元年)に「異国の蒙古」が日本へ攻め寄せ、早良親王(さわらしんのう)率いる軍勢がこれを退けた。その時の蒙古軍の大将の首を藤森神社に埋めた塚が蒙古塚と呼ばれて残っていると記す。時代を遡り鎌倉時代の蒙古襲来(文永の役・弘安の役)のことが、武功祈願の神社である藤森神社の祭神早良親王(さわらしんのう)の事蹟として伝えられたものかもしれない。この石標は蒙古塚を示すものである。文永の役・弘安の役とは、1274年(文永11年)と1281年(弘安4年)の2度にわたって蒙古軍が日本に来襲したこと。

IMG_2781.jpgIMG_2782.jpg社務所は開いているようでしたが、先に参拝します。ここ「手水舎」は馬の頭から水が出ているので使えました。

IMG_2783.jpg手水舎の横には山茶花が満開でした。

IMG_2784.jpg勝運と馬の神様として、競馬関係者、競馬ファンの参拝で賑わう藤森神社、神馬像がありました。

IMG_2785.jpg本殿前にある「拝殿」です。真ん中を通れる「割拝殿」ですね。本殿と同様に御所から賜ったものです。

IMG_2801.jpgIMG_2786.jpg本殿」です。この時間でも数名の方がお参りに来られています。私も参拝させて貰いました。

御祭神は、素盞鳴命(すさのおのみこと)、別雷命(わけいかずちのみこと)、日本武尊(やまとたけるのみこと)、第15代応神天皇(おうじんてんのう)、第16代仁徳天皇(にんとくてんのう)、神功皇后(じんぐうこうごう・第14代仲哀天皇の皇后)、武内宿禰(たけのうちのすくね)、舎人親王(とねりしんのう)、第40代天武天皇(てんむてんのう)、早良親王(さわらしんのう)、伊豫親王(いよしんのう)、井上内親王(いがみないしんのう)以上十二柱。御利益は「男人守護の神」と「勝運と馬の社」でした。前途した「駈馬神事」の時、正式参拝ということで本殿に入って神主さんよりお話を聞きました。

IMG_2787.jpgその本殿の横にあるのが神功皇后が前途した軍旗や武器などを納めたとされる塚で「旗塚」です。また、幕末には新撰組の近藤勇が訪れ参拝したところ腰痛が治ったとの伝承もあります。

IMG_2788.jpg不二の水(御神水)」です。伏見は名水の地です。地下100㍍から湧き出てる水で、連日この水を汲みに行列が絶えないそうです。

IMG_2790.jpgその奥には「神鎧像(かむよろいぞう)」がありました。

5月5日に斎行される藤森祭は菖蒲の節句発祥の祭として知られ節句に飾る武者人形には藤森の神が宿ると云われており、その象徴として建立されました。

IMG_2792.jpg本殿の奥に行ってみます。最初は「八幡宮本殿」(重文)です。1483年(永享10年)室町幕府第6代将軍・足利義教(よしのり)建立。ご祭神は、第15代応神天皇です。

IMG_2793.jpg左隣が「祖霊社」です。この社は藤森神社に功労功績を残された方々の御神霊が祀られています。

IMG_2795.jpg次が「七宮社」です。右から「吉野神社」「廣田神社」「諏訪神社」「住吉神社」「厳島神社」「熊野神社」「天満宮社」です。

IMG_2796.jpg大将軍社 社殿」(重文)。ご祭神は、磐長姫命(いわながひめのみこと)で、建立は1483年(永享10年)室町幕府第6代将軍・足利義教によるものです。

桓武天皇が平安遷都をされた時に、都の四方に守護神として大将軍社が祀られ、その内の南方の守護神として祀られたものがこの社です。古来より方除け神とし崇敬を集めている。造りは一間社流造の杮葺の建物となっています。

第50代桓武天皇が794年(延暦13年)の平安京造営に際して、大内裏鎮護のため都の四隅に守護神として祀られたのが大将軍神社で、東に「東三条 大将軍神社」(東山区)、西に「大将軍八神社」(上京区)、北に「西賀茂 大将軍神社」(北区)や今宮神社境内の「紫野大将軍」(北区)、南に藤森神社境内の大将軍社(伏見区)があります。参考までに😊。

IMG_2800.jpgIMG_2798.jpg次に、ロウバイが咲く「霊験天満宮」です。

IMG_2802.jpg拝殿の横にあったのが「金太郎像」です。菖蒲の節句発祥の地を記念して奉納されました。

IMG_2803.jpg学藝の祖 舎人親王崇敬碑」と書いてあります。舎人親王は第40代天武天皇の皇子。日本最古の正史「日本書紀」を編纂されました。

文武に秀でた学芸の祖として仰がれており、境内にある崇敬碑の『錬成』瓦を触れてお参りすると学問の向上や技芸が上達するといわれています。

IMG_2805.jpg最後に「藤森稲荷神社」にお参りしました。御祭神は、宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)でしょう。

IMG_2806.jpg藤森七福神像」です。左から「福禄寿(ふくろくじゅ)」「弁財天(べんざいてん)」「布袋尊(ほていそん)」「毘沙門天(びしゃもんてん)」「恵比寿天(えびすてん)」「大黒天(だいこくてん)」「寿老人(じゅろうじん)」です。

IMG_2807a.jpg藤森七福神の御利益は、ご覧の通りです😊。

IMG_2804.jpg8時55分でしたが、「社務所」が開いているようでしたので行ってみました。そして「京都十六社朱印めぐり御朱印いただきました。

IMG_2808.jpgIMG_2809.jpgここでトレイも澄ませて9時00分に、ここ藤森神社を出ました。

次も、伏見区にある神社です。行きと同じ京阪墨染駅に、ここから戻りました。

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