第58回「京の冬の旅」非公開文化財特別公開 大徳寺 龍源院へ
第58回「京の冬の旅」非公開文化財特別公開 大徳寺 龍源院ですが、ここは通常拝観されています。私は何度か来てたし、最近は2023年(令和5年)2月22日に来てました。
10時17分に「表門」前に着きました。ご覧のように、既に開門されています。
門を入って、右手の「庫裏」に向かいます。通常拝観の場合は、入って右手に受付があります。
普段と違うのは、靴を脱いで下駄箱に預け、その先の左手に臨時の受付所が設けてありました。拝観券は京都市文化観光資源保護財団からの招待券を使いました。これで使い切ったことになります。
入ると直ぐの「書院」です。この写真は2023年(令和5年)2月22日のものです。
書院内の展示ケースの下段に展示されているのが、「日本最古の「種子島銃」です。銃床尾に1583年(天正11年)の年紀があり、火縄銃では在銘最古のものだそうです。そして「四季草木蒔絵碁盤」で、徳川家康が豊臣秀吉と伏見城内で対局した時の碁盤と伝わり、初代本因坊の奥書があります。金森長近が秀吉から拝領したものです。このケースに展示されているのが、今回撮影禁止とされてました。
書院軒先にあるのが「滹沱底(こだてい)」で、別名が「阿・吽の石庭」と呼ばれる石庭です。
滹沱底は、宗祖臨済禅師の住庵した寺の南に流れる滹沱川の名から取られました。小さな簡素な白砂の庭で、東西の碁盤石は、昔秀吉が建てた聚楽第のものだそうです。向かって左が阿の石、右は吽石と名付けられてます。
ここでは、異なる「四つの庭」を見ることができます。最初は「方丈」の南側に広がる「一枝坦(いっしだん)」です。
昭和初期に作庭された南庭は丸く象った苔の中に石を立てた亀島が、ひときわ目立つ庭園です。大海になぞられえた白砂、中央よりに蓬莱山、そして亀島、右手前の鶴島をあしらった石組みで構成されている。一枝坦は龍源院の開祖東渓宗牧(とうけいそうぼく)が悟りを得たときに贈られた室号に由来する。
室内も見たかったけど、多くの人が覗き込んでガイドさんの話しを聞いているので、後回しに。ここに来た最大の目的である開祖堂に向かいました。
普段は、非公開のため扉は閉まってますが、開いてます。そして降りるのは方丈前からでした。
普段は、方丈から庭に降りることは出来ませんが、この写真は貴重です😊。
今日は、足場があるので分かりづらいと思いますが、「開祖堂」の前は苔に覆われ「鶏足山(けいそくざん)」と名付けられています。
開祖堂は、龍源院に開祖東渓宗牧(とうけいそうぼく)を祀る。昭和期に建てられた檜皮葺屋根の唐様建築です。堂内の天井には、南画家・井上石邨(いのうえせきそん)が83歳の時に描いた龍の図がのこる。
堂内には赤い絨毯が敷いてあるので、赤っぽく写ります。龍図には作者のサインも見えました。
看板の写真が、開祖東渓宗牧像でした。堂内の龍図の撮影はOKでしたが、正面の開祖像はNGでした。多分、赤い絨毯が無ければ、看板の写真のように写るんでしょう。
開祖堂から方丈を撮りました。普段は絶対撮れないです。
次に方丈北側にある北庭「龍吟庭」の案内がありました。案内は、開祖堂前でした。
最後に、もう一度「開祖堂」を撮って北庭へ。
作者は宗祖東渓という説もありますが不明です。緑苔の大海に屹立する須弥山石。龍が天空に上昇する姿を想像させます。
龍吟庭は三尊石組からなる室町時代の枯山水庭園。青々とした杉苔が洋々たる大海を表し、中央に高く傾斜し立つ奇岩を須弥山、前の丸い板石が遙拝石。苔の中の石組みが一直線に連なり、自由な発想を思い起こさせる庭園となっている。
龍吟庭から方丈南側に戻る前に、忘れてましたが、ここが最後の庭、日本最小の石庭「東滴壷(とうてきこ)」がありました。1960年(昭和35年)に作庭された現代壺庭の傑作です。
日本最小の石庭で、極めて小さな石庭でありながら格調高く知られています。庭の右側に平たい一枚の板石が置かれ円い波紋は一滴の水が滴り落ちる姿を表してます。一滴の水が小川となり大河となり、ついには大海となる様に、一滴の大切さ、一滴がそのまま大海に繋がっていることを表現しています。
そして創建当時からある井戸「担雪井」を通り、再び方丈に出てみました。
まだガイドさんの話しが終わってません。通常拝観のときは、方丈内も自由に写真を撮れました。ただ、今回は分かりません。実はね方丈内の襖絵を見ずに出て行くことにしたわけです。
「室中の間」の襖絵「龍と波」の図は、江戸初期と思われますが、作者不詳です。辰年に相応し襖絵ですね。
10時30分頃に、ここを出ました。通常拝観してますが、結構な人が入って来られました。
10時32分に「表門」から出て行きました。
ここを出て妻に電話して、駐車場まで来て貰いました。そして二人で、近くの「一休こんぶ松田老舗」で家族用に買い物をし再び駐車場に戻り出て行きました。ちなみに「大徳寺駐車場」は、9時46分~10時46分で二時間以内のため500円でした。今日は、これで帰りました。
帰りに金閣寺の前を通りました。相変わらず外国人観光客で凄い人でしたね。近寄らないほうが良いです😊。それで「くら寿司金閣寺店」の前を通ったとき、11時前だったので、ここで食事を済ませて行くことにしたわけです。
開店して直ぐだったので空いてました。ここで食事を済ませて、今度こそ帰りました😊。
10時17分に「表門」前に着きました。ご覧のように、既に開門されています。
門を入って、右手の「庫裏」に向かいます。通常拝観の場合は、入って右手に受付があります。
普段と違うのは、靴を脱いで下駄箱に預け、その先の左手に臨時の受付所が設けてありました。拝観券は京都市文化観光資源保護財団からの招待券を使いました。これで使い切ったことになります。
入ると直ぐの「書院」です。この写真は2023年(令和5年)2月22日のものです。
書院内の展示ケースの下段に展示されているのが、「日本最古の「種子島銃」です。銃床尾に1583年(天正11年)の年紀があり、火縄銃では在銘最古のものだそうです。そして「四季草木蒔絵碁盤」で、徳川家康が豊臣秀吉と伏見城内で対局した時の碁盤と伝わり、初代本因坊の奥書があります。金森長近が秀吉から拝領したものです。このケースに展示されているのが、今回撮影禁止とされてました。
書院軒先にあるのが「滹沱底(こだてい)」で、別名が「阿・吽の石庭」と呼ばれる石庭です。
滹沱底は、宗祖臨済禅師の住庵した寺の南に流れる滹沱川の名から取られました。小さな簡素な白砂の庭で、東西の碁盤石は、昔秀吉が建てた聚楽第のものだそうです。向かって左が阿の石、右は吽石と名付けられてます。
ここでは、異なる「四つの庭」を見ることができます。最初は「方丈」の南側に広がる「一枝坦(いっしだん)」です。
昭和初期に作庭された南庭は丸く象った苔の中に石を立てた亀島が、ひときわ目立つ庭園です。大海になぞられえた白砂、中央よりに蓬莱山、そして亀島、右手前の鶴島をあしらった石組みで構成されている。一枝坦は龍源院の開祖東渓宗牧(とうけいそうぼく)が悟りを得たときに贈られた室号に由来する。
室内も見たかったけど、多くの人が覗き込んでガイドさんの話しを聞いているので、後回しに。ここに来た最大の目的である開祖堂に向かいました。
普段は、非公開のため扉は閉まってますが、開いてます。そして降りるのは方丈前からでした。
普段は、方丈から庭に降りることは出来ませんが、この写真は貴重です😊。
今日は、足場があるので分かりづらいと思いますが、「開祖堂」の前は苔に覆われ「鶏足山(けいそくざん)」と名付けられています。
開祖堂は、龍源院に開祖東渓宗牧(とうけいそうぼく)を祀る。昭和期に建てられた檜皮葺屋根の唐様建築です。堂内の天井には、南画家・井上石邨(いのうえせきそん)が83歳の時に描いた龍の図がのこる。
堂内には赤い絨毯が敷いてあるので、赤っぽく写ります。龍図には作者のサインも見えました。
看板の写真が、開祖東渓宗牧像でした。堂内の龍図の撮影はOKでしたが、正面の開祖像はNGでした。多分、赤い絨毯が無ければ、看板の写真のように写るんでしょう。
開祖堂から方丈を撮りました。普段は絶対撮れないです。
次に方丈北側にある北庭「龍吟庭」の案内がありました。案内は、開祖堂前でした。
最後に、もう一度「開祖堂」を撮って北庭へ。
作者は宗祖東渓という説もありますが不明です。緑苔の大海に屹立する須弥山石。龍が天空に上昇する姿を想像させます。
龍吟庭は三尊石組からなる室町時代の枯山水庭園。青々とした杉苔が洋々たる大海を表し、中央に高く傾斜し立つ奇岩を須弥山、前の丸い板石が遙拝石。苔の中の石組みが一直線に連なり、自由な発想を思い起こさせる庭園となっている。
龍吟庭から方丈南側に戻る前に、忘れてましたが、ここが最後の庭、日本最小の石庭「東滴壷(とうてきこ)」がありました。1960年(昭和35年)に作庭された現代壺庭の傑作です。
日本最小の石庭で、極めて小さな石庭でありながら格調高く知られています。庭の右側に平たい一枚の板石が置かれ円い波紋は一滴の水が滴り落ちる姿を表してます。一滴の水が小川となり大河となり、ついには大海となる様に、一滴の大切さ、一滴がそのまま大海に繋がっていることを表現しています。
そして創建当時からある井戸「担雪井」を通り、再び方丈に出てみました。
まだガイドさんの話しが終わってません。通常拝観のときは、方丈内も自由に写真を撮れました。ただ、今回は分かりません。実はね方丈内の襖絵を見ずに出て行くことにしたわけです。
「室中の間」の襖絵「龍と波」の図は、江戸初期と思われますが、作者不詳です。辰年に相応し襖絵ですね。
10時30分頃に、ここを出ました。通常拝観してますが、結構な人が入って来られました。
10時32分に「表門」から出て行きました。
ここを出て妻に電話して、駐車場まで来て貰いました。そして二人で、近くの「一休こんぶ松田老舗」で家族用に買い物をし再び駐車場に戻り出て行きました。ちなみに「大徳寺駐車場」は、9時46分~10時46分で二時間以内のため500円でした。今日は、これで帰りました。
帰りに金閣寺の前を通りました。相変わらず外国人観光客で凄い人でしたね。近寄らないほうが良いです😊。それで「くら寿司金閣寺店」の前を通ったとき、11時前だったので、ここで食事を済ませて行くことにしたわけです。
開店して直ぐだったので空いてました。ここで食事を済ませて、今度こそ帰りました😊。
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