第58回「京の冬の旅」非公開文化財特別公開 渉成園(枳殻邸) 園林堂へ
1月22日(月)は、週末に降り続いた雨も上がり曇り空の朝を迎えました。ただ曇っているので最低気温は7.7℃と平年より随分高かったです。この週半ばには今季最強寒波がやってくるとの予報が出ています。昨年の2023年(令和5年)1月25日には10年に一度の大寒波が襲来し、京都市も大雪となりました。それに匹敵するかもと予報が出ているので心配です・・・と言うのも、その日はどうしても出掛ける用事があるからです。さてどうなることやら?。
この日は、市バスと地下鉄を乗り継いで地下鉄烏丸線五条駅で下車。事前に調べていた通り5番出入口が外に出ました。
烏丸通りを下って行くと、前方に東本願寺と京都タワーが見えてきました。
正面通りまで来ると、「御影堂門」が左手に見えます。一昨年の「第56回 京の冬の旅」で上がりました。
正面通りを東に進み突き当たりに、今日の目的地が見えてきました。この日の目的地は・・・?。
第58回「京の冬の旅」非公開文化財特別公開 渉成園(枳殻邸) 園林堂でした。渉成園は通常拝観しているので、2007年(平成19年)11月14日、2010年(平成22年)2月24日、光で彩る「秋の渉成園 (枳殻邸)」~夜間参観ライトアップ~の2018年11月27日の計3回来てました。
9時5分に「黒門」前に着きました。ここは通常拝観は9時からとなってますが、案内では9時15分でした。
入って直ぐの右手に拝観受付所があって、庭園維持寄付金で500円以上の協力寄付金をお願いされるので、500円を納めました。過去3回入ってるので、「渉成園ガイドブック」は四季のうつろいをいただきました。予想どおり拝観は9時からのようです。園林堂に入るのは9時15分からと案内されました。
A4サイズの豪華なパンフです。上が通常のもの。下が今回いただいたものです。このパンフを見ながら庭園を巡ることをお勧めしす。園内は広いので。
東本願寺の別邸で、周辺に植えられた枳殻(からたち)の生垣にちなんで枳殻邸(きこくてい)とも呼ばれる。この地は、1641年(寛永18年)に5江戸幕府3代将軍徳川家光から寄進を受けた本願寺第13代宣如(せんにょ)上人が、1653年(承応2年)、石川丈山(詩仙堂建立)らとともに庭園を築き、別邸としたところである。この地は、平安時代の初め、源氏物語光源氏のモデルともされる左大臣源融(みなもとのとおる)が奥州塩釜の風景を模して作った河原院の跡に近く、作庭に際し、印月池(いんげつち)と呼ばれる広い池を中心に、池には島を浮かべて石橋や土橋で結び、周囲には樹木を茂らせ、源融をしのぶ名所も作られて、平安朝の面影を再現している。園内には、楼門傍花閣(ぼうかかく)、書院閬風亭(ろうふうてい)、滴翠軒(てきすいけん)、臨池亭(りんちてい)、茶席漱枕居(そうちんきょ)、縮遠亭(しゅくおんてい)、持仏堂の園林堂(おんりんどう)、橋廊の回棹廊(かいとうろう)などいずれも1864年(元治元年)の「蛤御門の変」による大火後の再建であるが、庭園によく似合った建物が配されている。江戸時代後期の儒学者頼山陽が選定した「渉成園十三景」は変化に富んだ美しい景観を称えたもの。1936年(昭和和11年)、国の名勝に指定された。
受付を済ませると案内にしたがって左に進みます。この辺りは案内図に「高石垣」とありました。
後で分かったことで、右を進めば大玄関に出るので、そこで特別拝観の受付をされてました。
ここが「庭園北出入口」です。帰りは南出入口から出て行く予定です。(別に決まったルートはありません)
入って早速左手に進みます。園林堂の拝観時間である9時15分は気にしないで先に庭園をくまなく見て回ります。
最初に見たのは非公開の「臨池亭(りんちてい)」です。池に面して縁側があり、その名前も”池を臨む亭”と意味です。
正面が非公開の「滴翠軒(てきすいけん)」です。裏の築山から池に流れ込む小水にちなんで「小川のほとりの軒」という意味です。「渉成園十三景の一」。
臨池亭と滴翠軒は、庭園の北門から入っていたが、1864年(元治元年)の「蛤御門の変」による火災で焼失。1884年(明治17年)に再建されたもの。現在、北門は使われていないが、臨池亭も滴翠軒も東本願寺を訪れる団体客のために貸し出されています。
写真真ん中の灯籠が「檜垣の燈篭(ひがきのとうろう)」です。檜垣という銘の由来についてた詳しいことは伝わってないとのことです。
庭園の奥へ進むと「亀の甲の井戸」がありました。上から見ると亀の形に石組みが見えるそうです。亀の甲にあたる部分に井筒が埋め込まれ井戸になってます。
今日は、先日NHK「ニュース630 京いちにち」の コーナーで紹介された、源氏物語ゆかりのものを探しに行きます。
今日は行かなかった「回棹廊(かいとうろう)」を見ていると、アオサギが飛び出しました。回棹廊は「渉成園十三景の十二」。
島に渡る前の北側には「五松塢(ごしょうう)」と呼ばれる松があります。一幹五枝の松が植えられていたことから名付けられました。「渉成園十三景の五」。
印月池(いんげつち)の西北岸から縮遠亭のある島に架かる木製の反り橋を「侵雪橋(しんせつきょう)」といいます。
侵雪橋をこれから渡ります。侵雪橋は、「渉成園十三景の六」。
侵雪橋の上から印月池(いんげつち)を撮りました。京都タワーも写っています。印月池は、「渉成園十三景の三」。
侵雪橋の上から反対側を撮りました。こちらは「丹楓渓(たんぷうけい)」です。こちらは楓が植えられていて紅葉の美しい渓谷を模した一帯です。「渉成園十三景の十三」。
今年しのNHK大河ドラマ「光る君へ」は紫式部が主人公です。今回「京の冬の旅」の副題が「紫式部と源氏物語」でした。この九重の塔は、その光源氏ゆかりのものだそうです。
「源融ゆかりの塔」は、鎌倉時代中期の作。ここは源氏物語光源氏のモデルとされる源融の邸宅「六条河原院」があったと伝わります。この九重の塔は、源融を供養したと言われる石塔で、塔身には四方仏が刻まれ、基礎の格狭間と呼ばれる部分には蓮華が彫刻されています。
「縮遠亭(しゅくおんてい)」は、2024年(令和6年)3月31日まで工事中です。こちらは北大島に建てられた茶室です。「渉成園十三景の七」。
そして小高い「縮遠亭(しゅくおんてい)」の前には「塩釜の手水鉢」がありました。テレビで紹介され、探しました。ここは人(庭師)に聞きました。
六条河原院は、源融が宮城県塩釜市の風景を模して造成したと言われ、庭園には「塩釜の手水鉢」と呼ばれる筒型の鉢が残されており見ることができました。
「臥龍堂(がりゅうどう)」(南大島)です。かつては、この島には鐘楼堂がありました。安政の大火で焼失後、再建されていません。「渉成園十三景の四」。
北大島に架かる木橋まで戻る途中にみつけた「碧玉の石幢(へきぎょくのせきどう)」です。何故、碧玉と呼ばれるのは分かってないそうです。
また、木橋を渡ります。そろそろ園林堂が開くので向かいます。
こちらは楼門造りの「傍花閣(ぼうかかく)」です。園林堂のガイドさんの話しで分かったことで、その先の園林堂が本堂にあたり、この茶室が山門にあたるとのことです。
「傍花閣(ぼうかかく)」は1892年(明治25年)の再建。階上には四畳半の部屋があり、部屋の天井中央には十二支を配した珍しい図様が描いてあるとか。「渉成園十三景の二」。
あとで内部に入りますが、今日の目的である「園林堂(おんりんどう)」です。1957年(昭和32年)の再建。傍花閣に対応する持仏堂です。堂内には本尊の阿弥陀如来立像が安置されてました。扁額の「園林」は、南北朝時代の禅僧虎関師錬(こかんしれん)揮毫によるもの。
「園林堂(おんりんどう)」が手前、「蘆庵(ろあん)」が奥、それに京都タワーが見えています。
そのお隣にある茶室「蘆庵(ろあん)」です。通常非公開ですが、2017年の「 京の夏の旅」で内部が公開されました。私は行けてません。今日は撮り損ねたので以前の写真を使いました。
この時、園林堂を何処から入るのか分かりませんでした。とりあえず看板の通りに行ってみます。
こちらは非公開の「閬風亭(ろうふうてい)」です。2018年11月27日の「夜間参観ライトアップ」で入ったことがあります。あとで、ここも入る予定です。
茶室「漱枕居(そうちんきょ)」も非公開です。1865年(慶応元年)の再建。「渉成園十三景の十一」。
紅梅・白梅が20株植えられている「双梅檐(そうばいえん)」です。「渉成園十三景の十」。
案内の通りに進むと「大玄関」まで来ました。ここから出入りするのは初めてです。1880年(明治13年)に明治天皇が京都に来られ、渉成園で休憩されたとき、東本願寺の宮御殿とともに大宮御所から移築を約され、後に1884年(明治17年)に移築されきた玄関です。
ここで靴を下駄箱に預け上がると左手に「京の冬の旅受付所」がありました。そこで500円を払い、スタンプラリーの判子押して貰います。撮影の有無は園林堂のみNGとのことでした。
ここでガイドさんの案内が15分毎にあるとのことでした。もう4回目だし案内は断りました。
ここの写真を撮っていると、ガイドさんより勧められた額縁を撮りました。「渉成園」染筆。江戸幕府15代将軍徳川慶喜が東本願寺第二十一代・巌如上人の求めに応じて染筆した「渉成園」の題字額です。
「閬風亭」染筆。石川丈山筆。東本願寺の庭園渉成園にある大書院は、その名を「閬風亭」と言います。これは渉成園の造営にあたった石川丈山が命名したと言われています。
「慶縁」金澤翔子筆。2023年(令和5年)3月25日に、ここ渉成園で席上揮毫が実施されました。
書家の金澤翔子さんは、2012年(平成24年)5月に「建仁寺 金澤翔子書品展 ~翔子と禅の世界~」でご本人とお会いしてます😊。
この長い廊下を通って「園林堂」に向かいました。園林堂は、この先の突き当たり、ガイドさんが棟方志功画伯の襖絵について案内してくれました。なお、鞄やリュックサックなどの荷物は、無料のロッカーに入れることになります。園林堂内が狭いので、襖絵を傷つけないようにするためですね。
持仏堂「園林堂」には、園林堂竣工時1957年(昭和32年)に板画家・棟方志功(むなかたしこう)の肉筆の襖絵44面が収められている。独特の大胆な構図と繊細な筆致で描かれた。「天に伸ぶ杉木(すぎき)」「河畔(かはん)の呼吸」と題した襖絵は圧巻です。また、仏間の襖絵はには、ボタンの花が描いてありました。それは東本願寺の寺紋がボタンの花だからのようです。
園林堂から、また長い廊下を通って、明治天皇が休息された「閬風亭(ろうふうてい)」に戻りました。
ここに戻ると、東本願寺の独自の土産物が販売されていたので、見てみました。そして、ここを出て行くと・・・?。
大玄関で靴を履いていると、団体さんが来られました。9時35分でしたね。檀家さんでしょうかね、あまりにも人が多かったから😊。団体さんと一緒だったら、棟方志功画伯の襖絵もゆっくり見られなかったでしょう、園林堂は狭かったので。それで帰りも庭園を通って帰ることになりました。
「閬風亭(ろうふうてい)」の前を通りました。多分、中では、これからガイドさんの話しを聞かれるのでしょう。
園林堂を外から見ています。ご覧のように広くないので、団体さんと一緒では、じっくり見られないでしょう。
行きはスルーした「高石垣」です。石橋のような長い切石や、礎石、石臼、山石や瓦など多様な素材を組み合わせて築かれています。
9時42分に、ここを出ました。帰りのバスの時刻は10時8分か28分です。できたら8分に乗りたいので急いで四条烏丸に戻ります。
ここから再び地下鉄烏丸線五条駅で地下鉄に乗車。四条で下車するので、前方の車両に乗りました。四条では多くの方が降りるので、エスカレーターじゃなくて階段で上がり、地下鉄四条駅前にあるパン屋で買い物を済ませました。
四条烏丸バス停に10時3分に着きました。以外と早く着いたので、ここでバスを待ちました。
四条烏丸から乗ったバスは、始発ですので、確実に座れます。ただ、乗ったのは私一人。こんなの初めてでしたね😊。
次の「京の冬の旅」は、今回の目玉ともいえる相国寺の塔頭寺院を巡ります。いつ行くかは未定ですが。
この日は、市バスと地下鉄を乗り継いで地下鉄烏丸線五条駅で下車。事前に調べていた通り5番出入口が外に出ました。
烏丸通りを下って行くと、前方に東本願寺と京都タワーが見えてきました。
正面通りまで来ると、「御影堂門」が左手に見えます。一昨年の「第56回 京の冬の旅」で上がりました。
正面通りを東に進み突き当たりに、今日の目的地が見えてきました。この日の目的地は・・・?。
第58回「京の冬の旅」非公開文化財特別公開 渉成園(枳殻邸) 園林堂でした。渉成園は通常拝観しているので、2007年(平成19年)11月14日、2010年(平成22年)2月24日、光で彩る「秋の渉成園 (枳殻邸)」~夜間参観ライトアップ~の2018年11月27日の計3回来てました。
9時5分に「黒門」前に着きました。ここは通常拝観は9時からとなってますが、案内では9時15分でした。
入って直ぐの右手に拝観受付所があって、庭園維持寄付金で500円以上の協力寄付金をお願いされるので、500円を納めました。過去3回入ってるので、「渉成園ガイドブック」は四季のうつろいをいただきました。予想どおり拝観は9時からのようです。園林堂に入るのは9時15分からと案内されました。
A4サイズの豪華なパンフです。上が通常のもの。下が今回いただいたものです。このパンフを見ながら庭園を巡ることをお勧めしす。園内は広いので。
東本願寺の別邸で、周辺に植えられた枳殻(からたち)の生垣にちなんで枳殻邸(きこくてい)とも呼ばれる。この地は、1641年(寛永18年)に5江戸幕府3代将軍徳川家光から寄進を受けた本願寺第13代宣如(せんにょ)上人が、1653年(承応2年)、石川丈山(詩仙堂建立)らとともに庭園を築き、別邸としたところである。この地は、平安時代の初め、源氏物語光源氏のモデルともされる左大臣源融(みなもとのとおる)が奥州塩釜の風景を模して作った河原院の跡に近く、作庭に際し、印月池(いんげつち)と呼ばれる広い池を中心に、池には島を浮かべて石橋や土橋で結び、周囲には樹木を茂らせ、源融をしのぶ名所も作られて、平安朝の面影を再現している。園内には、楼門傍花閣(ぼうかかく)、書院閬風亭(ろうふうてい)、滴翠軒(てきすいけん)、臨池亭(りんちてい)、茶席漱枕居(そうちんきょ)、縮遠亭(しゅくおんてい)、持仏堂の園林堂(おんりんどう)、橋廊の回棹廊(かいとうろう)などいずれも1864年(元治元年)の「蛤御門の変」による大火後の再建であるが、庭園によく似合った建物が配されている。江戸時代後期の儒学者頼山陽が選定した「渉成園十三景」は変化に富んだ美しい景観を称えたもの。1936年(昭和和11年)、国の名勝に指定された。
受付を済ませると案内にしたがって左に進みます。この辺りは案内図に「高石垣」とありました。
後で分かったことで、右を進めば大玄関に出るので、そこで特別拝観の受付をされてました。
ここが「庭園北出入口」です。帰りは南出入口から出て行く予定です。(別に決まったルートはありません)
入って早速左手に進みます。園林堂の拝観時間である9時15分は気にしないで先に庭園をくまなく見て回ります。
最初に見たのは非公開の「臨池亭(りんちてい)」です。池に面して縁側があり、その名前も”池を臨む亭”と意味です。
正面が非公開の「滴翠軒(てきすいけん)」です。裏の築山から池に流れ込む小水にちなんで「小川のほとりの軒」という意味です。「渉成園十三景の一」。
臨池亭と滴翠軒は、庭園の北門から入っていたが、1864年(元治元年)の「蛤御門の変」による火災で焼失。1884年(明治17年)に再建されたもの。現在、北門は使われていないが、臨池亭も滴翠軒も東本願寺を訪れる団体客のために貸し出されています。
写真真ん中の灯籠が「檜垣の燈篭(ひがきのとうろう)」です。檜垣という銘の由来についてた詳しいことは伝わってないとのことです。
庭園の奥へ進むと「亀の甲の井戸」がありました。上から見ると亀の形に石組みが見えるそうです。亀の甲にあたる部分に井筒が埋め込まれ井戸になってます。
今日は、先日NHK「ニュース630 京いちにち」の コーナーで紹介された、源氏物語ゆかりのものを探しに行きます。
今日は行かなかった「回棹廊(かいとうろう)」を見ていると、アオサギが飛び出しました。回棹廊は「渉成園十三景の十二」。
島に渡る前の北側には「五松塢(ごしょうう)」と呼ばれる松があります。一幹五枝の松が植えられていたことから名付けられました。「渉成園十三景の五」。
印月池(いんげつち)の西北岸から縮遠亭のある島に架かる木製の反り橋を「侵雪橋(しんせつきょう)」といいます。
侵雪橋をこれから渡ります。侵雪橋は、「渉成園十三景の六」。
侵雪橋の上から印月池(いんげつち)を撮りました。京都タワーも写っています。印月池は、「渉成園十三景の三」。
侵雪橋の上から反対側を撮りました。こちらは「丹楓渓(たんぷうけい)」です。こちらは楓が植えられていて紅葉の美しい渓谷を模した一帯です。「渉成園十三景の十三」。
今年しのNHK大河ドラマ「光る君へ」は紫式部が主人公です。今回「京の冬の旅」の副題が「紫式部と源氏物語」でした。この九重の塔は、その光源氏ゆかりのものだそうです。
「源融ゆかりの塔」は、鎌倉時代中期の作。ここは源氏物語光源氏のモデルとされる源融の邸宅「六条河原院」があったと伝わります。この九重の塔は、源融を供養したと言われる石塔で、塔身には四方仏が刻まれ、基礎の格狭間と呼ばれる部分には蓮華が彫刻されています。
「縮遠亭(しゅくおんてい)」は、2024年(令和6年)3月31日まで工事中です。こちらは北大島に建てられた茶室です。「渉成園十三景の七」。
そして小高い「縮遠亭(しゅくおんてい)」の前には「塩釜の手水鉢」がありました。テレビで紹介され、探しました。ここは人(庭師)に聞きました。
六条河原院は、源融が宮城県塩釜市の風景を模して造成したと言われ、庭園には「塩釜の手水鉢」と呼ばれる筒型の鉢が残されており見ることができました。
「臥龍堂(がりゅうどう)」(南大島)です。かつては、この島には鐘楼堂がありました。安政の大火で焼失後、再建されていません。「渉成園十三景の四」。
北大島に架かる木橋まで戻る途中にみつけた「碧玉の石幢(へきぎょくのせきどう)」です。何故、碧玉と呼ばれるのは分かってないそうです。
また、木橋を渡ります。そろそろ園林堂が開くので向かいます。
こちらは楼門造りの「傍花閣(ぼうかかく)」です。園林堂のガイドさんの話しで分かったことで、その先の園林堂が本堂にあたり、この茶室が山門にあたるとのことです。
「傍花閣(ぼうかかく)」は1892年(明治25年)の再建。階上には四畳半の部屋があり、部屋の天井中央には十二支を配した珍しい図様が描いてあるとか。「渉成園十三景の二」。
あとで内部に入りますが、今日の目的である「園林堂(おんりんどう)」です。1957年(昭和32年)の再建。傍花閣に対応する持仏堂です。堂内には本尊の阿弥陀如来立像が安置されてました。扁額の「園林」は、南北朝時代の禅僧虎関師錬(こかんしれん)揮毫によるもの。
「園林堂(おんりんどう)」が手前、「蘆庵(ろあん)」が奥、それに京都タワーが見えています。
そのお隣にある茶室「蘆庵(ろあん)」です。通常非公開ですが、2017年の「 京の夏の旅」で内部が公開されました。私は行けてません。今日は撮り損ねたので以前の写真を使いました。
この時、園林堂を何処から入るのか分かりませんでした。とりあえず看板の通りに行ってみます。
こちらは非公開の「閬風亭(ろうふうてい)」です。2018年11月27日の「夜間参観ライトアップ」で入ったことがあります。あとで、ここも入る予定です。
茶室「漱枕居(そうちんきょ)」も非公開です。1865年(慶応元年)の再建。「渉成園十三景の十一」。
紅梅・白梅が20株植えられている「双梅檐(そうばいえん)」です。「渉成園十三景の十」。
案内の通りに進むと「大玄関」まで来ました。ここから出入りするのは初めてです。1880年(明治13年)に明治天皇が京都に来られ、渉成園で休憩されたとき、東本願寺の宮御殿とともに大宮御所から移築を約され、後に1884年(明治17年)に移築されきた玄関です。
ここで靴を下駄箱に預け上がると左手に「京の冬の旅受付所」がありました。そこで500円を払い、スタンプラリーの判子押して貰います。撮影の有無は園林堂のみNGとのことでした。
ここでガイドさんの案内が15分毎にあるとのことでした。もう4回目だし案内は断りました。
ここの写真を撮っていると、ガイドさんより勧められた額縁を撮りました。「渉成園」染筆。江戸幕府15代将軍徳川慶喜が東本願寺第二十一代・巌如上人の求めに応じて染筆した「渉成園」の題字額です。
「閬風亭」染筆。石川丈山筆。東本願寺の庭園渉成園にある大書院は、その名を「閬風亭」と言います。これは渉成園の造営にあたった石川丈山が命名したと言われています。
「慶縁」金澤翔子筆。2023年(令和5年)3月25日に、ここ渉成園で席上揮毫が実施されました。
書家の金澤翔子さんは、2012年(平成24年)5月に「建仁寺 金澤翔子書品展 ~翔子と禅の世界~」でご本人とお会いしてます😊。
この長い廊下を通って「園林堂」に向かいました。園林堂は、この先の突き当たり、ガイドさんが棟方志功画伯の襖絵について案内してくれました。なお、鞄やリュックサックなどの荷物は、無料のロッカーに入れることになります。園林堂内が狭いので、襖絵を傷つけないようにするためですね。
持仏堂「園林堂」には、園林堂竣工時1957年(昭和32年)に板画家・棟方志功(むなかたしこう)の肉筆の襖絵44面が収められている。独特の大胆な構図と繊細な筆致で描かれた。「天に伸ぶ杉木(すぎき)」「河畔(かはん)の呼吸」と題した襖絵は圧巻です。また、仏間の襖絵はには、ボタンの花が描いてありました。それは東本願寺の寺紋がボタンの花だからのようです。
園林堂から、また長い廊下を通って、明治天皇が休息された「閬風亭(ろうふうてい)」に戻りました。
ここに戻ると、東本願寺の独自の土産物が販売されていたので、見てみました。そして、ここを出て行くと・・・?。
大玄関で靴を履いていると、団体さんが来られました。9時35分でしたね。檀家さんでしょうかね、あまりにも人が多かったから😊。団体さんと一緒だったら、棟方志功画伯の襖絵もゆっくり見られなかったでしょう、園林堂は狭かったので。それで帰りも庭園を通って帰ることになりました。
「閬風亭(ろうふうてい)」の前を通りました。多分、中では、これからガイドさんの話しを聞かれるのでしょう。
園林堂を外から見ています。ご覧のように広くないので、団体さんと一緒では、じっくり見られないでしょう。
行きはスルーした「高石垣」です。石橋のような長い切石や、礎石、石臼、山石や瓦など多様な素材を組み合わせて築かれています。
9時42分に、ここを出ました。帰りのバスの時刻は10時8分か28分です。できたら8分に乗りたいので急いで四条烏丸に戻ります。
ここから再び地下鉄烏丸線五条駅で地下鉄に乗車。四条で下車するので、前方の車両に乗りました。四条では多くの方が降りるので、エスカレーターじゃなくて階段で上がり、地下鉄四条駅前にあるパン屋で買い物を済ませました。
四条烏丸バス停に10時3分に着きました。以外と早く着いたので、ここでバスを待ちました。
四条烏丸から乗ったバスは、始発ですので、確実に座れます。ただ、乗ったのは私一人。こんなの初めてでしたね😊。
次の「京の冬の旅」は、今回の目玉ともいえる相国寺の塔頭寺院を巡ります。いつ行くかは未定ですが。
この記事へのコメント
京都の渉成園、地図で見て広いので知ってはいるのですが、行ったことはありません。冬枯れの季節ですが、落ち着いた園内で風情を感じさせるところですね。
広大な敷地なので代表的な景観が渉成園十三景として13もあるのがさすがだと思います。ここは都会の中でもありますからね
風格ある侵雪橋は味があるなと思いながら、背景にビルが見えてしまうのは仕方ないですね。それから、石橋越しに眺める臥龍堂の風景は圧巻だと思いました。
園林堂は非常に格式高い場所だったのですね。
見所たっぷりだと感じ入りました。
渉成園は桜の名所でもあるので、来月にも再訪を考えています。
今年は紫式部ゆかりの地が特別に公開され、ここも源融ゆかりのものを見られました。
東本願寺から少し離れているので、外国人観光客は少ないです。静かにゆっくりと散策でき良かったです。
園林堂の棟方志功画伯の襖絵は迫力ありました。これを見られただけでも納得ですね。