徳大寺山荘跡に建つ世界文化遺産 龍安寺へ

今年のNHK大河ドラマ「光る君へ」は、放送から第四話となったときに、ビデオに撮っておいた第一話から見出しました。時代が平安時代ということで、あまり馴染みが無かったから、見るかどうか迷っていたところ、今回京都が舞台のためでしょう、NHK京都放送局では、度々「光る君へ」の特集を放送されてました。それならっと、やっと見出したら、けっこう面白いし、一話から四話まで一気に見てしまった次第です😊。紫式部の事はあまり詳しい資料は残ってないようで、脚本家さんの腕が良いのでしょう😊。歌舞伎役者の坂東巳之助さんが演じられている第64代円融天皇のことも殆ど知らなかったです。何か京都にゆかりの地は無いかなぁ・・・と探していたら、ありました😊。

1月31日(水)は、所用があって、そこからいつも等持院や妙心寺に行ってます。今回は世界文化遺産 龍安寺に行くことにしました。理由は円融天皇ゆかりの寺がかつてあったからです。

第64代圓融天皇ゆかりの円融寺は、圓融天皇の勅願寺で現在は廃寺でありません。円融寺は、983年(永観元年)円融天皇の勅願により仁和寺別当寛朝(かんちょう(により創建されました。984年(永観2年)圓融天皇は譲位し、朱雀院上皇と称されました。翌985年(寛和元年)に上皇は出家し、以後、円融寺に居住し続けました。圓融天皇は、991年(正暦2年)、御願寺である円融寺で33歳の生涯を閉じます。圓融天皇没後の円融寺は、次第に衰退していき、平安時代末期になると藤原実能(ふじわらのさねよし)が同寺址に山荘を建て、山荘内には徳大寺が創建され、実能の子孫は徳大寺家を称しました。

その円融寺のあと徳大寺山荘跡に建つのが龍安寺と言われているので、この日龍安寺に行ってみることにしました。ただ、何度も行ってる龍安寺に円融寺ゆかりのものが無いことも知ってます。雰囲気だけでも味わえたらと😊。

IMG_3390.jpg龍安寺前バス停で下車したので、駐車場を横切ります。まだ団体さんの観光バスは止まってません。空いていたら良いのにね・・・と言うのも、コロナ禍前から外国人観光客が殺到し、いつも混雑していたからです。

IMG_3392.jpg8時44分に「山門」前に着きました。12月から2月の間は、拝観時間は8時30分からとなります。既に15分経過しいるので、多くの方が来られているでしょう。

拝観料は600円でした。100円値上がりしたかなぁ?😊。どうもこの日は空いているような予感がします。龍安寺に来るのは、桜が綺麗だった2023年(令和5年)4月3日以来です。

IMG_3391.jpgIMG_3393.jpg山門」の前後を見ると、誰も居ません。最近、ここに来たら行列ができていたので、少し拍子抜け・・・でした😊。

龍安寺は、臨済宗妙心寺派の寺院で、1994年(平成6年)に世界文化遺産に登録されました。もとは徳大寺家の別荘でしたが、1450年(宝徳2年)に細川勝元(室町中期の武将)が譲り受け、義天玄承(ぎてんげんしょう)を招いて禅院とし、玄承はその師日峰宗舜(にっぽうそうしゅん)を開山として、自らは創建開山となりました。一時、応仁の乱により焼失しましたが、1499年(明応8年)に細川政元(室町後期の武将、勝元の子)が再興し、その後、名僧が相次いで住し、豊臣秀吉や徳川氏も寺領を寄付するなどして、最盛時には塔頭23を数えるほど寺運は栄えました。しかし、1797年(寛政9年)に火災に遭い、その後次第に再建されましたが、盛時の寺観は復興してません。方丈庭園(国の史跡及び特別名勝)は、室町時代末期の作と伝えられ、枯山水の石庭として有名です。長方形の敷地の中に白砂を敷き、15個の石を配し、一木一草も用いず象徴的に自然を映し出しており、枯山水庭園の極致を示したものといえ、あたかも渓流を虎が子を連れて渡っているようにも見えるため、「虎の子渡し」とも呼ばれています。方丈の北には、徳川光圀(常陸国水戸藩第2代藩主)の寄進と伝えられる「吾唯足知(わがただたるをしる)」と刻まれた石造りの手水鉢が残る。そのほか、寺宝として、太平記十二冊(重文)を所蔵しています。

IMG_3394.jpgIMG_3395.jpg山門を入って左手に「鏡容池」にに見ながら歩きます。

IMG_3397.jpgIMG_3398.jpg参道を進むとY字路があります。石庭は左手ですが、右手には「朱山七陵」があります。「光る君へ」ゆかりでは、「円融天皇火葬塚」「一条天皇 圓融寺北陵」があるので、後日挑戦したいと思っています。ただ夏場には行きません。

IMG_3400.jpgIMG_3404.jpg石段の両脇には菱形に組み込まれた丈の低い竹垣の「龍安寺垣」と呼ばれる垣を見ながら上がります。

IMG_3407.jpg8時48分に石庭拝観入口の「庫裏」に着きました。ここで拝観受付所で貰った拝観券を見せ上がります。

IMG_3409.jpg石庭に入ると、以外にも空いてました。10組も居なかったでしょう。これならゆっくり拝観できます。

IMG_3412.jpgIMG_3413.jpgIMG_3414.jpgこの「石庭」には、大小15個の石があります。正面から見えない石もあるので、数えても15個は分かりません。本当にどんな意味があるのでしょうか、謎ですよね。

IMG_3417.jpgIMG_3419.jpgIMG_3434.jpgこのあと、この縁側に腰を下ろして石庭を眺めました。ただ写真を撮られる方の邪魔になるので、直ぐに退きましたが😊。

IMG_3453.jpg次に、今日の目的の一つでもある室内の襖絵をゆっくり見て行きます。

「開基細川勝元公650年遠忌記念 細川護熙元首相揮毫襖絵奉納 雲龍図襖絵特別公開」として、「第一期」(令和5年4月1日~8月31日)は、見に来ました。「第二期」(令和5年9月1日~10月31日)、そして現在は「第三期」(令和5年11月1日~令和6年3月31日)が公開中です。「第一期」では、襖絵40面のうち、16面が公開でした。「第二期」が襖絵40面の公開。そして「第三期」は32面の公開で、龍は第2~8の公開、第1と第9の公開はありません。細川護熙元首相より奉納された「雲龍図」40面には龍の誕生から成長、そして老いに至るまでの生涯が、9匹の龍を通じて描かれています。

IMG_3425.jpg先ずは、正面が「第六の龍」。荒れ狂う雲烟(うんえん)の中で知恵の真珠を掴み、満足感に満ちた表情をうかべている玉龍。

IMG_3426.jpg右が「第四の龍」。雷神の神通力によって暗黒の断崖に捕縛され、苦痛の表情で自由の身になろうと、岩をつかんでもがいている龍。

IMG_3427.jpg左が「第五の龍」。誰も通り抜けたことのない巨大な大波と戦っている龍。

IMG_3420.jpgIMG_3422.jpg第二の龍」。龍門の奥深い峡谷と断崖の中から湧き出て現れたところを描いている。龍門を登り切った鯉は龍になるとの伝説から。

IMG_3423.jpgIMG_3448.jpg第三の龍」。波濤と雲烟の中を天へと上昇していく昇り龍。

IMG_3446.jpg第三の龍」から石庭が見えました。次に第七と八の龍を見に行きます。

IMG_3429.jpg第七の龍」。第八の龍より教えを受けている若い龍。下から老龍を仰ぎ見ながらも、口を大きく開き、全身をひるがえす躍動感あふれる姿。

IMG_3430.jpgIMG_3438.jpg第八の龍」。歯を失い、痩せて白い髭を賢者のような老龍。雲間からしずかに教えを授けている。


IMG_3457.jpg「第七の龍」と「第八の龍」の龍を見たので、次に方丈を回ります。「第一の龍」と「第九の龍」は方丈の裏手ですが、今回は非公開、残念です。

IMG_3458.jpgこの「油小塀」は、少し汚れてるように見えますが、これは白砂が綺麗に見えるように眩しさ除けにになってるそうです。そして石庭を広く見せる工夫があって、遠近法を用いられてることを以前聞きました。

IMG_3459.jpg次に「仏殿」とその奥に「西の庭」がありましすが非公開です。私は2013年(平成25年)12月8日(日)の「文化財特別鑑賞会」で見せて貰いました。

IMG_3440.jpgIMG_3441.jpg方丈裏には、レプリカの水戸光圀公寄進の「知足の蹲踞」があります。本物は、蔵六庵の露地庭園にあります。

「吾(われ)唯(ただ)足(たるを)知(しる)」の禅語の格言を謎徳に図案したものと言われいます。最近では、2021年(令和3年)3月22日の「第55回 京の冬の旅」で見ています。

IMG_3443.jpg手前「龍安寺垣」と、今は咲いてませんが「侘助椿」です。非公開の茶室「蔵六庵」があって、その手前に本物の知足の蹲踞があるわけです。

IMG_3461.jpgIMG_3462.jpgIMG_3463.jpg9時2分に、石庭を出ていきました。狭い石庭に長居はできません。

IMG_3465.jpg庫裏を出て、外から見た「勅使門」と、石庭を見ていた「方丈」の屋根が見えました。

IMG_3466.jpg遠近法を用いた「油小塀」を外から見ています。奥に行くほど塀の高さが低くなっています。

IMG_3468.jpgIMG_3469.jpg外から見た「方丈」です。方丈の全体像が分かります。

IMG_3470.jpgIMG_3471.jpgこちらが「西の庭」の入口にある門です。特別拝観でも、ここの門は開いたことがありません(多分)。門には細川家の家紋が見えました。

IMG_3473.jpgIMG_3478.jpgIMG_3479.jpg再び「鏡容池」が見えて来ました。春は桜、秋は紅葉が楽しめますが、今は何もありません。

IMG_3480.jpgIMG_3482.jpgIMG_3484.jpgIMG_3486.jpg鏡容池を見ながら歩いて行くと、途中に「水分石(みくまりいし)」が見えきます。これは池の水位を測るために置かれた石だそうです。

IMG_3488.jpgIMG_3489.jpgIMG_3490.jpgIMG_3491.jpg9時12分に「山門」から出ました。この時間になると、外国人観光客の団体さんが入って来られますね。良いときに来ました😊。

ここから駐車場に向かいます。市バスで来ましたが、こちらに確かめる必要があったから。

IMG_3494.jpgIMG_3495.jpgIMG_3496.jpgこの先に「朱山七陵」があります。前途したとおり「光る君へ」ゆかりでは、「圓融天皇火葬塚」「一条天皇 圓融寺北陵」があるので、後日挑戦したいと思っています。かなりの山登りが待ってるはずです。

IMG_3497.jpg三度「鏡容池」に出ました。私は、拝観券を持ってるので大丈夫です。

IMG_3498.jpgIMG_3499.jpgIMG_3500.jpgIMG_3503.jpg9時21分に三度「山門」から出て行きました。バスの時間があるので、総門まで行ってみます。

IMG_3504.jpg山門を出て、きぬがけの路を横断した先に見えて居るのが総門です。

IMG_3507.jpg9時23分に「総門」前まで来ました。この先を進むと嵐電龍安寺駅があって、徒歩7分ぐらいかかるでしょう。

IMG_3508.jpg総門から引き返して「龍安寺前バス停」まで来ました。ここで59号系統のバスを待ちました。

ここから所用先に戻りますが、戻る前に、もう一ヵ所寄って行きます。

この記事へのコメント

2024年03月01日 23:05
ご無沙汰しております。9時前だと流石の竜安寺にも人気が無いんですね。
毎冬、一度は西源院の湯豆腐を食べに行くのですが、外国の観光客が
多いという事で尻込みしてました。石庭もこれだけ人が居ないと
気持ち良いですねぇ。
丈の低い竹垣の「龍安寺垣」、これは知りませんでした。言われてみれば
確かに丈が低くて上品なつくりですね。今日とでも竜安寺は馴染みの
深いお寺なんですが、壬生里さんの記事を読んでると、まだまだ
知らない事が出てきそうです。
壬生里
2024年03月02日 19:26
y&mさんへコメントありがとうございます。

龍安寺、じつは最近も行ったですが、平日でもバスは凄く混んでました。座れるどころか、通路まで一杯。乗ってる人は外国人観光客でした。その集団が龍安寺に行かれたんで、この日は、本当にラッキーでしたね。春や秋は、龍安寺凄い人でしよう。ただ、ここは8時から拝観しているので、朝一番は空いてるかもです。