「圓融天皇 後村上陵」へ
龍安寺の「総門」を見たあと、再び「きぬがけの路」に戻り「龍安寺前バス停」で市バス59号系統を待ちます。
2月18日(日)に行われる京都マラソンでは、このきぬがけの路をランナーが走るので、暫くは横断できないかも知れません。
バス停には9時25分に着きましたが、バスは9時26分発でした。ただバスは少し遅れて来たので、余裕で間に合いました。次に所用先に戻らず福王子バス停で下車。約6分で着きました。バスを降りると進行方向に向かって歩き信号を南から北に渡ります。
信号を渡る正面が「福王子神社」です。寄って行ったのではなく横切って行ったということ。
ここに来たのは、2016年(平成28年)10月1日以来です。福王子交差点は何度も通過してますが、駐車場も無いので、なかなか来られ無いですね。
福王子神社から約150㍍ほど歩いた左手に、ここに来た目的地があります。それは「圓融天皇 後村上陵」でした。

住宅街の一角にあるので、知らないと行きすぎるかも知れません。入口から西に向かって歩いて行きます。

9時37分に着きました。私が着いた頃、宮内庁の職員さんが来られてましたが、すぐに出て行かれました。
龍安寺でも圓融天皇の事を述べましたが、NHK大河ドラマ「光る君へ」を見ていて、圓融天皇を知ったから、ここまで来て見ました。第64代圓融天皇(演:坂東 巳之助)は第62代村上天皇の第五皇子。ドラマでは歌舞伎役者の坂東巳之助さんが演じてました。
64代圓融天皇は、63代冷泉天皇の弟です。冷泉天皇から譲位され、11歳で即位した圓融天皇。天皇が幼かったため太政大臣である藤原実頼(孫の藤原実資を秋山竜次演じる)が摂政に就任しました。その後、藤原実頼が亡くなり藤原伊尹(ふじわらのこれただ)が摂政を継ぎます。やがて、圓融天皇が成人を迎える972年(天禄3年)には藤原伊尹が亡くなり、藤原兼通(ドラマでは出て来ません)と藤原兼家(演:段田 安則)との間に、関白を巡る争いが勃発。圓融天皇は藤原兼通を関白に命じます。そして、藤原兼通の娘である藤原媓子(ドラマでは出て来ません)が入内して中宮になったのです。977年(貞元2年)11月に藤原兼通が重病を患い亡くなると、圓融天皇は藤原兼通の要望に従って、後任として一族に関係のない藤原頼忠(演:橋爪 淳)を選出。藤原頼忠は圓融天皇に娘(遵子)を入内させており、天皇は藤原兼家よりも藤原頼忠に良い印象を抱いていたとされています。ただ、遵子は皇子を産むことはなく、天皇と外戚関係を得ることができず政治的な力を持てなかった。978年(貞元3年)には、藤原兼家(演:段田 安則)も次女の藤原詮子(演:吉田羊)を入内。懐仁親王(のちの一条天皇)を儲けます。979年(天元2年)に藤原媓子が亡くなり、以後、中宮の座が空いていましたが、982年(天元5年)に圓融天皇は藤原頼忠(演:橋爪 淳)の次女である藤原遵子(演:中村静香)を中宮としました。藤原兼家(演:段田 安則)は腹を立て、藤原詮子(演:吉田羊)と懐仁親王(演:石塚陸翔)を連れて帰って出仕をやめてしまいます。984年(永観2年)、藤原氏の勢力に翻弄された圓融天皇は、懐仁親王(後の一条天皇)の立太子を条件に花山天皇(演:本郷奏多)に譲位しました。圓融天皇は、第65代花山天皇(第63代冷泉天皇の第1皇子)に譲位した翌年の985年(永観3年)に出家し、991年(正暦2年)に33歳で勅願寺の円融寺で崩御しました。


9時41分に出ました。ここから北に向かって歩いて行くと「村上天皇 村上陵」があります。かなりの山登りになるので今日は行きません。
9時43分に福王子神社を横切って再び福王子バス停に戻りました。
このバス停からは3系統のバスが来るので、殆ど待たずに来たバスに乗って所用先に戻りました。余談ですが、この日は所用が長引き、出たのが13時前になってました。疲れましたね😒。

バス停には9時25分に着きましたが、バスは9時26分発でした。ただバスは少し遅れて来たので、余裕で間に合いました。次に所用先に戻らず福王子バス停で下車。約6分で着きました。バスを降りると進行方向に向かって歩き信号を南から北に渡ります。


福王子神社から約150㍍ほど歩いた左手に、ここに来た目的地があります。それは「圓融天皇 後村上陵」でした。




龍安寺でも圓融天皇の事を述べましたが、NHK大河ドラマ「光る君へ」を見ていて、圓融天皇を知ったから、ここまで来て見ました。第64代圓融天皇(演:坂東 巳之助)は第62代村上天皇の第五皇子。ドラマでは歌舞伎役者の坂東巳之助さんが演じてました。
64代圓融天皇は、63代冷泉天皇の弟です。冷泉天皇から譲位され、11歳で即位した圓融天皇。天皇が幼かったため太政大臣である藤原実頼(孫の藤原実資を秋山竜次演じる)が摂政に就任しました。その後、藤原実頼が亡くなり藤原伊尹(ふじわらのこれただ)が摂政を継ぎます。やがて、圓融天皇が成人を迎える972年(天禄3年)には藤原伊尹が亡くなり、藤原兼通(ドラマでは出て来ません)と藤原兼家(演:段田 安則)との間に、関白を巡る争いが勃発。圓融天皇は藤原兼通を関白に命じます。そして、藤原兼通の娘である藤原媓子(ドラマでは出て来ません)が入内して中宮になったのです。977年(貞元2年)11月に藤原兼通が重病を患い亡くなると、圓融天皇は藤原兼通の要望に従って、後任として一族に関係のない藤原頼忠(演:橋爪 淳)を選出。藤原頼忠は圓融天皇に娘(遵子)を入内させており、天皇は藤原兼家よりも藤原頼忠に良い印象を抱いていたとされています。ただ、遵子は皇子を産むことはなく、天皇と外戚関係を得ることができず政治的な力を持てなかった。978年(貞元3年)には、藤原兼家(演:段田 安則)も次女の藤原詮子(演:吉田羊)を入内。懐仁親王(のちの一条天皇)を儲けます。979年(天元2年)に藤原媓子が亡くなり、以後、中宮の座が空いていましたが、982年(天元5年)に圓融天皇は藤原頼忠(演:橋爪 淳)の次女である藤原遵子(演:中村静香)を中宮としました。藤原兼家(演:段田 安則)は腹を立て、藤原詮子(演:吉田羊)と懐仁親王(演:石塚陸翔)を連れて帰って出仕をやめてしまいます。984年(永観2年)、藤原氏の勢力に翻弄された圓融天皇は、懐仁親王(後の一条天皇)の立太子を条件に花山天皇(演:本郷奏多)に譲位しました。圓融天皇は、第65代花山天皇(第63代冷泉天皇の第1皇子)に譲位した翌年の985年(永観3年)に出家し、991年(正暦2年)に33歳で勅願寺の円融寺で崩御しました。




このバス停からは3系統のバスが来るので、殆ど待たずに来たバスに乗って所用先に戻りました。余談ですが、この日は所用が長引き、出たのが13時前になってました。疲れましたね😒。
この記事へのコメント
ただ、なかなか人間関係が複雑で難しい。平安時代はドロドロしていますよね。かなり歴史好きではないと、途中でギブアップしてしまうかも。
そんなふうに思ってしまいます。
圓融天皇の後村上陵がこちらにありましたか。
もちろん、私には非常に興味深いです。ドラマも。
それにしても、宮内庁の職員は見回りをしているのですね。
「光る君へ」は第4話まで見る気しなかったけど、見たら面白さがわいてきました。平安時代の歴史について、いろいろ知ることができるのでね。ことあとも、いろいろ光る君へゆかりの地巡っています。( ^_^)
紫式部は本名も生まれた歳も、亡くなった歳も不明だとか、今度の大河はドラマとして見ると良いかも知れません。このあと道長が藤原氏の最盛期を迎えるのを楽しみにしています。