「花山天皇 紙屋川上陵」へ

NHK大河ドラマ光る君へ」で、本郷奏多さん演じる花山天皇が17歳で第65代天皇して即位されました。花山天皇は、西国三十三ヵ所観音巡礼を再興されたので、西国三十三ヵ所観音巡礼を四回回った私は、そのことで知ってました。今回、花山天皇 紙屋川上陵を調べていると、わら天神宮近くの住宅街にありました。そこで、2月9日(金)に、この辺りに用事があったので、初めて行ってみることにしたわけです。ただ朝は寒かったです。最低気温は1.4℃しかなかったから。

IMG_3738.jpgIMG_3737.jpg周りは住宅街で、知らずに行くと通り過ぎるでしょう。

IMG_3746.jpgIMG_3745.jpgIMG_3740.jpgIMG_3742.jpg宮内庁が管理されているので、綺麗に整備されています。ゴミ一つ落ちてません。花山天皇については下記に書きます。

IMG_3743.jpgこの日は、久しぶりに快晴になりました。綺麗な青空が広がりました。最高気温は12.1℃と昼間は暖かかったです。今日は、ここだけで、所用先に戻りました。

NHK大河ドラマ「光る君へ」では、奇行が描かれてましたね。しかし、そんな花山天皇の治世は、わずか2年で幕を閉じます。986年(寛和2年)6月、花山天皇は玉置玲央さんが演じる藤原道兼に導かれて内裏から脱出すると、そのまま東山(現在の京都市山科区)の花山寺(現在の元慶寺)で出家してしまいました。道兼は一緒に出家するフリをしておきながら、花山天皇の剃髪を見届けると、寺から抜け出して、そのまま帰ってこなかったといいます。花山天皇が退位したことで、一条天皇(演:塩野瑛久)が7歳で第66代天皇として即位します。兼家(演:段田安則)からすれば、娘の藤原詮子(演:吉田羊)が生んだ懐仁親王(演:石塚陸翔)が、ついに天皇へと駆け上ったことになりました。天皇の外戚として摂政となった兼家(演:段田安則)。紫式部(演:吉高由里子)の父・藤原為時(演:岸谷五朗)が、花山天皇(演:本郷奏多)の退位によって、ようやく得た官職を再び失うのとは対照的に、兼家は権力を掌握していくことになります。兼家の死後関白となった道隆(演:井浦新)は5年で病死します。そのあと弟の道兼(演:玉置玲央)が関白まで上り詰めるが、たった7日で病死。その後は、弟の柄本佑さん演じる藤原道長の時代へと移ります。

兵庫県三田市にある「西国三十三ヵ所 番外札所 東光山 花山院菩提寺」で、最近では2022年(令和4年)9月18日に訪問しました。

IMG_5438.jpgIMG_5445.jpgIMG_5468.jpgIMG_5474.jpg
花山天皇は、花山法皇となって西国三十三ヵ所観音巡礼の再興をされたことで知られています。718年(養老2年)に始まったとされる西国三十三ヵ所観音巡礼は、約270年後、花山法皇によって観音巡礼が再興されました。兵庫県三田市にある花山院は、西国三十三ヵ所観音巡礼の番外札所、そして西国巡礼の中興の祖、花山法皇 隠棲の地で、法道仙人が創建したと伝わります。第65代花山天皇は19歳で出家され、994年(正暦5年)この地で隠棲。1008年(寛弘5年)41歳で亡くなった後、法皇の菩提を弔う寺となり花山院菩提寺と呼ばれるようになった。かつては西国巡礼は花山院に参ってから旅に出たという。境内には、「花山院御廟所」があって、石造りの玉垣に囲まれた中に、花山法皇の墓とされる「宝篋印塔」があります。

次に、京都市山科区にある「西国番外札所 華頂山 元慶寺」で、最近では2022年(令和4年)9月18日に訪問しました。

IMG_6692.jpgIMG_6701.jpgIMG_6700.jpg
元慶寺は天台宗の寺院で、華頂山 元慶寺といいます。986年(寛和2年)外孫懐仁(やすひと)親王(演:石塚陸翔)の皇太子即位を画策する右大臣藤原兼家(演:段田安則)と道兼(演:玉置玲央)父子の策謀により、在位2年で第65代花山天皇が退位、出家されることとなりました。花山天皇は元慶寺で出家し、花山法皇と称し、その後、徳道上人が創始したのち、廃れつつあった西国三十三所観音霊場巡りを復興したため、これが縁で元慶寺は、西国三十三所番外札所となっています。

花山天皇が出家した要因は、藤原忯子(ふじわらのよしこ)で、 NHK大河ドラマ「光る君へ」では井上咲楽さんが演じました。藤原忯子は、平安時代中期の女性です。忯子が生まれた時代は、天皇家と密接な関係にあった藤原氏が摂政・関白の座を独占し、他の貴族はもとより、天皇をしのぐ権力を握っていました。そんな世の中で、藤原忯子(演:井上咲楽)は花山天皇(演:本郷奏多)の女御となりましたが、藤原忯子は、花山天皇の寵姫となり懐妊します。しかし、985年(寛和元年)7月18日、身籠ったまま若干17歳の若さで亡くなってしまいました。花山天皇は忯子の死を嘆き、出家しようとします。このことを巧みに利用したのが藤原兼家でした。

この記事へのコメント