臨済宗大本山 東福寺 涅槃会 「龍吟庵」特別公開と「法堂」へ
東福寺「涅槃会」は、毎年3月14日~16日に執り行われます。この期間中、通常非公開の「法堂」「三門」「龍吟庵」が特別公開され、私は何度か行ったことがあります。
家から市バスと嵐電と地下鉄と京阪を乗り継いで京阪東福寺駅に8時41分に着きました。東福寺には普通電車と準急しか止まりません。駅を降りて、本町通りを南に歩いて行くと、九条通りをわたり、そのまま南下です。すると左に東福寺の「北大門」があるので、東に向いて歩いて行きます。道なりに歩いて行くと「臥雲橋」に出るので、そこで写真を撮ります。
8時51分に、秋には真っ赤に染まる「東福寺通天橋」です。今日は天気が良いので、東を見ると眩しいです。
8時53分に「日下門」から東福寺の境内に入りました。
日下門を入って、三門と法堂の前を通ります。写真は、涅槃会で特別公開される三門です。
通常非公開のため入れない「法堂(本堂)」です。こちらも10時から入れるので、帰りに寄るつもりです。
「法堂(本堂)」の北側です。涅槃会も2013年(平成25年)3月14日以来、来て無かったので歩きながら思い出した次第です。
東福寺は、通常拝観されています。方丈の拝観受付所の前を通り、この先を進みます。
ここまで来ると、完全に思い出しました。ここを通るのは、2016年(平成28年)3月4日に「第50回 京の冬の旅 非公開文化財特別公開 東福寺塔頭 即宗院」に行って以来8年振りです。
今日の目的地のため、重要文化財に指定されている「偃月橋」をわたります。
三ノ橋川の上流に架かる木造橋廊。1603年(慶長8年)の建築で、単層切妻造の屋根は桟瓦葺き。通天・臥雲橋とともに東福寺三名橋と呼ばれています。
今日の目的地に計算通り、8時59分に着きました。先客は2名。この時、まだ開門されてませんでしたが、まもなく開門されました。
東福寺 涅槃会で特別公開される龍吟庵(りょうぎんあん)に、涅槃会では2011年(平成23年)3月16日以来、久しぶりにやって来ました。その後、写真家の水野先生とともに2015年(平成27年)5月24日に来てますが、堂内は閉まっていましたね。
9時過ぎに開門されました。入ると受付があって、拝観料1000円を納めました。記憶は定かじゃありませんが、2011年(平成23年)3月16日の時は、600円だったように思います・・・随分、値上げされたなぁ、が率直な感想です😊。
ガイドが案内して貰いましたが、開門してから10分ぐらい過ぎてからです。それまでは、写真撮影ができた庭園を撮りながら巡りました。
東福寺の塔頭寺院。鎌倉時代の1291年(正応4年)、東福寺第三世住持・大明国師(無関普門)の住居として建てられた。仏間の奥に安置されているご本尊は宝冠釈迦如来です。方丈に架かる扁額の文字は、室町幕府3代将軍足利義満公(准三宮 )によるもの。扁額の裏には、1387年(嘉慶元年)の文字が読み取れる。国宝の方丈は、日本最古の方丈建築であり内部が書院造と外側が寝殿造が融合した優美な建物で大変貴重なもの。屋根はサワラの木を使った杮葺、室町時代の建築の表門も同じく杮葺で重要文化財に指定されています。方丈建築の真ん中は「室中の間」と言って本堂の役割があり、格式高く天井も高くなっている。玄関に近く方は「礼の間」、室中の間を挟んで「檀那の間」と室中の間より、少し天井は低くなってました。
建物は撮影禁止のため撮れませんでしたが、2015年(平成27年)5月24日に写真家の水野先生とともに訪れた時は撮れました。その時の写真です。立派な扁額が架かってますが、案内にあった「准三宮」の文字は掠れてますが読み取れます。上に開く蔀戸(しとみど)など宸殿造りの様式が分かります。そして次に庭園についての案内がありました。
先程、案内にあった「表門」の前に広がる「南庭」です。それにしても何も無いのが特徴ですね。
昭和の名作庭家である重森三玲が、1964年(昭和39年)に作庭。。南庭は「無の庭」と名づけられ、白川砂を敷きつめただけです。ここは禅寺ですので、無の境地を表している。竹垣は稲妻を表しています。その理由は西の庭にあります。
1964年(昭和39年)に作庭とあったので、東京オリンピックの年ですね。私は、薄ら覚えている程度です。その年に作庭されたとは・・・😊。
10名以上でしょうか、固まって移動します。そして「西庭」について案内が始まりました。
こちらの西庭も重森三玲が造った庭園で、庭全体を龍が海中から黒雲を得て昇天する姿を石組みによって表現しています。真ん中の大きな石が龍の頭を表し、反時計回りで龍がとぐろを巻いています。そして白い砂が大海原を黒い砂が雷雲を表しています。普段は海底で潜んでいる龍が、稲妻光り、雷鳴轟くと黒い雲の間から天に昇っていく龍の姿を石組みで表した庭園です。
北側の垣根は、雷の光を表現した雷紋だそうで、光と音が鳴るという重森三玲の手法のようです。ガイドさんの話しでは、秋になると奥のモミジが真っ赤に染まるみたいです。秋の特別公開には行きたいです。今朝は冷え込んだため、石が湿って、美しさが増していると案内されていましたね。
次に方丈の裏手に行きます。「衣鉢の間」には、高貴の方が座られる座布団があって、「亀山法皇 御薬湯之間」がありました。大明国師(無関普門)が南禅寺のご住職をされていた時、病気になられ、龍吟庵に戻って来られました。その時、亀山法皇が薬を持ってお見舞いに来られたそうです。上皇が僧侶をお見舞いすることは考えられないぐらい珍しいことだそうです。ここが住職の寝室だったことで、高貴な方が座られる座布団をおいて展示されてるそうです。
方丈の北側には、「開山堂」がありました。正面には扁額「霊光」が架かっています。ここで次の案内が始まりました。
龍吟庵が、1960年(昭和35年)に解体修理が行われ、その際に、このお堂の下から、大明国師(無関普門)の石の棺が見つかりました。その棺が見つかったことで、ここにお墓があったことが分かりました。そして1978年(昭和58年)に「開山堂」として建立。扁額の「霊光」は、室町幕府3代将軍足利義満公直筆のものです。ここも公家の称号である准三宮と書いてあります。堂内には「大明国師(無関普門)坐像」(重文)を安置。この像は、1291年(正応4年)頃に造られたものと伝わります。
最後に方丈「東庭」に移動し「不離の庭」の案内を受けました。ただ、この時、10時30分を回っていたので、ここの案内の途中で出て行くことにしました。
京都の鞍馬産の赤石を砕き、一面に赤砂を敷き、その上に石組みが配置されています。大明国師(無関普門)が幼少期に天然痘にかかり、山に捨てられた時のことです。大明国師(無関普門)は、狼に襲撃されそうになりました。その時、大明国師(無関普門)の身を、二頭の犬が守ったという故事にもとづいて作庭されています。
ガイドさんが帰りに杮葺の屋根を見て欲しいと言われたので、撮りました。確かに2015年(平成27年)5月24日に比べたら、随分綺麗になりました。
帰りも多くの方と「」で、擦れ違いました。修復工事が終わり、昨年の秋から拝観を再開されたためでしょう。
次に向かったのが、こちらも特別に公開されている「法堂」です。この涅槃会の期間中には、堂内に巨大な「東福寺大涅槃図」(吉山明兆筆)が公開されているからです。なお、拝観料は無料で入れます。
堂内は、いつからか撮影禁止にされました。2013年(平成25年)3月14日以前は、多くの方が写真を撮られてたように思います。私も撮りました。
後で、説明しますが、こちらのパンフをいただきました。A4サイズを広げたら4倍の大きさの涅槃図を見ることができます。東福寺大涅槃図についても詳しく解説されてるので、大変有難かったです。
京都画壇を代表する堂本印象によって「法堂(本堂)」の天井には「蒼龍図」が描かれました。
1861年(明治14年)12月16日の夜に大火災によって法堂・仏殿・方丈・庫裏が火災で焼失したあと、半世紀たった1934年(昭和9年)に再建されました。その時期に蒼龍図も描かれました。
今回、「大涅槃図」は、修復作業をされたようです。2013年(平成25年)3月14日に見たときより、随分綺麗になってましたね。
涅槃会の時に販売される「花供御(はなくそ)」は、正月にご本尊に供えた鏡餅のお下がりを小さく刻み、焼いてあられにしたもの。『古来よりこの御供を年々受くる人は長病をせざる』と書いてありました。
すっかり忘れてましたが2013年(平成25年)3月14日の時も、いただいてました。ただ、この日は500円でしたね。ただ、あのパンフレットをいただけたので良かったです。
帰ってから、食べました。美味しかったです😊。
9時40分に「法堂(本堂)」を出て、向かいにある、三門を撮りました。こちらも、涅槃会の期間中に特別公開されてますが、拝観料も1000円だし、断念し次へと向かいました。
帰りも「日下門」から出ます。
帰りも、「臥雲橋」から「東福寺通天橋」を撮りました。今日は天気が良いので、太陽が眩しいです。
今朝は最低気温が1.2℃と寒かったです。3月に入って寒い日が続いてますが、東福寺には桜がありません。ここは紅葉の名所です。なお、最高気温は15.4℃まで上がりました。このあと、泉涌寺に向かいます。東福寺から泉涌寺へ近道があるので、次で紹介します。
家から市バスと嵐電と地下鉄と京阪を乗り継いで京阪東福寺駅に8時41分に着きました。東福寺には普通電車と準急しか止まりません。駅を降りて、本町通りを南に歩いて行くと、九条通りをわたり、そのまま南下です。すると左に東福寺の「北大門」があるので、東に向いて歩いて行きます。道なりに歩いて行くと「臥雲橋」に出るので、そこで写真を撮ります。
8時51分に、秋には真っ赤に染まる「東福寺通天橋」です。今日は天気が良いので、東を見ると眩しいです。
8時53分に「日下門」から東福寺の境内に入りました。
日下門を入って、三門と法堂の前を通ります。写真は、涅槃会で特別公開される三門です。
通常非公開のため入れない「法堂(本堂)」です。こちらも10時から入れるので、帰りに寄るつもりです。
「法堂(本堂)」の北側です。涅槃会も2013年(平成25年)3月14日以来、来て無かったので歩きながら思い出した次第です。
東福寺は、通常拝観されています。方丈の拝観受付所の前を通り、この先を進みます。
ここまで来ると、完全に思い出しました。ここを通るのは、2016年(平成28年)3月4日に「第50回 京の冬の旅 非公開文化財特別公開 東福寺塔頭 即宗院」に行って以来8年振りです。
今日の目的地のため、重要文化財に指定されている「偃月橋」をわたります。
三ノ橋川の上流に架かる木造橋廊。1603年(慶長8年)の建築で、単層切妻造の屋根は桟瓦葺き。通天・臥雲橋とともに東福寺三名橋と呼ばれています。
今日の目的地に計算通り、8時59分に着きました。先客は2名。この時、まだ開門されてませんでしたが、まもなく開門されました。
東福寺 涅槃会で特別公開される龍吟庵(りょうぎんあん)に、涅槃会では2011年(平成23年)3月16日以来、久しぶりにやって来ました。その後、写真家の水野先生とともに2015年(平成27年)5月24日に来てますが、堂内は閉まっていましたね。
9時過ぎに開門されました。入ると受付があって、拝観料1000円を納めました。記憶は定かじゃありませんが、2011年(平成23年)3月16日の時は、600円だったように思います・・・随分、値上げされたなぁ、が率直な感想です😊。
ガイドが案内して貰いましたが、開門してから10分ぐらい過ぎてからです。それまでは、写真撮影ができた庭園を撮りながら巡りました。
東福寺の塔頭寺院。鎌倉時代の1291年(正応4年)、東福寺第三世住持・大明国師(無関普門)の住居として建てられた。仏間の奥に安置されているご本尊は宝冠釈迦如来です。方丈に架かる扁額の文字は、室町幕府3代将軍足利義満公(准三宮 )によるもの。扁額の裏には、1387年(嘉慶元年)の文字が読み取れる。国宝の方丈は、日本最古の方丈建築であり内部が書院造と外側が寝殿造が融合した優美な建物で大変貴重なもの。屋根はサワラの木を使った杮葺、室町時代の建築の表門も同じく杮葺で重要文化財に指定されています。方丈建築の真ん中は「室中の間」と言って本堂の役割があり、格式高く天井も高くなっている。玄関に近く方は「礼の間」、室中の間を挟んで「檀那の間」と室中の間より、少し天井は低くなってました。
建物は撮影禁止のため撮れませんでしたが、2015年(平成27年)5月24日に写真家の水野先生とともに訪れた時は撮れました。その時の写真です。立派な扁額が架かってますが、案内にあった「准三宮」の文字は掠れてますが読み取れます。上に開く蔀戸(しとみど)など宸殿造りの様式が分かります。そして次に庭園についての案内がありました。
先程、案内にあった「表門」の前に広がる「南庭」です。それにしても何も無いのが特徴ですね。
昭和の名作庭家である重森三玲が、1964年(昭和39年)に作庭。。南庭は「無の庭」と名づけられ、白川砂を敷きつめただけです。ここは禅寺ですので、無の境地を表している。竹垣は稲妻を表しています。その理由は西の庭にあります。
1964年(昭和39年)に作庭とあったので、東京オリンピックの年ですね。私は、薄ら覚えている程度です。その年に作庭されたとは・・・😊。
10名以上でしょうか、固まって移動します。そして「西庭」について案内が始まりました。
こちらの西庭も重森三玲が造った庭園で、庭全体を龍が海中から黒雲を得て昇天する姿を石組みによって表現しています。真ん中の大きな石が龍の頭を表し、反時計回りで龍がとぐろを巻いています。そして白い砂が大海原を黒い砂が雷雲を表しています。普段は海底で潜んでいる龍が、稲妻光り、雷鳴轟くと黒い雲の間から天に昇っていく龍の姿を石組みで表した庭園です。
北側の垣根は、雷の光を表現した雷紋だそうで、光と音が鳴るという重森三玲の手法のようです。ガイドさんの話しでは、秋になると奥のモミジが真っ赤に染まるみたいです。秋の特別公開には行きたいです。今朝は冷え込んだため、石が湿って、美しさが増していると案内されていましたね。
次に方丈の裏手に行きます。「衣鉢の間」には、高貴の方が座られる座布団があって、「亀山法皇 御薬湯之間」がありました。大明国師(無関普門)が南禅寺のご住職をされていた時、病気になられ、龍吟庵に戻って来られました。その時、亀山法皇が薬を持ってお見舞いに来られたそうです。上皇が僧侶をお見舞いすることは考えられないぐらい珍しいことだそうです。ここが住職の寝室だったことで、高貴な方が座られる座布団をおいて展示されてるそうです。
方丈の北側には、「開山堂」がありました。正面には扁額「霊光」が架かっています。ここで次の案内が始まりました。
龍吟庵が、1960年(昭和35年)に解体修理が行われ、その際に、このお堂の下から、大明国師(無関普門)の石の棺が見つかりました。その棺が見つかったことで、ここにお墓があったことが分かりました。そして1978年(昭和58年)に「開山堂」として建立。扁額の「霊光」は、室町幕府3代将軍足利義満公直筆のものです。ここも公家の称号である准三宮と書いてあります。堂内には「大明国師(無関普門)坐像」(重文)を安置。この像は、1291年(正応4年)頃に造られたものと伝わります。
最後に方丈「東庭」に移動し「不離の庭」の案内を受けました。ただ、この時、10時30分を回っていたので、ここの案内の途中で出て行くことにしました。
京都の鞍馬産の赤石を砕き、一面に赤砂を敷き、その上に石組みが配置されています。大明国師(無関普門)が幼少期に天然痘にかかり、山に捨てられた時のことです。大明国師(無関普門)は、狼に襲撃されそうになりました。その時、大明国師(無関普門)の身を、二頭の犬が守ったという故事にもとづいて作庭されています。
ガイドさんが帰りに杮葺の屋根を見て欲しいと言われたので、撮りました。確かに2015年(平成27年)5月24日に比べたら、随分綺麗になりました。
帰りも多くの方と「」で、擦れ違いました。修復工事が終わり、昨年の秋から拝観を再開されたためでしょう。
次に向かったのが、こちらも特別に公開されている「法堂」です。この涅槃会の期間中には、堂内に巨大な「東福寺大涅槃図」(吉山明兆筆)が公開されているからです。なお、拝観料は無料で入れます。
堂内は、いつからか撮影禁止にされました。2013年(平成25年)3月14日以前は、多くの方が写真を撮られてたように思います。私も撮りました。
後で、説明しますが、こちらのパンフをいただきました。A4サイズを広げたら4倍の大きさの涅槃図を見ることができます。東福寺大涅槃図についても詳しく解説されてるので、大変有難かったです。
京都画壇を代表する堂本印象によって「法堂(本堂)」の天井には「蒼龍図」が描かれました。
1861年(明治14年)12月16日の夜に大火災によって法堂・仏殿・方丈・庫裏が火災で焼失したあと、半世紀たった1934年(昭和9年)に再建されました。その時期に蒼龍図も描かれました。
今回、「大涅槃図」は、修復作業をされたようです。2013年(平成25年)3月14日に見たときより、随分綺麗になってましたね。
涅槃会の時に販売される「花供御(はなくそ)」は、正月にご本尊に供えた鏡餅のお下がりを小さく刻み、焼いてあられにしたもの。『古来よりこの御供を年々受くる人は長病をせざる』と書いてありました。
すっかり忘れてましたが2013年(平成25年)3月14日の時も、いただいてました。ただ、この日は500円でしたね。ただ、あのパンフレットをいただけたので良かったです。
帰ってから、食べました。美味しかったです😊。
9時40分に「法堂(本堂)」を出て、向かいにある、三門を撮りました。こちらも、涅槃会の期間中に特別公開されてますが、拝観料も1000円だし、断念し次へと向かいました。
帰りも「日下門」から出ます。
帰りも、「臥雲橋」から「東福寺通天橋」を撮りました。今日は天気が良いので、太陽が眩しいです。
今朝は最低気温が1.2℃と寒かったです。3月に入って寒い日が続いてますが、東福寺には桜がありません。ここは紅葉の名所です。なお、最高気温は15.4℃まで上がりました。このあと、泉涌寺に向かいます。東福寺から泉涌寺へ近道があるので、次で紹介します。
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