有楽椿が見頃の等持院へ
3月27日(水)は、毎月決まった所用があって、この日は有楽椿を見に等持院に行きました。
先月もそうでしたが、龍安寺・金閣寺行きのバスは凄く混んでます。8割か9割は外国人観光客のようで、飛び交う言葉がわかりません😊。龍安寺前バス停に着くと、直ぐにバスを降りました。バスが長いこと停まっていまたので、降りる人が多かったのでしょう。
9時18分に着きました。いつもは閑散としている駐車場に車が・・・?。
「表門」から入りましたが、何故か何処からか大勢の声が聞こえてきます。
次に拝観受付所がある「庫裏」に入りました。普段は無い下駄箱に靴が・・・?。今日は珍しく拝観者がいるんだなぁ・・・とこの時は思いました。答えは後程分かります😊。
拝観料とお茶席をお願いしました。1000円出したところ、1200円に値上がってました。そう言えば、今年から値上げする旨書いてありましたね、忘れてました😊。
いつものように、先に庭園に降ります。通常の拝観コースを行くと、答えは先に分かったでしょう。
「芙蓉池」越しの茶室「清漣亭」は、いつ見ても綺麗です。今日は天気が良いのでね。
「書院」には誰も居ません。でも、人の声がする・・・?。
先に茶室「清漣亭」まで登ってきました。
茶室前にあった「蹲踞」です。
茶室横にある「司馬温公形手水鉢(しばおんこうがたちょずばち)」です。昔の中国(北宋)の政治家である、司馬温公(しばおんこう)が、子供の時に水甕にはまって溺れかけた友達を石で高価な甕を割って助けた故事にちなんで名付けられました。
茶室「清漣亭」から降りる前に、こちらの灯籠を撮りました。「等持院型石灯籠」といい、竿は四角形、中台は六角形で、火袋に日月文様が穿ってあります。
再び「書院」まで戻りました。ただ、まだ庭園を巡ります。
芙蓉池から心字池に向かう途中にある「足利尊氏公のお墓」に寄りました。室町幕府初代将軍の宝篋印塔がそれです。台座には足利尊氏の命日、延文3年4月30日の文字「延文三年」、左に「四月三十日」が書かれています。
後回しにした「霊宝殿」と「本堂」です。この桜の古木もまもなく咲くでしょう。
ここから「心字池」を巡ります。見たところ花は無さそうですね。
この花の名前、私は知らないですが「馬酔木」かなぁ・・・?
多分、「馬酔木(アセビ)」で間違いないようです。多分ですが😊。
心字池の周りを歩いて行き、そこに突き出た小島に着きました。そには「妙音閣」がありました。
ここで「アオサギ」を見つけました。ずっと動かなかったけど、ズームで写真を撮ってると飛んでしまいました。その飛び出す前の写真です。
1950年(昭和25年)にジェーン台風で倒壊したので、今は礎石のみです。再建はされないみたいですね。
素通りしても良かったけど・・・足利家15代供養塔「十三重塔」。その左横には、赤松柳史の高弟 青山柳為句碑「芙蓉池に風あるやなし 落下舞ふ」がありました。
その横には「臨済宗天龍寺派管長 関牧翁胸像」(左)と「中興天龍牧翁和尚大禅師」(右)があります。あっさり見て次へ。
いよいよ次が有楽椿です。賑やかな声は常にしているので、多分工事でもされてるのかなぁ・・・と。
「有楽椿」綺麗でしたね。花が落ちても綺麗でした。椿の種類では「侘助椿」と呼ばれるのもので、樹齢が400年余りといわれています。豊臣秀頼が等持院を再興した際に寺に植えたものとされ、有楽斎の時代からあるそうです。
「書院」に戻って、お菓子をいただきました。ここのは「京菓子司 笹屋守栄」さんで美味しかったです。
この時、あの賑やかな声の原因が分かりました。BS朝日「あなたの知らない京都旅 ~1200年の物語」のロケで、俳優の中村俊輔さんが来られてて、霊光殿でロケ中だそうです。
現在ロケ中とのことで「霊光殿」には入れません。中を覗くと中村俊輔さん、見えました。
何回も見ているで別に入れなかったも良かったけど、せっかく来たので入りたかったので結構待ちました。
ロケは終わらなかったので、残念ながらここを出て行くことにしました。次に行く予定もあるし、所用先に戻る必要もあるので仕方無いです。
9時58分に出たので、ここに40分も居ました。写真は庫裏の前に咲いて居た「木瓜の花」です。
まもなく、この辺りには桜が咲きます。等持院に桜を見るのに拝観料は必要ありません。
先に中門が見える所に「マキノ省三像」があります。今は面影ありませんが、この等持院には、かつて等持院撮影所がありました。1912年(明治45年)に誕生し、1932年(昭和7年)に閉鎖されましたが、映画の歴史は現在京都にある二つの撮影所に受け継がれています。
こちらが「中門」です。等持院に車で来た場合は、ここから入ります。中村俊輔さんが乗って来たと思われるジャンボタクシーも停まってました。
こちらが等持院の「山門」です。ここが山門ということは、かつて広大な敷地だったでしょう。
今日はバスに乗らずに、ここから嵐電に乗るため駅に向かいます。
先月もそうでしたが、龍安寺・金閣寺行きのバスは凄く混んでます。8割か9割は外国人観光客のようで、飛び交う言葉がわかりません😊。龍安寺前バス停に着くと、直ぐにバスを降りました。バスが長いこと停まっていまたので、降りる人が多かったのでしょう。
9時18分に着きました。いつもは閑散としている駐車場に車が・・・?。
「表門」から入りましたが、何故か何処からか大勢の声が聞こえてきます。
次に拝観受付所がある「庫裏」に入りました。普段は無い下駄箱に靴が・・・?。今日は珍しく拝観者がいるんだなぁ・・・とこの時は思いました。答えは後程分かります😊。
拝観料とお茶席をお願いしました。1000円出したところ、1200円に値上がってました。そう言えば、今年から値上げする旨書いてありましたね、忘れてました😊。
いつものように、先に庭園に降ります。通常の拝観コースを行くと、答えは先に分かったでしょう。
「芙蓉池」越しの茶室「清漣亭」は、いつ見ても綺麗です。今日は天気が良いのでね。
「書院」には誰も居ません。でも、人の声がする・・・?。
先に茶室「清漣亭」まで登ってきました。
茶室前にあった「蹲踞」です。
茶室横にある「司馬温公形手水鉢(しばおんこうがたちょずばち)」です。昔の中国(北宋)の政治家である、司馬温公(しばおんこう)が、子供の時に水甕にはまって溺れかけた友達を石で高価な甕を割って助けた故事にちなんで名付けられました。
茶室「清漣亭」から降りる前に、こちらの灯籠を撮りました。「等持院型石灯籠」といい、竿は四角形、中台は六角形で、火袋に日月文様が穿ってあります。
再び「書院」まで戻りました。ただ、まだ庭園を巡ります。
芙蓉池から心字池に向かう途中にある「足利尊氏公のお墓」に寄りました。室町幕府初代将軍の宝篋印塔がそれです。台座には足利尊氏の命日、延文3年4月30日の文字「延文三年」、左に「四月三十日」が書かれています。
後回しにした「霊宝殿」と「本堂」です。この桜の古木もまもなく咲くでしょう。
ここから「心字池」を巡ります。見たところ花は無さそうですね。
この花の名前、私は知らないですが「馬酔木」かなぁ・・・?
多分、「馬酔木(アセビ)」で間違いないようです。多分ですが😊。
心字池の周りを歩いて行き、そこに突き出た小島に着きました。そには「妙音閣」がありました。
ここで「アオサギ」を見つけました。ずっと動かなかったけど、ズームで写真を撮ってると飛んでしまいました。その飛び出す前の写真です。
1950年(昭和25年)にジェーン台風で倒壊したので、今は礎石のみです。再建はされないみたいですね。
素通りしても良かったけど・・・足利家15代供養塔「十三重塔」。その左横には、赤松柳史の高弟 青山柳為句碑「芙蓉池に風あるやなし 落下舞ふ」がありました。
その横には「臨済宗天龍寺派管長 関牧翁胸像」(左)と「中興天龍牧翁和尚大禅師」(右)があります。あっさり見て次へ。
いよいよ次が有楽椿です。賑やかな声は常にしているので、多分工事でもされてるのかなぁ・・・と。
「有楽椿」綺麗でしたね。花が落ちても綺麗でした。椿の種類では「侘助椿」と呼ばれるのもので、樹齢が400年余りといわれています。豊臣秀頼が等持院を再興した際に寺に植えたものとされ、有楽斎の時代からあるそうです。
「書院」に戻って、お菓子をいただきました。ここのは「京菓子司 笹屋守栄」さんで美味しかったです。
この時、あの賑やかな声の原因が分かりました。BS朝日「あなたの知らない京都旅 ~1200年の物語」のロケで、俳優の中村俊輔さんが来られてて、霊光殿でロケ中だそうです。
現在ロケ中とのことで「霊光殿」には入れません。中を覗くと中村俊輔さん、見えました。
何回も見ているで別に入れなかったも良かったけど、せっかく来たので入りたかったので結構待ちました。
ロケは終わらなかったので、残念ながらここを出て行くことにしました。次に行く予定もあるし、所用先に戻る必要もあるので仕方無いです。
9時58分に出たので、ここに40分も居ました。写真は庫裏の前に咲いて居た「木瓜の花」です。
まもなく、この辺りには桜が咲きます。等持院に桜を見るのに拝観料は必要ありません。
先に中門が見える所に「マキノ省三像」があります。今は面影ありませんが、この等持院には、かつて等持院撮影所がありました。1912年(明治45年)に誕生し、1932年(昭和7年)に閉鎖されましたが、映画の歴史は現在京都にある二つの撮影所に受け継がれています。
こちらが「中門」です。等持院に車で来た場合は、ここから入ります。中村俊輔さんが乗って来たと思われるジャンボタクシーも停まってました。
こちらが等持院の「山門」です。ここが山門ということは、かつて広大な敷地だったでしょう。
今日はバスに乗らずに、ここから嵐電に乗るため駅に向かいます。
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