旧嵯峨御所 大本山 大覚寺 大沢池湖畔に桜咲く
4月7日(日)の京都市は、最高気温が25.7℃を観測するなど、今年初の夏日となりました。広く高気圧に覆われたことで、京都と滋賀の全域で4月下旬から5月下旬並みの陽気となり、各地の桜の名所は、多くの観光客で賑わいました。ただ、その高気圧も足早に去り、4月8日(月)の天気予報は曇りでした。夕方から雨が降り出し、その雨が明日の午前中まで続くと出ていたので、昨日のように絶好の晴れは期待出来ませんが、毎年綺麗な桜を見に行っている大覚寺大沢池に行きました。
昨年は、記録的に早い開花で、2023年(令和5年)3月29日に満開の桜を見に行きました。今年は昨年より11日も遅い花見です。ただ、私はが大覚寺に向かって歩いて行くと雨が降り出しました。小雨ぐらいなら傘はささないつもりでしたが、本降りに・・・😢。
大覚寺は、正式には旧嵯峨御所 大本山大覚寺といい、明治時代初期まで代々、天皇若しくは皇族の方が門跡と呼ばれる住職を務め格式高い寺院で、弘法大師空海を宗祖と仰ぐ真言宗大覚寺派の本山として知らています。大覚寺は、平安時代初期に、第52代天皇の嵯峨天皇が造営した離宮「嵯峨院」から始まっています。嵯峨天皇の菩提を弔うため、第56代天皇の清和天皇の勅命を得て大覚寺という寺号をいただきました。平安のはじめ、嵯峨天皇の離宮として建立されて1200有余年。2026年(令和8年)には、大覚寺の寺号をいただいて1150年となります。
8時58分に「大沢門」前に着きました。晴れて天気が良かったら、5分ぐらい前に来るつもりでしたが、この雨では・・・。
着くと、先頭の方が受付をされてました。少し早く開門されたみたいです。私は3番目でしたが、前の方に「どうぞ」と言われたので、遠慮せずに拝観受付所へ。拝観料は300円は変わりません。
入ると見事な満開の桜を目にしました。ただ雨と風で花吹雪が舞います。
ご覧のように、雨と風で散り始めています。今日の夕方から明日の午前は雨が強まるので花散らしになりそうですね。
ここから見る「大沢池」を見ると、湖畔にソメイヨシノが咲き誇っています。雨降りは余計でしたが・・・。
大覚寺大沢池(国指定名勝)は、嵯峨離宮造営にあたり、中国洞庭湖(どうていこ)を模して造られたされた日本最古の人工の庭池です。平安時代より以前、花見の主役は梅や桃でした。桜が登場するのは嵯峨天皇が神泉苑で行った「花宴の節(かえんのせち)」が最初の「桜の花見」の記録だそうです。その後、貴族の間に急速に広まり、今の日本人の桜好きに繋がったと言われています。
写真では見えませんが、けっこうな花吹雪でした。桜の花片が地面に広がっています。
満開は開花80%と言われてますが、今は100%のように思います。あとは散るだけでしょう。
次に「五社明神」を通過して「天神島」に向かいます。
この桜が散る頃には、大沢池の湖畔は花筏となります。その時でも来ようかなぁ😊。
この先が、放生池越しに「心経宝塔」を撮れます。咲き誇る桜とのビュースポットの一つです。
ここから天神島に渡る朱塗りの橋が見えました。
次に不動明王が祀られている「護摩堂」の前を通ります。時代劇では、よく使われるスポットです。
護摩堂の、その奥には、鎌倉時代中期の作と思われる「石仏群」が。20基を超える如来や菩薩の石仏群。古い者は平安時代後期の作もと伝わります。
ここから天神島に渡ります。雨が本降りのため、スマホが濡れないか心配になりますね。
この島に菅原道真公を祀る「天神社」があるので天神島といいます。天神社は菅原道真公を御祭神として祀られています。
2024年(令和6年)2月6日(火)に、竣工した「名古曽橋」を渡ります。この橋は鎌倉時代の架かっていた橋を再現されました。
雨で濡れているため滑らないように慎重に渡りました。天神島の桜も綺麗でしたね。
次に名勝「名古曽瀧」に向かいます。
名勝「名古曽瀧跡」です。離宮嵯峨院の滝殿庭園内に設けられたもので、今昔物語では百済川成(くだらのかわなり)が作庭したと伝わります。
この名古曽瀧跡から大沢池を巡ります。ここでも花片が散ってます。
ここから嵐山が見えました。嵐山も綺麗に桜が咲いてます。ただ雨で見通しが悪かったのが残念です。そして池に浮かぶ島に注目します。
大沢池には嵯峨天皇が愛した花があって、池に浮かぶ「菊ケ島」に自生していた野菊です。嵯峨天皇は、この野菊(嵯峨菊)を離宮に持ち帰って花瓶にさして愛でたと言われています。これが「いけばな嵯峨御流」の始まりになりました。
雨が強くなって、この辺りの花片が一面に落ちています。これが大沢池に落ちると綺麗な花筏になるわけです。
少し花筏になってきています。予報では今夜から明日の未明が大雨と出ているので、一気に散るかも・・・。
桜の花にも水滴が付いてます。花片の真ん中が赤くなるとピークを過ぎ落ちるそうと、予報士さんが言ってましたが・・・。
大沢池を巡って、ここから池から離れます。この辺りから少し雨が弱まってきたように・・・。
9時20分に再び「大沢門」前に戻って来ました。これから行きにスルーした心経宝塔エリアに向かいます。
この頃から雨が上がって、ようやく傘無しで歩けるようになりました。写真を撮る時も両手を使えるようになりました😊。
この時間になると「五大堂」に人が見えるようになりました。外国人観光客の姿もありましたね。
勅使門前に、枝垂れ桜がありますが、ここのは遅咲きです。まだ3分咲き程度のように私は思えました。
このあと「五社明神」を通って、心経宝塔エリアに向かいます。
心経宝塔エリアに入りました。ここにも桜咲いています。
「閼伽堂(あかどう)」と桜をセットで撮ってみました。
次は「聖天堂」と桜のセットです。偶然、風で舞う花びらが写ってました。
そこから見た「心経宝塔」と桜のセットです。
境内の西の端にある非公開の「大日堂」と桜のセットです。
心経宝塔エリアを出て、大沢門に戻ります。帰りは再び「護摩堂」に出て戻りました。
雨が上がったので、借景の嵐山に咲く桜が見えました。
9時35分に「大沢門」から出て行きました。このような満開で、あまり入って来られ無いのは、雨降りだったからかも知れません。今年も綺麗な桜を見られました。
こちらがお堂エリア拝観の入口です。ただ、せっかく上がった雨が、また降り出しました。
帰ってから傘を見ると桜の花片が一杯付いてました。綺麗な花片てしたね。この日は、一日ほぼ雨降りでしたが、最高気温は20.0℃まで上がりました。暑かったです。最低気温も16.3℃だったので、気温下がらなくなりました。
昨年は、記録的に早い開花で、2023年(令和5年)3月29日に満開の桜を見に行きました。今年は昨年より11日も遅い花見です。ただ、私はが大覚寺に向かって歩いて行くと雨が降り出しました。小雨ぐらいなら傘はささないつもりでしたが、本降りに・・・😢。
大覚寺は、正式には旧嵯峨御所 大本山大覚寺といい、明治時代初期まで代々、天皇若しくは皇族の方が門跡と呼ばれる住職を務め格式高い寺院で、弘法大師空海を宗祖と仰ぐ真言宗大覚寺派の本山として知らています。大覚寺は、平安時代初期に、第52代天皇の嵯峨天皇が造営した離宮「嵯峨院」から始まっています。嵯峨天皇の菩提を弔うため、第56代天皇の清和天皇の勅命を得て大覚寺という寺号をいただきました。平安のはじめ、嵯峨天皇の離宮として建立されて1200有余年。2026年(令和8年)には、大覚寺の寺号をいただいて1150年となります。
8時58分に「大沢門」前に着きました。晴れて天気が良かったら、5分ぐらい前に来るつもりでしたが、この雨では・・・。
着くと、先頭の方が受付をされてました。少し早く開門されたみたいです。私は3番目でしたが、前の方に「どうぞ」と言われたので、遠慮せずに拝観受付所へ。拝観料は300円は変わりません。
入ると見事な満開の桜を目にしました。ただ雨と風で花吹雪が舞います。
ご覧のように、雨と風で散り始めています。今日の夕方から明日の午前は雨が強まるので花散らしになりそうですね。
ここから見る「大沢池」を見ると、湖畔にソメイヨシノが咲き誇っています。雨降りは余計でしたが・・・。
大覚寺大沢池(国指定名勝)は、嵯峨離宮造営にあたり、中国洞庭湖(どうていこ)を模して造られたされた日本最古の人工の庭池です。平安時代より以前、花見の主役は梅や桃でした。桜が登場するのは嵯峨天皇が神泉苑で行った「花宴の節(かえんのせち)」が最初の「桜の花見」の記録だそうです。その後、貴族の間に急速に広まり、今の日本人の桜好きに繋がったと言われています。
写真では見えませんが、けっこうな花吹雪でした。桜の花片が地面に広がっています。
満開は開花80%と言われてますが、今は100%のように思います。あとは散るだけでしょう。
次に「五社明神」を通過して「天神島」に向かいます。
この桜が散る頃には、大沢池の湖畔は花筏となります。その時でも来ようかなぁ😊。
この先が、放生池越しに「心経宝塔」を撮れます。咲き誇る桜とのビュースポットの一つです。
ここから天神島に渡る朱塗りの橋が見えました。
次に不動明王が祀られている「護摩堂」の前を通ります。時代劇では、よく使われるスポットです。
護摩堂の、その奥には、鎌倉時代中期の作と思われる「石仏群」が。20基を超える如来や菩薩の石仏群。古い者は平安時代後期の作もと伝わります。
ここから天神島に渡ります。雨が本降りのため、スマホが濡れないか心配になりますね。
この島に菅原道真公を祀る「天神社」があるので天神島といいます。天神社は菅原道真公を御祭神として祀られています。
2024年(令和6年)2月6日(火)に、竣工した「名古曽橋」を渡ります。この橋は鎌倉時代の架かっていた橋を再現されました。
雨で濡れているため滑らないように慎重に渡りました。天神島の桜も綺麗でしたね。
次に名勝「名古曽瀧」に向かいます。
名勝「名古曽瀧跡」です。離宮嵯峨院の滝殿庭園内に設けられたもので、今昔物語では百済川成(くだらのかわなり)が作庭したと伝わります。
この名古曽瀧跡から大沢池を巡ります。ここでも花片が散ってます。
ここから嵐山が見えました。嵐山も綺麗に桜が咲いてます。ただ雨で見通しが悪かったのが残念です。そして池に浮かぶ島に注目します。
大沢池には嵯峨天皇が愛した花があって、池に浮かぶ「菊ケ島」に自生していた野菊です。嵯峨天皇は、この野菊(嵯峨菊)を離宮に持ち帰って花瓶にさして愛でたと言われています。これが「いけばな嵯峨御流」の始まりになりました。
雨が強くなって、この辺りの花片が一面に落ちています。これが大沢池に落ちると綺麗な花筏になるわけです。
少し花筏になってきています。予報では今夜から明日の未明が大雨と出ているので、一気に散るかも・・・。
桜の花にも水滴が付いてます。花片の真ん中が赤くなるとピークを過ぎ落ちるそうと、予報士さんが言ってましたが・・・。
大沢池を巡って、ここから池から離れます。この辺りから少し雨が弱まってきたように・・・。
9時20分に再び「大沢門」前に戻って来ました。これから行きにスルーした心経宝塔エリアに向かいます。
この頃から雨が上がって、ようやく傘無しで歩けるようになりました。写真を撮る時も両手を使えるようになりました😊。
この時間になると「五大堂」に人が見えるようになりました。外国人観光客の姿もありましたね。
勅使門前に、枝垂れ桜がありますが、ここのは遅咲きです。まだ3分咲き程度のように私は思えました。
このあと「五社明神」を通って、心経宝塔エリアに向かいます。
心経宝塔エリアに入りました。ここにも桜咲いています。
「閼伽堂(あかどう)」と桜をセットで撮ってみました。
次は「聖天堂」と桜のセットです。偶然、風で舞う花びらが写ってました。
そこから見た「心経宝塔」と桜のセットです。
境内の西の端にある非公開の「大日堂」と桜のセットです。
心経宝塔エリアを出て、大沢門に戻ります。帰りは再び「護摩堂」に出て戻りました。
雨が上がったので、借景の嵐山に咲く桜が見えました。
9時35分に「大沢門」から出て行きました。このような満開で、あまり入って来られ無いのは、雨降りだったからかも知れません。今年も綺麗な桜を見られました。
こちらがお堂エリア拝観の入口です。ただ、せっかく上がった雨が、また降り出しました。
帰ってから傘を見ると桜の花片が一杯付いてました。綺麗な花片てしたね。この日は、一日ほぼ雨降りでしたが、最高気温は20.0℃まで上がりました。暑かったです。最低気温も16.3℃だったので、気温下がらなくなりました。
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