散り始めた桜 富岡鉄斎が宮司を務めた車折神社へ
4月9日(火)は、桜の宮と称される車折神社に遅咲きの桜を見に来ました。昨日は雨の中、大覚寺大沢池の桜を見に行きましたが、雨は一日中降り、この日の朝まで続きました。冷え込みは緩く最低気温は12.7℃でした。
車折神社には三条通りの表参道から入りました。
「第三鳥居」前の桜は、まだ見頃が続いてました。
三条通りから表参道を進むと「中門」があって、手前には八重桜が見頃を迎えてました。八重桜は遅咲きです。
日本画家富田渓仙が奉納した「渓仙桜」は早咲きのため、すっかり葉桜になってます。
この渓仙桜の前に後嵯峨天皇の乗った牛車が当たったと伝わる「車折石」があります。これを縁に天皇から「車折大明神」の神号と正一位の位を贈られました。
「本殿」前の桜は散り始めてました。昨日の雨で散り初めてましたね。
本殿前の「拝殿」の天井には花の絵が描かれています。車折神社で四季に咲く花が描かれているそうです。
いつも私は、本殿前の参拝のあと、裏側(北側)にある「八百萬神社」にもお参りします。
車折神社では、先ず「清めの社」で参拝します。ここで、悪い運気を浄化し心身を清めてから本殿に向かうわけです。
裏参道に咲いていた桜です。 こでは長い間、桜が楽しめます。
先程見て来た「中門」前の八重桜です。遠目から見たら、今が満開です。
「芸能神社」に行くと、昨日の雨で散った花びらが積もってました。
「第三鳥居」前の桜を撮って、この日は出て行きました。
そして4月12日(金)も車折神社を訪れました。この日は、この車折神社で宮司を務めた富岡鉄斎ゆかりを探しにきました。この日は朝から晴れてて、放射冷却が効いて最低気温が11.2℃と冷え込みました。ただ最高気温は、グングン上がって24.1℃と夏日一歩手前まで上がりました。先ずは富岡鉄斎について・・・。
富岡鉄斎は画家として有名ですが、本人は生涯学者として生きてて、神官としては石上神宮(奈良県)や大鳥神社(大阪府)などで神職をつとめた。1888年(明治21年)から5年と7ケ月に車折神社の神職を務め、例祭時には祝詞をあげたりお祀りをしに来られてました。京都で生まれた富岡鉄斎は、若くして学問を志し、儒学、国学、神学などを学ぶとともに、漫画や大和絵に打ち込みました。30歳台には奈良や大阪で神職をつとめ、50歳を過ぎた、1888年(明治21年)から車折神社の宮司になりました。日本画家富田渓仙は、富岡鉄斎に強い影響を受け傾倒し、鉄斎ゆかりの車折神社に枝垂れ桜を奉納したわけです。
三条通りから入った表参道の入口に、花の色が白ぽっい桜が見頃となってました。4日前の4月9日(火)には何も咲いて無かったので驚きです。
富岡鉄斎が使った筆が2000本ほど埋められている「富岡鉄斎筆塚」です。
「中門」前の八重桜が満開となりました。見事に咲いてます。
北鳥居横の社号の文字が富岡鉄斎の文字です。今日は、これを見に来ました。
北鳥居から裏参道を歩くと、ここにも桜が咲いていました。
次に「清めの社」前に咲いていた桜を撮りました。
正面から見られない本殿前に架かる扁額の文字も富岡鉄斎の筆によるものです。
車折神社には、富岡鉄斎の作品を100点ほど所蔵しているが非公開です。一般の方が見られるのは、北鳥居横の社号の文字が鉄斎のもの。本殿に架かった扁額の文字が鉄斎もの。鉄斎が使った筆が1000本ほど埋められている「富岡鉄斎筆塚」が、鉄斎ゆかりの建造物になります。
この日は、これで帰りました。今年も長く車折神社の桜を楽しまさせて貰いました。
今年、2024年(令和6年)は、富岡鉄斎が亡くなってから100年になり、京都国立近代美術館では「没後100年 富岡鉄斎」展覧会が、4月2日(火)~5月26日(日)に開催されます。車折神社からも多くの所蔵作品が出展されています。通常非公開の作品を鑑賞できる、またとない機会と言えます。
渓仙桜は、明治から昭和にかけて活躍した日本画家富田渓仙が奉納したもの。明治時代を代表する日本画の巨匠富岡鉄斎は、富田渓仙が心の師と仰いだ文人画家だったようです。5月まで開催されている展覧会には機会があれば行ってみようと思っています。
4月14日(日)にも来て見ました。ツツジも咲き始めていたなか、境内の裏参道で見つけた桜です。
遠目から見たら緑ぽい色をした桜です。品種は分かりません。「御衣黄」か「鬱金桜」かなぁ・・・?。
車折神社には三条通りの表参道から入りました。
「第三鳥居」前の桜は、まだ見頃が続いてました。
三条通りから表参道を進むと「中門」があって、手前には八重桜が見頃を迎えてました。八重桜は遅咲きです。
日本画家富田渓仙が奉納した「渓仙桜」は早咲きのため、すっかり葉桜になってます。
この渓仙桜の前に後嵯峨天皇の乗った牛車が当たったと伝わる「車折石」があります。これを縁に天皇から「車折大明神」の神号と正一位の位を贈られました。
「本殿」前の桜は散り始めてました。昨日の雨で散り初めてましたね。
本殿前の「拝殿」の天井には花の絵が描かれています。車折神社で四季に咲く花が描かれているそうです。
いつも私は、本殿前の参拝のあと、裏側(北側)にある「八百萬神社」にもお参りします。
車折神社では、先ず「清めの社」で参拝します。ここで、悪い運気を浄化し心身を清めてから本殿に向かうわけです。
裏参道に咲いていた桜です。 こでは長い間、桜が楽しめます。
先程見て来た「中門」前の八重桜です。遠目から見たら、今が満開です。
「芸能神社」に行くと、昨日の雨で散った花びらが積もってました。
「第三鳥居」前の桜を撮って、この日は出て行きました。
そして4月12日(金)も車折神社を訪れました。この日は、この車折神社で宮司を務めた富岡鉄斎ゆかりを探しにきました。この日は朝から晴れてて、放射冷却が効いて最低気温が11.2℃と冷え込みました。ただ最高気温は、グングン上がって24.1℃と夏日一歩手前まで上がりました。先ずは富岡鉄斎について・・・。
富岡鉄斎は画家として有名ですが、本人は生涯学者として生きてて、神官としては石上神宮(奈良県)や大鳥神社(大阪府)などで神職をつとめた。1888年(明治21年)から5年と7ケ月に車折神社の神職を務め、例祭時には祝詞をあげたりお祀りをしに来られてました。京都で生まれた富岡鉄斎は、若くして学問を志し、儒学、国学、神学などを学ぶとともに、漫画や大和絵に打ち込みました。30歳台には奈良や大阪で神職をつとめ、50歳を過ぎた、1888年(明治21年)から車折神社の宮司になりました。日本画家富田渓仙は、富岡鉄斎に強い影響を受け傾倒し、鉄斎ゆかりの車折神社に枝垂れ桜を奉納したわけです。
三条通りから入った表参道の入口に、花の色が白ぽっい桜が見頃となってました。4日前の4月9日(火)には何も咲いて無かったので驚きです。
富岡鉄斎が使った筆が2000本ほど埋められている「富岡鉄斎筆塚」です。
「中門」前の八重桜が満開となりました。見事に咲いてます。
北鳥居横の社号の文字が富岡鉄斎の文字です。今日は、これを見に来ました。
北鳥居から裏参道を歩くと、ここにも桜が咲いていました。
次に「清めの社」前に咲いていた桜を撮りました。
正面から見られない本殿前に架かる扁額の文字も富岡鉄斎の筆によるものです。
車折神社には、富岡鉄斎の作品を100点ほど所蔵しているが非公開です。一般の方が見られるのは、北鳥居横の社号の文字が鉄斎のもの。本殿に架かった扁額の文字が鉄斎もの。鉄斎が使った筆が1000本ほど埋められている「富岡鉄斎筆塚」が、鉄斎ゆかりの建造物になります。
この日は、これで帰りました。今年も長く車折神社の桜を楽しまさせて貰いました。
今年、2024年(令和6年)は、富岡鉄斎が亡くなってから100年になり、京都国立近代美術館では「没後100年 富岡鉄斎」展覧会が、4月2日(火)~5月26日(日)に開催されます。車折神社からも多くの所蔵作品が出展されています。通常非公開の作品を鑑賞できる、またとない機会と言えます。
渓仙桜は、明治から昭和にかけて活躍した日本画家富田渓仙が奉納したもの。明治時代を代表する日本画の巨匠富岡鉄斎は、富田渓仙が心の師と仰いだ文人画家だったようです。5月まで開催されている展覧会には機会があれば行ってみようと思っています。
4月14日(日)にも来て見ました。ツツジも咲き始めていたなか、境内の裏参道で見つけた桜です。
遠目から見たら緑ぽい色をした桜です。品種は分かりません。「御衣黄」か「鬱金桜」かなぁ・・・?。
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