「源氏物語と嵯峨野古典文学めぐり」展を見に大覚寺霊宝館へ
4月11日(木)は、昨日快晴の天気をもたらした高気圧が東に去り、朝から薄曇りの天気となりました。時々晴れ間は差しますが、基本は薄い雲に覆われる空模様となり、前日まで遠方に行くつもりが、気が変わって近場を散策することにし、旧嵯峨御所 大本山 大覚寺に行き、見頃となった勅使門前の紅枝垂れ桜と霊宝館の寺宝を見てこようと思い行ってきました。
この日も前日と同様に冷え込みました。平年より2℃ほど低い最低気温は10.0℃でした。ただ家を出て、歩き始めると少し汗ばむような、そんな天候でした。
4月8日(月)には大沢池の桜を見にきましたが、ここは通ってません。今日はお堂エリアに入るため、ここを歩きました。
8時56分に着きました。ここから大沢門を見ると5~6名並ばれてました。4月8日(月)は雨降りだったこともあって、並ばずに済みましたが・・・。
入ると左手に桜が綺麗に咲いていますが、ここは帰りに寄ります。先ずは先を急ぎます。
大覚寺お堂エリアの拝観には、「玄関門」をくぐります。
私の前に、お一人が入って行かれたので、先に「大玄関」前の生け花を撮りました。
まだ9時になってなかったと思いますが、拝観開始されてました。既に数名が入られているようです。ここの拝観料500円、霊宝館300円、800円を納めお堂を巡ります。
式台玄関には輿が展示されています。今まで何気なく通過していた、この部屋は「大玄関 松の間」と言い、障壁画は狩野永徳で複製です。多分😊。
順路に従って、最初に重要文化財に指定されている「宸殿」に入ります。
宸殿(重文)は、江戸時代初めて、第108代天皇の後水尾天皇から下賜された建物で、徳川幕府2代将軍徳川秀忠の娘で後水尾天皇の皇后となり御所に入った東福門院(徳川和子)が女御御殿として使っていた建物です。正面中央の最も広い部屋は「牡丹の間」と呼ばれ、狩野山楽筆による牡丹「牡丹図」の襖絵に彩られています。
こちらが「牡丹の間」です。宸殿でもっとも広い33畳敷きの部屋ですが、この日は障子が取り払われていました。
明日12日(金)~14日(日)まで、いけばな嵯峨御流最大の祭典「嵯峨天皇奉献 華道祭」が行われるので、その準備をされました。
「松の間」です。襖10面、腰障子6面、壁貼付絵2面、伝狩野永徳筆。ここも襖を取り払われてて、明日からのイベント準備されてました。
写真を撮っていると「今準備中で、夕方には出来上がるですけど」でした。今日の夕方もそうですが、明日以降も来る予定はありません😊。
宸殿の全面には御所の名残「右近の橘」「左近の梅」があります。現在の京都御所には「左近の桜」が植えられていますが、元々は梅でした。
この宸殿前から勅使門前の紅枝垂れ桜が見えました。満開と出てましたが、その通りですね、次は正面から見てみます。
正面が「五大堂」で、その奥が大沢池になります。まだまだ大沢池の桜が綺麗に咲いているのが見えます。
宸殿の裏手に出ました。手前から「鶴の間」(狩野山楽筆)、次が「紅梅の間」で、襖絵13面に、紅梅図(重要文化財)が描かれています。ここにも生け花の展示があったので見ていきます。
こちらは、ほぼ準備が終わっているようで、一つ一つ写真に納めました。私は「生け花」のことは分かりません😊。
宸殿から、次に回廊を通って「心経前殿(御影堂)」です。大覚寺では、この回廊に特徴があります。
境内の主なお堂は、天皇など高貴な方々が雨に濡れないように移動できるよう、回廊で結ばれています。宸殿から続く、この廊下は、直角に曲がっている様子を稲妻に、縦の柱を雨に例えて「村雨の廊下」と呼ばれています。この村雨の廊下も歩けば鳴る鶯張りです。そして鶯張りの廊下と低い天井となってるのは、侵入者が刀や槍を振り上げられないような、当時の防犯対策が施されています。
村雨の廊下の先にあるのが「心経前殿(御影堂)」です。堂内には、「嵯峨天皇像」「弘法大師空海像」が安置し祀られています。
何故、このお二人の像があるのか?、ここ大覚寺で嵯峨天皇と弘法大師空海が出会われたから、その縁でお二人をお祀りしています。「心経前殿(御影堂)」内陣の中央には仏像が無く、ガラス越しに向こうに見えているのが、「心経殿」というお堂です。大覚寺の僧侶は、その心経殿に向かって、毎朝のお勤めをされています。
こちらは後程見ることになる「心経殿」です。このお堂に向かって、毎朝のお勤めをされていわけです。
心経殿の中に嵯峨天皇が書かれた、「嵯峨天皇 宸翰 勅封般若心経」が納められています。このお堂は、天皇の許可が無いとお堂を開けらません。818年(弘仁9年)の大飢饉の際に、疫病を鎮めるため、弘法大師空海の勧めで、嵯峨天皇自ら般若心経を書き写したものです。このお堂が開封されるのは60年に一度。前回は2018年(平成30年)の「勅封般若心経戊戌開封法会」で堂内に入りました。
「心経前殿(御影堂)」の正面に「勅使門」があります。向かって左に遅咲きの「紅枝垂れ桜(八重)」があって、ちょうど満開でした。
次に向かう「御霊殿(安井堂)」を正面から撮りました。
内陣中央に後水尾天皇が祀られています。また、天井には立派な「龍図」がありました。
「御霊殿(安井堂)」から見た「心経前殿(御影堂)」です。
五大堂から見た「宸殿」です。
その五大堂から見た、勅使門前の紅枝垂れ桜です。見たところ、今がピークでしょう。
今日は、明日から始まる「いけばな嵯峨御流最大の祭典 嵯峨天皇奉献 華道祭」の準備のため、普段閉まっている門が開いてます。
五大堂に隣接する「観月台」に出ました。ここから大沢池の畔に咲く、桜を見ることができます。
雨降りでしたが、4月8日(月)がピークだったように思います。まだ見られますが、花吹雪が半端じゃないです。
このあと「五大堂」の堂内に入ってお参りしました。
内陣には五大明王が本尊として祀られています。五大明王とは不動明王・降三世明王・軍荼利明王・大威徳明王・金剛夜叉明王のことです。五大堂は江戸中期の創建で、大覚寺の本堂にあたります。大沢池の畔に位置し、正面中央は板唐戸、両脇各2間は蔀戸となっています。大沢池に面する東面は観月台があり大沢池の眺望は素晴らしいです。
五大堂のあと、「霊宝館」に向かいました。大覚寺に伝わる「源氏物語」の古写本が初公開と聞き見に来た訳です。
紙本墨書「源氏物語」「大鏡」「増鏡」「水鏡」「伊勢物語」など、空いていたので、ゆっくりじっくり観賞させて貰いました。
霊宝殿を出て、「勅封心経殿」を通って、「村雨の廊下」から「宸殿」まで戻りました。向こうに見えているのが、現在は非公開となった「正寝殿」です。
9時40分に、玄関からお堂エリアを出て行きました。
玄関から出て、外に展示してある「生け花」を撮りました。ここは常時展示されています。
「玄関門」から出ると、外の桜も綺麗です。風が強いので花吹雪が舞ってます。
この正面に「華供養塔」があります。行きにスルーしたエリアでした。
そこには「華供養塔」「嵯峨天皇詠碑」や「未生斉広甫詠碑」も建っています。この辺りの桜が綺麗でしたが散り始めています。
写真では分かりづらいかも知れませんが花吹雪が舞ってます。
ここから出て行くときにも花吹雪が舞いました。写真にも写ってるんですけど。
これだけ花吹雪が舞うと、週末は厳しいかも知れません。予報では週末の土曜・日曜日には、真夏日の一歩手前まで気温が上がりそうなことを言ってるので😊。
最後に、こんなパンフを持って帰りました。東京国立博物館で2005年1月21日~3月16日まで「大覚寺展」が開催されるようです。
この日も前日と同様に冷え込みました。平年より2℃ほど低い最低気温は10.0℃でした。ただ家を出て、歩き始めると少し汗ばむような、そんな天候でした。
4月8日(月)には大沢池の桜を見にきましたが、ここは通ってません。今日はお堂エリアに入るため、ここを歩きました。
8時56分に着きました。ここから大沢門を見ると5~6名並ばれてました。4月8日(月)は雨降りだったこともあって、並ばずに済みましたが・・・。
入ると左手に桜が綺麗に咲いていますが、ここは帰りに寄ります。先ずは先を急ぎます。
大覚寺お堂エリアの拝観には、「玄関門」をくぐります。
私の前に、お一人が入って行かれたので、先に「大玄関」前の生け花を撮りました。
まだ9時になってなかったと思いますが、拝観開始されてました。既に数名が入られているようです。ここの拝観料500円、霊宝館300円、800円を納めお堂を巡ります。
式台玄関には輿が展示されています。今まで何気なく通過していた、この部屋は「大玄関 松の間」と言い、障壁画は狩野永徳で複製です。多分😊。
順路に従って、最初に重要文化財に指定されている「宸殿」に入ります。
宸殿(重文)は、江戸時代初めて、第108代天皇の後水尾天皇から下賜された建物で、徳川幕府2代将軍徳川秀忠の娘で後水尾天皇の皇后となり御所に入った東福門院(徳川和子)が女御御殿として使っていた建物です。正面中央の最も広い部屋は「牡丹の間」と呼ばれ、狩野山楽筆による牡丹「牡丹図」の襖絵に彩られています。
こちらが「牡丹の間」です。宸殿でもっとも広い33畳敷きの部屋ですが、この日は障子が取り払われていました。
明日12日(金)~14日(日)まで、いけばな嵯峨御流最大の祭典「嵯峨天皇奉献 華道祭」が行われるので、その準備をされました。
「松の間」です。襖10面、腰障子6面、壁貼付絵2面、伝狩野永徳筆。ここも襖を取り払われてて、明日からのイベント準備されてました。
写真を撮っていると「今準備中で、夕方には出来上がるですけど」でした。今日の夕方もそうですが、明日以降も来る予定はありません😊。
宸殿の全面には御所の名残「右近の橘」「左近の梅」があります。現在の京都御所には「左近の桜」が植えられていますが、元々は梅でした。
この宸殿前から勅使門前の紅枝垂れ桜が見えました。満開と出てましたが、その通りですね、次は正面から見てみます。
正面が「五大堂」で、その奥が大沢池になります。まだまだ大沢池の桜が綺麗に咲いているのが見えます。
宸殿の裏手に出ました。手前から「鶴の間」(狩野山楽筆)、次が「紅梅の間」で、襖絵13面に、紅梅図(重要文化財)が描かれています。ここにも生け花の展示があったので見ていきます。
こちらは、ほぼ準備が終わっているようで、一つ一つ写真に納めました。私は「生け花」のことは分かりません😊。
宸殿から、次に回廊を通って「心経前殿(御影堂)」です。大覚寺では、この回廊に特徴があります。
境内の主なお堂は、天皇など高貴な方々が雨に濡れないように移動できるよう、回廊で結ばれています。宸殿から続く、この廊下は、直角に曲がっている様子を稲妻に、縦の柱を雨に例えて「村雨の廊下」と呼ばれています。この村雨の廊下も歩けば鳴る鶯張りです。そして鶯張りの廊下と低い天井となってるのは、侵入者が刀や槍を振り上げられないような、当時の防犯対策が施されています。
村雨の廊下の先にあるのが「心経前殿(御影堂)」です。堂内には、「嵯峨天皇像」「弘法大師空海像」が安置し祀られています。
何故、このお二人の像があるのか?、ここ大覚寺で嵯峨天皇と弘法大師空海が出会われたから、その縁でお二人をお祀りしています。「心経前殿(御影堂)」内陣の中央には仏像が無く、ガラス越しに向こうに見えているのが、「心経殿」というお堂です。大覚寺の僧侶は、その心経殿に向かって、毎朝のお勤めをされています。
こちらは後程見ることになる「心経殿」です。このお堂に向かって、毎朝のお勤めをされていわけです。
心経殿の中に嵯峨天皇が書かれた、「嵯峨天皇 宸翰 勅封般若心経」が納められています。このお堂は、天皇の許可が無いとお堂を開けらません。818年(弘仁9年)の大飢饉の際に、疫病を鎮めるため、弘法大師空海の勧めで、嵯峨天皇自ら般若心経を書き写したものです。このお堂が開封されるのは60年に一度。前回は2018年(平成30年)の「勅封般若心経戊戌開封法会」で堂内に入りました。
「心経前殿(御影堂)」の正面に「勅使門」があります。向かって左に遅咲きの「紅枝垂れ桜(八重)」があって、ちょうど満開でした。
次に向かう「御霊殿(安井堂)」を正面から撮りました。
内陣中央に後水尾天皇が祀られています。また、天井には立派な「龍図」がありました。
「御霊殿(安井堂)」から見た「心経前殿(御影堂)」です。
五大堂から見た「宸殿」です。
その五大堂から見た、勅使門前の紅枝垂れ桜です。見たところ、今がピークでしょう。
今日は、明日から始まる「いけばな嵯峨御流最大の祭典 嵯峨天皇奉献 華道祭」の準備のため、普段閉まっている門が開いてます。
五大堂に隣接する「観月台」に出ました。ここから大沢池の畔に咲く、桜を見ることができます。
雨降りでしたが、4月8日(月)がピークだったように思います。まだ見られますが、花吹雪が半端じゃないです。
このあと「五大堂」の堂内に入ってお参りしました。
内陣には五大明王が本尊として祀られています。五大明王とは不動明王・降三世明王・軍荼利明王・大威徳明王・金剛夜叉明王のことです。五大堂は江戸中期の創建で、大覚寺の本堂にあたります。大沢池の畔に位置し、正面中央は板唐戸、両脇各2間は蔀戸となっています。大沢池に面する東面は観月台があり大沢池の眺望は素晴らしいです。
五大堂のあと、「霊宝館」に向かいました。大覚寺に伝わる「源氏物語」の古写本が初公開と聞き見に来た訳です。
紙本墨書「源氏物語」「大鏡」「増鏡」「水鏡」「伊勢物語」など、空いていたので、ゆっくりじっくり観賞させて貰いました。
霊宝殿を出て、「勅封心経殿」を通って、「村雨の廊下」から「宸殿」まで戻りました。向こうに見えているのが、現在は非公開となった「正寝殿」です。
9時40分に、玄関からお堂エリアを出て行きました。
玄関から出て、外に展示してある「生け花」を撮りました。ここは常時展示されています。
「玄関門」から出ると、外の桜も綺麗です。風が強いので花吹雪が舞ってます。
この正面に「華供養塔」があります。行きにスルーしたエリアでした。
そこには「華供養塔」「嵯峨天皇詠碑」や「未生斉広甫詠碑」も建っています。この辺りの桜が綺麗でしたが散り始めています。
写真では分かりづらいかも知れませんが花吹雪が舞ってます。
ここから出て行くときにも花吹雪が舞いました。写真にも写ってるんですけど。
これだけ花吹雪が舞うと、週末は厳しいかも知れません。予報では週末の土曜・日曜日には、真夏日の一歩手前まで気温が上がりそうなことを言ってるので😊。
最後に、こんなパンフを持って帰りました。東京国立博物館で2005年1月21日~3月16日まで「大覚寺展」が開催されるようです。
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