仙洞御所改め京都仙洞御所の参観へ
京都御苑を散策し、京都仙洞御所の「北門」から9時10分過ぎに入りました。その前に、以前は仙洞御所と呼ばれいましたが、最近は京都仙洞御所と呼ばれるようになりました。その訳は以下の通りです。
京都仙洞御所は、上皇上皇后両陛下が東京都港区元赤坂の赤坂御用地内の仙洞御所に住まわれることになったため、2019年(令和元年)5月1日から、仙洞御所から京都仙洞御所に改称されました。
「北門」を入るとツツジが綺麗に咲いてたので撮りました。
9時30分の参観開始まで、「参観者休所」において、ビデオを観賞しました。長らく来て無かったので、これを見て思い出したことが多々ありました。
京都仙洞御所には、見事な紅葉を見た2014年(平成26年)11月25日と2020年(令和2年)5月29日に最近では来ています。今日は4年振りの参観となりました。9時30分にガイドさんが来られ「参観者休所」を出ます。そして案内された所が「京都大宮御所車寄」前で、全員でガイドさんの話しを聞きます。
京都大宮御所の玄関で、現在も天皇皇后両陛下や上皇上皇后陛下が入洛されてるときに使用されます。
京都大宮御所は、1867年(慶応3年)に、英照皇太后(第121代天皇の孝明天皇の女御)のため女院御所として造営されたものです。
この先にある松林、今は建物は残ってませんが、ここに「仙洞御所」がありました。
京都大宮御所に隣接する仙洞御所は、1630年(寛永7年)に第108代天皇の後水尾天皇が上皇になられたときの御所で、ここに御殿が建てられていました。1854年(嘉永7年)の火災による焼失後、再建はされていません。
京都大宮御所車寄と対面に建つのが、京都仙洞御所の「正門」です。皇族の方は、ここから車で入ってこられ、車寄から大宮御所に入られます。
余談ですが、今日のガイドさんは話しが、長いなぁ・・・と。何回か来ているので、聞く話しも同じなんですが、今日は余裕を持って60分ぐらいで、ここを出て行くつもりにしていたので予定が変わるのも・・・😢。
次の案内は、「御常御殿」の前で聞きます。大正年間に内部を洋風に改められ、周りにはガラス戸がはめられています。
御常御殿の「南庭」には、紅梅・白梅・竹林・松が植えられており「松竹梅の庭」とも伝わります。
次に京都大宮御所御常御殿からその東側にある築地塀の「御庭口(潜り門)」を通って、「北池(きたいけ)」に出ます。
目の前が開けて視界いっぱいに広がる「北池」に出ました。この時、9時37分になってました。
現在は「北池」と「南池」は、繋がってますが、造営当時は元々別の庭の池でした。それが1747年(延享4年)に繋がることになりました。「北池」は造営当時は、「女院御所」の庭でした。
北池の南側に「紅葉山」が広がります。ここも立ち止まってガイドさんの案内がありました。
次に苑路を進み「六枚橋」を渡りました。六枚橋の左手に「阿古瀬淵(あこせがふち)」があります。
六枚橋が架かる古びた入江は阿古瀬淵と呼ばれています。造営当初以前からあったとされる古い池で、平安時代の歌人紀貫之の邸宅があったされ、邸宅跡を示す石碑もあるそうです。
「阿古瀬淵(あこせがふち)」から見た「北池」です。池の中島にはツツジが咲いています。
、左手の土堤上に鳥居が見えました。そこはには「鎮守社」があって、伊勢神宮、上賀茂神社、下鴨神社、石清水八幡、春日神社の神様が祀られています。自由に出歩けない皇族方のためだそうです。
緩やかな汀線に沿って苑路を東へと進みます。向かいには「紅葉山」が見えました。
ガイドさんのあと苑路を進むと次に中島に架かる「土橋」を渡りますが、以前はここでガイドがありましたが今日は、素通りでした。
「土橋」は、長さ5㍍、「束橋(つかばし)」や「鷺橋」とも呼ばれています。
ツツジの花さく「中島」は自然の石を組み合わせた護岸が特色です。今日の、この回の参観では、海外からの団体さんも多く来られてましたね。日本語分かるのかなぁ?。
この中島は別名「鷺島」とも呼ばれています。
次に中島に架かる、もう一つ橋「石橋(白川橋)」を渡ります。その先の樹木の茂みが「鷺の森」です。
次にガイドさんが立ち止まったのは、この辺りにある「雌滝(めたき)」の案内でした。ただ、ここからは滝の姿は見えません。
前途した「鷺の森」を抜け、再び西岸に架かる1914年(大正3年)に架けられた「紅葉橋」を渡ります。この橋は北池と南池の境目にある木橋で、向かって右側が紅葉山と呼ばれています。紅葉橋は、北池と南池をつなぐ掘割に架かる土橋ですね。
この日、参観を申し込んだのは「南池」に架かる「八つ橋」にある藤棚が目的でした。ようやく藤棚見えて来ましたが、藤の花はイマイチのようです。
苑路から中島を繋ぐ「八つ橋」まで来ました。事前にガイドさんから、今年の藤の花はイマイチと聞いてましたが・・・?。
藤の花の見頃の期間が短いのは知ってましたが、ガイドさんの花では、老木のため年によって当たり外れがあるそうで、今年は外れのようですね。藤特有の甘い香りもしませんでした。
対岸に見える、落差2㍍の「雄滝(おたき)」です。一枚岩の青い滝添石を用い、水が一気に布状に落ちる「布落ちの滝」です。
対岸の南池に突き出た「出島」。その石組みは、切石と自然石を組み合わせた独特の手法で造られました。
ここから非公開の出島と苑路を繋ぐ「土佐橋」が見えました。
北池と南池を繋いだため、新たに造られた「紅葉橋」です。先程、ここを渡ってきました。
「八つ橋」を渡った先は、「中島(蓬莱島)」で、ここには、かつて釣殿や滝殿の建物がありました。ここでは譲位された後水尾天皇が宴を催したと伝わります。
この時期に咲いているので「花菖蒲」かなぁ・・・?。
この中島にある大きな「寒水石灯籠(雪見灯籠)」は、寒水石(茨城県産の大理石)で造られ、水戸家から献上されました。
次にガイドさんのあとに「反橋」を渡ります。
京都仙洞御所の南端にある「醒花亭(せいかてい)」に着きました。この時、10時14分でした。ここで、最初に見たビデオで紹介されたのを確認します。
「醒花亭(せいかてい)」は、杮葺の数寄屋造り。茶の間の付け書院、上部に稲妻形のデザインされた障子を填め込んだ「違い棚」など斬新な意匠を目にします。
「醒花亭」の醒花は、李白の詩から採られたもので、入側の東、鴨居の上に拓本の額として掲げられています。
「醒花亭(せいかてい)」は、庭園の最も南に位置し北面している茶亭で、南池を一望できる格好な場所にあります。正面の玄関に庇を設け、向かって左の東側には四畳半の書院、手前に五畳の縁側をとり、書院と縁側の境に建具を入れないところが特徴でそうです。
歴代の上皇は、ここに客人を招き風流な宴を催したのでしょう。ガイドさんの話しでもありますが、こちらは「織部灯籠」です。
南池の南岸から桜の馬場沿いの広大な州浜に敷き詰められた丸石。小田原藩主が領民に集めさせた石のひとつを米1升と交換したことから、「一升石」と呼ばれています。
今日のガイドさんは、スルーされましたが、この先に、少し小高い所があります。「さざえ山」と呼ばれており古墳跡だそうです。
10時25分に、ガイドさんが停まられたのが「柿本社」です。歌人で知られる柿本人麻呂が祀られている社で、第112代天皇の零元上皇が、度重なる京都御所・仙洞御所の火災から御所を守る守り神として勧請したものです。
南池の西岸をガイドさんに付いて歩いて行きます。もう1時間近くなるので、少々疲れてきました😊。
ここからは北池のエリアに入ります。右手には「紅葉山」を見て行きました。
苑路を進むと左手に、1884年(明治17年)に近衛家から献上された茶室「又新亭(ゆうしんてい)」があって案内が始まりました。
茶室に入る前の「外腰掛(そとこしかけ)」があって、飛び石づたいに茅葺きの「中門」があります。
中門から茶室まで綺麗な露地庭園となっています。
大きな円窓から室内に明かりを取り入れる手法は、江戸時代後期に見られる意匠だそうです。
もとは修学院離宮上御茶屋より移築した茶屋「止々斎(ししさい)」がありましたが、火災により焼失。英照皇太后(孝明天皇皇后)のたっての希望で移設されたのが、茶室「又新亭(ゆうしんてい)」でした。茅葺きと杮葺の屋根と大きな円窓を備えた茶室で、中門から内露地と外露地に隔てられ、四つ目垣で囲まれています。
この茶室「又新亭(ゆうしんてい)」の前には舟着場がありました。
10時36分に、「御庭口(潜り門)」を通って出て行きました。
ここで終了かと思いきや、またここで案内が始まりました。向こうの瓦屋根の建物が、台所だそうです。今は使われてないそうですが。
まだ話しは続いてましたが、10時40分頃、私は失礼させて貰いました。
2020年(令和2年)5月29日の参観のとき、終わったのが10時25分でした。それで、妻と待ち合わせしていたのが11時だったので、40分頃に出ないと間に合わないので出て行った次第です。ただ、今日は充分楽しまさせて貰いました。
ここから京都御苑を横切って、「間之町口」から出て行き、地下鉄烏丸線丸太町駅から目的の四条烏丸に行きました。11時は少し回りましたが、予定通りそこで合って11時30分頃のバスに乗って帰路につきました。
京都仙洞御所は、上皇上皇后両陛下が東京都港区元赤坂の赤坂御用地内の仙洞御所に住まわれることになったため、2019年(令和元年)5月1日から、仙洞御所から京都仙洞御所に改称されました。
「北門」を入るとツツジが綺麗に咲いてたので撮りました。
9時30分の参観開始まで、「参観者休所」において、ビデオを観賞しました。長らく来て無かったので、これを見て思い出したことが多々ありました。
京都仙洞御所には、見事な紅葉を見た2014年(平成26年)11月25日と2020年(令和2年)5月29日に最近では来ています。今日は4年振りの参観となりました。9時30分にガイドさんが来られ「参観者休所」を出ます。そして案内された所が「京都大宮御所車寄」前で、全員でガイドさんの話しを聞きます。
京都大宮御所の玄関で、現在も天皇皇后両陛下や上皇上皇后陛下が入洛されてるときに使用されます。
京都大宮御所は、1867年(慶応3年)に、英照皇太后(第121代天皇の孝明天皇の女御)のため女院御所として造営されたものです。
この先にある松林、今は建物は残ってませんが、ここに「仙洞御所」がありました。
京都大宮御所に隣接する仙洞御所は、1630年(寛永7年)に第108代天皇の後水尾天皇が上皇になられたときの御所で、ここに御殿が建てられていました。1854年(嘉永7年)の火災による焼失後、再建はされていません。
京都大宮御所車寄と対面に建つのが、京都仙洞御所の「正門」です。皇族の方は、ここから車で入ってこられ、車寄から大宮御所に入られます。
余談ですが、今日のガイドさんは話しが、長いなぁ・・・と。何回か来ているので、聞く話しも同じなんですが、今日は余裕を持って60分ぐらいで、ここを出て行くつもりにしていたので予定が変わるのも・・・😢。
次の案内は、「御常御殿」の前で聞きます。大正年間に内部を洋風に改められ、周りにはガラス戸がはめられています。
御常御殿の「南庭」には、紅梅・白梅・竹林・松が植えられており「松竹梅の庭」とも伝わります。
次に京都大宮御所御常御殿からその東側にある築地塀の「御庭口(潜り門)」を通って、「北池(きたいけ)」に出ます。
目の前が開けて視界いっぱいに広がる「北池」に出ました。この時、9時37分になってました。
現在は「北池」と「南池」は、繋がってますが、造営当時は元々別の庭の池でした。それが1747年(延享4年)に繋がることになりました。「北池」は造営当時は、「女院御所」の庭でした。
北池の南側に「紅葉山」が広がります。ここも立ち止まってガイドさんの案内がありました。
次に苑路を進み「六枚橋」を渡りました。六枚橋の左手に「阿古瀬淵(あこせがふち)」があります。
六枚橋が架かる古びた入江は阿古瀬淵と呼ばれています。造営当初以前からあったとされる古い池で、平安時代の歌人紀貫之の邸宅があったされ、邸宅跡を示す石碑もあるそうです。
「阿古瀬淵(あこせがふち)」から見た「北池」です。池の中島にはツツジが咲いています。
、左手の土堤上に鳥居が見えました。そこはには「鎮守社」があって、伊勢神宮、上賀茂神社、下鴨神社、石清水八幡、春日神社の神様が祀られています。自由に出歩けない皇族方のためだそうです。
緩やかな汀線に沿って苑路を東へと進みます。向かいには「紅葉山」が見えました。
ガイドさんのあと苑路を進むと次に中島に架かる「土橋」を渡りますが、以前はここでガイドがありましたが今日は、素通りでした。
「土橋」は、長さ5㍍、「束橋(つかばし)」や「鷺橋」とも呼ばれています。
ツツジの花さく「中島」は自然の石を組み合わせた護岸が特色です。今日の、この回の参観では、海外からの団体さんも多く来られてましたね。日本語分かるのかなぁ?。
この中島は別名「鷺島」とも呼ばれています。
次に中島に架かる、もう一つ橋「石橋(白川橋)」を渡ります。その先の樹木の茂みが「鷺の森」です。
次にガイドさんが立ち止まったのは、この辺りにある「雌滝(めたき)」の案内でした。ただ、ここからは滝の姿は見えません。
前途した「鷺の森」を抜け、再び西岸に架かる1914年(大正3年)に架けられた「紅葉橋」を渡ります。この橋は北池と南池の境目にある木橋で、向かって右側が紅葉山と呼ばれています。紅葉橋は、北池と南池をつなぐ掘割に架かる土橋ですね。
この日、参観を申し込んだのは「南池」に架かる「八つ橋」にある藤棚が目的でした。ようやく藤棚見えて来ましたが、藤の花はイマイチのようです。
苑路から中島を繋ぐ「八つ橋」まで来ました。事前にガイドさんから、今年の藤の花はイマイチと聞いてましたが・・・?。
藤の花の見頃の期間が短いのは知ってましたが、ガイドさんの花では、老木のため年によって当たり外れがあるそうで、今年は外れのようですね。藤特有の甘い香りもしませんでした。
対岸に見える、落差2㍍の「雄滝(おたき)」です。一枚岩の青い滝添石を用い、水が一気に布状に落ちる「布落ちの滝」です。
対岸の南池に突き出た「出島」。その石組みは、切石と自然石を組み合わせた独特の手法で造られました。
ここから非公開の出島と苑路を繋ぐ「土佐橋」が見えました。
北池と南池を繋いだため、新たに造られた「紅葉橋」です。先程、ここを渡ってきました。
「八つ橋」を渡った先は、「中島(蓬莱島)」で、ここには、かつて釣殿や滝殿の建物がありました。ここでは譲位された後水尾天皇が宴を催したと伝わります。
この時期に咲いているので「花菖蒲」かなぁ・・・?。
この中島にある大きな「寒水石灯籠(雪見灯籠)」は、寒水石(茨城県産の大理石)で造られ、水戸家から献上されました。
次にガイドさんのあとに「反橋」を渡ります。
京都仙洞御所の南端にある「醒花亭(せいかてい)」に着きました。この時、10時14分でした。ここで、最初に見たビデオで紹介されたのを確認します。
「醒花亭(せいかてい)」は、杮葺の数寄屋造り。茶の間の付け書院、上部に稲妻形のデザインされた障子を填め込んだ「違い棚」など斬新な意匠を目にします。
「醒花亭」の醒花は、李白の詩から採られたもので、入側の東、鴨居の上に拓本の額として掲げられています。
「醒花亭(せいかてい)」は、庭園の最も南に位置し北面している茶亭で、南池を一望できる格好な場所にあります。正面の玄関に庇を設け、向かって左の東側には四畳半の書院、手前に五畳の縁側をとり、書院と縁側の境に建具を入れないところが特徴でそうです。
歴代の上皇は、ここに客人を招き風流な宴を催したのでしょう。ガイドさんの話しでもありますが、こちらは「織部灯籠」です。
南池の南岸から桜の馬場沿いの広大な州浜に敷き詰められた丸石。小田原藩主が領民に集めさせた石のひとつを米1升と交換したことから、「一升石」と呼ばれています。
今日のガイドさんは、スルーされましたが、この先に、少し小高い所があります。「さざえ山」と呼ばれており古墳跡だそうです。
10時25分に、ガイドさんが停まられたのが「柿本社」です。歌人で知られる柿本人麻呂が祀られている社で、第112代天皇の零元上皇が、度重なる京都御所・仙洞御所の火災から御所を守る守り神として勧請したものです。
南池の西岸をガイドさんに付いて歩いて行きます。もう1時間近くなるので、少々疲れてきました😊。
ここからは北池のエリアに入ります。右手には「紅葉山」を見て行きました。
苑路を進むと左手に、1884年(明治17年)に近衛家から献上された茶室「又新亭(ゆうしんてい)」があって案内が始まりました。
茶室に入る前の「外腰掛(そとこしかけ)」があって、飛び石づたいに茅葺きの「中門」があります。
中門から茶室まで綺麗な露地庭園となっています。
大きな円窓から室内に明かりを取り入れる手法は、江戸時代後期に見られる意匠だそうです。
もとは修学院離宮上御茶屋より移築した茶屋「止々斎(ししさい)」がありましたが、火災により焼失。英照皇太后(孝明天皇皇后)のたっての希望で移設されたのが、茶室「又新亭(ゆうしんてい)」でした。茅葺きと杮葺の屋根と大きな円窓を備えた茶室で、中門から内露地と外露地に隔てられ、四つ目垣で囲まれています。
この茶室「又新亭(ゆうしんてい)」の前には舟着場がありました。
10時36分に、「御庭口(潜り門)」を通って出て行きました。
ここで終了かと思いきや、またここで案内が始まりました。向こうの瓦屋根の建物が、台所だそうです。今は使われてないそうですが。
まだ話しは続いてましたが、10時40分頃、私は失礼させて貰いました。
2020年(令和2年)5月29日の参観のとき、終わったのが10時25分でした。それで、妻と待ち合わせしていたのが11時だったので、40分頃に出ないと間に合わないので出て行った次第です。ただ、今日は充分楽しまさせて貰いました。
ここから京都御苑を横切って、「間之町口」から出て行き、地下鉄烏丸線丸太町駅から目的の四条烏丸に行きました。11時は少し回りましたが、予定通りそこで合って11時30分頃のバスに乗って帰路につきました。
この記事へのコメント
ただ、こちらの方が圧倒的に歴史がありますよね。
その歴史の面影と、上品さと広大さを兼ね備えた素敵なところだと思います。
以前から憧れていますが、いまだに足を踏み入れたことがありません。
なかなか敷居が高いイメージがありますが、こちらでたっぷり見せて頂き嬉しいです。
京都仙洞御所の庭の美しさ、特に紅葉時は絶景ですが、なかなか抽選に当たりません。
この日の狙いは、藤の花でした。ただ、今年は外れの年だったようで、せっかく当たったのに残念でした。( ^_^)
桂離宮も、久しく行ってないので、行きたいけど、こちらも抽選当たりません。
宮内庁が整備されている庭園は、どこも綺麗ですね。