令和6年度「春期京都非公開文化財特別公開」鹿王院へ
令和6年度「春期京都非公開文化財特別公開」鹿王院は、7年振りに寺宝の公開でした。私は7年前の2017年(平成29年)5月5日(金・祝)に「平成29年度 春季京都非公開文化財特別公開」にも行って寺宝と、今回と同様に非公開の茶室を見せて貰いました。
以前の公開期間は、大型連休中でしたが、コロナ禍で公開期間が長くなり、今年になって元に戻されましたが、以前に比べて少しは長くされています。今回は4月27日(土)~5月12日(日)でしたので、所用でそちらに行く用事があったので、当初から5月7日(火)に行くつもりでした。ただ天気が・・・大型連中は、ほぼ快晴の天気が続きましたが、最終日の夜から雨が降り出し、7日(火)の9時頃まで雨が降り続きました。私の用事が10時頃に終わったので、そこから鹿王院に向かったわけです。
10時12分に「山門」前に着きました。ここで注目は『覚雄山』の三字です。扁額は開基足利義満(室町幕府3代将軍)の自筆です。
入ると、右手に「拝観受付所」があるので、拝観料1000円と「拝観の手引き」を300円でいただきました。ここでは、受付から案内まで学生さんがされてました。
山門から中門にかけての参道は「青モミジ」が綺麗です。9時頃まで雨が降っていたので、参道の石畳が滑るので注意して歩きました。
雨に濡れた新緑を、これも濡れた石畳を進みます。写真のように途中、左手に鎮守社があって、その先に竹林が近年公開されました。
私は、2023年(令和5年)11月29日に行った「夜間特別拝観」で、初めて竹林の存在を知りました。ただ、こちらは帰りに寄ることにします😊。
石畳の先には「中門」があります。それをくぐると・・・?。
正面に拝観入口にあたる「庫裏」があります。閑散期は、ここで拝観の受付をされます。
この辺りも新緑が綺麗でした。ただ、こちらも帰りに寄ります。2023年(令和5年)11月24日に来た時、紅葉は凄く綺麗でした。
ここには下駄箱もありますが、靴袋もあったので、空いているようでしたか、私は靴袋に入れました。この先、団体さんが来られるかも知れないので😊。
入ると「式台玄関」を覗くと、額縁のように「青モミジ」が綺麗でした。雨上がりの新緑綺麗です。
そして、いよいよ「客殿」に入ります。
「客殿」に入りました。いつもは閉まってますが今日は内部に入れます。先ずは「客殿前庭」を撮りました。
客殿前庭は、江戸時代中期に舎利殿の移築とともに作庭されました。嵐山を借景に、室町期の三尊石を中心に二十数個の石組みを残す。樹齢400年の木斛(もっこく)、一面に敷き詰められた杉苔が美しい。
客殿内には、2023年(令和5年)11月29日に行った「夜間特別拝観」に入っています。こちらに重要文化財に指定されている「釈迦三尊・三十祖像」が展示されていました。
「絹本著色釈迦三尊」并(ならびに)「三十祖像」(重文)は、七幅で一対となり、中央に蓮華を持った釈迦を中心にして左右に礼拝する天王と迦葉(かしょう)尊者を配した拈華微笑の場面を描いたものです。作者は吉山明兆で室町時代の作でした。
方丈に架かる扁額の文字は、室町幕府3代将軍足利義満公(准三宮 )によるもの。「准三宮」の文字も読み取れました。
今回の特別公開で感じたことは、学生さんのガイドが物足り無いということです。とくに鹿王院の歴史についての話しも無かったし、この扁額についての説明もありませんでした。准三宮のことは、東福寺 龍吟庵 特別公開でのガイドさんの話しで知ったことです。
客殿を出てくると、次に通常非公開の茶室「芥室(かいしつ)」にいくよう案内されたので向かいます。
2017年(平成29年)5月5日(金・祝)「平成29年度 春季京都非公開文化財特別公開」でも見てますが、この時同様に内部は撮影禁止でした。今回は、ここで特別公開の「勝軍地蔵」が見られました。
渡り廊下の正面が四畳半、右が六畳の茶室でした。ここではガイドさんが案内してくれました。
この茶室は、映画俳優の大河内傳次郎が1934年(昭和9年)に鹿王院に寄進されたもの。芥室の名は、開山の普明国師の別号が芥室であったことに由来する。勝軍地蔵は、地蔵菩薩の一つ。これに念ずれば、戦に勝ち、宿業・飢饉などに免れると言われ鎌倉時代以降、武家に信仰されました。甲冑を付け、武器を持ち、馬に乗った姿。明智光秀が「本能寺の変」の直前に愛宕山山頂の愛宕神社に参拝し、勝軍地蔵へ必勝祈願したことでも知られています。
茶室を出て、渡り廊下を戻る時に「蹲踞」があるのが分かりました。
次に常時拝観している「昭堂(本堂)」に行きます。堂内は撮影禁止ですが、ずっと以前は写真を撮れました。私も写真多く残ってますが、載せません。
堂内中央には本尊の釈迦如来坐像と運慶作と伝わる十大弟子像が、十大弟子像は前列右から舎利弗(しゃりほつ)、須菩提(すぼたい)、優波離(うばり)、阿難(あなん)、目連(もくれん)、迦旃延(せんえんか)。後列右より羅睺羅(らごら)、阿那律(あなりつ)、富楼那(ふるな)、迦葉(かしょう)が安置されています。後方の左には開基の室町幕府3代将軍「足利義満公衣冠束帯姿像」が、中央には「弥勒菩薩坐像」(中)、「賢渓玄倫和尚像」(右)、「虎岑玄竹(こしんげんちく)和尚像」、右に「開山普明国師像」を安置。その真下には宝篋塔があるそうです。また、入口には、かつて鹿王院が広大だった頃の境内図が架かってました。
ここも学生さんが居ましたが見てるだけでした。2023年(令和5年)11月29日に行った「夜間特別拝観」ではガイドさんが丁寧に案内されてました。
次に「舎利殿」に入りました。ここも堂内は撮影禁止でした。ただ2023年(令和5年)11月24日では写真は撮れました。
舎利殿とは、釈迦の遺骨(舎利)を安置するお堂のことです。江戸時代初期の建物で、単層宝形造り。外見は裳階(もこし)があるので二層のように見えますが、造りは単層です。堂内内陣中央には「仏牙舎利」が安置されています。鎌倉幕府3代将軍源実朝が宋の都、臨安の能仁寺から請うじた貴重な舎利といえます。この「仏牙舎利」が宋から博多に到着したのが10月15日であったことから、年に一回10月15日に開扉されています。
こちらにも学生さんが居ましたが見てるだけでした。案内はありません。前途しましたが、2023年(令和5年)11月29日に行った「夜間特別拝観」ではガイドさんが丁寧に案内されてましたね。昨年聞いているので私は案内は不要でしたが、初めて来た人は残念でしょう。この特別期間中は、「仏牙舎利」が開扉されてて、見ることがでました。
舎利殿を出たあと、周りを巡ります。こちは借景の嵐山の方向ですが、雨上がり曇ってます。
舎利殿を回りました。ここは通常拝観しているので、いつでも見られます。
「昭堂(本堂)」の全景を撮るのは、ここ舎利殿からしか撮れません。それで帰りに撮ったわけです。
10時47分に玄関から出て行きました。天気は悪かったけど、ボツボツ入って来られますね。
次に「中門」から出て行きました。
帰りに寄るつもりでいた「竹林」に行きます。竹林の入口は、鹿王院の鎮守社があるところから入ります。
「竹林」は一周できます。ただ、このルートが荒れていたので、ここから引き返すことにしました。
そんなに広くない「竹林」は直ぐに出て来ました。ただ何処にも案内が出てないので、殆どの人は通り過ぎるでしょう。
10時55分に「山門」から出て行きました。
この日は雨が上がり、最高気温は24.4℃まで上がったので、この時間でも汗はかきました。鹿王院を出て、所用を済ませ帰りました。
以前の公開期間は、大型連休中でしたが、コロナ禍で公開期間が長くなり、今年になって元に戻されましたが、以前に比べて少しは長くされています。今回は4月27日(土)~5月12日(日)でしたので、所用でそちらに行く用事があったので、当初から5月7日(火)に行くつもりでした。ただ天気が・・・大型連中は、ほぼ快晴の天気が続きましたが、最終日の夜から雨が降り出し、7日(火)の9時頃まで雨が降り続きました。私の用事が10時頃に終わったので、そこから鹿王院に向かったわけです。
10時12分に「山門」前に着きました。ここで注目は『覚雄山』の三字です。扁額は開基足利義満(室町幕府3代将軍)の自筆です。
入ると、右手に「拝観受付所」があるので、拝観料1000円と「拝観の手引き」を300円でいただきました。ここでは、受付から案内まで学生さんがされてました。
山門から中門にかけての参道は「青モミジ」が綺麗です。9時頃まで雨が降っていたので、参道の石畳が滑るので注意して歩きました。
雨に濡れた新緑を、これも濡れた石畳を進みます。写真のように途中、左手に鎮守社があって、その先に竹林が近年公開されました。
私は、2023年(令和5年)11月29日に行った「夜間特別拝観」で、初めて竹林の存在を知りました。ただ、こちらは帰りに寄ることにします😊。
石畳の先には「中門」があります。それをくぐると・・・?。
正面に拝観入口にあたる「庫裏」があります。閑散期は、ここで拝観の受付をされます。
この辺りも新緑が綺麗でした。ただ、こちらも帰りに寄ります。2023年(令和5年)11月24日に来た時、紅葉は凄く綺麗でした。
ここには下駄箱もありますが、靴袋もあったので、空いているようでしたか、私は靴袋に入れました。この先、団体さんが来られるかも知れないので😊。
入ると「式台玄関」を覗くと、額縁のように「青モミジ」が綺麗でした。雨上がりの新緑綺麗です。
そして、いよいよ「客殿」に入ります。
「客殿」に入りました。いつもは閉まってますが今日は内部に入れます。先ずは「客殿前庭」を撮りました。
客殿前庭は、江戸時代中期に舎利殿の移築とともに作庭されました。嵐山を借景に、室町期の三尊石を中心に二十数個の石組みを残す。樹齢400年の木斛(もっこく)、一面に敷き詰められた杉苔が美しい。
客殿内には、2023年(令和5年)11月29日に行った「夜間特別拝観」に入っています。こちらに重要文化財に指定されている「釈迦三尊・三十祖像」が展示されていました。
「絹本著色釈迦三尊」并(ならびに)「三十祖像」(重文)は、七幅で一対となり、中央に蓮華を持った釈迦を中心にして左右に礼拝する天王と迦葉(かしょう)尊者を配した拈華微笑の場面を描いたものです。作者は吉山明兆で室町時代の作でした。
方丈に架かる扁額の文字は、室町幕府3代将軍足利義満公(准三宮 )によるもの。「准三宮」の文字も読み取れました。
今回の特別公開で感じたことは、学生さんのガイドが物足り無いということです。とくに鹿王院の歴史についての話しも無かったし、この扁額についての説明もありませんでした。准三宮のことは、東福寺 龍吟庵 特別公開でのガイドさんの話しで知ったことです。
客殿を出てくると、次に通常非公開の茶室「芥室(かいしつ)」にいくよう案内されたので向かいます。
2017年(平成29年)5月5日(金・祝)「平成29年度 春季京都非公開文化財特別公開」でも見てますが、この時同様に内部は撮影禁止でした。今回は、ここで特別公開の「勝軍地蔵」が見られました。
渡り廊下の正面が四畳半、右が六畳の茶室でした。ここではガイドさんが案内してくれました。
この茶室は、映画俳優の大河内傳次郎が1934年(昭和9年)に鹿王院に寄進されたもの。芥室の名は、開山の普明国師の別号が芥室であったことに由来する。勝軍地蔵は、地蔵菩薩の一つ。これに念ずれば、戦に勝ち、宿業・飢饉などに免れると言われ鎌倉時代以降、武家に信仰されました。甲冑を付け、武器を持ち、馬に乗った姿。明智光秀が「本能寺の変」の直前に愛宕山山頂の愛宕神社に参拝し、勝軍地蔵へ必勝祈願したことでも知られています。
茶室を出て、渡り廊下を戻る時に「蹲踞」があるのが分かりました。
次に常時拝観している「昭堂(本堂)」に行きます。堂内は撮影禁止ですが、ずっと以前は写真を撮れました。私も写真多く残ってますが、載せません。
堂内中央には本尊の釈迦如来坐像と運慶作と伝わる十大弟子像が、十大弟子像は前列右から舎利弗(しゃりほつ)、須菩提(すぼたい)、優波離(うばり)、阿難(あなん)、目連(もくれん)、迦旃延(せんえんか)。後列右より羅睺羅(らごら)、阿那律(あなりつ)、富楼那(ふるな)、迦葉(かしょう)が安置されています。後方の左には開基の室町幕府3代将軍「足利義満公衣冠束帯姿像」が、中央には「弥勒菩薩坐像」(中)、「賢渓玄倫和尚像」(右)、「虎岑玄竹(こしんげんちく)和尚像」、右に「開山普明国師像」を安置。その真下には宝篋塔があるそうです。また、入口には、かつて鹿王院が広大だった頃の境内図が架かってました。
ここも学生さんが居ましたが見てるだけでした。2023年(令和5年)11月29日に行った「夜間特別拝観」ではガイドさんが丁寧に案内されてました。
次に「舎利殿」に入りました。ここも堂内は撮影禁止でした。ただ2023年(令和5年)11月24日では写真は撮れました。
舎利殿とは、釈迦の遺骨(舎利)を安置するお堂のことです。江戸時代初期の建物で、単層宝形造り。外見は裳階(もこし)があるので二層のように見えますが、造りは単層です。堂内内陣中央には「仏牙舎利」が安置されています。鎌倉幕府3代将軍源実朝が宋の都、臨安の能仁寺から請うじた貴重な舎利といえます。この「仏牙舎利」が宋から博多に到着したのが10月15日であったことから、年に一回10月15日に開扉されています。
こちらにも学生さんが居ましたが見てるだけでした。案内はありません。前途しましたが、2023年(令和5年)11月29日に行った「夜間特別拝観」ではガイドさんが丁寧に案内されてましたね。昨年聞いているので私は案内は不要でしたが、初めて来た人は残念でしょう。この特別期間中は、「仏牙舎利」が開扉されてて、見ることがでました。
舎利殿を出たあと、周りを巡ります。こちは借景の嵐山の方向ですが、雨上がり曇ってます。
舎利殿を回りました。ここは通常拝観しているので、いつでも見られます。
「昭堂(本堂)」の全景を撮るのは、ここ舎利殿からしか撮れません。それで帰りに撮ったわけです。
10時47分に玄関から出て行きました。天気は悪かったけど、ボツボツ入って来られますね。
次に「中門」から出て行きました。
帰りに寄るつもりでいた「竹林」に行きます。竹林の入口は、鹿王院の鎮守社があるところから入ります。
「竹林」は一周できます。ただ、このルートが荒れていたので、ここから引き返すことにしました。
そんなに広くない「竹林」は直ぐに出て来ました。ただ何処にも案内が出てないので、殆どの人は通り過ぎるでしょう。
10時55分に「山門」から出て行きました。
この日は雨が上がり、最高気温は24.4℃まで上がったので、この時間でも汗はかきました。鹿王院を出て、所用を済ませ帰りました。
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