北野天満宮「青もみじ」史跡御土居公開へ
「公益財団法人 京都市文化観光資源保護財団」の会員限定のイベントである「北野天満宮 宝物殿ともみじ苑ご招待」で、招待券をいただいてました。使える期間は、5月1日(水)~5月31日(金)でしたので、5月15日(水)に行って来ました。
北野天満宮 史跡御土居 青もみじ苑の公開時期は、4月6日(土)~6月30日(日)で、拝観料は500円です。お勧めは4月中頃に山吹が咲く頃でしょう、昨年の2023年(令和5年)4月17日に山吹を見に行きました。今回いただいた招待券は、5月1日(水)ということで、山吹は見られません。期限も5月31日(金)まででしたので、この新緑が美しい時期に来て見た訳です😊。

嵐電嵐山駅から北野天満宮に向かいます。8時過ぎにの電車内ですが、この時は空いてました。そして嵐山駅に着く電車を見ると、結構多くの観光客が降りて来られてました。
コロナ禍以前では、嵐山駅に着く電車には、一人か二人か誰も乗って無かったです。それが今は多くの観光客が降りて来られます。それもほぼ外国人観光客です。ここから殆どの外国人観光客は、竹林の小経に向かわれるわけです。電車は定刻通りに発車し、帷子ノ辻駅で北野線に乗り換えします。帷子ノ辻駅に8時12分に着くと、次に8時18分発の電車に乗ります。発車の2分前に着くので、ホームは当然混んでますし、乗るとたちまち一杯になります。それも嵯峨野高校の学生さんが「常磐駅」で、立命館大学生が「等持院•立命館大学衣笠キャンパス前駅」で降りられるので、終点の北野白梅町駅に着く頃にはガラガラになりました。

嵐電北野白梅町駅に8時29分に着くと、ゆっくりゆっくり歩いて今出川沿いの表参道の南端に立っている「大鳥居」前に8時40分に着きました。
北野天満宮には昔から伝わる{「七つの不思議な史蹟」があり、こちらは「影向松(ようこうのまつ)」と言います。
立冬から節分の間で初雪が降ると天神様が、この松に降りられ雪見の歌詠まれるという伝説があり、この松を影向松と呼ぶようになりました。この松は明治期まで第59代天皇の宇多天皇(うだてんのう)と御祭神との御縁により、仁和寺の寄進によって、代々植え替えられたと伝わるもです。

影向松を見た後、「二の鳥居」「三の鳥居」とくぐります。参道の右手には駐車場があって、この時間でも多くの観光バスが止まっていました。
この時、8時42分でしたが、修学旅行生が多く来てます。それにしてもこんなに多いとは・・・。


「楼門」までやって来ました。学生さん、観光バス以外に、ジャンボタクシーでも来られてます。数十台止まってました。


楼門を入って右手には「手水舎」があって、北野天満宮では評判の「花手水」です。今回も綺麗です。


次に「三光門」をくぐります。もちろん参拝するためですが・・・?。
「本殿」前に行こうとしたら、修学旅行生が多いので、ここは帰りに寄ることにし、境内を散策します。
本殿から「裏の社」に向かいました。ふつうの神社は正面から拝むように造られていますが、ここは、本殿は背面にも「御后三柱(こうのみはしら)」があるからです。
御祭神は、「天穂日命(あめのほひのみこと・道真の祖先神)」「菅原清公卿(すがわらのきよきみきょう・道真の祖父)」「菅原是善卿(すがわらのこれよしきょう・道真の父)」の三柱が祀られています。
その昔、正面で天神様をお参りして、そして天神様を守っている御后三柱をお参りするのか常でした。私は本殿での参拝を後回しにしたので、順序は逆ですが😊。その裏の社の斜向かいにあるのが、筋違いの本殿と呼ばれる、北野天満宮の第一の摂社「地主神社」です。
楼門をくぐった正面の先にあり、道真公を祀る本殿より、やや東に位置しています。まだ時間が早いので、こちらにも参拝は済ませました。
御祭神は、天神地祇(てんしんちぎ)。相殿に敦実親王(あつみしんのう・宇多天皇の第八皇子)、斎世親王(ときよしんのう・宇多天皇の第三皇子)、源英明朝臣(みなもとひであらあそん・斉世親王と菅原道真の娘の子)が祀られています。


北野天満宮の「東門」まで来ました。その東北角にあるのが、末社の「文子天満宮(あやこてんまんぐう)」です。御祭神は菅原道真公です。
北野天満宮の創祀者で、道真公の乳母をつとめていた多治比文子(たじひのうやこ)が菅公を最初におまつりしたお社。かつては西の京にありましたが1872年(明治6年)にこの地に遷宮されました。
まだ少々時間が早かったけど、特別公開の入口に向かいます。その前に「稲荷神社」に寄りました。御祭神は「倉稲魂神(うかのみたまのかみ)」のようです。
8時56分に「史跡御土居 青もみじ苑」入口に着きました。もう何処にも行くところが無いので、ここで9時まで待つことにしました。
9時になったので受付されました。そこで京都市文化観光資源保護財団からいただいた招待券を見せ入りました。私の他、あと1名後ろに並ばれていましたね。

入ると、真っ先に「鶯橋」に向かいました。この「もみじ苑」では、唯一の撮影スポットですね。





鶯橋の名の由来は、季節になると、この辺りにで鶯が囀ることからに由来します。
1933年(昭和8年)4月に現在の位置より少し上流に架けられていましたが、1935年(昭和10年)の豪雨で流失、その親柱のみが現在の場所辺りに流され着いたそうです。2007年(平成19年)11月に史跡御土居の紅葉苑開苑に際し、木製太鼓橋として再建されました。






神谷川沿いの散策路をゆっくり歩いて行きます。新緑の青モミジ綺麗です。ここは学生さんは入って来ないので静かに散策できました。
神谷川の上流を見ています。秋の紅葉も綺麗ですが、青モミジも綺麗です。
今度は、神谷川の上流に向かって歩いて行きます。先程の鶯橋まですね。
この辺りは梅林があって、梅苑の公開時には綺麗な梅の花を見ることができます。


9時10分に「鶯橋」まで戻って来ました。この時間では何組かは入って来られてました。



御土居の上まで来てから展望所までやって来ました。
こちらには茶室「梅交軒」があります。普段は入れませんが、紅葉時には茶席が設けられてるみたいです。


展望所から見る青モミジ綺麗です。ただ新緑が覆い茂ってて下が見えません。それが残念でしたね。

この「もみじ苑」で最後に行く所は、本殿が見える展望台です。その前に上から「鶯橋」が見えたので撮りました。


ここも外せません。国宝「本殿」の全景が、ここからは見えます。

9時15分に出て行きました。入れ替わりに学生さん入って来られましたね、珍しい・・・です😊。
何度も来てるので、これで充分です。次に拝観券のある宝物館に向かいました。その前に本殿前で参拝は済ませました。学生さんで人は多かったけど参拝できました😊。
9時20分に「宝物館」に来て見ると、学生さんが並んでました。まさか学生が来られるとは・・・。
ここも京都市文化観光資源保護財団からいただいた招待券を見せ入りました。
ここは刀剣のみ撮影OKです。私が入ると係の方が「修学旅行生の皆さん集まってください案内します」と。ここ最近刀剣ブームで、刀剣女子と言われるマニアが刀剣を見に来てました。今回の展覧会の目玉でしょう「北野天神縁起絵巻(承久本)」(国宝)は、2019年(令和元年)11月4日の「令和元年度 第55回京都非公開文化財特別公開」で本物を見ています。この日は複製とありました。「重要文化財 太刀鬼切丸(髭切)」(平安時代)も以前見ているので、それより何より刀剣に興味があまりありません😊。
「重要文化財 太刀鬼切丸(髭切)」。鬼切丸は、別名を髭切と言い代々源氏に伝わってきた宝刀。名のある刀の常で様々な伝説に彩られています。



館内をざっと見て出ました。無料で招待されたからと言うこともありませんが、早々に9時25分に出てました😊。
ここから再び嵐電北野白梅町駅まで戻りました。帰りも嵐電で帰ります。
9時43分発帷子ノ辻駅行きのに乗ることができました。
帷子ノ辻駅には9時54分に着いて、次に嵐山駅行きの電車に乗り換えます。嵐山駅の電車は9時59分発でした。1両編成で来たので、すごく混んでましたね。平日の昼間で以前ならこんなに混まなかったのに、前方の扉からやっと乗れました。今日は、これだけで帰りました。
北野天満宮 史跡御土居 青もみじ苑の公開時期は、4月6日(土)~6月30日(日)で、拝観料は500円です。お勧めは4月中頃に山吹が咲く頃でしょう、昨年の2023年(令和5年)4月17日に山吹を見に行きました。今回いただいた招待券は、5月1日(水)ということで、山吹は見られません。期限も5月31日(金)まででしたので、この新緑が美しい時期に来て見た訳です😊。


コロナ禍以前では、嵐山駅に着く電車には、一人か二人か誰も乗って無かったです。それが今は多くの観光客が降りて来られます。それもほぼ外国人観光客です。ここから殆どの外国人観光客は、竹林の小経に向かわれるわけです。電車は定刻通りに発車し、帷子ノ辻駅で北野線に乗り換えします。帷子ノ辻駅に8時12分に着くと、次に8時18分発の電車に乗ります。発車の2分前に着くので、ホームは当然混んでますし、乗るとたちまち一杯になります。それも嵯峨野高校の学生さんが「常磐駅」で、立命館大学生が「等持院•立命館大学衣笠キャンパス前駅」で降りられるので、終点の北野白梅町駅に着く頃にはガラガラになりました。



立冬から節分の間で初雪が降ると天神様が、この松に降りられ雪見の歌詠まれるという伝説があり、この松を影向松と呼ぶようになりました。この松は明治期まで第59代天皇の宇多天皇(うだてんのう)と御祭神との御縁により、仁和寺の寄進によって、代々植え替えられたと伝わるもです。













本殿から「裏の社」に向かいました。ふつうの神社は正面から拝むように造られていますが、ここは、本殿は背面にも「御后三柱(こうのみはしら)」があるからです。

その昔、正面で天神様をお参りして、そして天神様を守っている御后三柱をお参りするのか常でした。私は本殿での参拝を後回しにしたので、順序は逆ですが😊。その裏の社の斜向かいにあるのが、筋違いの本殿と呼ばれる、北野天満宮の第一の摂社「地主神社」です。

御祭神は、天神地祇(てんしんちぎ)。相殿に敦実親王(あつみしんのう・宇多天皇の第八皇子)、斎世親王(ときよしんのう・宇多天皇の第三皇子)、源英明朝臣(みなもとひであらあそん・斉世親王と菅原道真の娘の子)が祀られています。



北野天満宮の創祀者で、道真公の乳母をつとめていた多治比文子(たじひのうやこ)が菅公を最初におまつりしたお社。かつては西の京にありましたが1872年(明治6年)にこの地に遷宮されました。











1933年(昭和8年)4月に現在の位置より少し上流に架けられていましたが、1935年(昭和10年)の豪雨で流失、その親柱のみが現在の場所辺りに流され着いたそうです。2007年(平成19年)11月に史跡御土居の紅葉苑開苑に際し、木製太鼓橋として再建されました。




























何度も来てるので、これで充分です。次に拝観券のある宝物館に向かいました。その前に本殿前で参拝は済ませました。学生さんで人は多かったけど参拝できました😊。

ここも京都市文化観光資源保護財団からいただいた招待券を見せ入りました。
ここは刀剣のみ撮影OKです。私が入ると係の方が「修学旅行生の皆さん集まってください案内します」と。ここ最近刀剣ブームで、刀剣女子と言われるマニアが刀剣を見に来てました。今回の展覧会の目玉でしょう「北野天神縁起絵巻(承久本)」(国宝)は、2019年(令和元年)11月4日の「令和元年度 第55回京都非公開文化財特別公開」で本物を見ています。この日は複製とありました。「重要文化財 太刀鬼切丸(髭切)」(平安時代)も以前見ているので、それより何より刀剣に興味があまりありません😊。





ここから再び嵐電北野白梅町駅まで戻りました。帰りも嵐電で帰ります。
9時43分発帷子ノ辻駅行きのに乗ることができました。
帷子ノ辻駅には9時54分に着いて、次に嵐山駅行きの電車に乗り換えます。嵐山駅の電車は9時59分発でした。1両編成で来たので、すごく混んでましたね。平日の昼間で以前ならこんなに混まなかったのに、前方の扉からやっと乗れました。今日は、これだけで帰りました。
この記事へのコメント
もみじ苑の素晴らしい景色が、
混雑なしに楽しめるのは嬉しい事じゃ
無いでしょうか。前にも見せて戴きましたけど、
ここの青もみじは清々しい美しさを
感じさせてくれますね。確か、法隆寺にも
七不思議というのがあったように思いますが、
古社寺にまつわる謎ってどこでも面白い気がします。
北野天満宮のもみじ苑も何度か行ってるので、招待券をもらってなかったら来て無かったです。
行くなら、4月中頃のヤマブキが咲く頃だと思います。
北野天満宮は、修学旅行生が観光バスで来られるので、すごい賑やかです。( ^_^)
ただ、もみじ苑は空いてて、綺麗な新緑を見られて良かったです。