松尾大社「松風苑」にサツキ咲く
5月20日(月)、先週の5月17日(金)に京都文化博物館別館にて「松尾大社展~みやこの西の守護神~」を見に行きました。その松尾大社(まつのおたいしゃ)の神苑で、そろそろサツキが見頃になったかなぁと思い見に行きました。
昨日は、詳しくは割愛しますが、法事があったので出掛けてました。ですから9時30分頃から雨が降り出したのは分かっています。午後から時々止み間はありましたが、未明まで雨降り続いたのでしょう朝は地面が濡れていました。そして、当日は曇りの予報が出てましたが、出掛ける前ぐらいから晴れて来ました。良い方に変わったの良かったですが、気温が・・・昨日は雨降りで涼しいぐらいが、一日たって6月下旬頃の気温に気温が上がって、バス停に着く頃には汗だくになっていましたね😊。
市バス松尾大社前で下車し、交通量の多い物集街道を渡り大鳥居をくぐり「二の鳥居」まで来ました。
そして正面に「楼門」が見えます。今日は神苑の前にある珍しい木にも注目でした。


オーストラリア原産の「ブラッシノキ」と呼ばれる赤色の花が見事に咲いてました。これも目的の一つです。ビンを洗うためのブラシそっくりの姿をしていますね、この珍しい花の写真を私以外も撮りに来られてました。

「楼門」を入って、正面に「拝殿」があり、参拝の前に右手の「手水舎」に行きました。

「手水舎」には亀から水が出ています。先週の展覧会では、「亀牛玉宝印(ごおうほういん)」の版木も見せて貰いました。
松尾大社では、松男大神様が太古、山城丹波の国を拓くため保津川を遡られる時、急流は鯉、緩やかな流れは亀の背に乗って進まれたと伝えられ、以来亀と鯉は神のお使いとして崇められております。
手水舎の周りに風鈴が架かっています。毎年行われている「風鈴祈願」が始まったのかなぁ・・・と思い、聞いてみると、6月1日(土)~9月1日(日)まで、短冊祈願料が500円で、風鈴の設置は、八朔祭が行われる9月1日まで境内に掲げられます。今年も、風鈴祈願行くかもです😊。
このあと本殿前の拝所で、参拝を済ませました。

8時57分でしたが、庭園入口まで来ました。「拝観受付所」には誰も居ませんでしたが、戻って来られたので受付してくれました。
拝観料は500円で、京都文化博物館で開催中の「松尾大社展」の割引券を貰いましたが、もう行ったあとで多分、使わないかと思います。
入ると、この光景です。サツキの咲き具合が分からなかったので、来て見ましたが、綺麗に咲いています。





最初に見るのは「曲水の庭(平安風)」で、昭和の名作庭家で巨匠の重森三玲氏の晩年の作品です。サツキの咲き具合は少し早いかなぁ・・・と。
曲水の庭は、王朝文化華やかな平安貴族の人々が慣れ親しんだ雅遊びの場を表現したものです。松尾大社は平安時代、京都の守り神二神、すなわち東の「賀茂の巌神」と並び、西の「松尾の猛霊」と尊び称され隆盛を極めました。艶やかな中にも気高い当時の面影を内に秘めて、しかも極めて現代風に作庭され、四方どちらから見ても美しい八方美が本庭の特色です。


神職さんから「神像館」に入るように案内されたので向かいます。その前にガラスに反射するサツキの花を撮りました。
「神像館」に入る前に、重森三玲が即興的に作り上げた「即興之庭」を見ました。当初の設計計画には無かったようですね。緑泥片石、白川砂、錆砂利構成の枯山水庭園です。
このあと神像館に入りました。何度も入っているので、ざっと見て出て行きます。御神像21体のうち、5体が出張中です😊。「男神像(老年)」「男神像(壮年)」「女神像」の御神像は当然のことながら写真だけでした😊。展覧会で、前期・後期の展示品の入れ替えがありますが、御神像は無いでしょう。



次に「曲水の庭」から「上古の庭(磐座風)」に移動しました。ミヤコザサに取り巻く多数の石で作庭されたのがこの庭の特徴です😊。
上古ではどこの神社も社殿はなく、山中の巨岩などが神霊の宿る聖地とされていました。その場所を磐座、或いは磐境(いわさか)と言います。松尾大社でも今から約1300年の昔、701年(大宝元年)に現在池にご本殿が建てられてる以前は、この後方の松尾山々頂上近くにある磐座で祭祀が営まれていました。この古代祭祀の場である磐座を模して山麓に造られたのが「上古の庭」です。庭の奥、中央にある巨石二つは松尾大社祭神の男女二神を、そしてこれを取り巻く多数の岩は、随従する諸神の姿をそれぞれに表象しています。また、地上一面に植えられたミヤコ笹は高山の趣を表しています。黙して立てば、庭全体に漂う神秘荘厳の気が、おのずからに感得されることでしょう。


このあと、順路に従って外に出ます。その前に、バラ科の「シロヤマブキ」が咲いてました。ヤマブキと似てますが、花弁4枚で、黒い実をつけることでヤマブキと区別されています。
ここが旧アジサイ苑の入口です。今は固く閉まってて入れませんし、アジサイが咲いているようには見えません。その理由は・・・?。
松尾大社のアジサイ苑は、数年前の台風の被害により、斜面が流失し、紫陽花の株も大きく被災しました。その紫陽花の株を、野生の鹿が全て食べたてしまった結果、アジサイ苑の再開を断念されたようです。もう元に戻すことは不可能と判断されたわけです。残念ながら、今後、松尾大社では紫陽花は見られません。それ何より、庭園を手入れする人も減って仕方ないとも言われてました。/span>
アジサイ苑には、2014年(平成26年)6月20日に行ったのが最後になりました。もう、あの紫陽花は見られません。

そ裏手には「磐座登拝」の入口があります。必ず許可が必要だそうです。ただ、こちらも台風による大雨による被害のため斜面が崩落しており、今は許可でないそうです。

磐座登拝される人は、この「祓所」でお祓いしてから登山されるのでしょう。
9時10分に有料エリアを出ました。何度か来てるので、この時間で出て来た次第です😊。


庭園から出てくると、そこには霊泉「亀の井」があって、名水が湧き出ています。いつもペットボトル持参で汲みに来られいます。このあとお一人来られました。


松尾大社の神苑は、あと一つあります。少し離れている「蓬莱の庭」まで歩いて行きました。ここには神職さんは居ませんが有料エリアです。
ここにもサツキが咲いています。先程の「曲水の庭」に比べて、例年ここは早いですが、行って見ると見頃でした。





この「蓬莱の庭」は重森三玲氏の遺作で、長男の重森完途(しげもり かんと)氏が完成させました。半周すると滝もあります。





9時16分に、「蓬莱の庭」を出て行きました。このあと社務所に向かいます。
今日、ここに来たのは、この限定御朱印をいただきに来た訳です。
5月17日(金)に、京都文化博物館にて「松尾大社展 みやこの西の守護神」に行きました。この時に、松尾大社亀牛玉宝印の版木を初公開され見て来ました。松尾大社は鎌倉時代から亀の牛玉宝印を用いていたとされ、現在伝わっている版木は江戸時代に作られた。2匹の亀の胴部にそれぞれ「松尾社 牛玉宝印」「神璽 牛玉宝印」と彫られています。この展覧会の期間中に特別に授与される御朱印があることを知りました。限定千枚。初穂料は1枚千円ということで、無くなったら貰えないので、サツキの花と同時に、ここに来て見ました。そして社務所にて無事貰えたわけです。
特別朱印は、「松尾造り」と呼ばれる独特の「本殿」(国宝)のほか、同大社の信仰に関わる白虎と酒だるをかたどった水色の切り絵に、牛玉宝印を写した朱色の印を押したものです。
9時22分に「楼門」から出ました。この近くのお店で買い物を済ませ、阪急松尾大社駅へ。
多分、阪急「松尾大社駅」は初めて利用したかなぁ?。今日利用したのは、用事があって、嵐山駅前から京都バスに乗るためです。


京都バスが渡月橋を渡る時に撮った1枚です。向こうに写っているのが、五山の送り火如意ヶ嶽の大文字です。8月16日の五山の送り火では、ここから唯一大の字が見えます。
京都バスも三条京阪行きは空いてましたが、次の清滝行きのバスには、多くの外国人観光客が待ってました。あれでは始発から座れるかどうかですね。何故か愛宕念仏寺が外国人観光客に人気が出て、五百羅漢が珍しいのでしょうか?。バスも京都バスしか無いし、それに1時間に1本しかない辺鄙な所なんですけど。
昨日は、詳しくは割愛しますが、法事があったので出掛けてました。ですから9時30分頃から雨が降り出したのは分かっています。午後から時々止み間はありましたが、未明まで雨降り続いたのでしょう朝は地面が濡れていました。そして、当日は曇りの予報が出てましたが、出掛ける前ぐらいから晴れて来ました。良い方に変わったの良かったですが、気温が・・・昨日は雨降りで涼しいぐらいが、一日たって6月下旬頃の気温に気温が上がって、バス停に着く頃には汗だくになっていましたね😊。









松尾大社では、松男大神様が太古、山城丹波の国を拓くため保津川を遡られる時、急流は鯉、緩やかな流れは亀の背に乗って進まれたと伝えられ、以来亀と鯉は神のお使いとして崇められております。
手水舎の周りに風鈴が架かっています。毎年行われている「風鈴祈願」が始まったのかなぁ・・・と思い、聞いてみると、6月1日(土)~9月1日(日)まで、短冊祈願料が500円で、風鈴の設置は、八朔祭が行われる9月1日まで境内に掲げられます。今年も、風鈴祈願行くかもです😊。



拝観料は500円で、京都文化博物館で開催中の「松尾大社展」の割引券を貰いましたが、もう行ったあとで多分、使わないかと思います。







曲水の庭は、王朝文化華やかな平安貴族の人々が慣れ親しんだ雅遊びの場を表現したものです。松尾大社は平安時代、京都の守り神二神、すなわち東の「賀茂の巌神」と並び、西の「松尾の猛霊」と尊び称され隆盛を極めました。艶やかな中にも気高い当時の面影を内に秘めて、しかも極めて現代風に作庭され、四方どちらから見ても美しい八方美が本庭の特色です。




このあと神像館に入りました。何度も入っているので、ざっと見て出て行きます。御神像21体のうち、5体が出張中です😊。「男神像(老年)」「男神像(壮年)」「女神像」の御神像は当然のことながら写真だけでした😊。展覧会で、前期・後期の展示品の入れ替えがありますが、御神像は無いでしょう。




上古ではどこの神社も社殿はなく、山中の巨岩などが神霊の宿る聖地とされていました。その場所を磐座、或いは磐境(いわさか)と言います。松尾大社でも今から約1300年の昔、701年(大宝元年)に現在池にご本殿が建てられてる以前は、この後方の松尾山々頂上近くにある磐座で祭祀が営まれていました。この古代祭祀の場である磐座を模して山麓に造られたのが「上古の庭」です。庭の奥、中央にある巨石二つは松尾大社祭神の男女二神を、そしてこれを取り巻く多数の岩は、随従する諸神の姿をそれぞれに表象しています。また、地上一面に植えられたミヤコ笹は高山の趣を表しています。黙して立てば、庭全体に漂う神秘荘厳の気が、おのずからに感得されることでしょう。




松尾大社のアジサイ苑は、数年前の台風の被害により、斜面が流失し、紫陽花の株も大きく被災しました。その紫陽花の株を、野生の鹿が全て食べたてしまった結果、アジサイ苑の再開を断念されたようです。もう元に戻すことは不可能と判断されたわけです。残念ながら、今後、松尾大社では紫陽花は見られません。それ何より、庭園を手入れする人も減って仕方ないとも言われてました。/span>
アジサイ苑には、2014年(平成26年)6月20日に行ったのが最後になりました。もう、あの紫陽花は見られません。
























今日、ここに来たのは、この限定御朱印をいただきに来た訳です。
5月17日(金)に、京都文化博物館にて「松尾大社展 みやこの西の守護神」に行きました。この時に、松尾大社亀牛玉宝印の版木を初公開され見て来ました。松尾大社は鎌倉時代から亀の牛玉宝印を用いていたとされ、現在伝わっている版木は江戸時代に作られた。2匹の亀の胴部にそれぞれ「松尾社 牛玉宝印」「神璽 牛玉宝印」と彫られています。この展覧会の期間中に特別に授与される御朱印があることを知りました。限定千枚。初穂料は1枚千円ということで、無くなったら貰えないので、サツキの花と同時に、ここに来て見ました。そして社務所にて無事貰えたわけです。






京都バスも三条京阪行きは空いてましたが、次の清滝行きのバスには、多くの外国人観光客が待ってました。あれでは始発から座れるかどうかですね。何故か愛宕念仏寺が外国人観光客に人気が出て、五百羅漢が珍しいのでしょうか?。バスも京都バスしか無いし、それに1時間に1本しかない辺鄙な所なんですけど。
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