世界文化遺産 臨済宗大本山 天龍寺 曹源池庭園に紫陽花が咲く
6月3日(月)、京都市中京区にある京都地方気象台の敷地内にあるアジサイの標本木が開花したと発表がありました。平年より10日も早い開花発表だそうです。参考までに、関西では奈良地方気象台が、5月29日にアジサイの開花発表をされ最も早かったです。平年より16日も早い開花に驚きとともに、温暖化が進んでいることを実感させられましたね。参考までに大阪地方気象台が6月4日、神戸地方気象台は、6月5日(水)に発表されました。ともに平年より3日早かったようです。
6月4日(火)、この日は天気も良かったし、朝は涼しいかったので、世界文化遺産 天龍寺の曹源池庭園に紫陽花を見て来ました。天龍寺には5月19日(日)の雨の日に、所用のため来てました。10時頃でしたが、日曜日ということで、外国人観光客の団体さんや修学旅行生などで、すごく混んでました。入ってませんが、曹源池庭園も相当混雑していたでしょう。

今日はバスに乗らず歩いて来ました。8時21分に「総門」から天龍寺の境内に入ります。5月19日(日)は雨が降ってましたが、今日は快晴の天気です。
正面の庫裏に向かって歩いて行くと、前方に外国人観光客の団体さんが見えました。開門を待たれているようです。私が拝観受付所に着いた8時24分には、既に団体さんは入られてました。
庭園入口にある看板です。ただ、帰りに見てみると紫陽花だけになってました。入替されたようです。


「方丈前庭」です。団体さんは既に曹源池に行かれたようです。
まだツツジ咲いてました。前方の曹源池に、やっぱり団体さんが・・・。


言葉からフランスの観光客のようでした。手前で説明を聞かれているので、前方はご覧のように誰も居ません😊。

いつ見ても、ここの庭園は見事で綺麗です。どの季節も何度来ても飽きないですね😊。
「小方丈」前のサツキ、まだ咲いてました。例年なら今頃が見頃でしょうけど、今年は暑いので。ここから多宝殿に向かいます。
1輪だけ咲いていた「花菖蒲」でしょう。
「半夏生」は、まったく白く色づいてません。まだまだ先のようです。

「花菖蒲」まだありました。ただ、暑いので元気なさそうに見えます。

多宝殿に向かう途中に、さっそく「姫紫陽花」を見つけました。綺麗に咲いています。よくよく見れば真ん中・・・小さな花は咲いてないようですね😊。



後醍醐天皇を祀る「多宝殿」前にある「後醍醐天皇菩提塚」です。ほぼ、ここに来る観光客はスルーされるでしょう。
後醍醐天皇を祀る「多宝殿」です。お堂を入ると(拝観料800円庭園込)尊像は拝見できますが、庭からは見えません。
後醍醐天皇が祀られている多宝殿の周りは桜で取り囲んであります。桜の花をこよなく愛した後醍醐天皇に、いつでも桜を愛でられるようにとの思いが込めらたのかも知れません。
生前敵同士であった足利尊氏と後醍醐天皇。天龍寺に後醍醐天皇が祀られているには理由があります。
天龍寺は、夢窓国師(夢窓疎石)の進言により、第96代後醍醐天皇の霊を鎮めるため室町幕府初代将軍足利尊氏が創建しました。国師を慕う後醍醐天皇も、敵対する鎌倉幕府の北条高時、そして足利尊氏・直義も帰依していました。国師は、尊氏に全国66箇所に「安国寺 利生塔」を建てること、そして後醍醐天皇を祀る天龍寺を建てなさいと進言されたわけです。多宝殿は、後醍醐天皇を祀るお堂で、かつて離宮のあった亀山殿で後醍醐天皇は、幼少から青年までを過ごしました。中世の貴族の邸宅を思われる建物の多宝殿は、奈良吉野で亡くなった後醍醐天皇に因んで、吉野朝の紫宸殿の造りとなっています。31歳で即位した後醍醐天皇は、自らが政治権力を持とうとして、鎌倉幕府の倒幕を計画、1324年(正中元年)「正中の変」、1331年(元弘元年)「元弘の変」で失敗に終わると、隠岐の島に流されます。その後、幕府の滅亡とともに帰還し「建武の新政」を実現。しかし、足利尊氏の反乱により吉野に移り、南朝を樹立。京都奪還を目指しましたが実現せず、51歳で崩御しました。建武政権は恩賞政策がちぐはぐで、決めたことがすぐに変わってしまう。後醍醐天天皇お気に入りの女官や僧侶に手厚い恩賞があったりして、武士たちは、足利尊氏に付いた方がいいと動き、それが天皇への反発が広がり、建武の新政の失敗につながったといわれています。後醍醐天皇が祀られている多宝殿の周りは桜で取り囲んであります。桜の花をこよなく愛した後醍醐天皇に、いつでも桜を愛でられるようにとの思いが込めらたのかも知れません。
多宝殿に着くと、外国人観光客のお一人が出て来られました。動画を撮られているようで、それならと私は「百花苑」に向かいアジサイを探します。
こちらは「山紫陽花」の「白額」のようです。ガクアジサイの品種ですね・・・多分。
こちらは「山紫陽花」の「美方八重(みかたやえ)」です。珍しい品種でしょうか。


こちらはアジサイ科の「糊楊櫨木(のりうつぎ)」と書いてありました。


この日はアジサイが咲くには早い時期なんですけど、今年は早いので咲いててくれました。それで、まだまだ探します。



こちらも最初に見た「姫紫陽花」と名札には書いてありました。

8時31分に「北門」まで来ました。この時間になると、北門からも多くの方が入って来られます。ほぼ外国人観光客です😊。

北門の近くには、外国人観光客に大人気の「竹林の小経」があります。その竹林の続きが天龍寺曹源池庭園にもあります。
この北門前にあるのが「竹林の小経」で海外の方に大人気のため、天龍寺前のメインストリートである中辻通りは大混雑しています。その中辻通りの混雑具合をMBS毎日放送が報道番組で放送されました。タイトルは「嵐山は"平日こそ"が危険!?大混雑であわや事故」でした。土曜・日曜・祝日、中辻通りは北向き一方通行(10時~)となりますが、平日は適用されません。それで平日の方が危険となります。その対策で「駐停車禁止」の措置を取られてますが、タクシーなんかは守りません。いつ大事故になっても不思議ではないと嵐山商店街の会長さんが訴えてましたね。行きすぎたオーバーツリヅズム、何か対策してほしいです。事故が起こってからでは遅いです。余談でした。


海外の方が入って来られたので、隠すのに大変です😊。こちらは先も見た「山紫陽花」の「美方八重(みかたやえ)」です。
こちらは「山紫陽花」の「クレナイ」です。
「山紫陽花」の「紅額(べにがく)」です。
百花苑最後のアジサイは、「山紫陽花」の「深山八重紫(みやまやえむらさき)」です。
8時33分「望京の丘」に登ります。以前、ガラガラだったのに・・・。

眼下に「多宝殿」、遠くに「比叡山」を撮ったら、下に降りることに。ここで座って汗を拭いたかったけど陽が当たるので止めました。

「望京の丘」を降り、ここに座って水分補給と汗を拭いました。少し日陰になっていたら座れましたね。

もう一度、「多宝殿」前に出て、次に曹源池の裏手を歩きます。








花菖蒲など見ながら歩いて行くと、望京の丘の登り口があります。ここから登ることも降りることもできます。私は、このまま曹源池に向かいます。

曹源池の裏手は人は少ないです。こちらはナデシコ科の「松本仙翁(まつもとせんのう)」と書いてありました。
こちらは「華鬘草(けまんそう)」(鯛釣草)でした。ずっと昔、鯛釣草栽培したことがあるので、懐かしいです。



8時42分に、再び曹源池まで戻ってきました。この大方丈前には床几があるので、暫く座って休憩です。


ここで休憩をしている間も、次から次へと海外の方が入って来られます。本当に日本人探すのが難しいくらいですね、8時52分に出て行くことにしました。
「大方丈」から見た庭園です。新緑が鏡に反射して綺麗でした。
庭園の拝観では、ここでお参りします。私も含めて殆どの方はスルーですね。

ここの拝観券を見せると堂内の拝観料は300円ですが、入りません。堂内は空いているように思えました。
今日は「法堂」の拝観もされているようで、修学旅行生が一列になって並んでました。
ここから嵐電嵐山駅に行きました。家族が病院に10時から予約しているので、連れて行くためです。2両編成の後ろ空いてました。目的地は後ろの方が都合が良いから😊。
今日のメインはこれでした。それまで時間が空くので天龍寺曹源池庭園に来て見たわけです。予定どおり9時30分頃に着いたので、予定どおり10時には余裕で行けました😊。参考までに、この日の最高気温23.9℃、最低気温14.2℃でした。
6月4日(火)、この日は天気も良かったし、朝は涼しいかったので、世界文化遺産 天龍寺の曹源池庭園に紫陽花を見て来ました。天龍寺には5月19日(日)の雨の日に、所用のため来てました。10時頃でしたが、日曜日ということで、外国人観光客の団体さんや修学旅行生などで、すごく混んでました。入ってませんが、曹源池庭園も相当混雑していたでしょう。


正面の庫裏に向かって歩いて行くと、前方に外国人観光客の団体さんが見えました。開門を待たれているようです。私が拝観受付所に着いた8時24分には、既に団体さんは入られてました。























生前敵同士であった足利尊氏と後醍醐天皇。天龍寺に後醍醐天皇が祀られているには理由があります。
天龍寺は、夢窓国師(夢窓疎石)の進言により、第96代後醍醐天皇の霊を鎮めるため室町幕府初代将軍足利尊氏が創建しました。国師を慕う後醍醐天皇も、敵対する鎌倉幕府の北条高時、そして足利尊氏・直義も帰依していました。国師は、尊氏に全国66箇所に「安国寺 利生塔」を建てること、そして後醍醐天皇を祀る天龍寺を建てなさいと進言されたわけです。多宝殿は、後醍醐天皇を祀るお堂で、かつて離宮のあった亀山殿で後醍醐天皇は、幼少から青年までを過ごしました。中世の貴族の邸宅を思われる建物の多宝殿は、奈良吉野で亡くなった後醍醐天皇に因んで、吉野朝の紫宸殿の造りとなっています。31歳で即位した後醍醐天皇は、自らが政治権力を持とうとして、鎌倉幕府の倒幕を計画、1324年(正中元年)「正中の変」、1331年(元弘元年)「元弘の変」で失敗に終わると、隠岐の島に流されます。その後、幕府の滅亡とともに帰還し「建武の新政」を実現。しかし、足利尊氏の反乱により吉野に移り、南朝を樹立。京都奪還を目指しましたが実現せず、51歳で崩御しました。建武政権は恩賞政策がちぐはぐで、決めたことがすぐに変わってしまう。後醍醐天天皇お気に入りの女官や僧侶に手厚い恩賞があったりして、武士たちは、足利尊氏に付いた方がいいと動き、それが天皇への反発が広がり、建武の新政の失敗につながったといわれています。後醍醐天皇が祀られている多宝殿の周りは桜で取り囲んであります。桜の花をこよなく愛した後醍醐天皇に、いつでも桜を愛でられるようにとの思いが込めらたのかも知れません。

















この北門前にあるのが「竹林の小経」で海外の方に大人気のため、天龍寺前のメインストリートである中辻通りは大混雑しています。その中辻通りの混雑具合をMBS毎日放送が報道番組で放送されました。タイトルは「嵐山は"平日こそ"が危険!?大混雑であわや事故」でした。土曜・日曜・祝日、中辻通りは北向き一方通行(10時~)となりますが、平日は適用されません。それで平日の方が危険となります。その対策で「駐停車禁止」の措置を取られてますが、タクシーなんかは守りません。いつ大事故になっても不思議ではないと嵐山商店街の会長さんが訴えてましたね。行きすぎたオーバーツリヅズム、何か対策してほしいです。事故が起こってからでは遅いです。余談でした。






































今日のメインはこれでした。それまで時間が空くので天龍寺曹源池庭園に来て見たわけです。予定どおり9時30分頃に着いたので、予定どおり10時には余裕で行けました😊。参考までに、この日の最高気温23.9℃、最低気温14.2℃でした。
この記事へのコメント
快晴の下、今回も素晴らしい景観が味わえましたね。
何度見ても飽きない、よく分かります。
私も長い間見てませんが、また訪れて見たいものです。
この時期は様々な紫陽花でも楽しめるのですね。
とはいえ、オーバーツーリズムがちょっと気になります。
平日が危ないとは驚きでした。
日本が世界に誇れる、文化遺産、天龍寺の紫陽花ですか。
その素晴らしさが想像できますね。
団体さんに遭遇しないよう、うまく撮影されましたね。
ホント見事な庭園で、眺めているだけでうっとりします。
色がまだ薄めのヒメアジサイ、これからみたいです。
このヒメアジサイが神戸森林植物園メイン通路の両側で咲いています。
後醍醐天皇を祀る「多宝殿」、見事な景観。
後醍醐天皇のお話、大河ドラマで大まかなことは覚えていますが、
詳しく述べられ、勉強になります。
ガクアジサイの白額、これは中心部が開花しているようです。
「山紫陽花」の「美方八重」
「 七段花 」よりも少し花弁が丸く、土壌によっても左右されますが色は薄青~淡紫色。 早咲きで、積雪の少ない寒冷地でも花芽がつきやすい品種とありました。
嵐山は平日こそが危険、理由が成程ですね。
「山紫陽花」の「クレナイ」、ホント鮮やかな色ですね。
「紅額」は神戸森林植物園でもよく見ます。
最後のアジサイ、「山紫陽花」の「深山八重紫」が鮮やかな色彩です。
長い距離の紫陽花探索、お疲れさまでした。
天龍寺曹源池庭園、この庭を床几に座ってみていたら、心安まります。いつの季節でも綺麗で、私は好きです。
この時期は、紫陽花が綺麗で、見に来たですが、少し早かったですね。
この時期は、以前なら空いているですが、今は海外の方で、混雑しています。学生さんも驚きでしょう。
中辻通りの混雑は、秋だけの交通規制も考える必要があるかもです。事故が起こってからでは遅いです。
天龍寺は、幕末の騒乱で伽藍は焼けているので、世界文化遺産に選ばれたのは、この曹源池庭園でしょう。この蒸し暑い時期には、あまり庭園には来られ無かったのに、今は海外の方で年中混雑していますし、今日も、日本人観光客は少なかったです。
京都のホテルの利用者の70%海外の方とニュースで言ってました。日本人観光客は、どうも京都を敬遠されはじめたようです。
あんな混雑した京都みたくないでしょう。
市バスの車内も混雑しているのでね。