花菖蒲咲く平安神宮神苑へ
6月5日(水)は、睡蓮や花菖蒲が見頃になった平安神宮神苑に行きました。平安神宮の神苑には何度も来てます。今年は行きませんでしたが、ここの紅枝垂れ桜が見頃の頃の時など行ってます。そして花菖蒲が見頃となる時期には、2014年(平成26年)6月8日と2019年(令和元年)6月1日に来てました。
余談ですが、この花菖蒲が見頃となる時期に、平安神宮では神苑を無料開放されます。今年は6月7日(金)で、あと2日後ですが、この日は大変な人出で混み合います。私は人混みが嫌で、それでこの日に来て見たわけです。
平安神宮の神苑の開門は8時30分からで、それに間に合わすためには、家を7時10分頃に出る必要があったので、余談ですが、平安神宮に行くと決めたのは当日でした。朝早く起きられたので来て見たわけです😊。
朝から天気は良かったし、湿気が低いので日陰では涼しいぐらいの、清々しい朝に家を出て、市バス、嵐電、地下鉄東西線と乗り継いで東山駅には8時13分に着きました。
地下鉄東西線東山駅には1番出入口から地上に出て来ます。目の前が三条通りで、東に向いて歩き直ぐに北に向いて歩くと「白川」沿いの道があるので、ゆっくり歩いて行きます。
強い日差しをまともに受けながら大鳥居に向いて歩いて行くことなります。女性の方は日傘をさされていますが、私は持って来なかったです。もう日傘が要りますね。この時期は紫外線が最も強いと気象予報士さん言ってました。
8時23分に平安神宮の「大鳥居」(国の登録有形文化財)が見える所まで来ました。高さ24.4㍍もあります。平安神宮には、ここから真っ直ぐに北に上がります。
大鳥居を北上し、二条通りを渡ると歩行者専用道路となります。何かフリーマーケットされるでしょう準備されてました。
冷泉通りを渡ると重要文化財に指定された「應天門」があります。8時28分にくぐりました。
くぐると正面に重要文化財に指定された「大極殿」が見えます。そこから小学生の修学旅行生の集団が見えました。
神苑開門の8時30分近くだったので、あの集団が神苑に入って行くのかなぁ・・・と見ていたら、違いました😊。そして神苑入口には8時30分を少し回ってました。拝観料は600円を納め苑内へ。
平安神宮神苑は、池泉回遊式庭園で、1975年(昭和50年)12月に国の名勝に指定されました。神苑は、東・中・西・南の四つの庭からなります。総面積は約1万坪。明治時代の代表的な日本庭園で、明治から昭和にかけて活躍した七代目小川治兵衛(植治)が作庭しました。四季折々の花が咲く神苑ですが、6月は約1500坪ある西神苑の花菖蒲が見ごろを迎えます。伊勢系・肥後系・江戸系といった日本古来の品種を中心に、約200種・約2000株を楽しむことができます。花菖蒲の他には、春の紅枝垂れ桜、初夏の杜若、秋の紅葉、冬の雪景色と四季折々に風光明媚な趣を見ることができます。
入苑して最初は「南神苑(平安の苑)」です。先に入られた方は花菖蒲が目的でしょう、ここを散策する人は少なかったです。
この南神苑は、1895年(明治28年)平安神宮創建以来、八重紅枝垂れ桜の名所として親しまれてきました。1969年(昭和44年)第121代天皇の孝明天皇百年祭の記念事業として、平安時代の特色である野筋(道筋)として、鑓水が設けられました。また、1981年(昭和56年)には往時の代表的文学書(竹取物語・伊勢物語・古今和歌集・枕草子・源氏物語)に登場する草木、約180種類を植栽して、王朝文化を偲ばせる庭「平安の苑(その)」としました。
入ると、いつもこの神苑のもっとも南側に行きます。毎回、ここに来たら見てますが、今日もです😊。
こちらは重要文化財に指定されている日本最古の路面電車「京都市交通局二号電車」です。
この電車は、1911年(明治44年)に製造された現存する最古の路面電車です。1895年(明治28年)2月1日、日本最初の営業鉄道として京都電気鉄道が開業、同年4月1日には第四回内国勧業博覧会会場である平安神宮付近にも路線が拡大し、我が国電気鉄道の先駆けとなりました。1912年(明治45年)6月1日に京都市営の電気鉄道が開業し、1918年(大正7年)7月1日、京都市に合併されました。最後まで残った狭軌路線である北野線が廃線となった1971年(昭和36年)に廃車となり、その後、平安神宮とも深い関係があることから京都市より払下げを受け、記念として保存展示されています。車体は梅鉢鉄工所が制作、電動機はアメリカのゼネラル・エレクトリック社の製品です。
ここの苑路には花菖蒲や紫陽花が見られました。数は少ないですが・・・。
ここで「南神苑」を出て、次に「西神苑」に入ります。遠くから見ても花菖蒲が綺麗に咲いているのが見えました。
西神苑は、1895年(明治28年)に平安神宮創建時に、中神苑とともに作庭されたもの。白虎池とした庭は、池の西側に出島、北側には神苑唯一の滝があり、西側の築山には茶室「澄心亭(ちょうしんてい)」があります。初夏を彩る湖畔の花菖蒲が特に有名で、伊勢系・肥後系・江戸系といった日本古来の品種を中心に、約200種・約2000株を楽しむことができます。
西神苑に入ると、中央に「白虎池」があって、右手か左手に行けます。私は左手を進みました。
こちらは逆行でしたね。後程一周するので、特段失敗ではありませんが。
この平安神宮では唯一の滝があります。滝と花菖蒲を撮れました。
ご覧のように、なんと池の中に 「八ツ橋」が出現し、近くで花菖蒲を見て写真を撮ることができます。
「白虎池」には、花菖蒲の他に睡蓮も咲いています。睡蓮も綺麗でしたね。
次に本殿の裏手を通って「中神苑」に向かいます。
西神苑の白虎池には、ここから水が注がれていました。
本殿の裏手を通って、8時44分に「中神苑」に着きました。
中神苑は、西神苑と同じく平安神宮創建時に作庭されたもので、庭の中心には蒼龍池があります。池の東側の大島(珊瑚島)から北岸にかけて天正年間(1573~92)の三条・五条大橋の古橋柱や梁を用いた沢飛び「臥龍橋」があります。また、第119代天皇の光格天皇御寵愛の「折鶴」という珍種を含め、池を囲むように杜若が群生し、水面には睡蓮や河骨(こうほね)が咲き初夏には風趣に富んだ景色となります。
西神苑と同様に、こちらも左手を進みます。ここはカキツバタが有名ですが、もう終わっています。
こちらが「臥龍橋(がりゅうきょう)」です。私の前に歩いていた外国人観光客は、渡って行かれました。何度も来てますが、私には勇気がありません😊。
龍が臥す姿を象り「臥龍橋」と名付けられた。神苑作庭者である第七代目小川治兵衛(植治)が手掛けたもので、使用された石材(白川石)は1589年(天正17年)に豊臣秀吉が造営した三条・五条大橋の橋脚です。
こちらは平安神宮創建より境内の東北(鬼門)に鎮座していた「地主社」です。当時から災難除けの信仰が篤く、現在も参詣者が絶えません。御祭神は、大地主神(おおとこぬしのかみ)でした。
この時期、カキツバタは終わっています。ここには光格天皇御寵愛の杜若(カキツバタ)「折鶴」がありますが、行きません。睡蓮は咲いてました。
このあと、この平安神宮の神苑で私はメインだと思っている「東神苑」に入ります。
東神苑は、明治末期から大正初期にかけて造られました。京都御所から移築された泰平閣(橋殿)並びに尚美館(貴賓館)があり、広大な栖鳳池には、鶴島・亀島の二島を配し、その周囲には、八重紅枝垂れ桜をはじめ、サツキや椿など多様な花木が植栽され、水面に写る花々は格別の風情を醸し出します。また、東山を借景とした神苑は、明治時代を代表する名庭です。
奥に進むと、さっそく「栖鳳池」が見えて来て、「泰平閣(橋殿)」「尚美館(貴賓館)」も綺麗に見えています。
正面に「泰平閣(橋殿)」を見ています。栖鳳池を一文字で横切り長さ20㍍、東山連峰の粟田山を借景に、屋根には鳳凰を見ることができます。絶好のビューポイントですね。
栖鳳池に張り出すように建つ「尚美館(貴賓館)」。川面に反射して綺麗です。
ここは不思議と海外の方はスルーされます。この石灯籠に興味なさそうでした。
泰平閣の手前、栖鳳池に浮かぶ「亀島」です。
ここで苑路を横切る「せせらぎ」で、幅2㍍もあります。疎水の水が栖鳳池に注いでいるのでしょう。
泰平閣まで来ました。大正時代初期に京都御所から下賜された建物で、御苑で開催された京都博覧会で使用されたもの。欄干越しに見る風景は優美そのものです。
ここでは座って庭園を見られます。先ずは南側の「平安神宮会館」側を撮りました。
栖鳳地に浮かぶ、二つの島「泰平閣から見て手前が「中島」です。島に松が植えられ庭園美に映えるようになってますね。
手前が「中島」、奥が「亀島」です。
この時間は空いていたので、このように座って綺麗な庭園を見てました。
栖鳳池には鯉がいます。ここでは鯉に餌やりをできますが、今日はしませんでした。
8時56分に「橋殿」を出ました。そろそろ後続の方も来られたので。
非公開の「尚美館(貴賓館)」です。特別公開時には、ここから入ります。2015年(平成27年)4月5日に一度だけ入ったことがあります。
8時57分に神苑を出ました。次に参拝です。
神苑を出たら、右手に重要文化財に指定されている蒼龍楼(そうりゅうろう)が建っています。
蒼龍楼(そうりゅうろう)は、西方の「白龍楼」と共に平安京朝堂院の様式を模したもの。屋根は四方流れ、五棟の入母屋造り、碧瓦本葺。蒼龍・白龍の呼び名は「京都が四神(蒼龍・白龍・朱雀・玄武)相応の地」とされたことに因む。
こちらは大極殿前にある「左近の桜」です。
平安時代より、紫宸殿の南階下の東方に桜が植えられ、儀式のときには左近衛府の官人らが、その側に列したことから「左近の桜」と名付けられました。
こちらが「本殿」前の重要文化財に指定されている「大極殿」です。その前が本殿ですが撮影禁止となってました。
794年(延暦13年)平安遷都より1100年にあたる1895年(明治28年)、第50代天皇の桓武天皇を御祭神に創建されました。1940年(昭和15年)には、平安京有終の天皇である第121代天皇の孝明天皇も合祀されました。社殿は、桓武天皇が開かれた当時の平安京の正庁、朝堂院を約8分の5の規模で再現されています。二層の神門は「應天門」、中央正面一層入母屋造の外拝殿は「大極殿(だいごくでん)」、そこから連なる左右の回廊から東に「蒼龍楼(そうりゅうりょう)」、西に「白虎楼」が。いづれも国の重要文化財に指定です。1929年(昭和4年)に建立された「大鳥居」及び(1940年昭和15年)に増築された社殿群は国の登録有形文化財です。本殿の背後には、神苑が広がり、四つの池を中心に、各時代の庭園形式を取り入れた池泉回遊式の近代を代表する日本庭園です。神苑は国の名勝に指定されています。
9時5分に「應天門」を出て、行きにスルーした「手水舎」に寄りました。順序は逆ですが😊。
帰りもち地下鉄東西線東山駅から帰路につきます。
こちらは「京都府立図書館」です。明治の開館当時の外観を残しつつ、情報化時代に対応し、マルチメディアを最大限に活用した図書館として2001年(平成13年)5月に新たに開館しました。
京都府立図書館は、日本で初めての公立の公開図書閲覧施設である京都集書院を前身とし1909年(明治42年)に現在地である岡崎の地に開館したもの。
南隣には「京都国立近代美術館」があります。
京都国立近代美術館は、京都市左京区岡崎の岡崎公園内にある、独立行政法人国立美術館が運営する美術館。開業は1963年(昭和38年)3月1日。
帰りも「白川」沿いを通りました。川沿いは涼しいかなぁ・・・と😊。
この日の最高気温は28.0℃まで上がりました。この時間になると、相当暑かったです。この日の二日後に神苑無料開放されたので、多くの方が来られたのでしょう。
余談ですが、この花菖蒲が見頃となる時期に、平安神宮では神苑を無料開放されます。今年は6月7日(金)で、あと2日後ですが、この日は大変な人出で混み合います。私は人混みが嫌で、それでこの日に来て見たわけです。
平安神宮の神苑の開門は8時30分からで、それに間に合わすためには、家を7時10分頃に出る必要があったので、余談ですが、平安神宮に行くと決めたのは当日でした。朝早く起きられたので来て見たわけです😊。
朝から天気は良かったし、湿気が低いので日陰では涼しいぐらいの、清々しい朝に家を出て、市バス、嵐電、地下鉄東西線と乗り継いで東山駅には8時13分に着きました。
地下鉄東西線東山駅には1番出入口から地上に出て来ます。目の前が三条通りで、東に向いて歩き直ぐに北に向いて歩くと「白川」沿いの道があるので、ゆっくり歩いて行きます。
強い日差しをまともに受けながら大鳥居に向いて歩いて行くことなります。女性の方は日傘をさされていますが、私は持って来なかったです。もう日傘が要りますね。この時期は紫外線が最も強いと気象予報士さん言ってました。
8時23分に平安神宮の「大鳥居」(国の登録有形文化財)が見える所まで来ました。高さ24.4㍍もあります。平安神宮には、ここから真っ直ぐに北に上がります。
大鳥居を北上し、二条通りを渡ると歩行者専用道路となります。何かフリーマーケットされるでしょう準備されてました。
冷泉通りを渡ると重要文化財に指定された「應天門」があります。8時28分にくぐりました。
くぐると正面に重要文化財に指定された「大極殿」が見えます。そこから小学生の修学旅行生の集団が見えました。
神苑開門の8時30分近くだったので、あの集団が神苑に入って行くのかなぁ・・・と見ていたら、違いました😊。そして神苑入口には8時30分を少し回ってました。拝観料は600円を納め苑内へ。
平安神宮神苑は、池泉回遊式庭園で、1975年(昭和50年)12月に国の名勝に指定されました。神苑は、東・中・西・南の四つの庭からなります。総面積は約1万坪。明治時代の代表的な日本庭園で、明治から昭和にかけて活躍した七代目小川治兵衛(植治)が作庭しました。四季折々の花が咲く神苑ですが、6月は約1500坪ある西神苑の花菖蒲が見ごろを迎えます。伊勢系・肥後系・江戸系といった日本古来の品種を中心に、約200種・約2000株を楽しむことができます。花菖蒲の他には、春の紅枝垂れ桜、初夏の杜若、秋の紅葉、冬の雪景色と四季折々に風光明媚な趣を見ることができます。
入苑して最初は「南神苑(平安の苑)」です。先に入られた方は花菖蒲が目的でしょう、ここを散策する人は少なかったです。
この南神苑は、1895年(明治28年)平安神宮創建以来、八重紅枝垂れ桜の名所として親しまれてきました。1969年(昭和44年)第121代天皇の孝明天皇百年祭の記念事業として、平安時代の特色である野筋(道筋)として、鑓水が設けられました。また、1981年(昭和56年)には往時の代表的文学書(竹取物語・伊勢物語・古今和歌集・枕草子・源氏物語)に登場する草木、約180種類を植栽して、王朝文化を偲ばせる庭「平安の苑(その)」としました。
入ると、いつもこの神苑のもっとも南側に行きます。毎回、ここに来たら見てますが、今日もです😊。
こちらは重要文化財に指定されている日本最古の路面電車「京都市交通局二号電車」です。
この電車は、1911年(明治44年)に製造された現存する最古の路面電車です。1895年(明治28年)2月1日、日本最初の営業鉄道として京都電気鉄道が開業、同年4月1日には第四回内国勧業博覧会会場である平安神宮付近にも路線が拡大し、我が国電気鉄道の先駆けとなりました。1912年(明治45年)6月1日に京都市営の電気鉄道が開業し、1918年(大正7年)7月1日、京都市に合併されました。最後まで残った狭軌路線である北野線が廃線となった1971年(昭和36年)に廃車となり、その後、平安神宮とも深い関係があることから京都市より払下げを受け、記念として保存展示されています。車体は梅鉢鉄工所が制作、電動機はアメリカのゼネラル・エレクトリック社の製品です。
ここの苑路には花菖蒲や紫陽花が見られました。数は少ないですが・・・。
ここで「南神苑」を出て、次に「西神苑」に入ります。遠くから見ても花菖蒲が綺麗に咲いているのが見えました。
西神苑は、1895年(明治28年)に平安神宮創建時に、中神苑とともに作庭されたもの。白虎池とした庭は、池の西側に出島、北側には神苑唯一の滝があり、西側の築山には茶室「澄心亭(ちょうしんてい)」があります。初夏を彩る湖畔の花菖蒲が特に有名で、伊勢系・肥後系・江戸系といった日本古来の品種を中心に、約200種・約2000株を楽しむことができます。
西神苑に入ると、中央に「白虎池」があって、右手か左手に行けます。私は左手を進みました。
こちらは逆行でしたね。後程一周するので、特段失敗ではありませんが。
この平安神宮では唯一の滝があります。滝と花菖蒲を撮れました。
ご覧のように、なんと池の中に 「八ツ橋」が出現し、近くで花菖蒲を見て写真を撮ることができます。
「白虎池」には、花菖蒲の他に睡蓮も咲いています。睡蓮も綺麗でしたね。
次に本殿の裏手を通って「中神苑」に向かいます。
西神苑の白虎池には、ここから水が注がれていました。
本殿の裏手を通って、8時44分に「中神苑」に着きました。
中神苑は、西神苑と同じく平安神宮創建時に作庭されたもので、庭の中心には蒼龍池があります。池の東側の大島(珊瑚島)から北岸にかけて天正年間(1573~92)の三条・五条大橋の古橋柱や梁を用いた沢飛び「臥龍橋」があります。また、第119代天皇の光格天皇御寵愛の「折鶴」という珍種を含め、池を囲むように杜若が群生し、水面には睡蓮や河骨(こうほね)が咲き初夏には風趣に富んだ景色となります。
西神苑と同様に、こちらも左手を進みます。ここはカキツバタが有名ですが、もう終わっています。
こちらが「臥龍橋(がりゅうきょう)」です。私の前に歩いていた外国人観光客は、渡って行かれました。何度も来てますが、私には勇気がありません😊。
龍が臥す姿を象り「臥龍橋」と名付けられた。神苑作庭者である第七代目小川治兵衛(植治)が手掛けたもので、使用された石材(白川石)は1589年(天正17年)に豊臣秀吉が造営した三条・五条大橋の橋脚です。
こちらは平安神宮創建より境内の東北(鬼門)に鎮座していた「地主社」です。当時から災難除けの信仰が篤く、現在も参詣者が絶えません。御祭神は、大地主神(おおとこぬしのかみ)でした。
この時期、カキツバタは終わっています。ここには光格天皇御寵愛の杜若(カキツバタ)「折鶴」がありますが、行きません。睡蓮は咲いてました。
このあと、この平安神宮の神苑で私はメインだと思っている「東神苑」に入ります。
東神苑は、明治末期から大正初期にかけて造られました。京都御所から移築された泰平閣(橋殿)並びに尚美館(貴賓館)があり、広大な栖鳳池には、鶴島・亀島の二島を配し、その周囲には、八重紅枝垂れ桜をはじめ、サツキや椿など多様な花木が植栽され、水面に写る花々は格別の風情を醸し出します。また、東山を借景とした神苑は、明治時代を代表する名庭です。
奥に進むと、さっそく「栖鳳池」が見えて来て、「泰平閣(橋殿)」「尚美館(貴賓館)」も綺麗に見えています。
正面に「泰平閣(橋殿)」を見ています。栖鳳池を一文字で横切り長さ20㍍、東山連峰の粟田山を借景に、屋根には鳳凰を見ることができます。絶好のビューポイントですね。
栖鳳池に張り出すように建つ「尚美館(貴賓館)」。川面に反射して綺麗です。
ここは不思議と海外の方はスルーされます。この石灯籠に興味なさそうでした。
泰平閣の手前、栖鳳池に浮かぶ「亀島」です。
ここで苑路を横切る「せせらぎ」で、幅2㍍もあります。疎水の水が栖鳳池に注いでいるのでしょう。
泰平閣まで来ました。大正時代初期に京都御所から下賜された建物で、御苑で開催された京都博覧会で使用されたもの。欄干越しに見る風景は優美そのものです。
ここでは座って庭園を見られます。先ずは南側の「平安神宮会館」側を撮りました。
栖鳳地に浮かぶ、二つの島「泰平閣から見て手前が「中島」です。島に松が植えられ庭園美に映えるようになってますね。
手前が「中島」、奥が「亀島」です。
この時間は空いていたので、このように座って綺麗な庭園を見てました。
栖鳳池には鯉がいます。ここでは鯉に餌やりをできますが、今日はしませんでした。
8時56分に「橋殿」を出ました。そろそろ後続の方も来られたので。
非公開の「尚美館(貴賓館)」です。特別公開時には、ここから入ります。2015年(平成27年)4月5日に一度だけ入ったことがあります。
8時57分に神苑を出ました。次に参拝です。
神苑を出たら、右手に重要文化財に指定されている蒼龍楼(そうりゅうろう)が建っています。
蒼龍楼(そうりゅうろう)は、西方の「白龍楼」と共に平安京朝堂院の様式を模したもの。屋根は四方流れ、五棟の入母屋造り、碧瓦本葺。蒼龍・白龍の呼び名は「京都が四神(蒼龍・白龍・朱雀・玄武)相応の地」とされたことに因む。
こちらは大極殿前にある「左近の桜」です。
平安時代より、紫宸殿の南階下の東方に桜が植えられ、儀式のときには左近衛府の官人らが、その側に列したことから「左近の桜」と名付けられました。
こちらが「本殿」前の重要文化財に指定されている「大極殿」です。その前が本殿ですが撮影禁止となってました。
794年(延暦13年)平安遷都より1100年にあたる1895年(明治28年)、第50代天皇の桓武天皇を御祭神に創建されました。1940年(昭和15年)には、平安京有終の天皇である第121代天皇の孝明天皇も合祀されました。社殿は、桓武天皇が開かれた当時の平安京の正庁、朝堂院を約8分の5の規模で再現されています。二層の神門は「應天門」、中央正面一層入母屋造の外拝殿は「大極殿(だいごくでん)」、そこから連なる左右の回廊から東に「蒼龍楼(そうりゅうりょう)」、西に「白虎楼」が。いづれも国の重要文化財に指定です。1929年(昭和4年)に建立された「大鳥居」及び(1940年昭和15年)に増築された社殿群は国の登録有形文化財です。本殿の背後には、神苑が広がり、四つの池を中心に、各時代の庭園形式を取り入れた池泉回遊式の近代を代表する日本庭園です。神苑は国の名勝に指定されています。
9時5分に「應天門」を出て、行きにスルーした「手水舎」に寄りました。順序は逆ですが😊。
帰りもち地下鉄東西線東山駅から帰路につきます。
こちらは「京都府立図書館」です。明治の開館当時の外観を残しつつ、情報化時代に対応し、マルチメディアを最大限に活用した図書館として2001年(平成13年)5月に新たに開館しました。
京都府立図書館は、日本で初めての公立の公開図書閲覧施設である京都集書院を前身とし1909年(明治42年)に現在地である岡崎の地に開館したもの。
南隣には「京都国立近代美術館」があります。
京都国立近代美術館は、京都市左京区岡崎の岡崎公園内にある、独立行政法人国立美術館が運営する美術館。開業は1963年(昭和38年)3月1日。
帰りも「白川」沿いを通りました。川沿いは涼しいかなぁ・・・と😊。
この日の最高気温は28.0℃まで上がりました。この時間になると、相当暑かったです。この日の二日後に神苑無料開放されたので、多くの方が来られたのでしょう。
この記事へのコメント
菖蒲園が有名なんですが、平安神宮神苑にも
立派な菖蒲園があるんですね。
この神苑は、かの七代目小川治兵衛の作庭と
聞くと、有難みも違って来る気がします。
梅雨の季節、花菖蒲の咲き乱れる風景はいいものですね。
平安神宮は、中学の修学旅行で訪れて以来、
一度も出かけてません。いつか花菖蒲の季節に
お詣りするのはいいかも知れませんね。
平安神宮の神苑では、春の桜が有名ですが、花菖蒲も見事です。この花菖蒲が見頃となる時に、一日だけ無料で開放もされます。
平安神宮では、修学旅行生が圧倒的に多いです。ただ神苑には、あまり入ってこられませんね。
今は、睡蓮が綺麗に咲いているでしょう。
春の桜以外でも楽しめるが良いですね。