世界文化遺産 元離宮二条城 アジサイ苑公開へ

6月11日(火)は、夜の気温が下がらなくなって朝から暑かったです。天気も良かったことから、今季最高気温の32.4℃まで気温が上がりましたし、北部の舞鶴市では33.0℃まで上がりました。熱中症も厳重警戒でしたね、まだ梅雨に入ってないのに・・・。

世界文化遺産 元離宮二条城では、通常非公開の西南隅櫓の「アジサイ苑」が公開されます。ニュース映像でも満開の紫陽花が咲いているのを見ていて、そろそろ行ってみようと思いましたが、この日は朝から暑かったです。

そのアジサイ苑公開とともに、4月25日(木)~6月23日(日) まで展示収蔵庫で「二条離宮の大広間 ~〈大広間〉一の間 ~」を飾った障壁画が公開されてました。私は、京都市民限定年間パスポートを持っているので、この原画公開の時期とアジサイ苑が公開になる時期を待ってました😊。それで6月11日(火)に行くことになったわけです。

IMG_0628.jpg地下鉄東西線「二条城前駅」で電車を降り、地上に出て信号を渡ると「東南隅櫓」(重文)が見えます。いつものように写真を撮って・・・。

IMG_0629.jpgこの時、8時42分でしたので、まだ開城前です。「東大手門」(重文)には誰も居ません。いつもこの写真だけ押さえて置きます。

いつものことですが、チケット売場には30名ぐらいの行列ができてます。オンラインチケットを持っている方や、私のように年間パスポートを持っていると並ぶ必要がないので、開城入口で待つわけです。いつもは誰も居ないのに、今日は8番目ぐらでしたね。私の前はすべて海外の方でした。そして8時44分なって開城されると、私は海外の方を「東大手門」に入る前に、全て抜いて行きました😊。何度も来ているので、最短距離で目的地?に向かいます。

IMG_0630.jpgIMG_0631.jpg8時45分に「唐門」(重文)に着きました。ここを入るか、直接アジサイ苑に向かうか、ここに来るまで迷いがありました。

ここに来て出した結論は、ここから入って二の丸庭園を見て、本丸庭園から天守台に上がってからアジサイ苑に行くことにしました。東大手門から西南隅櫓まで、相当距離があるので遠回りしても、アジサイ苑には人は空いているだろうと😊。

IMG_0632.jpgIMG_0633.jpg国宝「二の丸御殿」には入りません。帰りに時間があれば寄るかもしれませんが、取り急ぎ庭園に入ります。

IMG_0634.jpg8時46分に特別名勝二の丸庭園」に入りました。前方には誰も居ません。

IMG_0635.jpgIMG_0636.jpg今は、一面の芝生ですが、ここにはかつて「行幸御殿」がありました。後水尾天皇が徳川将軍家の招きに応じて行幸される際に建てられたものです。

1626年(寛永3年)9月、上洛中の江戸幕府2代将軍徳川秀忠、3代将軍家光の招きに応じ、第108代天皇の後水尾天皇が行幸されました。天皇は中宮となった和子(まさこ・秀忠の娘)らと 5日間滞在し、能や和歌などの会が賑々しく催されました。後水尾天皇の行幸を迎えるにあたって、建てられたのが行幸御殿でした。その後、行幸御殿等は京都仙洞御所に移築され、天守閣、本丸御殿等は焼失しましたが、二の丸御殿は今も往時の風情を伝えています。

IMG_0638.jpgIMG_0639.jpgIMG_0640.jpgIMG_0642.jpgIMG_0645.jpgIMG_0646.jpg二の丸庭園は、東から西へと広がる池泉庭園で、中央に大きな蓬莱島、北の小さな島が亀島、南には鶴島があって、この3島は神仙蓬莱の世界を表すとか。

二の丸庭園作庭にあたり普請奉行を小堀遠州らに命じて二条城が造営されたときに作られたものですが、1626年(寛永3年)9月の後水尾天皇行幸のために池の汀に御亭が建てられるなど一部改修を加えられたと考えられています。豪放な巨石を配した池泉を中心とする書院造り庭園です。その後、江戸幕府8代将軍徳川吉宗の時代に一部改修されてます。時は経って幕末の江戸幕府15代将軍慶喜の上洛時には、樹木はほとんどなく、池は枯渇して枯山水風の庭園景観を呈し、荒廃していたそうです。大政奉還後、宮内省に所管されてからは5回以上改修が行なわれ、離宮的・迎賓館的な城として利用されました。特に離宮時代に行われた植栽工事は、幕末の庭園景が変貌する程の大規模な改修工事で、今日に至る基本的な景観が完成したと考えられます。京都市に下賜されてから二の丸庭園は、1939年(昭和14年)名勝に指定、1953年(昭和28年)に 国の特別名勝の指定を受け、文化財的資産と観光要素の一つとして維持され現在に至っています。

IMG_0647.jpgIMG_0648.jpg二の丸庭園」は、四方八方から観賞できることから「八陣(はちじん)の庭」とも称されます。そして8時49分に、ここを出て行きました。

IMG_0649.jpgIMG_0650.jpgIMG_0651.jpg二の丸を出て、次に本丸に入ります。出ると南に「桃山門」(重文)、北に「鳴子門」(重文)があります。今日は鳴子門は通らないでしょう。

IMG_0652.jpgIMG_0653.jpgIMG_0654.jpg「本丸」には「東橋」を渡って、1626年(寛永3年)頃の建築である「本丸櫓門」(重文)をくぐります。

焼失した「本丸西櫓門」とともに本丸を防御する重要な門です。戦時には木橋を落して敵が渡れないようにし、さらに銅板で覆われた扉を閉めて火器に備えました。後水尾天皇の行幸の際に天皇は2回天守に登られましたが、その時の木橋は2階橋で、天皇は二の丸御殿内から橋の2階の畳廊下を通って、地上を歩くことなく天守まで行かれました。その2階橋の一部は、1930(昭和5年)頃まで残っていましたが、その後解体され、部材の多くは土蔵で保管されています。

IMG_0655.jpg解体された部材は現在も城内に保存されており、ほぼ元通りの復元が可能であるそうです。京都市の財政は赤字ですが、再建待たれますね。

IMG_0656.jpgIMG_0657.jpgIMG_0659.jpgIMG_0662.jpg2017年(平成29年)から耐震補強工事及び障壁画の修理工事が、2023年(令和5年)度末に完了し、久しぶりに全景が見られた「本丸御殿」(重文)です。

IMG_0663.jpgIMG_0664.jpg本丸御殿の前に広がる、一面芝生を敷き詰めた「本丸庭園」です。

本丸庭園は、1895年(明治29年)に明治天皇の指示により造られた庭園。天皇は右側に見える本丸御殿の最上階から指示を出され、それは植栽にまで及ぶものでしたるこの場所には、かつて2つの建物が建てられて、1626年(寛永3年)に江戸幕府3代将軍徳川家光が建てた本丸御殿と、それが焼失した後、幕末に江戸幕府15代将軍徳川慶喜が建てた建物です。慶喜が建てた建物は、1881年(明治14年)頃に取り壊され、その後、京都御所の北東部にあった桂宮御殿の主要部分が移築されたのが、現在の本丸御殿です。移築時には、いったん庭園が造られましたが、前途した明治天皇の指示により改造されました。

IMG_0666.jpg8時53分に「本丸天守台」に着きました。

二条城の天守閣は、1626年(寛永3年)に伏見城から移築したものと考えられ、屋根は5重ですが、内部は地上5階、地下1階の大きさで、屋根には瓦型の銅板が葺かれてました。寛永行幸の時、後水尾天皇は2回天守閣に登られました。天皇が登った唯一の天守閣は二条城だと言われています。1750年(寛延3年)の落雷により焼失し、再建はされず現在に至っています。天守台の高さ18㍍、広さ427㎡。築城当初には、別の場所に天守閣がありました。場所は、今の清流苑のあたりで、大和郡山城にあったものとされています。その天守閣は、寛永年間に城域を拡張するに際し、淀城に移築されました。

IMG_0668.jpg段差が大きい石段を上がりました。ここまで上がると風を感じるですけど、日差しが強くて暑いだけです。

IMG_0669.jpg遠くに比叡山が、手前に本丸御殿を見ています。北東の方向ですね。

IMG_0674.jpgこちらは東の方向です。本丸内堀から桃山門(重文)を見ています。国宝「二の丸御殿」の屋根も見えています。

IMG_0677.jpgアジサイ苑が公開されている「西南隅櫓」(重文)を見ています。ここからは紫陽花見えないです。

IMG_0679.jpg北西の方向を撮る時、上空でトビを撮れました。今から眼下に見えている西橋を渡ります。

IMG_0680.jpg日差しを避ける所も無いので、8時54分に早々と天守台を降ります。遠くまで見えていますが、誰も本丸には入って来られてません。

IMG_0683.jpgIMG_0684.jpgここから「本丸」を出て行きます。

IMG_0685.jpgIMG_0687.jpg本丸御殿の正面入口である、唐破風付きの「車寄」です。以前、特別拝観時にはここから入りました。そして6月17日に京都市長から18年振りの本丸御殿の観覧について発表がありました。

本丸御殿の観覧は事前予約制です。8月2日(金)よりWEBチケットの販売を開始されます。(来城日の30日前から販売)。本丸御殿観覧料は1000円で別途二条城の入城料が必要。京都市民限定の年間パスポートは利用可。観覧開始は9月1日(日)から通常観覧となります。通常観覧は初めてのこと。

一般公開に先立ち、日頃の感謝を込めて、京都市民限定 4,050名を無料でご招待される市民内覧会が開催されます。(事前予約制)
1 開催日時
  8月8日(木)~22日(木)9:30~15:30(観覧時間は約40分)
2 対  象
  京都市民(小学生以下は要保護者同伴)
3 料  金
  入城料、本丸御殿観覧料、二之丸御殿観覧料いずれも無料
4 定  員
  4,050名(各日270名×15日間)


私は、年間バスボートを持っているので、これには参加しません。家族を誘いましたが興味が無いから行かないようです😊。

IMG_0690.jpgIMG_0691.jpg本丸には「西橋」から出ます。その西橋から見た天守台です。まだ誰も来られて無いようです。

IMG_0695.jpgIMG_0697.jpg9時に「西南隅櫓エリア」に着きました。ここに着くと同時お一人来られました。

IMG_0698.jpgIMG_0700.jpgアジサイ苑」の紫陽花、見頃でした。案内に書いてあった通りでした。ここにはおよそ約3000株のアジサイを植栽されています。

IMG_0701.jpgIMG_0703.jpgIMG_0705.jpgIMG_0711.jpgIMG_0715.jpgIMG_0717.jpgIMG_0723.jpgIMG_0725.jpgIMG_0737.jpgIMG_0754.jpgこの「アジサイ苑」で写真を撮っていると、もう一人来られたので、3人だけでしたね。入城料が高いので、アジサイだけで来るのは勿体ないのかも知れません。

元離宮二条城では、京都市内の70歳以上の方は無料で入れますし、市内に住む小中学生や市内に通学する小中学生も無料。身体障害者手帳、療育手帳、戦傷病者手帳、被爆者健康手帳、精神障害者保健福祉手帳等をお持ちの方は本人及び介護者1名無料となります。

今日は「清流園」に行きません。ここから本丸内堀の南側を通って、再び二の丸庭園に入り、二の丸御殿の前を通って「展示収蔵庫」まで来ました。

IMG_0762.jpgIMG_0763.jpg9時20分に展示収蔵庫に入りました。ここは100円入館料が要りますが、年間パスポートはそのまま入れます😊。

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二条離宮の大広間 ~〈大広間〉一の間 ~令和6年4月25日(木)~6月23日(日)

幕末、二条城は江戸幕府15代将軍徳川慶喜による大政奉還の発表の場所になるなど激動の時代を経験し、1884年(明治17年)に、皇室の別邸である二条離宮になります。1893年(明治26年)から1894年(明治27年)にかけて、京都御所の北にある桂宮家の御殿(桂宮御殿)の主要部が、空き地となっていた本丸に移築されて本丸御殿になると、二条離宮には本丸御殿と二の丸御殿の二つの御殿が整います。本丸御殿は皇族の宿泊所として使われ、二の丸御殿は、行啓の際に皇太子らが拝観するだけでなく、時には京都在住の名士らとの拝謁の場所や外国から訪れた貴賓の休憩所としても用いられました。「大広間」は、嘉仁皇太子(後の大正天皇)への拝謁はいえつの場となったことがあり、一の間に皇太子が座したと考えられます。 江戸時代(1603~1867)、「大広間」は、徳川将軍と公式に対面する儀礼の場であり、将軍の権威を誇示する最も格式の高い場所でした。「大広間」一の間の障壁画は、狩野探幽によって描かれたもので、ぐるりと部屋を取り囲むようにデザインされた松には、徳川将軍家の永遠の繁栄への願いが込められていると考えられ、また、松に添えられた錦きん鶏鳥は権力者への贈答品とされた珍しいものでした。松は、将軍の背後となる大床で、上段に座する将軍の頭上に傘を掛けるよう松を屈曲させ、大床の左右にあたる東面と西面では、将軍に向かって枝を傾斜させて枝葉を伸ばします。この構図は、中央に着座した将軍の威光を、見るものに強烈に印象づけるものでした。 ところで、1897年(明治30年)頃より、損傷の激しい廊下の天井や長押上なげしうえの障壁画を中心に新たに描き直され、交換されました。これにより、1626年(寛永3年)に描かれた障壁画と明治時代に描かれた廊下の障壁画が、二の丸御殿の中で共存することになりました。嘉仁皇太子は、廊下を歩きつつ明治時代の新しい息吹を感じ、いまだ江戸時代の雰囲気の残る「大広間」一の間に入室し、いわば新旧の融合を感じたことでしょう。

9時35分頃に出ました。館内はエアコンが効いて涼しいかったので、障壁画の鑑賞&休憩をさせて貰いました。この日の最高気温は、32.4℃まで上がり、今季最高気温を記録するほど朝から暑かったです。展示収蔵庫を出たらお隣の休憩所に入りました。

IMG_0764.jpg空いていたらと思い入ると、人が少なかったので、ここでも休憩します。「抹茶の生ビール」をいただきました😊。

IMG_0768.jpg私がビールを飲んでいると、次から次へと外国人観光客が入って来られました。少しは休憩できたので、席を譲る意味もあってここを出て行きました。

IMG_0769.jpgIMG_0770.jpg帰りに、国宝「二の丸御殿」を入ってみようと思い行ってみると、この混雑ぶりです。今日も入りません。

二の丸御殿の車寄で玄関から個人は入りますが、団体は東側から入ります。その団体入口が大混雑でしたね。ほぼ修学旅行生でした。

IMG_0771.jpgIMG_0772.jpg9時54分に東大手門から出て行きました。この時間になると相当混雑するので、早めの入城がお勧めです😊。

IMG_0775.jpg帰りも地下鉄東西線二条城前駅から帰路につきました。

この日は、京都府北部で気温があがり、京都府舞鶴市で最高気温が33.0℃を記録。多分、フェーン現象でしょう。京都市も32.4℃と、朝から暑かったです。これから暑くなる7月から8月にかけて、昨年のように猛烈な暑さになるのでしょう😮。

この記事へのコメント

2024年07月10日 17:59
年間パスがあると、並ばなくて済むから
有難いですね。二条城の庭園、あじさい苑は
ちょっとした穴場なのに驚きました。
3000株の紫陽花が咲き誇るいい所なのに、
訪れる人が少なくて…。団体さんの訪れる
二の丸御殿の賑わいとは、別空間のような気がします。
抹茶のビールですか。さすが、京都ですね。
2024年07月11日 20:55
毎度毎度、二条城の魅力を感じます。
早朝の人が少ない、独占レポート。おまけに天気が良くて気持ちがいいですね。
あらためて二条城も紆余曲折の歴史があったことを感じます。
それにこの時期は、アジサイですか。
隅櫓を背景にしたアジサイ園。なかなか珍しい光景でいいですね。
それから、抹茶の生ビールなんてあるのですか。
知りませんでした。
壬生里
2024年07月13日 16:01
yasuhikoさんへコメントありがとうございます。

年間バスボートは京都市民限定なんです。9月から18年振りに公開される本丸御殿にも使えるので、大変お得です。
開城直後に入れるのは良いんですが、直ぐに混むのでね、城内は広いので、そんなに混雑している感じはないです。
ただ、国宝二の丸御殿内は、大変な混雑でしょう。
この日は、あまりにも暑かったので、抹茶の生ビールいただきました。( ^_^)