「後嵯峨天皇嵯峨南陵 亀山天皇亀山陵」と有職菓子御調進所 老松 嵐山店へ
天龍寺曹源池庭園を出て中辻通りでしましたが、そのまま真っ直ぐ行くと、天龍寺墓地の手前の分かりにくい所に、「後嵯峨天皇嵯峨南陵」と「亀山天皇亀山陵」があります。何度か行ってますが、5月19日(日)の雨降りの時に、行ったときものです。
先ずは、手前の「後嵯峨天皇嵯峨南陵」から。後嵯峨天皇は第88代天皇です。
第88代天皇の後嵯峨天皇(ごさがてんのう)は、鎌倉幕府3代執権の北条泰時によって天皇に選ばれた人物です。NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、俳優の坂口健太郎さんが、父は北条義時で小栗旬さんが演じてました。元々、23歳になるまで元服をしていなかった第83代天皇の土御門天皇の皇子で、12歳で先代の四条天皇が崩御したため、前途した北条泰時によって天皇に即位したことは、当時の人々も予想外のことでした。後嵯峨天皇は、後深草天皇に皇位を譲ったあとも、院政を敷いて朝廷の政治体制を作り、幕府との緊密な関係を目指して熱心に政務に励んだことで知られています。また、仏教を深く信仰し、管弦や和歌などにも長じた多才な人物でした。しかし、次に続く皇統を曖昧にしたままこの世を去り、はからずも皇統を後深草系の北朝(持明院統)と亀山系の南朝(大覚寺統)の2つに分裂させる原因を作ってしまった天皇でもあります。
奥が「亀山天皇亀山陵」で、亀山天皇は、第90代天皇。手前の後嵯峨天皇の皇子です。
鎌倉時代中期に在位した第90代天皇の亀山天皇は、父親の後嵯峨天皇に好まれて天皇即位した人物です。上皇となってからは院政で実権を握り、意欲的な改革を推進しました。また、2度の「元寇」(文永・弘安の役)という国難にも直面。のちに息子の第91代天皇の後宇多天皇に皇位を譲り、皇統を二分(持明院統系と大覚寺統系)してしまう問題の端緒となった人物としても知られています。また亀山天皇は、儒学、音楽、漢詩文などに造詣が深く、「勅撰和歌集」の編纂事業も実施しました。さらに禅宗に帰依し、公家社会への浸透へとつなげた人物でもあります。
ここを出ると「庫裏」の前です。この日は日曜日だったので、観光客は多かったです。ただ、ほぼ海外の方でしたが。
話し戻り、天龍寺を出て中辻通りを北上し、京菓子の有職菓子御調進所「老松 嵐山店」に着きました。6月7日(金)に来てるので、今季2度目です。
9時6分に着いたので店は空いてました。この日寄ったのは、6月25日(火)に京都府北部のアジサイ巡りに行くので、手土産を買いに来たわけです。
もちろん自宅用に銘菓「夏柑糖」を買い前途したとおり夏みかんを原材料にされているので、夏みかんが無くなると販売が終わるから早い目に買いに来たわです。自宅の分と家族の分を買って帰りました。
この日、これで帰りました。けっこう汗を掻いて疲れましたね。話しが変わって、京都では「夏越の祓」の時期に「水無月」を食べる習慣があります。小豆の赤い色は、邪気払いや悪魔祓いということを信じられてきました。平安京の昔、衣笠山の氷室で、冬に獲れた氷を藁に巻いて、夏の暑いこの時期まで保存し、厄除けのため皇族の高貴な方が、その氷を食べられたと。一般庶民は、本物の氷をとても口にすることができないので、三角の形は氷のかけらや氷の角を表現しており、氷に似せた水無月を食べるようになったとか(諸説あり)。
6月に入ってスーパーで最初に買った「水無月」の他に、何度か買っていただきました。こちらは「仙太郎」のものです。大丸京都店で貰いました。
上から「水無月(白)」「水無月(抹茶)」「ご存じ最中」です。
仙太郎は小豆の味が絶品です。ういろう生地に小豆かのこをのせてますが、一口食べて小豆の美味しが分かるほどです。そして次に「甘春堂 嵯峨野店」で買った「水無月」と「若鮎」です。
最初に買ったのがスーパーのもので、こちらも一口食べて、違いが分かりましたね、ういろう生地が格段に美味しかったから😊。
涼菓 若あゆは、 加茂川のせせらぎにおどる若鮎の姿を暑い京都に涼しさを演出する京の季節菓子です。求肥をしっとりしたカステラ生地で包んであって、こちらも美味しかったです。今年の夏は、昨年より暑くなるとか、猛烈な暑さが予想されてます。あまり外出しないほうがいいでしょう。熱中症怖いです😢。
先ずは、手前の「後嵯峨天皇嵯峨南陵」から。後嵯峨天皇は第88代天皇です。
第88代天皇の後嵯峨天皇(ごさがてんのう)は、鎌倉幕府3代執権の北条泰時によって天皇に選ばれた人物です。NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、俳優の坂口健太郎さんが、父は北条義時で小栗旬さんが演じてました。元々、23歳になるまで元服をしていなかった第83代天皇の土御門天皇の皇子で、12歳で先代の四条天皇が崩御したため、前途した北条泰時によって天皇に即位したことは、当時の人々も予想外のことでした。後嵯峨天皇は、後深草天皇に皇位を譲ったあとも、院政を敷いて朝廷の政治体制を作り、幕府との緊密な関係を目指して熱心に政務に励んだことで知られています。また、仏教を深く信仰し、管弦や和歌などにも長じた多才な人物でした。しかし、次に続く皇統を曖昧にしたままこの世を去り、はからずも皇統を後深草系の北朝(持明院統)と亀山系の南朝(大覚寺統)の2つに分裂させる原因を作ってしまった天皇でもあります。
奥が「亀山天皇亀山陵」で、亀山天皇は、第90代天皇。手前の後嵯峨天皇の皇子です。
鎌倉時代中期に在位した第90代天皇の亀山天皇は、父親の後嵯峨天皇に好まれて天皇即位した人物です。上皇となってからは院政で実権を握り、意欲的な改革を推進しました。また、2度の「元寇」(文永・弘安の役)という国難にも直面。のちに息子の第91代天皇の後宇多天皇に皇位を譲り、皇統を二分(持明院統系と大覚寺統系)してしまう問題の端緒となった人物としても知られています。また亀山天皇は、儒学、音楽、漢詩文などに造詣が深く、「勅撰和歌集」の編纂事業も実施しました。さらに禅宗に帰依し、公家社会への浸透へとつなげた人物でもあります。
ここを出ると「庫裏」の前です。この日は日曜日だったので、観光客は多かったです。ただ、ほぼ海外の方でしたが。
話し戻り、天龍寺を出て中辻通りを北上し、京菓子の有職菓子御調進所「老松 嵐山店」に着きました。6月7日(金)に来てるので、今季2度目です。
9時6分に着いたので店は空いてました。この日寄ったのは、6月25日(火)に京都府北部のアジサイ巡りに行くので、手土産を買いに来たわけです。
もちろん自宅用に銘菓「夏柑糖」を買い前途したとおり夏みかんを原材料にされているので、夏みかんが無くなると販売が終わるから早い目に買いに来たわです。自宅の分と家族の分を買って帰りました。
この日、これで帰りました。けっこう汗を掻いて疲れましたね。話しが変わって、京都では「夏越の祓」の時期に「水無月」を食べる習慣があります。小豆の赤い色は、邪気払いや悪魔祓いということを信じられてきました。平安京の昔、衣笠山の氷室で、冬に獲れた氷を藁に巻いて、夏の暑いこの時期まで保存し、厄除けのため皇族の高貴な方が、その氷を食べられたと。一般庶民は、本物の氷をとても口にすることができないので、三角の形は氷のかけらや氷の角を表現しており、氷に似せた水無月を食べるようになったとか(諸説あり)。
6月に入ってスーパーで最初に買った「水無月」の他に、何度か買っていただきました。こちらは「仙太郎」のものです。大丸京都店で貰いました。
上から「水無月(白)」「水無月(抹茶)」「ご存じ最中」です。
仙太郎は小豆の味が絶品です。ういろう生地に小豆かのこをのせてますが、一口食べて小豆の美味しが分かるほどです。そして次に「甘春堂 嵯峨野店」で買った「水無月」と「若鮎」です。
最初に買ったのがスーパーのもので、こちらも一口食べて、違いが分かりましたね、ういろう生地が格段に美味しかったから😊。
涼菓 若あゆは、 加茂川のせせらぎにおどる若鮎の姿を暑い京都に涼しさを演出する京の季節菓子です。求肥をしっとりしたカステラ生地で包んであって、こちらも美味しかったです。今年の夏は、昨年より暑くなるとか、猛烈な暑さが予想されてます。あまり外出しないほうがいいでしょう。熱中症怖いです😢。
この記事へのコメント
もちろん中に立入ることはできませんが、その時代の歴史へ思いを馳せる気持ち、よく分かります。時代背景などを想像してしまいますよね。
それにしもて、京都の和菓子文化の豊かさはさすがだなと思います。
「老松」は伝統を残しつつ、現代の美にチャレンジしているように感じます。
京都の水無月、よく写真で拝見しますが、一度食べてみたいです。
やはりこの時期に京都へ旅しないと駄目ですね。
京都では、天皇陵が点在してて、興味ある御陵は最近でも巡っています。
老松さんの夏柑糖は、他のメーカーも同じようなものがありますが、ここのがやっぱり一番美味しいです。
夏の京都、めっちゃ暑いです。内陸で盆地ということで、夏は暑く、冬が寒いのが・・・。