旧嵯峨御所大覚寺門跡で写経奉納へ
7月29日(月)の京都市は、最高気温が39.4℃まで上がりました。それで翌日の最低気温が28.3℃しか下がらなかったので、朝から暑かったです。昨日もそうですが、この日も家族の用事で出掛けます。前日は空き時間が30分でしたが、この日は2時間近くあります。家に戻ると、次に11時頃出掛けるときの気温を考えると、市バスに乗って旧嵯峨御所大覚寺門跡に行って、涼しい所で写経をすることにしました。
何度も行ってる旧嵯峨御所大覚寺門門跡に、市バスで行くのは初めてです。写真はバス停から見る「愛宕山」です。今日の天気予報では午前中は曇りだと言ってましたが・・・?。
9時頃に大覚寺に着くバスに乗ることができたので、車内はガラガラです😊。
バスを降りると向かいが大覚寺です。9時2分に着きました。
今日は、お堂エリアの拝観のため「表門」から入ります。
表門を入ると右手に「式台玄関」、左に「参拝者入口」があります😊。
9時4分に、入りました。拝観料は500円。今日はお堂エリアだけです。靴は下駄箱に入れることもできますが、私は袋に入れ持ち歩きます。以前、ここではありませんが、間違えられたことがあって、袋があれば持ち歩くことに、私はしてます。
下駄箱には1組2名の靴があったので、先に入られている方は居ます。見えませんが多分です。今日は時間があるので、ゆっくり見て行きます。
最初は「式台玄関」からです。いつものことですが、見事な輿が展示してあります。襖絵も豪華ですね。
大玄関(式台玄関)は、江戸時代の初め、御所より移築されもので、旧嵯峨御所 真言宗 大本山 大覚寺の玄関となります。大覚寺は、もともと平安時代の始めに嵯峨天皇が造営した離宮嵯峨院に起源し、その後、876年(貞観18年)寺に改められ、諸大門前に嵯峨天皇の御孫恒寂法親王が就かれました。日本で最も古い門跡寺院です。心経信仰の霊場、芸術文化の殿堂、嵯峨御流華道の紺本堂場。この式台玄関の障壁画は可能衛陶によって描かれた「松に山鳥図」です。文化財保護の立場から国宝の文化財や重要文化財の仏像、障壁画、装飾画などは収蔵庫に収めてあります。障壁画手前には、第91代天皇の後宇多法皇が使用した御輿あり、御輿には後宇多法皇の御紋である「九曜菊(くようぎく)」が施されています。
ここの向かいは「売店」です。冷房が効いてるようなことが書いてあったので、帰りに寄ります😊。
「宸殿」に入りました。前の方は遙か前方に歩いているのが見えました。後ろは誰も居ません。こんなに暑いので来られる方、少ないでしょう。
宸殿(重要文化財に指定)は、江戸時代の初め延宝年間(1763~1781)に後水尾天皇により、皇后東福門院和子(江戸幕府2代将軍徳川秀忠の娘)が使用していた女御御所の宸殿を賜ったもの。入口の格子は蔀戸といい留金部分には、蝉の装飾があります。また、部屋全体は五つ分かれ正面「牡丹の間」は格式が高く、天井には折上小組格天井になっています。襖絵は狩野山楽によって描かれた牡丹紅白松鶴などがあり、桃山美術の代表的な作品です。前面の庭には一面白川砂が敷かれ大海を表し、正面の「右近の橘」「左近の梅」が旧御所の名残をとどめています。
由緒書にあったように、入口の格子は「蔀戸(しとみど)」と「蝉の装飾」を撮ってみました。御所の建物だと思わせますね。
宸殿前の「前庭」です。引いて撮りましたが、正面の「右近の橘」と「左近の梅」です。京都御所では、左近の桜ですけど。
手前から「牡丹の間」です。18面の襖絵(複製)は、宸殿でもっとも広い33畳敷きの部屋を飾っています。狩野山楽筆で重要文化財です。
次の間が「松の間」。襖10面、腰障子6面、壁貼付絵2面、伝狩野永徳筆。複製です。
宸殿から「勅使門」を見ています。門前の「枝垂れ桜」は満開時は見事です。
宸殿裏も二間ありますが、それは帰りに見てみます。先に「村雨の廊下」を通ります。
境内の主なお堂は、天皇など高貴な方々が雨に濡れないように移動できるよう、回廊で結ばれています。宸殿と心経前殿を結ぶ回廊は、縦の柱を雨、直角に折れ曲がっている回廊を稲光いなびかりにたとえ「村雨の廊下」と呼ばれています。高貴な人が通られる際の防犯対策の意味で、天井は刀や槍を振り上げられないように低く造られているのが特徴。床は鴬うぐいす張りとなっています。
次に「心経前殿(御影堂)」ですが、先に入られた方が、堂内に入られたので、ここは後でお参りします。
次は「御霊殿(安井堂)」に入ります。
京都東山にあった安井門跡蓮華光院の御影堂を、1871年(明治4年)に移築。堂内部は、内陣の格天井鏡板に花鳥などを描き、その奥の内々陣の折上の鏡天井に壮麗な雲龍が描かれています。中央には鳳輦(ほうれん)に坐す僧形の第108代天皇の後水尾天皇が祀られています。
堂内に入ってお参りさせて貰いました。今日は小銭を用意しています😊。
次に「五大堂」まで来ました。大覚寺の本堂にあたります。今日は、ここに来るのが目的です。
五大堂は、「大覚寺の古文書」の中に、「嵯峨天皇の勅願により嵯峨離宮に嵯峨五台山明王院五大堂を建立し弘法大師が入唐した折、大唐より伝わった五大明王(重文)を奉祀し811年(弘仁2年)3月11日に利民安世、五大明王秘法を修し給うたちまち、五風十雨節序にしたがい、百穀豊穣し、万民其澤に潤う」と、その由来が伝えられています。現在の建物は、江戸時代の天明年間(1781~1789)に再建されたもので、大覚寺の本堂にあたります。本来は境内中央の勅使門の正面(現在は石舞台)の位置にありましたが、1925年(大正14年)大正天皇即位式の饗応殿が下賜され御影堂(心経前殿)として建築されたため、現在地に移築されました。また、現在祀られているご本尊は大覚寺創建200んを記念して1975年(昭和50年)に京都の大仏師松久琳と人間国宝松久宗琳の手で新しく造像されたものです。近畿三十六不動尊第十三番の霊場として多くの人々に親しまれています。大沢池のほとりに位置し、正面中央は板唐戸いたからど、両脇各2間は蔀戸となっている。大沢池に面する東面には池に張り出すように観月台(濡れ縁)があり、大沢池の眺望がすばらしく、大沢池エリアへの共通参拝口もあります。五大明王とは不動明王・降三世明王・軍荼利明王・大威徳明王・金剛夜叉明王のことです。
この五大堂の堂内ではエアコンが効いてて冷やされています。これも知っていたし、それと時間がたっぷりあるので、写経をするつもりできました。写経は、世界遺産 西芳寺(苔寺)以来です。
堂内に入って、右手にある受付に行き、写経を申込みをします。「一般写経」と「ギャテイ写経」があって、どちらにするか言われたので、私は一般のにしました。
受付で、写経についての要領を案内されます。時間制限は無いそうで、筆ペンは貸して貰えますが、私は筆ペンを持参してきました。書き終わると本尊前に線香をして奉納して帰ります。席は自由ですが、誰も居まいので冷房の風があたる所に座りました。
汗が引くのを待って書き始めました。汗だくだったので、引くのに時間はかかりましたが・・・。
書き終わって、本尊前で線香を上げ、写経を奉納してきました。そして、受付にて「切り絵御朱印」もいただきました。それが、これです😊。
この御朱印のデザインは、大納言公任こと藤原公任(ふじわらのきんとう)の姿と和歌が書いてあります。
NHK大河ドラマ「光る君へ」では、町田啓太さんが演じいます。藤原公任は、平安時代を代表する歌人であり、漢詩、和歌、管絃にも優れた当代きっての芸術家でした。「滝の音は 絶えて久しく なりぬれど 名こそ流れて なほ聞こえけれ」は、「小倉百人一首」の55番に収められています。現代語訳は、「滝から流れる水の音は、聞こえなくなって長い年月が経ってしまったけれど、その名声だけは流れ伝わって今でも世間によく聞こえることだ」。今でも大沢池には、「名古曽滝跡」の碑が立っています。
後日談ですが、大覚寺から葉書が届いて、写経をして1年間、一回限り、同行者1名に限り無料で拝観できると書いてありました。ありがたいけど・・・同伴者が・・・😊。
涼しい堂内を出たら「観月台(濡れ縁)」に出てみました。スリッパを履いてても足元は熱いです。ほんのりですが。
こちらから「大沢池エリア」に降りることができます。そのときのために靴は袋に入れ持ち歩きます。私は今日は降りません。
今日は、「大沢池エリア」は空いているみたいです・・・と言うより誰も居ません。ここから見える範囲ですが。
こちらが五大堂の新手にある「トイレ」です。何度も行っていた大覚寺で初めて知りました😊。
次に向かったのが、「心経前殿(勅封心経殿)」です。ここは60年に一度開扉され、前回開いた2018年(平成30年)10月19日(金)に「勅封般若心経戊戌開封法会」に行かさせて貰いました。
心経前殿(勅封心経殿)は、1925年(大正14年)の建立で、法隆寺夢殿を模した八角形で高床式のコンクリート造りの建物です。殿内には嵯峨天皇をはじめ、後光厳天皇、後花園天皇、正親町天皇、光格天皇の宸翰勅封般若心経の御写経が納められ、薬師如来立像が奉伺されています。この宸翰勅封般若心経は天皇の命により勅印をした経典として奉られ60年に一度開封。この建物は1998年(平成10年9に文化庁から登録有形文化財に指定されました。
「心経前殿(勅封心経殿)」は、「心経前殿(御影堂)」の裏手にあるので、これから回り込んで入ります。
「心経前殿(御影堂)」の正面です。堂内に入って、お焼香をしてお参りしました。
1925年(大正14年)の建造。大正天皇(第123代天皇)ご即位に際し建てられた饗宴殿(きょうえんでん)を式後賜り移築したもの。心経殿の前殿にあたるため「心経前殿」と呼ばれ、内陣正面は心経殿を拝するため開いています。大覚寺の歴史上特に重要な嵯峨天皇(第52代天皇)、弘法大師(秘鍵大師)、後宇多法皇(第91代天皇)、恒寂入道親王(大覚寺の初祖)の尊像をお祀りするため「御影堂」とも呼ばています。
前方に「石舞台」、奥に「勅使門」があります。8月20日の「宵弘法(万灯会)」では、大沢池から入ることができます。
嘉永年間(1848~1854)の再建。門は四脚門とし、屋根は切妻造り、正面および背面に軒唐破風を付け、全体は素木造りだが唐破風の部分のみ漆を塗り、鍍金の飾り装飾を施しています。勅使のご来山や門跡猊下出仕の晴れの法会など特別な時のみ開かれます。
再び「村雨の廊下」を通ります。
正面に「霊明殿」が見えています。以前は拝観できましたが、現在は非公開です。2020年(令和2年)3月13日が、最後の訪問となりました。(3月16日から非公開となりました)
向かいに見えているのがこちらも非公開となった「正寝殿」です。後宇多上皇が院政を敷いた場所です。
この大覚寺の東に広沢池があって、その北側に「後宇多天皇 蓮華峯寺陵」があります。一度行ったことがありますが、近々再訪を予定しています。
行きに後回しにした宸殿の裏側です。先ずは「紅梅の間」から。襖絵13面に、紅梅図(重要文化財)が描かれています。こちらも複製です。
次が「鶴の間」です。狩野山楽筆で複製です。
帰りもバスに乗ります。そのバスの時刻が10時23分発だったので、ここで暫く座って休憩してました。
10時16分に「表門」から出て行きました。
表門を出て「明智門」を見てみました。現在放送中のNHK BS「大岡越前7」でも、度々出てくる門です。
寺伝では明智光秀が居城としていた、亀山城の一部を移築したものとされてます。門は入り口部分のみ素木とし、軒裏・窓は白壁の塗籠め、腰の部分には敷瓦を塗りこむ生子壁となっています。明智門奥には、同じく亀山城の一部と伝えられる明智陣屋もあります。
ここからバスに乗るのも初めてです。バス停では5名~6名居ましたが、私が乗る28号系統は私だけでした。
バスは10時32分に着いて、33分発の嵐電四条大宮行きに乗ることができました。車内は殆ど外国人観光客です。座れないことも無かったけど前方に立って写真を撮ることにしました。
「嵐電嵯峨駅」です。以前は嵯峨駅前と言ってました。
「嵐電鹿王院駅」です。鹿王院へは、ここから南へ5分ぐらい歩いた所にあります。
私は、次の「嵐電車折神社」で降りました。
10時40分頃の「車折神社」でしたが、人は多かったですね。さすがに修学旅行生は居ませんが・・・。
この日の東京都では9時の段階で、35℃を超え猛暑日になったようですね。京都では18時20分現在で、33.2℃、湿度59%でした。この先もずっと猛暑が続くようです。関東は知りませんが・・・。
何度も行ってる旧嵯峨御所大覚寺門門跡に、市バスで行くのは初めてです。写真はバス停から見る「愛宕山」です。今日の天気予報では午前中は曇りだと言ってましたが・・・?。
9時頃に大覚寺に着くバスに乗ることができたので、車内はガラガラです😊。
バスを降りると向かいが大覚寺です。9時2分に着きました。
今日は、お堂エリアの拝観のため「表門」から入ります。
表門を入ると右手に「式台玄関」、左に「参拝者入口」があります😊。
9時4分に、入りました。拝観料は500円。今日はお堂エリアだけです。靴は下駄箱に入れることもできますが、私は袋に入れ持ち歩きます。以前、ここではありませんが、間違えられたことがあって、袋があれば持ち歩くことに、私はしてます。
下駄箱には1組2名の靴があったので、先に入られている方は居ます。見えませんが多分です。今日は時間があるので、ゆっくり見て行きます。
最初は「式台玄関」からです。いつものことですが、見事な輿が展示してあります。襖絵も豪華ですね。
大玄関(式台玄関)は、江戸時代の初め、御所より移築されもので、旧嵯峨御所 真言宗 大本山 大覚寺の玄関となります。大覚寺は、もともと平安時代の始めに嵯峨天皇が造営した離宮嵯峨院に起源し、その後、876年(貞観18年)寺に改められ、諸大門前に嵯峨天皇の御孫恒寂法親王が就かれました。日本で最も古い門跡寺院です。心経信仰の霊場、芸術文化の殿堂、嵯峨御流華道の紺本堂場。この式台玄関の障壁画は可能衛陶によって描かれた「松に山鳥図」です。文化財保護の立場から国宝の文化財や重要文化財の仏像、障壁画、装飾画などは収蔵庫に収めてあります。障壁画手前には、第91代天皇の後宇多法皇が使用した御輿あり、御輿には後宇多法皇の御紋である「九曜菊(くようぎく)」が施されています。
ここの向かいは「売店」です。冷房が効いてるようなことが書いてあったので、帰りに寄ります😊。
「宸殿」に入りました。前の方は遙か前方に歩いているのが見えました。後ろは誰も居ません。こんなに暑いので来られる方、少ないでしょう。
宸殿(重要文化財に指定)は、江戸時代の初め延宝年間(1763~1781)に後水尾天皇により、皇后東福門院和子(江戸幕府2代将軍徳川秀忠の娘)が使用していた女御御所の宸殿を賜ったもの。入口の格子は蔀戸といい留金部分には、蝉の装飾があります。また、部屋全体は五つ分かれ正面「牡丹の間」は格式が高く、天井には折上小組格天井になっています。襖絵は狩野山楽によって描かれた牡丹紅白松鶴などがあり、桃山美術の代表的な作品です。前面の庭には一面白川砂が敷かれ大海を表し、正面の「右近の橘」「左近の梅」が旧御所の名残をとどめています。
由緒書にあったように、入口の格子は「蔀戸(しとみど)」と「蝉の装飾」を撮ってみました。御所の建物だと思わせますね。
宸殿前の「前庭」です。引いて撮りましたが、正面の「右近の橘」と「左近の梅」です。京都御所では、左近の桜ですけど。
手前から「牡丹の間」です。18面の襖絵(複製)は、宸殿でもっとも広い33畳敷きの部屋を飾っています。狩野山楽筆で重要文化財です。
次の間が「松の間」。襖10面、腰障子6面、壁貼付絵2面、伝狩野永徳筆。複製です。
宸殿から「勅使門」を見ています。門前の「枝垂れ桜」は満開時は見事です。
宸殿裏も二間ありますが、それは帰りに見てみます。先に「村雨の廊下」を通ります。
境内の主なお堂は、天皇など高貴な方々が雨に濡れないように移動できるよう、回廊で結ばれています。宸殿と心経前殿を結ぶ回廊は、縦の柱を雨、直角に折れ曲がっている回廊を稲光いなびかりにたとえ「村雨の廊下」と呼ばれています。高貴な人が通られる際の防犯対策の意味で、天井は刀や槍を振り上げられないように低く造られているのが特徴。床は鴬うぐいす張りとなっています。
次に「心経前殿(御影堂)」ですが、先に入られた方が、堂内に入られたので、ここは後でお参りします。
次は「御霊殿(安井堂)」に入ります。
京都東山にあった安井門跡蓮華光院の御影堂を、1871年(明治4年)に移築。堂内部は、内陣の格天井鏡板に花鳥などを描き、その奥の内々陣の折上の鏡天井に壮麗な雲龍が描かれています。中央には鳳輦(ほうれん)に坐す僧形の第108代天皇の後水尾天皇が祀られています。
堂内に入ってお参りさせて貰いました。今日は小銭を用意しています😊。
次に「五大堂」まで来ました。大覚寺の本堂にあたります。今日は、ここに来るのが目的です。
五大堂は、「大覚寺の古文書」の中に、「嵯峨天皇の勅願により嵯峨離宮に嵯峨五台山明王院五大堂を建立し弘法大師が入唐した折、大唐より伝わった五大明王(重文)を奉祀し811年(弘仁2年)3月11日に利民安世、五大明王秘法を修し給うたちまち、五風十雨節序にしたがい、百穀豊穣し、万民其澤に潤う」と、その由来が伝えられています。現在の建物は、江戸時代の天明年間(1781~1789)に再建されたもので、大覚寺の本堂にあたります。本来は境内中央の勅使門の正面(現在は石舞台)の位置にありましたが、1925年(大正14年)大正天皇即位式の饗応殿が下賜され御影堂(心経前殿)として建築されたため、現在地に移築されました。また、現在祀られているご本尊は大覚寺創建200んを記念して1975年(昭和50年)に京都の大仏師松久琳と人間国宝松久宗琳の手で新しく造像されたものです。近畿三十六不動尊第十三番の霊場として多くの人々に親しまれています。大沢池のほとりに位置し、正面中央は板唐戸いたからど、両脇各2間は蔀戸となっている。大沢池に面する東面には池に張り出すように観月台(濡れ縁)があり、大沢池の眺望がすばらしく、大沢池エリアへの共通参拝口もあります。五大明王とは不動明王・降三世明王・軍荼利明王・大威徳明王・金剛夜叉明王のことです。
この五大堂の堂内ではエアコンが効いてて冷やされています。これも知っていたし、それと時間がたっぷりあるので、写経をするつもりできました。写経は、世界遺産 西芳寺(苔寺)以来です。
堂内に入って、右手にある受付に行き、写経を申込みをします。「一般写経」と「ギャテイ写経」があって、どちらにするか言われたので、私は一般のにしました。
受付で、写経についての要領を案内されます。時間制限は無いそうで、筆ペンは貸して貰えますが、私は筆ペンを持参してきました。書き終わると本尊前に線香をして奉納して帰ります。席は自由ですが、誰も居まいので冷房の風があたる所に座りました。
汗が引くのを待って書き始めました。汗だくだったので、引くのに時間はかかりましたが・・・。
書き終わって、本尊前で線香を上げ、写経を奉納してきました。そして、受付にて「切り絵御朱印」もいただきました。それが、これです😊。
この御朱印のデザインは、大納言公任こと藤原公任(ふじわらのきんとう)の姿と和歌が書いてあります。
NHK大河ドラマ「光る君へ」では、町田啓太さんが演じいます。藤原公任は、平安時代を代表する歌人であり、漢詩、和歌、管絃にも優れた当代きっての芸術家でした。「滝の音は 絶えて久しく なりぬれど 名こそ流れて なほ聞こえけれ」は、「小倉百人一首」の55番に収められています。現代語訳は、「滝から流れる水の音は、聞こえなくなって長い年月が経ってしまったけれど、その名声だけは流れ伝わって今でも世間によく聞こえることだ」。今でも大沢池には、「名古曽滝跡」の碑が立っています。
後日談ですが、大覚寺から葉書が届いて、写経をして1年間、一回限り、同行者1名に限り無料で拝観できると書いてありました。ありがたいけど・・・同伴者が・・・😊。
涼しい堂内を出たら「観月台(濡れ縁)」に出てみました。スリッパを履いてても足元は熱いです。ほんのりですが。
こちらから「大沢池エリア」に降りることができます。そのときのために靴は袋に入れ持ち歩きます。私は今日は降りません。
今日は、「大沢池エリア」は空いているみたいです・・・と言うより誰も居ません。ここから見える範囲ですが。
こちらが五大堂の新手にある「トイレ」です。何度も行っていた大覚寺で初めて知りました😊。
次に向かったのが、「心経前殿(勅封心経殿)」です。ここは60年に一度開扉され、前回開いた2018年(平成30年)10月19日(金)に「勅封般若心経戊戌開封法会」に行かさせて貰いました。
心経前殿(勅封心経殿)は、1925年(大正14年)の建立で、法隆寺夢殿を模した八角形で高床式のコンクリート造りの建物です。殿内には嵯峨天皇をはじめ、後光厳天皇、後花園天皇、正親町天皇、光格天皇の宸翰勅封般若心経の御写経が納められ、薬師如来立像が奉伺されています。この宸翰勅封般若心経は天皇の命により勅印をした経典として奉られ60年に一度開封。この建物は1998年(平成10年9に文化庁から登録有形文化財に指定されました。
「心経前殿(勅封心経殿)」は、「心経前殿(御影堂)」の裏手にあるので、これから回り込んで入ります。
「心経前殿(御影堂)」の正面です。堂内に入って、お焼香をしてお参りしました。
1925年(大正14年)の建造。大正天皇(第123代天皇)ご即位に際し建てられた饗宴殿(きょうえんでん)を式後賜り移築したもの。心経殿の前殿にあたるため「心経前殿」と呼ばれ、内陣正面は心経殿を拝するため開いています。大覚寺の歴史上特に重要な嵯峨天皇(第52代天皇)、弘法大師(秘鍵大師)、後宇多法皇(第91代天皇)、恒寂入道親王(大覚寺の初祖)の尊像をお祀りするため「御影堂」とも呼ばています。
前方に「石舞台」、奥に「勅使門」があります。8月20日の「宵弘法(万灯会)」では、大沢池から入ることができます。
嘉永年間(1848~1854)の再建。門は四脚門とし、屋根は切妻造り、正面および背面に軒唐破風を付け、全体は素木造りだが唐破風の部分のみ漆を塗り、鍍金の飾り装飾を施しています。勅使のご来山や門跡猊下出仕の晴れの法会など特別な時のみ開かれます。
再び「村雨の廊下」を通ります。
正面に「霊明殿」が見えています。以前は拝観できましたが、現在は非公開です。2020年(令和2年)3月13日が、最後の訪問となりました。(3月16日から非公開となりました)
向かいに見えているのがこちらも非公開となった「正寝殿」です。後宇多上皇が院政を敷いた場所です。
この大覚寺の東に広沢池があって、その北側に「後宇多天皇 蓮華峯寺陵」があります。一度行ったことがありますが、近々再訪を予定しています。
行きに後回しにした宸殿の裏側です。先ずは「紅梅の間」から。襖絵13面に、紅梅図(重要文化財)が描かれています。こちらも複製です。
次が「鶴の間」です。狩野山楽筆で複製です。
帰りもバスに乗ります。そのバスの時刻が10時23分発だったので、ここで暫く座って休憩してました。
10時16分に「表門」から出て行きました。
表門を出て「明智門」を見てみました。現在放送中のNHK BS「大岡越前7」でも、度々出てくる門です。
寺伝では明智光秀が居城としていた、亀山城の一部を移築したものとされてます。門は入り口部分のみ素木とし、軒裏・窓は白壁の塗籠め、腰の部分には敷瓦を塗りこむ生子壁となっています。明智門奥には、同じく亀山城の一部と伝えられる明智陣屋もあります。
ここからバスに乗るのも初めてです。バス停では5名~6名居ましたが、私が乗る28号系統は私だけでした。
バスは10時32分に着いて、33分発の嵐電四条大宮行きに乗ることができました。車内は殆ど外国人観光客です。座れないことも無かったけど前方に立って写真を撮ることにしました。
「嵐電嵯峨駅」です。以前は嵯峨駅前と言ってました。
「嵐電鹿王院駅」です。鹿王院へは、ここから南へ5分ぐらい歩いた所にあります。
私は、次の「嵐電車折神社」で降りました。
10時40分頃の「車折神社」でしたが、人は多かったですね。さすがに修学旅行生は居ませんが・・・。
この日の東京都では9時の段階で、35℃を超え猛暑日になったようですね。京都では18時20分現在で、33.2℃、湿度59%でした。この先もずっと猛暑が続くようです。関東は知りませんが・・・。
この記事へのコメント
私の数年前の経験でも、京都の真夏は湿度も高く空気が重く感じました。
東京は暑くても京都程ではないと思います。
そんな中、旧嵯峨御所大覚寺門門跡へ訪問ですか。
何度拝見しても素晴らしいところですね。しかも広くて見所がいっぱい。
宸殿の広間も見事な襖絵に囲まれて素晴らしい空間です。贅沢な場所ですね。御霊殿(安井堂)の風格のある装飾が実に魅力的です。
こんな場所の冷房の効いたところで写経だなんて、優雅で心洗われる体験だなと思います。
この日は時間の空きがあったので、大覚寺で写経でもしようと思いついたわけです。
外は暑かったので、堂内のエアコンの効いた部屋は涼しかったです。後日、大覚寺から拝観券をいただいたので、季節が進んだら行くつもりです。
写経も苔寺では、いつも拝観前に写経します。大覚寺もいつもでもできるので、また写経に行きたいとは考えています。