「後宇多天皇皇后 姈子内親王 今林陵」へ
8月に入って連日、パリオリンピック観戦のため、早朝から見ている日が続きます。この日も体操男子の個人総合を見てました・・・と言っても起きてテレビ付けたら、最後の鉄棒でしたが、それも中国選手の😊、金メダルの瞬間だけ見せて貰いました😊。
昨日の京都は、最高気温は36.8℃でしたが、最低気温が28.4℃と明け方は涼しい・・・ことは、近年なくなりましたね。8月1日(木)の明け方は、それでも涼しいとは言いがたいものの、暑くは無かったです。予報では北風が吹いて、25℃を切るか切らないかと言ってましたが、結果25.7℃でした。出掛けて暫くは、汗も出なかったですね。こうも高温が続くと、25.7℃でも涼しいと感じるのは、感覚が麻痺しているのかなぁ😊。
日中は、出掛けるも危険なため、早朝、散歩に出掛けました。7月30日(火)に大覚寺に行き、第91代天皇の後宇多天皇ゆかりの寺であることも知ったので、本当は「後宇多天皇 蓮華峯寺陵」まで行きたいところ、暑さを考慮して、「後宇多天皇皇后 姈子内親王 今林陵」に向かったわけです。もちろん大覚寺と言えば嵯峨天皇ですが、「嵯峨天皇 嵯峨山上陵」ですが、2010年(平成22年)2月14日以来、行ってません。ただ山登りは夏場には無理です。こちらは寒くなってから行く予定です。
猛烈な暑さとなった8月1日(木)、京都市の最高気温は今年2番目に高い38・3℃まで上昇した。2日の予想最高気温は京都市で39℃、舞鶴市で36℃で災害級の危険な暑さとなる見通し。2日の京都府には熱中症警戒アラートが発表された。京都府上空は、夏の太平洋高気圧とチベット高気圧の「2層構造」で良く晴れ、猛烈な日射で気温が上昇しやすい状況が続いている。1日(木)の各地の最高気温は、京都市38・3℃、京田辺市37・8℃、南丹市園部町36・4℃など。(京都新聞より)
過去にも行ったことがあるので、道は迷いません。目的地の角に「後宇多天皇皇后 今林陵」と書かれた石柱がありました。「嵯峨帝陵 後宇多帝陵 北十三町」とも書いてあります。
嵯峨天皇陵も後宇多天皇陵もともに行ったことがあますが、再訪の予定しています。この石碑から東に入ると・・・?。
住宅街の真ん中にありました。ここが目的で来ない限り見つけられないでしょう。石碑には「後宇多天皇皇后 遊義門院 今林陵」と書いてあります。詳しいことは知らなかったので、帰ってから調べました。
後宇多天皇皇后 姈子内親王(れいしないしんのう)は、1270(文永7年)~1307(徳治2年)、鎌倉時代の第89代天皇の後深草天皇の皇女。中宮 東二条院(西園寺公子)。1285年(弘安8年)第91代天皇の後宇多天皇の皇子邦治親王(第94代天皇の後二条天皇)の准母とされ、皇后の尊称をうける。1291年(正応4年)に院号宣下を遊義門院(ゆうぎもんいん)と称す。1294年(永仁2年)、後宇多上皇の御所にはいった。1307(徳治2年)死去。38歳。和歌に優れ、「新後撰和歌集」以後の勅撰集に計27首が入集している。女房には、二条派の代表的歌人である二条為子(尊治親王のちの後醍醐天皇 の正妃)や、遊義門院一条局(同側室)らがいた。
大覚寺の「正寝殿」(重文)(通常非公開)の、上段の間は後宇多法皇が院政を執った部屋だったそうで、先日訪れたときに古い写真を見て確認しました。近々2016年(平成28年)9月8日以来の「後宇多天皇 蓮華峯寺陵」に行って見ようと思います。今日は散歩に出掛けたので、もう少し散策しようと・・・。
ここから少し上がると、五山の送り火の「鳥居形(曼荼羅山)」が見えます。最近、暑いので行かなくなりましたが、ここから点火の模様を見に来てました。
「北 大覚寺観空寺 嵯峨帝陵」「嵯峨帝陵 後宇多帝陵 北十二町」と書かれた石柱が。ここから西に向いて歩きます。
「鳥居形(曼荼羅山)」に向かって、清滝街道まで歩いて行きます。
清滝街道に出ました。何故、ここに来たかというと、戦前・・・1944年(昭和19年)12月まで、ここに「愛宕鉄道」が走ってました。清滝街道は愛宕鉄道の線路跡なんですね。
この公園のあたりに、愛宕鉄道「釈迦堂」駅がありました。隣接して車庫もあったようですが、面影はまったく残ってません。
今年91歳になる、私はの母に聞いても、愛宕鉄道のことを知りませんでした。本当に幻の鉄道だったみたいです。祖母が生きていればなぁ・・・と。この先の高架道には「嵯峨西」駅があったようです。こちらも、面影はありません。秋の紅葉時には、清滝街道が渋滞します。もし、今も愛宕鉄道があったら、車は何処を走っていのかなぁ・・・多分、清涼寺(嵯峨釈迦堂)から伸びる愛宕街道でしょう。7時を周り、陽が差してくると暑くなってきたので、これで帰りました。
昨日の京都は、最高気温は36.8℃でしたが、最低気温が28.4℃と明け方は涼しい・・・ことは、近年なくなりましたね。8月1日(木)の明け方は、それでも涼しいとは言いがたいものの、暑くは無かったです。予報では北風が吹いて、25℃を切るか切らないかと言ってましたが、結果25.7℃でした。出掛けて暫くは、汗も出なかったですね。こうも高温が続くと、25.7℃でも涼しいと感じるのは、感覚が麻痺しているのかなぁ😊。
日中は、出掛けるも危険なため、早朝、散歩に出掛けました。7月30日(火)に大覚寺に行き、第91代天皇の後宇多天皇ゆかりの寺であることも知ったので、本当は「後宇多天皇 蓮華峯寺陵」まで行きたいところ、暑さを考慮して、「後宇多天皇皇后 姈子内親王 今林陵」に向かったわけです。もちろん大覚寺と言えば嵯峨天皇ですが、「嵯峨天皇 嵯峨山上陵」ですが、2010年(平成22年)2月14日以来、行ってません。ただ山登りは夏場には無理です。こちらは寒くなってから行く予定です。
猛烈な暑さとなった8月1日(木)、京都市の最高気温は今年2番目に高い38・3℃まで上昇した。2日の予想最高気温は京都市で39℃、舞鶴市で36℃で災害級の危険な暑さとなる見通し。2日の京都府には熱中症警戒アラートが発表された。京都府上空は、夏の太平洋高気圧とチベット高気圧の「2層構造」で良く晴れ、猛烈な日射で気温が上昇しやすい状況が続いている。1日(木)の各地の最高気温は、京都市38・3℃、京田辺市37・8℃、南丹市園部町36・4℃など。(京都新聞より)
過去にも行ったことがあるので、道は迷いません。目的地の角に「後宇多天皇皇后 今林陵」と書かれた石柱がありました。「嵯峨帝陵 後宇多帝陵 北十三町」とも書いてあります。
嵯峨天皇陵も後宇多天皇陵もともに行ったことがあますが、再訪の予定しています。この石碑から東に入ると・・・?。
住宅街の真ん中にありました。ここが目的で来ない限り見つけられないでしょう。石碑には「後宇多天皇皇后 遊義門院 今林陵」と書いてあります。詳しいことは知らなかったので、帰ってから調べました。
後宇多天皇皇后 姈子内親王(れいしないしんのう)は、1270(文永7年)~1307(徳治2年)、鎌倉時代の第89代天皇の後深草天皇の皇女。中宮 東二条院(西園寺公子)。1285年(弘安8年)第91代天皇の後宇多天皇の皇子邦治親王(第94代天皇の後二条天皇)の准母とされ、皇后の尊称をうける。1291年(正応4年)に院号宣下を遊義門院(ゆうぎもんいん)と称す。1294年(永仁2年)、後宇多上皇の御所にはいった。1307(徳治2年)死去。38歳。和歌に優れ、「新後撰和歌集」以後の勅撰集に計27首が入集している。女房には、二条派の代表的歌人である二条為子(尊治親王のちの後醍醐天皇 の正妃)や、遊義門院一条局(同側室)らがいた。
大覚寺の「正寝殿」(重文)(通常非公開)の、上段の間は後宇多法皇が院政を執った部屋だったそうで、先日訪れたときに古い写真を見て確認しました。近々2016年(平成28年)9月8日以来の「後宇多天皇 蓮華峯寺陵」に行って見ようと思います。今日は散歩に出掛けたので、もう少し散策しようと・・・。
ここから少し上がると、五山の送り火の「鳥居形(曼荼羅山)」が見えます。最近、暑いので行かなくなりましたが、ここから点火の模様を見に来てました。
「北 大覚寺観空寺 嵯峨帝陵」「嵯峨帝陵 後宇多帝陵 北十二町」と書かれた石柱が。ここから西に向いて歩きます。
「鳥居形(曼荼羅山)」に向かって、清滝街道まで歩いて行きます。
清滝街道に出ました。何故、ここに来たかというと、戦前・・・1944年(昭和19年)12月まで、ここに「愛宕鉄道」が走ってました。清滝街道は愛宕鉄道の線路跡なんですね。
この公園のあたりに、愛宕鉄道「釈迦堂」駅がありました。隣接して車庫もあったようですが、面影はまったく残ってません。
今年91歳になる、私はの母に聞いても、愛宕鉄道のことを知りませんでした。本当に幻の鉄道だったみたいです。祖母が生きていればなぁ・・・と。この先の高架道には「嵯峨西」駅があったようです。こちらも、面影はありません。秋の紅葉時には、清滝街道が渋滞します。もし、今も愛宕鉄道があったら、車は何処を走っていのかなぁ・・・多分、清涼寺(嵯峨釈迦堂)から伸びる愛宕街道でしょう。7時を周り、陽が差してくると暑くなってきたので、これで帰りました。
この記事へのコメント