平安文化を開花させた「村上天皇 村上陵」へ
8月18日(日)に最高気温が37.1℃の猛暑日を記録したあと、8月19日(月)が32.2℃、20日(火)が32.7℃、最低気温が23.5℃と少しだけ秋の気配を感じる天気が続いた8月21日(水)は朝から暑さを感じました。翌日、見てみると25.4℃でした。ただ、予報では最高気温が36℃と出ていたので、3日振りの猛暑日は確実のようです。(結果は35.9℃まで上がりました)
この日は、以前から決まっていた家族の用事で出掛けます。いつものように2時間ぐらい空き時間が出てので、今日は福王子神社の北側にある「村上天皇 村上陵」に行くことに決めてました。
NHK大河ドラマ「光る君へ」では、花山天皇(第65代天皇)や三条天皇(第67代天皇)が登場しますし、現在は一条天皇(第66代天皇)の時代が描かれています。この日、訪れることにした村上天皇は第62代天皇で、その第二皇子が冷泉天皇(第63代天皇)。その冷泉天皇の第一皇子が花山天皇(演:本郷奏多さん)、第二皇子が三条天皇(演:木村達成)になります。「光る君へ」では、圓融天皇(第64代天皇)の時代から始まり、演者は坂東巳之助さんでした。その圓融天皇は、本日訪れた村上天皇の第五皇子にあたります。冷泉天皇とは同母弟にあたるわけです。その圓融天皇の第一皇子が一条天皇で、現在は一条天皇の時代が描かれており、演者は塩野瑛久さんで好演されてますね😊。これがアップされる頃は、三条天皇の時代になっているかもです。
バスを福王子バス停でおり、西に向いて歩いて行きます。直ぐに福王子神社がありますが、帰りに寄ります。その福王子神社の角を回って北に向かって歩いて行くと、以前訪れた「圓融天皇 後村上陵」を通過し北上です。
簡単に北上と言いましたが、ずっと登ってます。それは福王子神社からで、この登りで一気に汗が噴き出てきました。その先に「宇多野小学校」があるので、児童は毎日この坂を登っていることに・・・。バスを降りて5分ぐらで、右手に「妙光寺」がありました。
2009年(平成21年)の「第43回 京の冬の旅」で公開されましたが、通常は非公開です。
この妙光寺の山門前から「村上天皇 村上陵(むらかみのみささぎ)」の参道に入ります。この時は知らなかったけど、結構な登りが待ってました。
8時58分に参道に入りました。初めて来たので、この先がどうなっているか分かりません。
参道入口から進むと、暫くしたら石段があります。ここらずっと石段が続きました。ここの石段、高いですよね、暑いし堪えました。
まだ余裕があったので、振り返ってみました。まだ、ほんの入口ですが、来る日間違えたなぁ・・・と。
ご覧のように、ここからの坂道・・・急でした。ただ、直ぐに着くだろうと、この時は思ってました😢。
知らなかったけど、ここは「つづら折れ」の石段を登って行くことになってました。これは事前に調べても無かったなぁ・・・。
「つづら折れ」の石段を汗を拭いながら登って行くと、ようやくゴールが見えてきました。もうヘロヘロです。
9時3分に登り切りました。先ずは汗を拭い水分補給です。たった5分でも、急峻でしんどかったし、何より暑かったのが堪えました。
私が登り切って、汗を拭っていると、お一人軽快に登って来られました。こんなに暑いのに・・・と思ってたら、通行禁止エリアに入って行かれたので・・・。
参道入口にあった「巡回強化中」とあったので、宮内庁の職員でしょうね。多分ですが。暫く動けませんでしたね私は、その方は、早々に降りて行かれました。
ここに来るまで村上天皇のことは知らなかったので、調べてみました。前途したとおり、村上天皇の第2皇子が冷泉天皇。村上天皇の第5皇子が圓融天皇にあたります。その後、一条天皇、後一条天皇、後朱雀天皇と続いて行きます。
村上天皇(むらかみてんのう)は、第62代天皇。926年(延長4年)~967年(康保4年)。在位は、946年(天慶9年)~967年)(康保4年)。諱は成明(なりあきら)。醍醐天皇(第60代天皇)の第十四皇子。母は関白藤原基経(ふじわらのもとつね)の女穏子(醍醐天皇の中宮)。944年(天慶7年)に皇太子となり、946年(天慶9年)に朱雀天皇(第61代天皇)の譲位により即位。関白太政大臣藤原忠平が949年(天暦3年)に死去すると、以後は摂関を置かずに親政を行った。954年(天暦8年)諸臣に意見封事を提出させ、後世「天暦の治」と呼ばれる政治上・文化上の一時期を現出した。ただ律令体制は崩壊し、地方では平将門と藤原純友の起こした「承平天慶の乱」で、地方政治は乱れた。また960年(天徳4年)平安宮の内裏は、大規模な火災にみまわれ内裏の建物は全焼となった。967年(康保4年)在位のまま崩御。文治面では、951年(天暦5年)に「後撰和歌集」の編纂を下命したり、960年(天徳4年)3月に内裏歌合を催行し、歌人としても歌壇の庇護者としても後世に評価される。また「清涼記」の著者と伝えられ、琴や琵琶などの楽器にも精通し、平安文化を開花させた天皇といえる。天皇の治績は「天暦の治」として後世景仰された。
ここで村上天皇つながりの余談です。藤原定頼母(実名は不明)は、ドラマでは敏子(演:柳生みゆ)で、父親は村上天皇の第5皇子である昭平親王(あきひらしんのう)で、冷泉天皇や円融天皇とは異母兄弟にあたる人物となります。その敏子は後に藤原道兼(演:玉置玲央)の養女になり、やがて藤原公任(演:町田啓太)に嫁ぐことになります。ドラマでは、まひろ(演:吉高由里子)が、いよいよ源氏物語を道長の依頼で執筆し始めます。まひろを和歌の先生として四条宮に迎えたのが敏子(演:柳生みゆ)でした。
汗も引いて、呼吸も整ったので、そろそろ降ります。木々で見にくいですが、京都市街地が垣間見えました。
9時10分に、石段を降り始めました。前途したとおり石段の一段一段が高いので、ゆっくり降ります。
登る時に感じた、「来る日を間違えた」は、下りも同じです。引いた汗も噴き出てきました😊。
9時15分に参道入口まで戻って来ました。こんなに朝から暑いので、歩いている人も少ないですし、ここには誰も来られませんでした。
もう一度、参道を振り返り撮ったあと、次の目的地に向け歩いて行きました。
今日は、あと一箇所行くつもりでした。ただ、「暑いので止めようかなぁ」と思いましたが、この時間に戻っても1時間以上待つだけです。それならと、熱中症に気をつけて行くことにしました。
この日は、以前から決まっていた家族の用事で出掛けます。いつものように2時間ぐらい空き時間が出てので、今日は福王子神社の北側にある「村上天皇 村上陵」に行くことに決めてました。
NHK大河ドラマ「光る君へ」では、花山天皇(第65代天皇)や三条天皇(第67代天皇)が登場しますし、現在は一条天皇(第66代天皇)の時代が描かれています。この日、訪れることにした村上天皇は第62代天皇で、その第二皇子が冷泉天皇(第63代天皇)。その冷泉天皇の第一皇子が花山天皇(演:本郷奏多さん)、第二皇子が三条天皇(演:木村達成)になります。「光る君へ」では、圓融天皇(第64代天皇)の時代から始まり、演者は坂東巳之助さんでした。その圓融天皇は、本日訪れた村上天皇の第五皇子にあたります。冷泉天皇とは同母弟にあたるわけです。その圓融天皇の第一皇子が一条天皇で、現在は一条天皇の時代が描かれており、演者は塩野瑛久さんで好演されてますね😊。これがアップされる頃は、三条天皇の時代になっているかもです。
バスを福王子バス停でおり、西に向いて歩いて行きます。直ぐに福王子神社がありますが、帰りに寄ります。その福王子神社の角を回って北に向かって歩いて行くと、以前訪れた「圓融天皇 後村上陵」を通過し北上です。
簡単に北上と言いましたが、ずっと登ってます。それは福王子神社からで、この登りで一気に汗が噴き出てきました。その先に「宇多野小学校」があるので、児童は毎日この坂を登っていることに・・・。バスを降りて5分ぐらで、右手に「妙光寺」がありました。
2009年(平成21年)の「第43回 京の冬の旅」で公開されましたが、通常は非公開です。
この妙光寺の山門前から「村上天皇 村上陵(むらかみのみささぎ)」の参道に入ります。この時は知らなかったけど、結構な登りが待ってました。
8時58分に参道に入りました。初めて来たので、この先がどうなっているか分かりません。
参道入口から進むと、暫くしたら石段があります。ここらずっと石段が続きました。ここの石段、高いですよね、暑いし堪えました。
まだ余裕があったので、振り返ってみました。まだ、ほんの入口ですが、来る日間違えたなぁ・・・と。
ご覧のように、ここからの坂道・・・急でした。ただ、直ぐに着くだろうと、この時は思ってました😢。
知らなかったけど、ここは「つづら折れ」の石段を登って行くことになってました。これは事前に調べても無かったなぁ・・・。
「つづら折れ」の石段を汗を拭いながら登って行くと、ようやくゴールが見えてきました。もうヘロヘロです。
9時3分に登り切りました。先ずは汗を拭い水分補給です。たった5分でも、急峻でしんどかったし、何より暑かったのが堪えました。
私が登り切って、汗を拭っていると、お一人軽快に登って来られました。こんなに暑いのに・・・と思ってたら、通行禁止エリアに入って行かれたので・・・。
参道入口にあった「巡回強化中」とあったので、宮内庁の職員でしょうね。多分ですが。暫く動けませんでしたね私は、その方は、早々に降りて行かれました。
ここに来るまで村上天皇のことは知らなかったので、調べてみました。前途したとおり、村上天皇の第2皇子が冷泉天皇。村上天皇の第5皇子が圓融天皇にあたります。その後、一条天皇、後一条天皇、後朱雀天皇と続いて行きます。
村上天皇(むらかみてんのう)は、第62代天皇。926年(延長4年)~967年(康保4年)。在位は、946年(天慶9年)~967年)(康保4年)。諱は成明(なりあきら)。醍醐天皇(第60代天皇)の第十四皇子。母は関白藤原基経(ふじわらのもとつね)の女穏子(醍醐天皇の中宮)。944年(天慶7年)に皇太子となり、946年(天慶9年)に朱雀天皇(第61代天皇)の譲位により即位。関白太政大臣藤原忠平が949年(天暦3年)に死去すると、以後は摂関を置かずに親政を行った。954年(天暦8年)諸臣に意見封事を提出させ、後世「天暦の治」と呼ばれる政治上・文化上の一時期を現出した。ただ律令体制は崩壊し、地方では平将門と藤原純友の起こした「承平天慶の乱」で、地方政治は乱れた。また960年(天徳4年)平安宮の内裏は、大規模な火災にみまわれ内裏の建物は全焼となった。967年(康保4年)在位のまま崩御。文治面では、951年(天暦5年)に「後撰和歌集」の編纂を下命したり、960年(天徳4年)3月に内裏歌合を催行し、歌人としても歌壇の庇護者としても後世に評価される。また「清涼記」の著者と伝えられ、琴や琵琶などの楽器にも精通し、平安文化を開花させた天皇といえる。天皇の治績は「天暦の治」として後世景仰された。
ここで村上天皇つながりの余談です。藤原定頼母(実名は不明)は、ドラマでは敏子(演:柳生みゆ)で、父親は村上天皇の第5皇子である昭平親王(あきひらしんのう)で、冷泉天皇や円融天皇とは異母兄弟にあたる人物となります。その敏子は後に藤原道兼(演:玉置玲央)の養女になり、やがて藤原公任(演:町田啓太)に嫁ぐことになります。ドラマでは、まひろ(演:吉高由里子)が、いよいよ源氏物語を道長の依頼で執筆し始めます。まひろを和歌の先生として四条宮に迎えたのが敏子(演:柳生みゆ)でした。
汗も引いて、呼吸も整ったので、そろそろ降ります。木々で見にくいですが、京都市街地が垣間見えました。
9時10分に、石段を降り始めました。前途したとおり石段の一段一段が高いので、ゆっくり降ります。
登る時に感じた、「来る日を間違えた」は、下りも同じです。引いた汗も噴き出てきました😊。
9時15分に参道入口まで戻って来ました。こんなに朝から暑いので、歩いている人も少ないですし、ここには誰も来られませんでした。
もう一度、参道を振り返り撮ったあと、次の目的地に向け歩いて行きました。
今日は、あと一箇所行くつもりでした。ただ、「暑いので止めようかなぁ」と思いましたが、この時間に戻っても1時間以上待つだけです。それならと、熱中症に気をつけて行くことにしました。
この記事へのコメント
大変でしたでしょう。高校体育部の夏合宿とか、
修験者の荒行とかを連想してしまいました。
(ちょっと大げさか。)それにしても、
職員らしき方の他は誰もお参りしてないのだから、
やっぱり大変なことに間違いはないですね。
でも、その分、『光る君へ』の世界が
身近に感じられたんじゃ無いでしょうか。
その天皇の歴史に思を馳せながら巡るのは楽しいものだと思います。
私もできれば、こんな散策をしたいくらいです。
ただ、京都の夏の暑さ。これは南関東の比較にならないでしょう。
数年前に体験した、京都の夏。空気の重さを感じたものです。
歴史解説もいいですが、真夏の暑さの体験談も興味深いです。
実はいつも感心している事が有るんですよ。
インバウントがあふれる京都から沢山の写真を
提供して頂いてるのですが、見事に外人さん達が
見事に写ってませんね。
時間的にいつも早いですが、それにしてもと
感心しています。
行って見て、こんな坂道だと思わなかったです。
もう暑くて暑くて、こんな日に行くのは間違ってました。
宮内庁の職員さんも見回りで、大変でしょうね、一周して直ぐに降りて行かれました。( ^_^)
この天皇陵のあと、仁和寺まで行ったので、さすがに暑さで熱中症になりかけました。
朝でも、今年の今日と夏の暑さは異常でしたし、行く日を間違えました。( ^_^)
天皇陵を周りだしたのも、「光る君へ」を見て、平安時代に興味を持ったか。それとテレビを見ていた妻に教えてあげるため、私が勉強しているのが現状です。
ここ最近、やっと涼しさを感じるようになりましたが、今年の夏は記録ずくめの猛暑でしたね。まだまだ10月も暑そうです。
暑さを避けて、早朝に出掛けるところを探して天皇陵を巡り恥じました。