「かんぴょうと黒猫」の特別御朱印を貰いに世界文化遺産 真言宗御室派総本山 仁和寺へ
「村上天皇 村上陵」を出て、今度は下りを歩いて行きます。ただ、行きと違い陽を受けるので暑いです。きぬがけの路の角にある福王子神社に久しぶりに寄りました。


2016年(平成28年)10月1日に御朱印と普段は入れない「本殿」内に入るために来た訳です。
福王子神社は、光孝天皇(第58代天皇)の皇后で、仁和寺を創建された宇多天皇(第59代天皇)の母君班子女王(はんしじょおう)を御祭神として祀られています。900年(昌泰3年)に68歳で崩御された班子女王の陵墓の地がこの辺りと伝わり、班子女王を祀る社殿が造営されたとか。神社名の由来は、班子女王が多くの皇子皇女を生んだ事に由来するともいわれています。古くから仁和寺の守護神として祀られ、歴代の仁和寺法親王から厚い尊崇を受けてきました。社殿は応仁の乱によって仁和寺とともに全て焼失してしまい、1644年(寛永11年)江戸幕府3代将軍徳川家光公の寄進により、仁和寺の伽藍整備とともに造営されました。
この「拝殿」も、重要文化財に指定されています。

この石柱「班子皇后」り文字が読み取れます。


「きぬがけの路」に面して建つ「石鳥居」、こちらも重要文化財に指定されています。
福王子神社を出て「きぬがけの路」に出ます。東に向いて歩いて行きますが、最初の信号を左に入ります。真っ直ぐに行けば仁和寺の二王門に出ますが、それは遠回りです。暑いので最短距離で仁和寺に向かうことを考えました。左折すると、最初の路地を東に進み、突き当たりを北に向かって歩きます。北に向かうので、当然のことながら、また登りです。暑いし、緩やかでも登りはキツイです。ほどなくして東に進む通りがあるので、登って行くと、正面に仁和寺の「西門」が見えてきました。
この日、もう一つの目的地は世界遺産 真言宗御室派総本山 仁和寺でした。
「西門」です。ここを目的に仁和寺に入るのは初めてだと思います。2010年(平成22年)2月27日に「御室八十八箇所」の1番から7番まで回ったことかあるので、ここから出たのでしょう。
西門前には「宇多天皇 大内山陵参道」の石碑が。多分、歩いたら1時間はかかるかと思います。
仁和寺には先月の、7月17日(水)に、第49回「京の夏の旅」で来ています。先ずは「御影堂」の前を通りました。
通常は非公開の御影堂では、8月24日(土)~9月29日(日)、12月7日(土)~12月15日(日)に「御影堂特別公開」をされています。私は5月22日(水)の第一期に行って来ました。

御影堂のお隣にある「水掛不動尊(一願不動尊)」がありますが、今日は寄りません。暑いしバテバテやしね。


西門から西に進んで国宝「金堂」まで来ました。ここでお参りしていると、後ろが行列が・・・?。
正面から撮ると失礼かと思い、後ろから撮りました。聞くと管長(門跡)様のようです。仁和寺で一番偉い方とお会いできて暑い中、来て良かったです。
この金堂前に金堂前納経所があります。ここで、この夏授与され始めた特別御朱印をいただきにきました。
8月8日(木)から授与を開始された夏限定「孔雀と黒猫」と「かんぴょうと黒猫」の特別御朱印のうち、「孔雀と黒猫」は無くなったそうで、授与終了との記事が8月19日(月)に出ました。当初から8月21日(水)に行くつもりにしていたので、「孔雀と黒猫」が終了したのは痛かったけど、「かんぴょうと黒猫」は残っているのかなぁ・・・と思い、仁和寺まで暑いなか来て見たわけです。

888年(仁和4年)、父で先帝の光孝天皇(第58代天皇)の意思を継いで、ここ仁和寺を創建された宇多天皇(第59代天皇)。その宇多天皇(うだてんのう)が記した日記『 寛平御記』(かんぴょうぎょき)に、即位前に父親から黒猫を賜ったことが書かれており内容は黒猫のサイズや特徴、毎朝乳粥を与えて可愛がる様子が分かり「その毛色は類まれで、他の猫はどこかぼやけた灰黒色なのに比べうちの猫だけは墨のような漆黒の毛色で美しい」や「歩くときは音もなく、まるで雲上の黒い竜のようだ」などといった溺愛ぶりが書かれており、現代の「猫ブログ」に通じる日本で最古のペット日記だとも言われています。この日記が書かれたのが889年(仁和5年)2月頃。つまり仁和寺が創建され後も黒猫は宇多天皇と共にいた史実に基づいて【黒猫御朱印】が生まれました。


重要文化財に指定されている「五重塔」です。こちらも寄りません。
今日も暑いので、境内はガラガラです。私の後ろには外国人観光客の家族でしょうか、来てました。その集団だけでしたね、海外の方を見たのは。
こちらを西に進むと「観音堂」があります。非公開の観音堂では、2012年(平成24年)から6年にわたって半解体修理が行われ、2019年(令和元年)5月24日に「特別内拝」で堂内に入れました。

重要文化財に指定されてる「中門」の前にある「休憩所」に入りました。ここで、暫く休憩します。
ここにはエアコンはありませんが、扇風機が2台回っていたので風が当たると涼しかったです。
約10分ほど休憩しました。あせを拭い、水分も持って来てましたが、飲み干したので、ここで水を購入。今日は、御朱印が無かったら、多分来て無いでしょう。村上天皇陵もそうですが、真夏に来るのは間違いでしたね。


9時46分に、「中門」から出ました。


今日は「中門」を通って無かったので、出てから撮りました。このあと私の後ろに居た外国人観光客の家族が出て行かれました。

こちらが「勅使門」です。その奥の白書院が工事中のため、工事用の幕に覆われててます。

こちらが御殿拝観入口となる「本坊表門」です。こちらも空いてるみたいです。海外の観光客に人気がイマイチなんでしょうか。
ここから近い龍安寺や金閣寺は、大変な混雑です。夏場もでしょう。現在白書院が工事中のため、敬遠されたのでしょうか。
私の後ろに居た外国人観光客の家族の方は、「二王門」から出て行かれました。龍安寺や金閣寺訪問のバス停を待ってましたね。


仁和寺前パス亭で、バスを待ちました。ベンチがありますが、熱くて座れません😊。ただ、直ぐに来てくれたので助かりました。(スマホのロケバスで見ていたので、待つことはありません😊)
夏限定の特別御朱印が終了したのは残念でしたが、暑いなか頑張って歩いて貰えたのは良かったです。この先で、所用を済ませて帰りました。



福王子神社は、光孝天皇(第58代天皇)の皇后で、仁和寺を創建された宇多天皇(第59代天皇)の母君班子女王(はんしじょおう)を御祭神として祀られています。900年(昌泰3年)に68歳で崩御された班子女王の陵墓の地がこの辺りと伝わり、班子女王を祀る社殿が造営されたとか。神社名の由来は、班子女王が多くの皇子皇女を生んだ事に由来するともいわれています。古くから仁和寺の守護神として祀られ、歴代の仁和寺法親王から厚い尊崇を受けてきました。社殿は応仁の乱によって仁和寺とともに全て焼失してしまい、1644年(寛永11年)江戸幕府3代将軍徳川家光公の寄進により、仁和寺の伽藍整備とともに造営されました。






福王子神社を出て「きぬがけの路」に出ます。東に向いて歩いて行きますが、最初の信号を左に入ります。真っ直ぐに行けば仁和寺の二王門に出ますが、それは遠回りです。暑いので最短距離で仁和寺に向かうことを考えました。左折すると、最初の路地を東に進み、突き当たりを北に向かって歩きます。北に向かうので、当然のことながら、また登りです。暑いし、緩やかでも登りはキツイです。ほどなくして東に進む通りがあるので、登って行くと、正面に仁和寺の「西門」が見えてきました。
この日、もう一つの目的地は世界遺産 真言宗御室派総本山 仁和寺でした。



通常は非公開の御影堂では、8月24日(土)~9月29日(日)、12月7日(土)~12月15日(日)に「御影堂特別公開」をされています。私は5月22日(水)の第一期に行って来ました。







8月8日(木)から授与を開始された夏限定「孔雀と黒猫」と「かんぴょうと黒猫」の特別御朱印のうち、「孔雀と黒猫」は無くなったそうで、授与終了との記事が8月19日(月)に出ました。当初から8月21日(水)に行くつもりにしていたので、「孔雀と黒猫」が終了したのは痛かったけど、「かんぴょうと黒猫」は残っているのかなぁ・・・と思い、仁和寺まで暑いなか来て見たわけです。

888年(仁和4年)、父で先帝の光孝天皇(第58代天皇)の意思を継いで、ここ仁和寺を創建された宇多天皇(第59代天皇)。その宇多天皇(うだてんのう)が記した日記『 寛平御記』(かんぴょうぎょき)に、即位前に父親から黒猫を賜ったことが書かれており内容は黒猫のサイズや特徴、毎朝乳粥を与えて可愛がる様子が分かり「その毛色は類まれで、他の猫はどこかぼやけた灰黒色なのに比べうちの猫だけは墨のような漆黒の毛色で美しい」や「歩くときは音もなく、まるで雲上の黒い竜のようだ」などといった溺愛ぶりが書かれており、現代の「猫ブログ」に通じる日本で最古のペット日記だとも言われています。この日記が書かれたのが889年(仁和5年)2月頃。つまり仁和寺が創建され後も黒猫は宇多天皇と共にいた史実に基づいて【黒猫御朱印】が生まれました。








約10分ほど休憩しました。あせを拭い、水分も持って来てましたが、飲み干したので、ここで水を購入。今日は、御朱印が無かったら、多分来て無いでしょう。村上天皇陵もそうですが、真夏に来るのは間違いでしたね。










ここから近い龍安寺や金閣寺は、大変な混雑です。夏場もでしょう。現在白書院が工事中のため、敬遠されたのでしょうか。




夏限定の特別御朱印が終了したのは残念でしたが、暑いなか頑張って歩いて貰えたのは良かったです。この先で、所用を済ませて帰りました。
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