世界文化遺産 元離宮二条城 国宝 二の丸御殿「式台の間」特別入室へ
世界文化遺産 元離宮二条城では、国宝 二の丸御殿「式台の間」の特別入室を7月24日(水)~8月26日(月)まで実施されたので、私は最終日の8月26日(月)に行きました。通常は廊下から観覧のところ、特別に入室できるイベントでしたが、こんなに暑い真夏にしなくてもと思い、最終日まで行けませんでしたね、あまりにも今年の夏が暑いから😒。ちなみに前回の「式台の間」の特別入室は、2019年(平成31年)1月4日(金)~1月27日(日)の冬の時期で、私は行ってません。
私は、京都市民限定の「年間バスボート」を購入しています。それで、行かないと勿体ないし、貴重な特別入室できるし・・・しかし、8月26日(月)は朝から晴れて暑かったです。最低気温は25.5℃と熱帯夜。しかし湿気多くて11時50分現在では、34.5℃も気温が上がってました。ここ最近は、出掛けるときは早朝に行ってましたが、通常時間の拝観は久しぶりかなぁ😊。
今日は用事があって、そこから向かったので、かなり早く着いてしまいました。地下鉄東西線二条城前駅の3番出入口から地上に上がってきました。
8時26分に地上に出たので、まだ20分近く開城時間まであります。ゆっくり歩いて行くことに。
押小路通りの信号も、待たずに渡れたので、重要文化財に指定されてる「東南隅櫓」をゆっくり撮影です。
この時、8時32分。重要文化財に指定されてる「東大手門」は、開城の準備でスタッフの方が忙しく動いてました。
8時35分までに着いたので、10分待ちます。チケット売場では数名の方が並ばれてました。私は、「年間バスボート」を持っているので、ここで開城を待つことに。私の後ろの方は、WEBでチケットを購入されてたようです。
朝から暑いので、待つのは辛かったです。大きな日傘の下に隠れて暑さを凌ぎました。時計の針が8時45分ちょうどになると、やっと開門されました。開門時にチケット売場では、10㍍ぐらいの行列ができてました。ほぼ外国人観光客のようでしたね。入城したら、真っ先に二の丸御殿に向かいました。
重要文化財に指定されてる絢爛豪華な「唐門」を入ります。
8時46分に国宝「二の丸御殿」に入りました。靴は下駄箱に入れません。家から袋を持って来ました。
以前、靴を間違えて持って行かれて、それで下駄箱は信用してません。そこは、いったん下駄箱に靴を入れ堂内を見たあと、次に庭園に降りるときに、その靴を袋に入れて向かうわけです。その袋を持っている人を捜し当てたわけ。本当に焦りましたね😊。余談でしたが、二の丸御殿は撮影禁止です。撮影もできないので、さっさと見て回るつもりにしています。
「式台の間」は、来殿者が将軍との対面を前に老中に挨拶した部屋。通常は廊下からしか見られません。特別に入室し、内側や天井画を間近で見せて貰いました。
あとの部屋はスルーです。何度も見てるので。8時57分に出て行きました。当初は、暑いし「熱中症警戒アラート」も出ていたので、このあと「展示収蔵庫」に入って帰るつもりにしてましたが、やっはり庭園を見ないで帰るのは勿体ないし、行くことにしました。ただ、これが後々間違いの元になりました・・・。
現在「NAKED夏まつり 2024 世界遺産・二条城」が昨日まで開催でした。スタッフの方が後片付けされてました。
写真を見ただけで暑さが伝わってくるかと思います。いつ見ても、ここの庭園は綺麗で、私は好きな庭園で外せないですね。
二の丸御殿に入ったあとに「二の丸庭園」に来ましたが、まだ空いてました。二条城のチケットには、庭園のみのがあるので、数名は居るかなぁ・・・と思って来たんですが。
ここから「二の丸」を出て行きます。今度こそ、ここから引き返すつもりでしたが・・・・・・?。
「二の丸」を出て、南を見ると「桃山門」が、正面には「本丸櫓門」が見えています。
「東橋」の先に前途した「本丸櫓門」があります。今日は「本丸」に行く予定にしてませんでしたが、やっぱり行ってしまいますね。
9月1日(日)から18年振りに公開となる「本丸御殿」が正面に見えています。その本丸御殿に興味を引いたので行ってみようと思った次第です。
現在の「本丸御殿」は、二条城が皇室の離宮となった明治時代。天皇と深い関係にあった桂宮家の御殿を一部移築し完成したものです。
徳川家康が江戸幕府を創設した際に築城された二条城。築城後に建てられた本丸御殿は大火により焼失してました。そして幕末になって、江戸幕府15代将軍徳川慶喜が本丸の北寄りに仮御殿を建てましたが、1881年(明治14年)頃に撤去されました。
8月8日(木)~22日(木)まで、京都市民限定で「市民内覧会」がありました。京都市市民の方なら無料で招待されたわけです。
真夏の暑いときに、無理に行かなかったです。9月1日(日)から一般公開が始まります。嬉しいことに「年間バスボート」 は、本丸御殿にも有効なんです。それが分かったので行かなかった次第です。私は涼しくなってから18年振りに行ってみます😊。
9時4分に「天守台」の下まで来ました。ここでお一人降りて来られ、それなら誰も居ないだろうし行ってみようと、ここから登ります。
「天守台」に上がりました。いつもなら、ここの床几で座り休憩したいところ、熱くて熱くて、とても座れる状態ではありません😒。
ここに上がったことで、軽い熱中症になったようです。風は吹いてますが、暖かい風で汗が止まりません。いつも日中に出掛けると日傘を使いますが、写真を撮りたいので、日傘は鞄に入れてままにしてました。
北東です。遠くに「比叡山」と、手前に上から見た「本丸御殿」が見えました。
本丸の内堀です。東の方向を見ています。後水尾天皇(第108代天皇)も、この景色を見られたのでしょう。
南の方向です。木々が茂っているので、京都市街地は見えません。
北の方向です。強い日差しで、写真でも暑いのがわかるかと思います。
「西南隅櫓」の方向です。今年もアジサイ苑の紫陽花、綺麗でした。
北の方向です。内堀に架かる「西橋」を見ています。いつもなら、この橋を渡って、北にある清流圓を見て回るですが、この暑さでは・・・?。
9時6分に降りることにしました。暑いし日陰もないので、これ以上は無理です😒。
「本丸御殿」の「車寄」です。内部の観覧は、ここから入るかと思います。それを確認したかったけど、まだ何も書いてありません。
ここから西橋を、いつも渡ってましたが、今日は止めました。本丸から二の丸を通って、展示収蔵庫に向かいます。
帰りは「本丸御殿」の前を通りました。
芝生の綺麗な「本丸庭園」です。1895年(明治28年)に明治天皇が御殿を訪れた際に、まだ出来たばかりの庭園の作り替えが命じられました。
曲線の園路で囲われた芝地、伏せて据えられた景石、築山(月見台)からなる、近代的な意匠をもった現在の本丸庭園が成立しました。
本丸を「本丸櫓門」から「東橋」を通って出て行きました。この時間になると、そこそこの人が本丸に入って行かれます。
帰りも「二の丸庭園」を通りました。行きと違って、多くの人が来られてました。
本丸御殿の前を通って、9時18分に「展示収蔵庫」に着きました。さすがに暑くてフラフラに・・・。
内部はエアコンが効いて涼しかったです。水分を補給しましたが、汗が止まりません。床が汗で少し濡れました。団扇で扇いで休憩しました。正直苦しかったです。無理して庭園を回ったからでしょう。真夏に二条城に来るもんじゃないです😢。
7月18日(木)~9月15日(日)まで、「令和6年度夏期 シリーズ二条離宮の時代 障壁画再生 ~式台の間~」を見に来ました。ここは100円要りますが、年間バスボートは入れます。
徳川幕府の終焉によって、二条城は新政府に引き渡されました。その後、陸軍や京都府の施設として使用された後、1884年(明治17年)に、皇室の別邸である二条離宮になり、宮内省の管轄下に入りました。翌年から大規模な修理が始まり、二の丸御殿も皇室の離宮の宮殿として、それに相応ふさわしい内装へと整えられていきました。「遠 侍 」と「大広間」に挟まれた棟である式台の「式台の間」は、昇殿者が幕府の老中に取次を求めた場所と伝えらえます。東西に細長い部屋の廊下との境には腰障子がはまっており、室内側の腰板には障壁画が貼られています。1626年(寛永3年)に制作された障壁画は二条離宮になる頃には失われていたため、別の場所から持ち込まれた「花鳥図」障壁画を再利用する形で修理が行われました。残念ながら、「花鳥図」が元々、いつ、どの建物のために描かれた障壁画なのかは明らかになっていません。しかし、引手の痕跡や紙継ぎを頼りに元の画面を再構成すると、襖などに描かれた春と秋の花鳥図であったことが判明します。しかも、ひと続きの画面であったものが、「遠 侍 」「芙蓉の間」や「黒書院」「帳台の間」の壁面にも再利用されていることが分かりました。 あずかりこの修理の時には、画工が総勢14名雇用されました。その中には、江戸時代に代々朝廷の絵所えところ預を務めた土佐家の一門や、円山派や四条派の流れをくむ職業絵師が含まれています。しかし、それ以外に、宮内省の御殿を管理する部門の職員のうち、絵心がある者も従事したことが記録されています。彼らは、失われたり褪色した障壁画に補筆や補彩を加える仕事をしました。式台の間の《松図》に見える鮮やかな松葉の緑もおそらくこの時に補彩されたものです。現在の障壁画の修理とは手法も考え方もかけ離れていますが、離宮の宮殿として美しく整えることが最優先されたのでしょう。
9時34分に出て、お隣の「休憩所」で、またまた休憩です。本当は生ビールの見たかったけど、明日検査が入っているので我慢ました😊。
9時40分に重要文化財に指定の「東大手門」から出ました。海外の方に人気があるのでしょうか、暑いのに、ひっきりなしに入って来られます。
帰りも地下鉄東西線二条城前を利用しました。全身汗で濡れていのるので、地下鉄車内の冷房が気持ち良かったです。
太秦天神川駅まで、妻が迎えにきてくれて、それで帰路につきました。この日も結果、最高気温が35.0℃まで上がり猛暑日でしたね。台風10号の南風のため、湿気が多くて参りました。
私は、京都市民限定の「年間バスボート」を購入しています。それで、行かないと勿体ないし、貴重な特別入室できるし・・・しかし、8月26日(月)は朝から晴れて暑かったです。最低気温は25.5℃と熱帯夜。しかし湿気多くて11時50分現在では、34.5℃も気温が上がってました。ここ最近は、出掛けるときは早朝に行ってましたが、通常時間の拝観は久しぶりかなぁ😊。
今日は用事があって、そこから向かったので、かなり早く着いてしまいました。地下鉄東西線二条城前駅の3番出入口から地上に上がってきました。
8時26分に地上に出たので、まだ20分近く開城時間まであります。ゆっくり歩いて行くことに。
押小路通りの信号も、待たずに渡れたので、重要文化財に指定されてる「東南隅櫓」をゆっくり撮影です。
この時、8時32分。重要文化財に指定されてる「東大手門」は、開城の準備でスタッフの方が忙しく動いてました。
8時35分までに着いたので、10分待ちます。チケット売場では数名の方が並ばれてました。私は、「年間バスボート」を持っているので、ここで開城を待つことに。私の後ろの方は、WEBでチケットを購入されてたようです。
朝から暑いので、待つのは辛かったです。大きな日傘の下に隠れて暑さを凌ぎました。時計の針が8時45分ちょうどになると、やっと開門されました。開門時にチケット売場では、10㍍ぐらいの行列ができてました。ほぼ外国人観光客のようでしたね。入城したら、真っ先に二の丸御殿に向かいました。
重要文化財に指定されてる絢爛豪華な「唐門」を入ります。
8時46分に国宝「二の丸御殿」に入りました。靴は下駄箱に入れません。家から袋を持って来ました。
以前、靴を間違えて持って行かれて、それで下駄箱は信用してません。そこは、いったん下駄箱に靴を入れ堂内を見たあと、次に庭園に降りるときに、その靴を袋に入れて向かうわけです。その袋を持っている人を捜し当てたわけ。本当に焦りましたね😊。余談でしたが、二の丸御殿は撮影禁止です。撮影もできないので、さっさと見て回るつもりにしています。
「式台の間」は、来殿者が将軍との対面を前に老中に挨拶した部屋。通常は廊下からしか見られません。特別に入室し、内側や天井画を間近で見せて貰いました。
あとの部屋はスルーです。何度も見てるので。8時57分に出て行きました。当初は、暑いし「熱中症警戒アラート」も出ていたので、このあと「展示収蔵庫」に入って帰るつもりにしてましたが、やっはり庭園を見ないで帰るのは勿体ないし、行くことにしました。ただ、これが後々間違いの元になりました・・・。
現在「NAKED夏まつり 2024 世界遺産・二条城」が昨日まで開催でした。スタッフの方が後片付けされてました。
写真を見ただけで暑さが伝わってくるかと思います。いつ見ても、ここの庭園は綺麗で、私は好きな庭園で外せないですね。
二の丸御殿に入ったあとに「二の丸庭園」に来ましたが、まだ空いてました。二条城のチケットには、庭園のみのがあるので、数名は居るかなぁ・・・と思って来たんですが。
ここから「二の丸」を出て行きます。今度こそ、ここから引き返すつもりでしたが・・・・・・?。
「二の丸」を出て、南を見ると「桃山門」が、正面には「本丸櫓門」が見えています。
「東橋」の先に前途した「本丸櫓門」があります。今日は「本丸」に行く予定にしてませんでしたが、やっぱり行ってしまいますね。
9月1日(日)から18年振りに公開となる「本丸御殿」が正面に見えています。その本丸御殿に興味を引いたので行ってみようと思った次第です。
現在の「本丸御殿」は、二条城が皇室の離宮となった明治時代。天皇と深い関係にあった桂宮家の御殿を一部移築し完成したものです。
徳川家康が江戸幕府を創設した際に築城された二条城。築城後に建てられた本丸御殿は大火により焼失してました。そして幕末になって、江戸幕府15代将軍徳川慶喜が本丸の北寄りに仮御殿を建てましたが、1881年(明治14年)頃に撤去されました。
8月8日(木)~22日(木)まで、京都市民限定で「市民内覧会」がありました。京都市市民の方なら無料で招待されたわけです。
真夏の暑いときに、無理に行かなかったです。9月1日(日)から一般公開が始まります。嬉しいことに「年間バスボート」 は、本丸御殿にも有効なんです。それが分かったので行かなかった次第です。私は涼しくなってから18年振りに行ってみます😊。
9時4分に「天守台」の下まで来ました。ここでお一人降りて来られ、それなら誰も居ないだろうし行ってみようと、ここから登ります。
「天守台」に上がりました。いつもなら、ここの床几で座り休憩したいところ、熱くて熱くて、とても座れる状態ではありません😒。
ここに上がったことで、軽い熱中症になったようです。風は吹いてますが、暖かい風で汗が止まりません。いつも日中に出掛けると日傘を使いますが、写真を撮りたいので、日傘は鞄に入れてままにしてました。
北東です。遠くに「比叡山」と、手前に上から見た「本丸御殿」が見えました。
本丸の内堀です。東の方向を見ています。後水尾天皇(第108代天皇)も、この景色を見られたのでしょう。
南の方向です。木々が茂っているので、京都市街地は見えません。
北の方向です。強い日差しで、写真でも暑いのがわかるかと思います。
「西南隅櫓」の方向です。今年もアジサイ苑の紫陽花、綺麗でした。
北の方向です。内堀に架かる「西橋」を見ています。いつもなら、この橋を渡って、北にある清流圓を見て回るですが、この暑さでは・・・?。
9時6分に降りることにしました。暑いし日陰もないので、これ以上は無理です😒。
「本丸御殿」の「車寄」です。内部の観覧は、ここから入るかと思います。それを確認したかったけど、まだ何も書いてありません。
ここから西橋を、いつも渡ってましたが、今日は止めました。本丸から二の丸を通って、展示収蔵庫に向かいます。
帰りは「本丸御殿」の前を通りました。
芝生の綺麗な「本丸庭園」です。1895年(明治28年)に明治天皇が御殿を訪れた際に、まだ出来たばかりの庭園の作り替えが命じられました。
曲線の園路で囲われた芝地、伏せて据えられた景石、築山(月見台)からなる、近代的な意匠をもった現在の本丸庭園が成立しました。
本丸を「本丸櫓門」から「東橋」を通って出て行きました。この時間になると、そこそこの人が本丸に入って行かれます。
帰りも「二の丸庭園」を通りました。行きと違って、多くの人が来られてました。
本丸御殿の前を通って、9時18分に「展示収蔵庫」に着きました。さすがに暑くてフラフラに・・・。
内部はエアコンが効いて涼しかったです。水分を補給しましたが、汗が止まりません。床が汗で少し濡れました。団扇で扇いで休憩しました。正直苦しかったです。無理して庭園を回ったからでしょう。真夏に二条城に来るもんじゃないです😢。
7月18日(木)~9月15日(日)まで、「令和6年度夏期 シリーズ二条離宮の時代 障壁画再生 ~式台の間~」を見に来ました。ここは100円要りますが、年間バスボートは入れます。
徳川幕府の終焉によって、二条城は新政府に引き渡されました。その後、陸軍や京都府の施設として使用された後、1884年(明治17年)に、皇室の別邸である二条離宮になり、宮内省の管轄下に入りました。翌年から大規模な修理が始まり、二の丸御殿も皇室の離宮の宮殿として、それに相応ふさわしい内装へと整えられていきました。「遠 侍 」と「大広間」に挟まれた棟である式台の「式台の間」は、昇殿者が幕府の老中に取次を求めた場所と伝えらえます。東西に細長い部屋の廊下との境には腰障子がはまっており、室内側の腰板には障壁画が貼られています。1626年(寛永3年)に制作された障壁画は二条離宮になる頃には失われていたため、別の場所から持ち込まれた「花鳥図」障壁画を再利用する形で修理が行われました。残念ながら、「花鳥図」が元々、いつ、どの建物のために描かれた障壁画なのかは明らかになっていません。しかし、引手の痕跡や紙継ぎを頼りに元の画面を再構成すると、襖などに描かれた春と秋の花鳥図であったことが判明します。しかも、ひと続きの画面であったものが、「遠 侍 」「芙蓉の間」や「黒書院」「帳台の間」の壁面にも再利用されていることが分かりました。 あずかりこの修理の時には、画工が総勢14名雇用されました。その中には、江戸時代に代々朝廷の絵所えところ預を務めた土佐家の一門や、円山派や四条派の流れをくむ職業絵師が含まれています。しかし、それ以外に、宮内省の御殿を管理する部門の職員のうち、絵心がある者も従事したことが記録されています。彼らは、失われたり褪色した障壁画に補筆や補彩を加える仕事をしました。式台の間の《松図》に見える鮮やかな松葉の緑もおそらくこの時に補彩されたものです。現在の障壁画の修理とは手法も考え方もかけ離れていますが、離宮の宮殿として美しく整えることが最優先されたのでしょう。
9時34分に出て、お隣の「休憩所」で、またまた休憩です。本当は生ビールの見たかったけど、明日検査が入っているので我慢ました😊。
9時40分に重要文化財に指定の「東大手門」から出ました。海外の方に人気があるのでしょうか、暑いのに、ひっきりなしに入って来られます。
帰りも地下鉄東西線二条城前を利用しました。全身汗で濡れていのるので、地下鉄車内の冷房が気持ち良かったです。
太秦天神川駅まで、妻が迎えにきてくれて、それで帰路につきました。この日も結果、最高気温が35.0℃まで上がり猛暑日でしたね。台風10号の南風のため、湿気が多くて参りました。
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