嵯峨野散歩「竹林の小経」へ

8月29日(木)の8時頃、強い台風10号(サンサン)は鹿児島県薩摩川内市付近に上陸しました。 台風が日本に上陸するのは今年2つめです。その後、台風10号は九州北部を北寄りに、ジョギング程度のスピードで進んでゆっくりゆっくり北上。ただ関東では非常に激しい雨が降り続くなど、台風本体から離れたところでも活発な雨雲がかかりました。29日夜には全線の運休が決まった東海道新幹線。翌日は始発から終日全線で運転を見合わせることになりました。

話しは先週末に戻します。22日(木)まで台風の進路予想は、関西直撃コースでした。2018年(平成30年)9月4日に神戸市に再上陸した台風21号は、京都市では最大瞬間風速が、観測史上2位の39・4㍍を記録するなど、平野神社の拝殿を吹き飛ばし、醍醐寺や大覚寺、仁和寺、高山寺、二条城などで文化財に被害が出て、伏見稲荷大社の千本鳥居が何本も倒れ、嵐山の渡月橋ではヒノキ製の東側欄干が100㍍近くにわたって倒れたほど。その台風21号と同様の強さで上陸と出ていたので、雌雄末にかけてモバイルバッテリーの充電など準備をしていたところ、この台風10号の進路が、どんどん西へ西へと変わって行き、スピードも落ち、結果、29日(木)に鹿児島県に上陸となったわけです。この台風、記録的に遅くて、進路も定まらず、この日は30日(金)ですが、明日の31日(土)でも高知県沖かなぁ・・・と、そこで紀伊水道付近で停滞するかもって。

その29日(木)は、午前中は雨が降りましたが、午後から曇って、それに風も強かったため、洗濯物は乾きました。翌30日(金)の予報曇りでした。朝起きて窓を開けても風は吹いてませんし、気温も高かったです。前途したとおり、台風が9月1日(日)頃から、停滞するかもと出ていて、店も雨が続くと思われるので、早朝に歩きに出掛けることにしました。目標は1時間程度、ただ用事があるので、所用先に嵐電で向かうためゴールは嵐電嵐山駅と決めて出掛けました。行き先は二通り考えてましたが、それは行ってみて決めます。

IMG_4524.jpg某所から丸太町通りを西に向いて歩いて行くと、「愛宕山」が見える所があります。ただ、今日は山頂付近が雲に覆われて見えません。

IMG_4413.jpg新丸太町通りから清滝街道を北上します。ここは戦前まで愛宕山鉄道の線路跡です。前方信号の右手に「釈迦堂駅」がありました。

愛宕山鉄道は、写真も少なく、あまり知られてません・・・多分😊。奥嵯峨にある「嵯峨鳥居本町並み保存館」に行けば、模型があるので雰囲気は分かります。このあと、嵯峨釈迦堂バス停の手前を西に入り、概ねずっと西に歩いて行きます。今日は愛宕街道は歩きません。そして住宅街を抜けると・・・?。

IMG_4414.jpg前方に田園風景が広がります。この辺りから「国の重要伝統的建造物群保存地区」に指定されています。

IMG_4415.jpgそのまま進めば「落柿舎」の前に出ます。早朝のため、閉門されたままです。

IMG_4417.jpgIMG_4416.jpg落柿舎のお隣には「嵯峨天皇皇女 有智子内親王墓」があります。

有智子内親王(うちこないしんのう)は、平安前期の女流漢詩人。嵯峨天皇(第52代天皇)の第8皇女 。母は交野女王(かたののじょおう)。幼くして賀茂の初代の賀茂斎院となり、漢詩文にすぐれ823年(弘仁14年)斎院の花宴のときつくった詩が父嵯峨天皇に賞賛され三品(さんぼん)に、封100戸をさずけられた。831年(天長8年)に斎院をやめたあと晩年は嵯峨西荘に閑居し「続日本後紀」「経国集」に詩を収めた。847年(承和14年)41歳で没した。

IMG_4418.jpg「嵯峨天皇皇女 有智子内親王墓」かに南を見ています。何年か前までお米を作られてましたが、今は何もされてません。

IMG_4419.jpgこの時、6時20分頃でしたが、陽は昇っています。ただ曇っているので撮れました。ただ、ここからは比叡山は見えません。

IMG_4420.jpgIMG_4421.jpg次に、京都でも屈指の紅葉の名所「常寂光寺」の前を通りました。今年は、ここの桜を見に来てました。

IMG_4422.jpgIMG_4423.jpgIMG_4424.jpg常寂光寺の山門を南に進むと「小倉池」があります。今年も、ここに咲く「蓮の花」を見に来ました。

まだ、数は少なくなってましたが、蓮の花が咲いてました。ここの向かいには日本で唯一“髪”の神社「御髪神社」がありますが、今日は寄りません。

この先に「トロッコ嵐山駅」があって、ここから急な坂を登ります。こんなに朝が早いのに、外国人観光客の姿もチラホラ。登り切った先には・・・?。

IMG_4425.jpg左手に竹林が、右手に「大河内山荘」が、正面に嵐山公園亀山地区(亀山公園)があります。

この先の左手に、外国人観光客に大人気の「竹林の小経」があります。ここ何年かは海外の方で、大変混雑するスポットになってしまいました。ここが空いていたら、こちらに行き、混んでいたら、亀山公園の展望台に行くつもりでしたが、結果は・・・?。

IMG_4426.jpgご覧のとおり誰も居ません。こちら側に2組居ましたが・・・それなら嵐電嵐山駅にも近いし、行ってみようと。

IMG_4427.jpgIMG_4428.jpgここは、かなりの下り坂で、一気に歩いて行きました。そして振り返って見ます。

IMG_4429.jpgまだ、海外の方は降りずに居るようです。もう一人は亀山公園の方に行かれたみたいですね。

IMG_4430.jpgIMG_4431.jpgIMG_4432.jpgそしたら、お一人海外の方が登って来られました。まだ6時30分頃、どうして、ここまで来られたのかなぁ😊。

IMG_4433.jpgIMG_4435.jpgこちらは下りながら振り返って撮った写真です。インバウンドの方が増える前は、この時間では誰も居なかったのに・・・。

IMG_4436.jpg下って行き、右手を見れば天龍寺曹源池庭園が見えました。

IMG_4437.jpgそして、ここが「北門」です。ここ「竹林の小経」が混雑しているので、最近ここから入園される方が多いです。ほぼ海外の方ですが。ここの開門は8時30分です。

IMG_4438.jpgIMG_4439.jpgIMG_4440.jpgIMG_4441.jpgIMG_4442.jpgIMG_4443.jpgこのあと誰も擦れちがわず、野宮神社まで来ました。せっかく早朝に、ここまで来たので寄って行くことにしました。

この看板の左手に、源氏物語ゆかりの神社「野宮神社」があります。

IMG_4444.jpgIMG_4445.jpgIMG_4446.jpg6時33分に野宮神社に着きました。外国人観光客の一組が、向こうから登って来られましたが、こちらには来られませんでした。

IMG_4483.jpgIMG_4484.jpg野宮神社には、何度も来ています。ただ、すっかり忘れてましたが、この看板を見て思い出しました。そこには「源氏物語の旧蹟」と書いてあります。

現在放送中のNHK大河ドラマ「光る君へ」では、ようやく紫式部が源氏物語を書き始めました。1月に放送開始されて、8月に入ってやっとです😊。私は源氏物語を読んでないので(さわりだけ読みました)、ここ野宮神社が、どのようにゆかりがあるのか知りません。瀬戸内寂聴訳の「源氏物語」かあるので、読んでみようと思っています。

IMG_4447.jpgさっそく境内に入りますが、先ずは入口にある「黒木鳥居」に注目です。

IMG_4456.jpg「日本一の黒木鳥居」と呼ばれるクヌギの樹皮のついたままの鳥居があります。この鳥居の形式としては極めて原始的日本最古のものらしいです。このクヌギは、四国剣山の山麓より切り出されたようですね。詳細は案内版を読んでみてください😊。

野宮神社は、伊勢神宮に奉仕する内親王が潔斎(けっさい)のため居住された跡で、現在社殿が3つあります。中央には天照大神を祀る本殿が、左右に愛宕、弁財天が祀られています。歴代天皇は未婚の皇女を神宮に奉仕せしめられ、これを斎宮(さいぐう)といいました。斎宮に立たれる内親王は、まず皇居内の初斎院で、1年余り潔斎されてから、この野宮に移り、3年間の潔斎の後、初めて伊勢に向かわれたといいます。その時の行列を斎王群行といいました。斎宮は垂仁天皇(第11代天皇)の時に皇女倭(やまと)姫命をして奉仕せしめられたのが始まりで、その後、斎王制度は後醍醐天皇(第96代天皇)の時代・南北朝の戦乱で廃絶しました。その後は神社として存続し、勅祭が執行されていましたが、時代の混乱の中で衰退していきます。源氏物語、謡曲野宮でも有名な野宮神社は、嵯峨野巡りの起点として多くの方が訪れています。黒木の鳥居や小柴垣は昔のままの遺風を伝えるものです。

IMG_4448.jpgIMG_4450.jpg黒木鳥居を入って正面が「本殿」です。御祭神は、野宮大神(天照皇大神)で、健康と知恵授けの神様でした。

IMG_4449.jpg本殿の向かって左奥には、境内社の「白峰弁財天」があって御利益は、財運・芸能上達の神様だそうです。

IMG_4451.jpg本殿前から黒木鳥居を見ています。今は早朝ですが、昼間でもここは薄暗いです。

IMG_4452.jpgさらに左手に行くと「野宮大黒天」があって、開運・縁結び・神学など良縁結婚の縁結びの神様として参拝されます。その足元には「神石(亀石)」が置かれており、祈りを込めて撫でると願いごとが叶うそうです。

IMG_4453.jpgIMG_4454.jpgそして最後は、「龍神の井戸」で手水も兼ねてるようです。井戸に鎮まる龍神大神は健康・長寿・病気全快の御利益あるとか。

IMG_4455.jpgポストの形をした「おみくじ」です。私は個人的に、おみくじに興味が無いので、まったくおみくじを引いたことはありません。

IMG_4458.jpg早朝のため「授与所」は閉まっています。ここで御朱印いただきました。

IMG_4459.jpgIMG_4460.jpg次に本殿の向かって右奥に行きました。こちらは「愛宕社」です。があります。ここからほど近い愛宕山の愛宕大神が祀られています。御利益は鎮火勝運でした。

IMG_4463.jpgIMG_4465.jpg次に黒木鳥居を入って右手の奥に進みます。

IMG_4466.jpgIMG_4480.jpgIMG_4482.jpg野宮神社では有名な「野宮じゅうたん苔」です。昼間でも、ここは薄暗いので苔も綺麗です。

IMG_4467.jpgIMG_4468.jpgIMG_4469.jpg薄暗いなか、奥に進むと句碑がありました。「野宮の 竹美しや はるしぐれ」嵯峨野俳句会主宰の村山古郷氏の俳句です。

IMG_4471.jpgIMG_4476.jpg奥に進むと扁額に書かれた「白福稲荷大明神」が祀られています。御利益は、子宝安産、商売繁盛だそうです。

IMG_4472.jpgその右横の社殿には「大山弁財天」が祀られています。御利益は交通安全、財運向上と書いてありました。

IMG_4476.jpgIMG_4479.jpgIMG_4488.jpg6時36分に野宮神社を出て行きました。竹林の小経には外国人観光客が行かれますが、こちらには来られませんでしたね。

IMG_4489.jpgIMG_4491.jpg帰りは中辻通りまで歩いて行きます。こちらは人力車専用の竹林の小経です。一般の方は通れません。

IMG_4492.jpgIMG_4493.jpgIMG_4494.jpg前方に中辻通りが見えて来ました。まもなく、ここは外国人観光客で混雑します。夏場でも関係ないです。

IMG_4495.jpgIMG_4496.jpgこちらも人力車専用の竹林の小経です。ここから入って、先程の所から出て行かれるのでしょう。見たことが無いので知りませんが😊。

IMG_4497.jpgIMG_4498.jpg中辻通りに出ました。JR嵯峨嵐山駅から来られたのでしょう、何組かの外国人観光客が竹林に歩いて行かれました。私、ここから市バスに乗って所用先に向かいます。

野宮神社は、源氏物語の第10帖「賢木(さかき)」の巻に描かれています。光源氏の愛人である六条御息所は、正妻の立場にあった「葵上(あおいのうえ)」を無意識のうちに憑り殺してしまいました。結果として、光源氏の心は六条御息所から離れてしまいます。六条御息所は光源氏への未練を断ち切り、「憂き世を離れてしまおう」、「光源氏は心が乱れてしまう原因となるから会うべきではない」と決意し、光源氏と面会しないまま、斎王を務める幼い娘に同行して伊勢国(現在の三重県中央)へ下る決意をしたのでした。一方光源氏は、心が離れたと言っても六条御息所を不憫に思い、野宮社へと向かいます。六条御息所ははじめ、光源氏との対面を控えたものの、光源氏や側仕えの女房達からの言葉を受けて、久方ぶりに対面を果たしました。六条御息所は、伊勢国への下向を思いとどまるよう言い募る光源氏に決心が揺らぎますが、すでに決定した下向は取り消せず、心を乱したまま都を離れたのです。

私は、まだ第10帖「賢木(さかき)」の巻を読んでないので、他のサイトを参考にさせて貰いました。是非読んでみます。

この記事へのコメント

2024年10月04日 16:35
嵯峨野の竹林の小経に、こんなに
人がいない事もあるんですね。びっくりです。
最初、早朝6時より前の写真かななどと
想像してしまいましが、大型台風が停滞してた
時の写真だったんですね。なるほど、
そんな時でも無いと、嵯峨野でこんな風景写真は
撮れないでしょう。野宮神社、黒木の鳥居に
歴史と格式を感じます。確か、謡曲の『野宮』も、
六条御息所の亡霊が女性に扮して
登場する話じゃ無かったでしょうか。
壬生里
2024年10月07日 16:43
yasuhikoさんへコメントありがとうございます。

今年の夏は大変暑かったですし、今日まで暑いです。そんな暑い京都には、夏場は人が来なかったです。
今は、インバウンドの方、海外の方が、夏場でも来られますし、京都には閑散期は無くなりましたね。特に竹林の小経は、早朝から来られます。JRや嵐電、市バスに乗ってね。
もう何処に行っても混んでいるので、正直ウンザリです。清水寺や金閣寺なんか近寄れません。( ^_^)