第49回「京の夏の旅」下鴨神社(賀茂御祖神社) 「本殿・大炊殿」「神宮寺旧跡(池)」「秀穂舎」へ

第49回京の夏の旅では、世界遺産登録30周年記念&京の名建築と夏の庭をテーマに、通常非公開の建築・庭園・絵画などの文化財が期間限定で特別公開されます。 下鴨神社(賀茂御祖神社)では 「本殿・大炊殿」が特別公開されました。この特別公開とあわせて、「神宮寺旧跡」と「秀穂舎」もあわせて公開されたので、来て見たわけです。

IMG_4640.jpg9時57分に受付所に行ってみると、少し早いけど受付してくれました。拝観料は800円と、今年の夏から、冬で行われているスタンプラリーも始まったようで、用紙も貰いました。

7月17日(水)に「仁和寺」に行った時。そんな話しは聞かなかったし、用紙も貰ってません。一箇所損しました😡。

靴を脱いで下駄箱に預け、エアコンの効いた涼しい部屋に案内されました。ガラス越しですが、本殿は見えます。この涼しい部屋は有難いですね。床几に座るときに係の方から注意があって、「写真を撮らない。足を組まない。足裏を本殿に向けない。」と。要する正しい姿勢で座ってくださいと言うことです。海外の方は足を組む方が多いからとも言われてました。約10分間、賀茂御祖神社の歴史についてや、本殿についての話しを詳しくしてくれました。

平安時代以前から京都で最も古い神社の一つで、1994年(平成6年)に世界文化遺産に登録されました。上賀茂神社(賀茂別雷神社)の御祭神である賀茂別雷神の母の玉依姫命と玉依姫命の父賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)を祀ることから、正しくは賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)といい、上賀茂神社とともに賀茂社と称される。玉依姫命を東本殿に、賀茂建角身命が西本殿に祀られている。794年(延暦13年)の平安遷都後は、王城の守護神として、朝廷をはじめ公家や武家の崇敬を集め810年(弘元元年)以降、約400年にわたり、斎院(斎王の御所)が置かれ、皇女が斎王として賀茂社に奉仕しました。江戸時代末期の1863年(文久3年)に造替された東本殿と西本殿が国宝に指定されいるほか、多くの社殿が重要文化財に指定されている。また、約124000㎡に及ぶ境内の自然林は「糺の森」として京都市民に親しまれ、平安京以前の原生林を残す貴重な森林として国の史跡に指定されている。毎年、5月15日には、京都三大祭の一つである「葵祭」が行われ、御所から下鴨神社を経て上賀茂神社まで向かう行列が、都大路に王朝絵巻繰り広げる。また、5月3日の流鏑馬神事や7月の土用の丑の日に行われる御手洗祭などもよく知られている。

本殿の建物は三間社流造となっており、緩やかな曲線をガラス越しで見られました。ただ、東本殿は距離が離れているので。御祭神を守る狛犬についての案内もありました。ここの狛犬が鎮座する前の狛犬は、後程いく秀穂舎で見られるそうです。その西本殿の隣には、「印璽社」があって、その説明もされました。御祭神は印璽神(いんじのかみ)だそうで、大切な契約の時、物事を成功裏に結び付けたい時などに参拝される方が後を絶たないそうです。

IMG_4641.jpg次に摂社の「三井社」のエリアに入ります。このエリアも撮影禁止と案内されたので、参拝だけはさせて貰いました。ここからはガイドさんの案内はありせん。

社殿は重要文化財に指定されています。「東殿」には「伊賀古夜日売命(いかこやひめのみこと)」、「中殿」には賀茂健角命(かもたけつぬみのみこと)、「西殿」は玉依日売命(たまよりひめのみこと)が祀られている。延喜式内の大社で山城国風土記に蓼倉(たてくら)の「三身社」とある社である。合祀に摂社「日吉社」(中殿)、西側の末社北から「諏訪社(建御名方神)」「小杜社(水分神)」「白髪社(大伊乃伎命)」以上(重文)と並ぶ。末社合祀「沢田社」(中社)、「河崎社」「賀茂斎院神霊社」(南社)。正面の真ん中に「拝殿」があって、南向きに東殿、中殿、西殿と並んでおり、あと西側に小さな社殿が三社並んでいました。

IMG_4642.jpgここを抜けると「大炊殿」に入ります。ここには2018年(平成30年)1月13日に来て以来です。

大炊殿(おおいどの)は、神饌(お供え)の御料(材料)を煮炊きし調理する社殿です。主に御飯やお餅などの穀物類の調理が行われてきました。また、火を扱うので、神社では珍しい瓦葺の屋根になっています。現在の大炊殿は、江戸時代初期の寛永年度の遷宮で再建されたものです。以前の大炊殿は1470年(文明2年)の兵火に遭い焼失してます。入口の土間には、竈(おくどさん)があり、中の間には盛り付けた神饌を御神前にお供えする順に並べておく配膳棚が設けてあります。現在、神饌調理の場は西御料屋に移り、大炊殿は神饌や御祓いに関する資料展示の場となっています。また、隣の御車舎や鴨長明資料館では下鴨神社が所蔵する鴨長明関連の資料を展示しています。

IMG_4643.jpgIMG_4644.jpg最初に見たのは井戸の「御井(みい)」です。井戸では珍しい国の重要文化財に指定されています。

御井は井戸のことで、神饌料理の御水に用いられました。井戸を覆う上屋を「井戸屋」、井筒を「井戸屋形」と言います。大炊殿と同じく1629年(寛永6年)の遷宮により造替されたものです。12月12日の若水神事では、御井の前の水ごしらえ場の磐座にて、汲み上げた御水が入った御水桶をお供えする神事が齊行されます。

IMG_4645.jpgこちらが「大炊殿」で、国の重要文化財に指定されています。ここでは簡単にガイドさんが説明してくれます。

IMG_4646.jpgガイドさんに写真撮影の有無は確認しました。このエリアでは宝物館だけがNGと聞きました。

IMG_4647.jpgIMG_4648.jpg先ずは入口の土間にある、(おくどさん)の案内でした。我が家にはあったので、個人的には珍しいとは思いません。あっさり見て奥に進みます。

IMG_4649.jpgIMG_4650.jpg大炊殿から外を見られました。写真は「御井(みい)」を後ろから撮りました。

IMG_4651.jpgここは2018年(平成30年)1月13日に来ているので、あっさり見て出て行きました。

IMG_4652.jpg以前、ここで「唐車(からぐるま)」があったのに・・・ガイドさんに聞いてみると、先般の台風接近で撤去したままだそうです。

CIMG3414.jpgCIMG1655.jpg2018年(平成30年)1月13日の写真です。見られなかったのは残念でした。初めて来た人は気の毒だと思います。

唐車は尾根の造りが「唐破風」となってることから名付けられました。上皇・皇后・東宮・親王または摂政・関白が用いた最も格式の高い牛車です。乗車の際には後方から、降車の時は前方から降りる事が決められ、車内には畳が敷かれています。この唐車は江戸時代のものを復元したものです。

IMG_4653.jpg次が「鴨長明資料館」で、内部が撮影禁止だったので、あっさり見させて貰いました。

IMG_4654.jpg一番奥まで行ってみました。すっかり忘れてましたが、こちらには「儀装馬車」が展示してありました。以前は写真撮れたのに、ここも撮影禁止の文字が・・・。

CIMG3417.jpg2018年(平成30年)1月13日の時の写真です。個々もあっさり見て次へと向かいました。それは後程。

宮中での儀式に使用されているものと同型のもので、二頭引きランドータイプの小型馬車です。車体の中央に座席が向き合う四輪馬車であり、可動式の幌を備えてます。下鴨神社では、毎年5月に行われる賀茂祭(葵祭)前儀流鏑馬神事及び御蔭祭で使用されます。

IMG_4655.jpgCIMG1650a.jpgこの東側にはガラスケースの中に「三つ葉葵紋蒔絵駕籠」が展示してありました。

徳川(松平)家は、三河国(現在の愛知県東部)の下鴨神社荘園から発祥しており、氏神である賀茂神社の葵の御神紋を戴き、現在でも有名な三つ葉あ葵紋を使用したと伝えられています。NHK大河ドラマ「篤姫」に因んで展示されたようです。

IMG_4657.jpgIMG_4658.jpgこのエリアでは、下鴨神社の後神紋である「双葉葵」を栽培されています。

IMG_4660.jpgIMG_4661.jpgここを散策していて「鴨の氷室」がありました。2018年(平成30年)1月13日に来た時は、間違い無く無かったです。

大炊殿において、年中行事のお供えを調理するため、「竈(おくどさん)」と「氷室」、「井戸屋」が設けてありました。現在は、機能の充実した冷蔵庫がありますが、古い時代には、魚介類など生鮮食品の保存には大変な苦労がありました。そこで、神地である糺の森の中でも清浄地を選び霊水として名高い湧き水を地中深くより汲み、冬の間に凍らせて「氷室」の底を年中12℃から13℃に保ち、冷凍保存する方法を編み出し千有余年にわたり活用されてきました。この度、2015年(平成27年)の第34回式年遷宮事業の一環として、その歴史と文化を保持するため、この施設を2022年(令和4年)6月に復元しました。氷室は合掌造りで、高さ約4・5㍍、地下の深さは約2㍍。戦時中には防空壕で使用され、戦後は埋められたため、この度復元されたようです。

IMG_4662.jpg通常の大炊殿拝観ルートは、ここからになります。ここは「浦の回廊」と意って、戦前まで四方拝と称して本宮を四方から拝礼できるようにされていたのを復元されたものです。

IMG_4664.jpg水ごしらへ場」です。若水神事をはじめ御水の祭事が行われる所です。この岩は式内末刀社の御祭神が降臨になる磐座との伝承があり橋と呼ばれている。

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10時23分に、ここから出て行きました。ここまで来たことがあって、あっさり出て行くつもりでしたが、「氷室」もあって新たの発見もありました。

IMG_4669.jpg大炊殿を出て、次に神宮寺旧跡に向かいます。この日の目的は、ここでした。ルートは糺の森は通らずに、空いている裏手を通って行くことにしました。

IMG_4670.jpg神宮寺旧跡の前に「雑太社」に寄りました。ここは関西ラグビー発祥の地として知られています。

2023年(令和5年)10月6日(金)に参拝したとき、ここで必勝の御守りをいただきました。私が応援しているガンバ大阪が、J2に転落しそうなほど成績が悪かったから。結果は7連敗でシーズン終了。ただ16位となったので、今年はJ1に残ってて、この日現在5位と昨年とは大違い😊。御守りの御利益でしょうか😊。

IMG_4671.jpg10時28分に「神宮寺旧跡」前に積ました。入口は雑太社の南隣でした。ここに拝観受付所が設けてありました。

IMG_4672.jpg右手に「拝観受付所」があって、そこでチケットの半券を切り取られます。あとで分かったことですが、拝観は三箇所あって、何処から入ってもOKだそうです。

IMG_4674.jpgここが「鴨社神宮寺旧跡」の入口でした。10時29分に入ります。見たところ誰も居ないようです。

IMG_4675.jpg入って直ぐの所に神宮寺の模型がありましたが、ここは帰りに寄ります。

この地には、平安時代から江戸時代末期にかけて神宮寺が存在し、その観音堂(本堂)前面には池(竜が池)が広がってました。神宮寺の建物は明治維新後に撤去され、竜が池は地下水の低下により昭和初期に枯渇してます。その跡地は、糺の森の樹林の中に残る池跡の窪みが、その時代を偲ばせ、観音堂の礎石が地中に埋もれながらも部分的に樹林の中に残され、かつての堂宇の位置を知る手がかりを得てました。発掘調査は2014年(平成26年)より、3年にわたり実施され、平安時代から江戸時代末期の遺構・遺物が確認され神宮寺の状況が明らかになりました。

IMG_4677.jpgIMG_4678.jpg入って先ずは右手に進みました。この柵の中が観音堂があった場所です。

810年(弘仁元年)に嵯峨天皇(第52代天皇)の勅願により神宮寺が建立されたと伝わり、堂塔伽藍の本尊は十一面観世音で、本堂観音堂や読経所、護摩堂などの堂宇があって、その前には竜が池が、十二世紀には東塔・西塔が建立されたと伝わってます。また、朝廷の信仰が殊に篤く、右大臣藤原実資(ふじわらのさねすけ)の「小右記」らは、30度に及ぶ法要・祈願・供養など行ったとの記載があるそうです。しかし、人災・天災や兵火による類焼。明治新政府が発した廃仏毀釈により、本尊や仏具を比叡山の塔頭渓広院(後に廃寺)に引き渡し廃寺となりました。

藤原実資は、NHK大河ドラマ光る君へ」では、ロバーツの秋山竜次さんが演じています。

IMG_4681.jpgIMG_4682.jpgIMG_4683.jpgご覧のように「礎石」が見えます。発掘調査により観音堂は、東西五間、南北三間の建物で、北側には須弥壇があったことが確認されています。

IMG_4684.jpg次に「竜が池」に向かいます。

鴨社神宮寺の境内に湧いていた園池で平安時代後期から鎌倉時代初期の境内の様子が描かれた「鴨社古図」にも竜が池は登場します。池の傍らには多宝塔があって閼伽池の役割があったようです。明治新政府による神仏分離令のあと、神宮寺は梅林となり、竜が池と風景を楽しむ憩いの場となりました。大正時代から昭和の初期の頃は子供たちの水遊びの場となっていたようです。

IMG_4685.jpgIMG_4686.jpg池の周りの小石を敷き詰めた「州浜」が綺麗に整備されています。ここでもう一つ、河合神社にかつてあった鴨長明の方丈庵を探します。

IMG_4687.jpgIMG_4698.jpgここで不思議な立札を見つけました。小さな洞があったので寄ってみたら「ジェームス・ヤンアダ・ツェー」と書かれてます。意味がわかりません😊。

IMG_4689.jpgここには「藤棚」もありました。通常拝観されるかどうか分かりませんが、藤の花が咲き誇るでしょうか、見たいですね。

IMG_4690.jpg先程の不思議な立札の後方です。後ろから見ても意味が分からないですね。

IMG_4693.jpgここに「鴨長明方丈庵」がありました。2017年(平成29年)12月22日に河合神社で内部も見ています。

「石川や 瀬見の小川の 清ければ 月も流れを 尋ねてぞすむ」と詠んだ日本三大随筆の一つ「方丈記」を著した鴨長明の栖である「方丈庵」。茶室や数寄屋造りの研究者である中村昌生氏による監修のもと復元されました。鴨長明は社家の出身で、年少より和歌や管弦を嗜んでいました。後に後鳥羽院の寵愛を受け「新古今和歌集」の選定を行う寄人に選ばれました。しかし、父が務めた河合神社の禰宜になれなかったことから失意のうえで出家し、日野の外山に方丈庵を作り、この庵で「方丈記」などを執筆したそうです。

IMG_4694.jpgIMG_4696.jpg方丈庵」の周りを見てみると、やっぱり内部は見えません。また何時か公開されるでしょうか?。

IMG_4700.jpgIMG_4701.jpgIMG_4702.jpgIMG_4703.jpgIMG_4704.jpgIMG_4706.jpg入口まで戻って来ました。暑かったので、ここで少しばかり休憩です。ここには誰も居ないし、誰も来そうにも無かったです。

CIMG0680.jpgCIMG0682.jpg参考まで、「旧神宮寺跡」が復元される前は、こんな風景でした。2009年(平成21年)頃ですが、随分綺麗に整備されたものです。

IMG_4709.jpg復元された観音堂の模型がありました。ガラスケースに入っているので、光が反射し見にくいです。

IMG_4710.jpg10時36分に、ここを出ました。本殿で拝観していた人らは、来られ無かったです。

IMG_4714.jpgIMG_4715.jpgIMG_4716.jpg10時41分に、最後の拝観である社家邸宅跡鴨社資料館秀穂舎(しゅうすいしゃ)」に着きました。

IMG_4717.jpgIMG_4725.jpgIMG_4726.jpg脇門」から入って玄関を開けて入ると、左手に拝観受付所があります。そこでチケットの半券を切られました。

入るとエアコンが効いてて涼しいです。写真撮影の有無を確認すると、庭はOKですが、展示物の写真はNGということ。そしてガイドさんがスタンバスされてて、「案内します」と言われましたが、3度目ですので断りました。そして、ここから拝観を開始される方もいるようで、その説明もされてました。

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鴨社資料館秀穂舎は、第34回式年遷宮奉祝事業として、旧社家邸の保存と継承を目的に、旧鴨社学問所絵師浅田家邸を整備し、下鴨神社所蔵資料の展示を行う資料館として公開されました。秀穂舎とは、江戸時代後期に、本宮の正祝を務めた鴨秀豊(かものひでとよ)(1756~1837)が開いた私塾の名前です。公家や神職の子弟だけでなく、京の町衆の子供達にも門戸を広げ学びの舎でした。元は祝家の鴨脚家の邸で華表門や透塀は江戸時代後期頃とみられ、数少ない社家邸の面影を残す建物となっています。

暑かったので、涼しい部屋は有難いです。下鴨神社本殿拝観時にガイドさんから聞いていた狛犬や、源氏物語絵巻屏風など、興味引く展示品もありました。

IMG_4718.jpg唯一写真が撮れる「主庭」に出ました。冷房の効いた部屋から、暑い外に出て来たわけです😊。

IMG_4719.jpg泉川」が見える所まで出られます。ここには「禊場」があります。

下鴨神社の神官や氏人の家には、御祭神や家の神々が祀られていました。家の祭事と本宮の祭祀を奉仕するため、泉川沿いの社家には、流れに面して禊場を設け、御祭にさきだち禊ぎをしました。

IMG_4722.jpg今日は「水棹(みさお)」が、ここに置いてありました。

CIMG1701.jpg2018年(平成30年)1月13日に来た時は、泉川沿いに置いてありました。これから汲まれるようでしたね。

IMG_4720.jpgIMG_4724.jpg主庭」から泉川の禊場への降り口には、橋が設けてありました。この世と清浄界との端・・・結界という意味だそうです。

もう一度展示品を見て・・・と言うより体を冷気で冷やしてから出て行きました。ガイドさんが、ここからスタートする方の案内をされてましたが、聞かずに出ました。

IMG_4727.jpg外に出てからバンフに載っていた見所を見て撮りました。先ずは「式台」です。鴨社画工司は、おおよそ五位、六位が通常だったので、式台は二間の構えでした。

IMG_4728.jpg内側から見た「華表門(かひょうもん)」です。華表とは鳥居のこと。鳥居を象った下鴨神社社家に多い門です。

また、「歳木(としぎ)」が左右に置かれています。これは、歳神を招く神籬(ひもろぎ)だそうです。現在は、民家の門松に名残を留めているそうです。

CIMG1698.jpgその奥には「御井(みい)」と呼ばれる井戸があって、屋敷にお供えする水を、ここで汲み上げてるとか。また、奥には「御壺(おつぶ)」と言って、非常用に使用する水を蓄えています。

IMG_4729.jpgCIMG1691.jpg華表門に佇む「石人文官(せきじんぶんかん)」です。表参道に通じるこの一帯は、鴨社光文所・鴨社学問所の先生方の屋敷街でした。その標として発掘品の「石人文官」を立てる習わしでした。

IMG_4730.jpgIMG_4731.jpg10時52分秀穂舎を出ました。そして、行きと同様に京阪電車出町柳駅に向かいました。

IMG_4732.jpg駅のホームに着くと、快速急行が入ってきたので、直ぐに乗ることができました。ここから三条駅まで行って地下鉄に乗り換えです。

IMG_4733.jpg地下鉄東西線「三条京阪駅」です。この駅について、地元京都新聞で面白い記事が載ってました。

京阪電車が「三条駅」、地下鉄が「三条京阪駅」。私は地元京都なんで、普通に思っていましたが、特に外国人観光客の方が、この地下鉄「三条京阪駅」を京阪電車と勘違いされるらしいです。私も以前、海外の方に英語で銀閣寺にへの行き方を聞かれました。英語が話せないので、どうすることもできませんでしたが、銀閣寺は京阪の三条駅から出町柳駅に行き、バスに乗り換えなんです。何で地下鉄に来られたのかなぁ・・・と、この時は思いました。そして、後日、京都新聞の記事で納得したわけです。

この日の最高気温31.6℃で、猛暑日ではありません。午後からは最小湿度が47%と、過ごしやすくなってきました。ただ長期予報を聞くと、まだまだ10月中頃まで暑いらしいです。秋は短く、冬の寒さが厳しいらしいと。気候の良い秋が短いのは残念ですね。

この記事へのコメント

2024年10月09日 23:18
お馴染みの下鴨神社ですが、普段見られない所を
見学できる「今日の夏の旅」は魅力的ですね。
神饌料理に使う水を汲む井戸が、上屋付きで「御井」と
呼ばれてるのはさすがだと思います。
人間用の水と、神様向けの水とでは、井戸を分けて
はっきり区別してるんですね。立派な
氷室にもびっくりしました。きれいな合掌造りの
建物で、何と小さな鳥居まであるんですか。
こうした建物の存在は、今まで全く知りませんでした。
壬生里
2024年10月14日 10:31
yasuhikoさんへコメントありがとうございます。

下鴨神社も何度か行ってますが、今回、新たに旧神宮寺跡が公開されたので、行ってみました。
本殿や大炊殿だけの公開なら行かなかったでしょう。
以前、古い写真と比較すると、旧神宮寺跡が綺麗に整備されてました。発掘調査もされたようで、ここだけでも私は見る価値あったように思います。
大炊殿エリアも以前は無かった氷室も復元されてたりして、大変暑かったけど行ってみて正解でしたね。