下鴨神社第一摂社 河合神社へ

台風が去って、9月2日(月)は6日振りに最高気温が35.1℃となり、猛暑日となりました。9月3日(火)は、関東地方では明け方に大雨となったようですが、京都は曇り空で、湿気が多くて蒸し蒸しした天気でした。台風10号は、迷走し日本列島を横切ったあと、熱帯低気圧に変わったあと、天気図から消滅しました。気象庁の進路予想も、当初の進路予測から見ると大外れ。いろいろ要因はあったようですが・・・。

昨日の天気予報では、この日は北風が入って、少しだけ秋の気配を感じかもと言ってました。しかし、朝は蒸し暑かったですし、午前中は時々雨も降りました。今日は、涼しくなったら行こうと決めていた、第49回京の夏の旅 下鴨神社(賀茂御祖神社) 「本殿・大炊殿」に行くことにしてました。下鴨神社本殿に入るのは2011年(平成23年)8月22日以来です。本殿の特別拝観も年に3回はされています。一度見たら、もう良いかなぁ・・・と思っていたところ、今年は新たに最近整備された、「神宮寺旧跡()」が初公開されたので、行ってみることにしたわけです。

IMG_4588 (2).jpg地下鉄と京阪電車を乗り継いで出町柳駅まで来ました。そこから高野川に架かる「河合橋」を渡ります。

IMG_4589 (2).jpg橋の中頃で北を見てみると、五山の送り火の「船形」が見えました・・・と思って帰ってから調べましたが、妙法の「」の方でした😂。

IMG_4590 (2).jpg次に賀茂川に架かる出町橋は渡らず、手前を北上することになります。そこには「糺の森」への大きな看板が出てました。これで道に迷うことは無いでしょう。

IMG_4591 (2).jpg下鴨神社の正式名称は、賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)と言います。その社号標が建っています。その奥が「一の鳥居」ですが、本殿は、まだまだ先です。

IMG_4592 (2).jpgその先には、通常拝観されている「旧三井家下鴨別邸」があって、私は何度か来ています。今日は入りません。

IMG_4593 (2).jpgこの先の右手に「鴨社資料館「秀穂舎(しゅうすいしゃ)」(旧浅田家住宅)」があって、今日の「京の夏の旅」では、セットで入れます。ここは帰りに寄ります。

IMG_4594 (2).jpgこの先のずっと先に、団体さんが見えました。世界文化遺産のため外国人観光客でしょうか、遠すぎて分かりません。

IMG_4595 (2).jpg糺の森の入口には「旧三井家下鴨別邸」の大きな看板が出てました。

IMG_4596 (2).jpgIMG_4713.jpgIMG_4712.jpg糺の森の入口には、下鴨神社が世界文化遺産であることを示す石碑が建っています。正式名称である賀茂御祖神社も読み取れます。

IMG_4597 (2).jpgIMG_4711.jpg今日は、河合神社に寄って行きます。拝観時間が10時からと、時間が余っているのと、今日の拝観予定の旧神宮寺跡の場所を確認するためでした。

下鴨神社第一摂社 河合神社は女性の参拝者が圧倒的に多いです。糺の森の入口にある河合神社に神宮寺旧跡はあるのか・・・?。

下鴨神社の摂社の一つ。鎮座の年代は不詳も、神武天皇(初代天皇)の頃と伝わる。「延喜式」に「鴨河合坐小社神社」とある神社です。「小社宅(こそべ)」は、「日本書記」に「社戸(こそべ)」ともよばれ、それは本宮の賀茂御祖神社(下鴨神社)の御祭神と同じ神々との意です。901年(延喜元年)12月28日の官府に「河合社、是御祖、別雷両神の苗裔神也」とあります。858年(天安2年)名神大社に列し、1017年(寛仁元年)神階正二位。1185年(元暦2年)正一位に列せられた。1887年(明治10年)、賀茂御祖神社(下鴨神社)の第一摂社となりました。御祭神である神武天皇(初代天皇)の母、玉依姫命(たまよりひめのみこと)は、美しくなりたいと思う願望や、安産・育児・縁結びなどを叶えてくれる、女性の守護神です。手鏡形の絵馬に描かれた顔を自分の顔に見立ててメイクアップし、裏面に願い事を書いて奉納する「鏡絵馬」が人気。鏡絵馬と一緒に授与される「御供米(おくま)」は、神様にお供えされた貴重なお米で、いつものご飯と一緒に炊き上げて食べるとよいとされます。また、日本三大随筆の一つ「方丈記」の作者・鴨長明は河合神社の禰宜の息子であり、境内には、長明が晩年過ごしたといわれる方丈の庵が再現されてましたが、現在は「神宮寺旧跡」に移動となっています。

IMG_4598 (2).jpgIMG_4623 (2).jpg河合神社の入口は、東西にあります。私は「東鳥居」から入りました。ここに来るのは2017年(平成29年)12月22日以来、久しぶりです。

IMG_4621 (2).jpg鳥居を入って左手に「手水舎」があります。9時30分も回っているので、結構来られてますね。

IMG_4599 (2).jpgIMG_4600 (2).jpg先ずは「神門」をくぐります。狭い境内、見渡すと誰も居ないようです。

IMG_4601 (2).jpg入ると正面に「拝殿」があります。ただ、2017年(平成29年)12月22日に来た時に比べて風景が違ってました。

IMG_4610 (2).jpg拝殿の右側(東側)に、鴨長明ゆかりの「方丈の庵」がありました。移設したと書いてありますが、それは何処に移設されたか後程分かります。

IMG_4602 (2).jpgIMG_4603 (2).jpgIMG_4608 (2).jpg幣殿の奥に「本殿」があります。御祭神が、玉依姫命(たまよりひめのみこと)で、初代天皇である神武天皇の母君だそうです。

IMG_4604 (2).jpgIMG_4607 (2).jpg本殿の左側(西側)に「貴布禰神社(きふねじんじゃ)」と「任部社(とうべしゃ)」があります。

貴布禰神社の御祭神はは「高龗神(たかおかのかみ)」。1161年(応保元年)。収録の「神殿屋舎等之事」に、河合神社の垣内に祀られていたことから収載されている神様で、水の神として有名。

任部社(専女社)の御祭神は、八咫烏命(やたがらすのみこと)。下鴨神社摂社の河合神社に鎮座する境内末社で、河合神社創祀の時より祀られている古社。1931年(昭和6年)、祭神の八咫烏命が日本の国土を開拓された神の象徴として、日本サッカー協会のシンボルマークとなり、それ以降サッカー必勝の守護神として有名です。専女社とは、稲女とも書き食物を司る神々が祀られていたことを示している。後に「百練抄(ひゃくれんしょう)」1175年(安元元年)10月26日の条にある「小鳥社」と合祀された。

IMG_4609 (2).jpgIMG_4611 (2).jpgIMG_4618 (2).jpg境内の西側に「六社」がありました。北方より「諏訪社」祭神が建御方神(たけみなかたのかみ)、「衢社(みちしゃ)」祭神が八衢毘古神(やちまたひこのかみ)と八衢比賣神(やちまたひめのかみ)、「稲荷社」祭神が、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)、「竈神(かまどのかみ)」奥津日子神(おくつひこのかみ)と奥津比賣神(おくつひめのかみ)、「印社(いんしゃ)」祭神が、霊璽(れいじ)、「由木社(ゆうきしゃ)」祭神が、少彦名神(すくなひこなのかみ)でした。

第8回、1201年(建仁元年)12月10日式年遷宮のために描かれたとみられる「鴨社古図」によると、河合神社の垣内にそれぞれ別々に祀られていたが、江戸時代の式年遷宮のとき各社が一棟となった。いずれも衣食住の守護神です。

IMG_4620 (2).jpg神門の横には「お化粧室」があります。河合神社は下鴨神社の摂社として古くより祀られており、女性守護としての信仰を集めるお社です。ご祭神の玉依姫命が玉の様に美しいことから「美麗の神」として深く信仰されてます。

河合神社ではこの美麗の祈願絵馬として手鏡型の絵馬「鏡絵馬」の授与をされており、向かいの社務所でいただきます。その絵馬(顔を表す模様が入った)にご自身の普段使用されている化粧品でメイクをします。このお顔はご自身の理想の姿を描きます。裏に願意を記入し、絵馬に願いを託すことにより、外見だけでなく内面も磨いて美しくなっていただくと言う絵馬となります。

IMG_4612 (2).jpgIMG_4614 (2).jpg神門を出たところにあるのが「三井社」(別名が三塚社)があります。御祭神が、中社が賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)、西社が伊賀古夜日賣命(いかこやひめのみこと)、東社が玉依媛賣命(たまよりひめのみこと)でした。

古い時代の下鴨神社は、古代山城国愛宕、葛野郷を領有していた。その里には、下鴨神社の分霊社が祀られ、この社は、鴨社蓼倉郷の総(祖)社として祀られていた神社です。摂社三井神社「風土記」山城国逸文「鴨社」の条の「蓼倉里三身社」とは別の社です。


IMG_4621 (2).jpgIMG_4622 (2).jpgこちらは「西鳥居」と手前にあった「手水舎」です。東からも西からも、どちらから入っても手水はあります。

IMG_4624.jpg帰りも東鳥居から出て行きました。ここから糺の森を通って、本殿に向かいます。ここは5月3日に行われる「流鏑馬」では馬が疾走する場所です。

IMG_4625.jpg河合神社を出て、北に向かって歩いて行くと、左手に池が見えました。奥に行けそうだったので行って見ると・・・?。

IMG_4626.jpgIMG_4627.jpgIMG_4628.jpgこの先を進めば、結界があって、これ以上は行けません。この先は有料エリアと書いてありました。ここが「神宮寺旧跡」で間違いなのでしょう。

ここには本殿拝観のあと、戻って来ます。まだ、何処から入るのか分かりませんが、後程のお楽しみですね😊。

IMG_4629.jpgIMG_4630.jpg糺の森は広いです。ようゆく前方に「南口鳥居」が見えてきました。

IMG_4631.jpgIMG_4633.jpg南口鳥居をくぐる前に、右手にあった「御手洗 直澄(ただす)」に寄りました。後程、本殿前で参拝するので、ここに寄って良かったです。

古代から糺の森は、清水の湧くところとして、鴨川の水源の神地として信仰されてきました。室町時代の「諸社根元記」に「浮島の里、直澄」ときされており、「糺」の語源の一節として知られています。現在も糺の森地中深くより豊に湧水し、今に歴史を伝えています。ここの御手洗は、御祭神の神話伝承にちなみ「舟形磐座石」となっています。御神水をそそぐ桶は、糺の森の主と呼ばれた樹齢600年の欅です。覆屋は、崇神天皇7年の賀茂御祖神社糺の森神地に瑞垣の造替を賜った記録をもとに再現した透塀です。

IMG_4634.jpgIMG_4635.jpg南口鳥居」をくぐり、次に「楼門」に向かいました。9月3日(火)ですが、修学旅行生の姿も見かけました。

IMG_4636.jpg楼門」には、「京の夏の旅」の看板が出ています。9時55分に入りました。

IMG_4637.jpg楼門を入ると正面に「舞殿(まいどの)」があって、年末年始には絵馬が架かります。

IMG_4638.jpg本殿前でお参りいるためには、重要文化財に指定されている「中門」をくぐります。ここにも「京の夏の旅」の看板が出てました。

IMG_4639.jpg9時56分に「本殿」前で参拝しました。外からは直接本殿は見えません。これは後程、特別拝観で見せて貰います。

10時の受付前に受付所に行ってみると、「時間前だし先にお参り済ませて」と言われて、本殿前で参拝したわけです。私は説明を聞いたあとでするつもりでしたが・・・。そして受付所に戻ると・・・?。

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