平安神宮 創建130年「御垣内」初公開へ
2月5日(水)は、最強寒波&最長寒波の影響で、朝の最低気温は、-1.9℃と冷え込みました。最高気温も平年より下回ると天気予報では言ってましたが、今日も病院に見舞いに行くので、その前に2024年(令和6年)8月1日から始まった、普段は立ち入ることが許されない「平安神宮御垣内特別参拝(一般参拝よりも正殿に近い場所で参拝することができる特別な参拝のこと)」に行くことにしました。
公開は今年の12月29日まで(年始や節分などを除く)。午前11時、13時、14時、15時からの1日4回、神職が30分ほどかけて神宮の歴史などを解説しながら案内。国指定名勝の日本庭園「神苑」も自由拝観。特別参拝は、当日の10時~15時に本殿授与所で申し込む。拝観料は大人2000円、中学生以下1000円。絵馬、記念縁起札、神苑拝観付き。
京都市営岡崎公園駐車場を利用しました。入口は二条通りで、出口は冷泉通りです。私は平安神宮に行くので、冷泉通りから地上に上がって来ました。

平安神宮には「應天門」(重文)から入ります。この時間に来たので混んでるかなぁ?と、思って来ましたが、空いてるみたいです。
今日は正式参拝するので「手水舎」に寄りました。ここではセンサーで近づくと水が出て来ます。


境内に入ると目にするのは「大極殿」(重文)が工事中で、大きな幕で覆われていることです。
美観的にイマイチで、それで修学旅行生の姿が少ないのかも知れません。余談ですが、先に「京都市営岡崎公園駐車場」に車を入れましたが、春の桜の時期に来たとき、タクシーがびっしり止まってましたが、今日は多分一台も止まってなかったように思います。
あとで正式参拝はしますが、先に「平安神宮御垣内特別参拝」を本殿前授与所で申込みを済ませました。申込み多数の場合、入れないかもと思ったから😊。
平安神宮は創建130年に向けた取り組みとして、境内で最も神聖なエリアとする「御垣内(みかきうち)」を初公開し、参拝者は外拝殿(大極殿)の奥にある通常非公開の神域に入ることができ、日本最大級の流造(ながれづくり)の本殿などを間近に見られるイベントを2025年(令和7年)12月29日まで(年始や節分などを除く)まで実施されます。平安神宮は、1895年(明治28年)に創建され、2026年(令和8年)3月15日には「百三十年祭」を斎行されます。建物の耐震化や塗り直しを進めているのに合わせて、特別公開を企画されました。御垣内には、御祭神の桓武天皇と孝明天皇の御霊代(みたましろ)を安置する本殿があります。1976年(昭和51年)1月6日に放火による火災後の1979年(昭和54年)に再建され、高さ11㍍、幅14㍍。屋根の片方が流れるように延びて側面からは「へ」の字にように見え、神社建築でよくみられる流造の形式を目の当たりにできます。
10時41分に受付を済ませると参拝記念の「魔が去る」に由来する神猿(まさる)が描かれた「オリジナル絵馬」を貰ったので願い事を書きました。右の「略式小忌衣」は、神域を出たら神職さんに返します。
11時まで時間があるので境内を散策します。こちらは「白虎(びゃっこ)楼」(重文)で、この先に神苑入口があります。
その南側にあるのが「額殿」(重文)で、参拝者の休憩や講演などを目的とした建物。
その対面にあるのが「神楽殿」(重文)です。神楽の奉奏とともに結婚式等を行う場として建てられたもの。
神苑の出口にあって「白虎(びゃっこ)楼」の対面にあるのが「蒼龍(そうりゅう)楼」(重文)です。あとで神職さんから案内がありましたが要約すると・・・。
平安神宮の社殿は、桓武天皇(第50代天皇)が開かれた当時の平安京の正庁、朝堂院が約8分の5の規模で再現されています。大極殿(だいごくでん)・應天門(おうてんもん)・蒼龍楼(そうりゅうろう)・白虎楼(びゃっころう)・歩廊・龍尾壇(りゅうびだん)などは1895(明治28年)の創建当時に造営されたものです。その後1940年(昭和15年)に孝明天皇(第121代天皇)の鎮座にあたり、本殿・祝詞殿・内拝殿・翼舎・神楽殿(かぐらでん)・額殿(がくでん)・内外歩廊斎館(祭典の為参篭する館)・社務所などが増改築されました。1975年(昭和50年)から主要な建物の葺き替えが行われたが、1976年(昭和51年)1月6日に放火により内拝殿や本殿などを焼失するも1979年(昭和54年)には復興し現在のような壮麗な社頭が整いました。
境内の中央にある、この段差を「龍尾壇(りゅうびだん)」と呼ばれていることを初めて知りました。平安京の時代、朝廷ではここから先は身分の高い人しか入ることが許されていなかったといいます。

最後に「蒼龍」(東)と「白虎」(西)を撮ってトイレを済ませておきました。そして本殿前に向かいます。


今日来て気づいたことですが、平安神宮の境内から「比叡山山頂」(上)、「如意ヶ嶽の大の文字」が見えました。
10時57分に本殿前に「略式小忌衣」を掛けて集合しました。冷たい風が強く吹き抜け寒すぎです。11時を過ぎても始まらない。2分過ぎて神職さんが出て来られました。驚くことに私ら夫婦だけでした。余談ですが、この特別公開なんですけど、本殿前に看板が出てるだけです。本殿授与所にも案内は出て無かったので、私はガードマンさんに受付場所を聞きました。多分、ここに来た人は特別公開をしていることには気づかないと思います。
本殿向かって右がから内拝殿に入って神職さんの説明を聞きます。本殿の大きな扉の右側に桓武天皇を左に孝明天皇が祀られていることを知りました。先ずは平安神宮の歴史について。
平安神宮は平安遷都1100年を記念し、第4回内国勧業博覧会が岡崎で開かれ、そのモニュメントとして平安宮大極殿院を模した会場の背後に桓武天皇を祀る本殿が建てられ、竣工とともに神社施設とされたのが平安神宮の創建である。創建に際して京都は、明治に入って都が、東京へ遷都し、それに伴い公家や商売人らも東京に移り、京都の人口の三分の一(延べ10万人以上)が移ったと言われる。明治維新の戦乱で京都は荒廃したうえで人口も減り惨憺たる現状であった。それで京都の市民は復興事業として琵琶湖疎水、そして蹴上発電所、日本初の公共電気軌道を開業した「京都電気鉄道電車(チンチン電車)」が京都市街を走るなど、その近代化事業の集大成として全国からの募金により創建されたのが平安神宮です。設計は宮内省技師木子清敬及び帝国大学大学院生伊東忠太、施工は清水組による。
このあと内陣でお祓いうけます。これから神域に入るので神職さんの案内のもとうけました。お祓いのあと内陣を出ることとなるので写真撮影はOKとなりました。
本殿を左手に見て、北に向いて歩いて行きます。突き当たりの方向が北東となります。
あとで間近に見る「本殿」が見えました。高さ11㍍、幅14㍍。屋根の片方が流れるように延び流造りと言われる建築は後程案内して貰います。
このあと神職さんが北東の角で止まられ、ここで案内を受けました。それにしても風が強くて寒くて、神職さんの薄着が気になって・・・😊。
ここどは「鬼門封じ」を見学しました。鬼門封じは、本殿を囲う朱色の垣根を支える石積みの土台にあり、北東角がへこんでいる。角をとれば、角(つの)がある鬼を避けられると信じられているからという。
ここで、「魔が去る」に由来する神猿(まさる)が描かれた「オリジナル絵馬」を鬼門封じのそばに奉納しました。風が強いので、絵馬も音を立てて揺れてました。

このあと、いよいよ御垣内に入ります。神聖な場所で撮影はもちろん禁止です。この門は神職と守衛しか入ったことがなく、一般の人が入るのは創建以来初めてだそうです。
入ると正面が本殿の後ろ側です。神職さんに勧められ、お賽銭をして参拝しました。御神体は本殿の内々殿上座におられるので、ここが神様との距離が一番近いそうです。本殿の後ろには東西に校倉造りの宝物庫がありました。
写真は看板のものです。本殿の後ろから入って、向かって左側(西側)に移動して、神職さんの説明を聞きました。
宝物庫には神御衣(かむみそ)などが納められてるそうです。神御衣とは神様が着る着物のことで、現在(2/5)宝物庫には夏服が入ってて、本殿には冬服が入っている。次の夏至の日に「神御衣祭」で衣替えをされるようです。また御神刀の真険(非公開)納められ神様が直ぐに使われるよう常に手入れされてるようです。ご本殿は日本最大級の七間社流造りと言われる高さ11㍍、幅14㍍。屋根の片方が流れるように延びて側面からは「へ」の字にように見え、神社建築でよくみられる流造の形式となっていました。参考までに屋根の頂点の下が上座になってるようです。祭祀の時は、禰宜・権宮司・宮司だけが階段より上に上がれるとの説明がありました。この本殿の特徴は基礎がコンクリートであること。創建当初は土の上にありましたが、現在の建物は3代目にあたり、初代の建物は桓武天皇だけをお祀りしていた、少し小振りでした。その建物は長岡天満宮に移築され、本殿として使用されています。2代目の建物も土の上に建てられ孝明天皇を合祀するにあたり、現在の建物と同等でしたが、1976年(昭和51年)1月6日に放火による火災で焼失し、それを復元した訳です。その復元するとき、創建から50年ぐらいしか経ってないこともあって、国からも京都からも歴史的価値が無いと判断され、防火基準に則って建てるように言われたため、基礎がコンクリート製の現在の建物となったとの経緯を教えて貰いました。復元にあたり国や京都からの援助は無かったようです。そして全国から協力をいただきましたが、材木だけは台湾から太い台湾杉を援助されたそうです。この御垣内に一般のものが入るのは創建以来初めてで、公開にあたり賛否はあったようです。多分、最初で最後になるかもとも言われてました。
11時36分に内拝殿を出て神苑に出て来ました。そこで「略式小忌衣」を返して、神苑を自由散策します。約30分超にあたり丁寧に案内して貰い平安神宮のこと詳しく知ることができました。年末までされているので、もう一度行って見ても良いかなぁと😊。
神職さんの案内で、「紅枝垂れ桜」の話しを聞きました。何年か前の台風で枝が折れたそうで、現在は育成途上だそうです。そう言えば以前は、回廊から外に垂れ下がってましたね。
神苑入口の横から庭に降りました。内拝殿を出たら、こんな所に出てくるとは。台風は2018年(平成30年)9月4日の台風21号でしょう。
先ずは「南神苑(平安の苑)」から散策します。このように寒くて風が強い日に来てる人は少ないです。想像以上に少なかったですね。


この奥に重要文化財に指定された日本最古の路面電車「京都市交通局二号電車」がありますが行けません。
重要文化財に指定されたことで、庭園外に展示されるに際し電車本体の修繕に関して、資材費の高騰などの影響により費用面で第二期クラウドファンディングを募集されています。
私は第一期クラウドファンディングで協力させて貰いました。最近届いた返礼品です😊。既に修繕工事は始まっています。展示されたら見てみたいですね。


この南神苑は、1895年(明治28年)平安神宮創建以来、八重紅枝垂れ桜の名所として親しまれてきました。また、1981年(昭和56年)には往時の代表的文学書(竹取物語・伊勢物語・古今和歌集・枕草子・源氏物語)に登場する草木、約180種類を植栽して、王朝文化を偲ばせる庭「平安の苑(その)」としました。
ここをあっさり通過し次に「西神苑」に入ります。
西神苑は、1895年(明治28年)に平安神宮創建時に、中神苑とともに作庭されたもの。ここでは6月頃の「花菖蒲」が綺麗です。

初夏を彩る湖畔の花菖蒲が特に有名で、伊勢系・肥後系・江戸系といった日本古来の品種を中心に、約200種・約2000株を楽しむことができます。
ここも、あっさり通過します。次の中神苑に向かう途中、本殿の裏手を通ります。

先程、内拝殿で神職さんから話しを聞いていたときに、この通路が見えてました。数名が通られてましたね。
次に「中神苑」に入ります。ここでカキツバタと睡蓮が有名です。

中神苑は、西神苑と同じく平安神宮創建時に作庭されたもので、庭の中心には蒼龍池があります。池の東側の大島(珊瑚島)から北岸にかけて天正年間(1573~92)の三条・五条大橋の古橋柱や梁を用いた沢飛び「臥龍橋」があります。


「中神苑」から「東神苑」に入る手前に、東神苑の「栖鳳池」と中神苑の「蒼龍池」をつなぐ「せせらぎ」です。幅2㍍、苑路を横切る飛石を渡し、底には小石が行き詰められ軽やかな水音が心安まります。
11時46分に「東神苑」に入りました。東神苑は、明治末期から大正初期にかけて造られ、京都御所から移築された泰平閣(橋殿)並びに尚美館(貴賓館)があります。
遠くに見えているのは位置的に「将軍塚青龍殿大舞台」と思いますが、違うかなぁ?。

「泰平閣(橋殿)」まで来たので、ここで休憩します。この時間では、ここには誰も居ませんでした。


広大な栖鳳池には、鶴島・亀島の二島を配し、その周囲には、八重紅枝垂れ桜をはじめ、サツキや椿など多様な花木が植栽され、水面に写る花々は格別の風情を醸し出します。



ゆっくり休憩している間に2組来られたので、ここを出ていくことにしました。

11時56分に神苑を出ました。11時に特別公開が始まって、約1時間楽しめました。
帰りの前に應天門近くの授与所で、「平安神宮百三十年祭 限定特別朱印」をいただきました。令和12年11月末日まで授与されるみたいですね。

11時57分に應天門から出てきました。ここから車を停めている駐車場に向かいました。
京都市営岡崎公園駐車場で精算すると10時28分~12時05分で、1200円でした。高っ!!!。京都市営でも二条城も高いしね。財政が苦しい京都市だから仕方ないけど、少々納得しがたいです。
参拝記念に貰った栞です。北東の角に吊するも良いらしいです、神職さんから聞きました。まだ吊してませんが。
12時05分に出て、病院に向かいました。この日は、最高気温が5.3℃までしか上がらなかったです。どうりで寒いこと。
公開は今年の12月29日まで(年始や節分などを除く)。午前11時、13時、14時、15時からの1日4回、神職が30分ほどかけて神宮の歴史などを解説しながら案内。国指定名勝の日本庭園「神苑」も自由拝観。特別参拝は、当日の10時~15時に本殿授与所で申し込む。拝観料は大人2000円、中学生以下1000円。絵馬、記念縁起札、神苑拝観付き。







美観的にイマイチで、それで修学旅行生の姿が少ないのかも知れません。余談ですが、先に「京都市営岡崎公園駐車場」に車を入れましたが、春の桜の時期に来たとき、タクシーがびっしり止まってましたが、今日は多分一台も止まってなかったように思います。

平安神宮は創建130年に向けた取り組みとして、境内で最も神聖なエリアとする「御垣内(みかきうち)」を初公開し、参拝者は外拝殿(大極殿)の奥にある通常非公開の神域に入ることができ、日本最大級の流造(ながれづくり)の本殿などを間近に見られるイベントを2025年(令和7年)12月29日まで(年始や節分などを除く)まで実施されます。平安神宮は、1895年(明治28年)に創建され、2026年(令和8年)3月15日には「百三十年祭」を斎行されます。建物の耐震化や塗り直しを進めているのに合わせて、特別公開を企画されました。御垣内には、御祭神の桓武天皇と孝明天皇の御霊代(みたましろ)を安置する本殿があります。1976年(昭和51年)1月6日に放火による火災後の1979年(昭和54年)に再建され、高さ11㍍、幅14㍍。屋根の片方が流れるように延びて側面からは「へ」の字にように見え、神社建築でよくみられる流造の形式を目の当たりにできます。





平安神宮の社殿は、桓武天皇(第50代天皇)が開かれた当時の平安京の正庁、朝堂院が約8分の5の規模で再現されています。大極殿(だいごくでん)・應天門(おうてんもん)・蒼龍楼(そうりゅうろう)・白虎楼(びゃっころう)・歩廊・龍尾壇(りゅうびだん)などは1895(明治28年)の創建当時に造営されたものです。その後1940年(昭和15年)に孝明天皇(第121代天皇)の鎮座にあたり、本殿・祝詞殿・内拝殿・翼舎・神楽殿(かぐらでん)・額殿(がくでん)・内外歩廊斎館(祭典の為参篭する館)・社務所などが増改築されました。1975年(昭和50年)から主要な建物の葺き替えが行われたが、1976年(昭和51年)1月6日に放火により内拝殿や本殿などを焼失するも1979年(昭和54年)には復興し現在のような壮麗な社頭が整いました。






10時57分に本殿前に「略式小忌衣」を掛けて集合しました。冷たい風が強く吹き抜け寒すぎです。11時を過ぎても始まらない。2分過ぎて神職さんが出て来られました。驚くことに私ら夫婦だけでした。余談ですが、この特別公開なんですけど、本殿前に看板が出てるだけです。本殿授与所にも案内は出て無かったので、私はガードマンさんに受付場所を聞きました。多分、ここに来た人は特別公開をしていることには気づかないと思います。
本殿向かって右がから内拝殿に入って神職さんの説明を聞きます。本殿の大きな扉の右側に桓武天皇を左に孝明天皇が祀られていることを知りました。先ずは平安神宮の歴史について。
平安神宮は平安遷都1100年を記念し、第4回内国勧業博覧会が岡崎で開かれ、そのモニュメントとして平安宮大極殿院を模した会場の背後に桓武天皇を祀る本殿が建てられ、竣工とともに神社施設とされたのが平安神宮の創建である。創建に際して京都は、明治に入って都が、東京へ遷都し、それに伴い公家や商売人らも東京に移り、京都の人口の三分の一(延べ10万人以上)が移ったと言われる。明治維新の戦乱で京都は荒廃したうえで人口も減り惨憺たる現状であった。それで京都の市民は復興事業として琵琶湖疎水、そして蹴上発電所、日本初の公共電気軌道を開業した「京都電気鉄道電車(チンチン電車)」が京都市街を走るなど、その近代化事業の集大成として全国からの募金により創建されたのが平安神宮です。設計は宮内省技師木子清敬及び帝国大学大学院生伊東忠太、施工は清水組による。
このあと内陣でお祓いうけます。これから神域に入るので神職さんの案内のもとうけました。お祓いのあと内陣を出ることとなるので写真撮影はOKとなりました。


このあと神職さんが北東の角で止まられ、ここで案内を受けました。それにしても風が強くて寒くて、神職さんの薄着が気になって・・・😊。
ここどは「鬼門封じ」を見学しました。鬼門封じは、本殿を囲う朱色の垣根を支える石積みの土台にあり、北東角がへこんでいる。角をとれば、角(つの)がある鬼を避けられると信じられているからという。



入ると正面が本殿の後ろ側です。神職さんに勧められ、お賽銭をして参拝しました。御神体は本殿の内々殿上座におられるので、ここが神様との距離が一番近いそうです。本殿の後ろには東西に校倉造りの宝物庫がありました。

宝物庫には神御衣(かむみそ)などが納められてるそうです。神御衣とは神様が着る着物のことで、現在(2/5)宝物庫には夏服が入ってて、本殿には冬服が入っている。次の夏至の日に「神御衣祭」で衣替えをされるようです。また御神刀の真険(非公開)納められ神様が直ぐに使われるよう常に手入れされてるようです。ご本殿は日本最大級の七間社流造りと言われる高さ11㍍、幅14㍍。屋根の片方が流れるように延びて側面からは「へ」の字にように見え、神社建築でよくみられる流造の形式となっていました。参考までに屋根の頂点の下が上座になってるようです。祭祀の時は、禰宜・権宮司・宮司だけが階段より上に上がれるとの説明がありました。この本殿の特徴は基礎がコンクリートであること。創建当初は土の上にありましたが、現在の建物は3代目にあたり、初代の建物は桓武天皇だけをお祀りしていた、少し小振りでした。その建物は長岡天満宮に移築され、本殿として使用されています。2代目の建物も土の上に建てられ孝明天皇を合祀するにあたり、現在の建物と同等でしたが、1976年(昭和51年)1月6日に放火による火災で焼失し、それを復元した訳です。その復元するとき、創建から50年ぐらいしか経ってないこともあって、国からも京都からも歴史的価値が無いと判断され、防火基準に則って建てるように言われたため、基礎がコンクリート製の現在の建物となったとの経緯を教えて貰いました。復元にあたり国や京都からの援助は無かったようです。そして全国から協力をいただきましたが、材木だけは台湾から太い台湾杉を援助されたそうです。この御垣内に一般のものが入るのは創建以来初めてで、公開にあたり賛否はあったようです。多分、最初で最後になるかもとも言われてました。



先ずは「南神苑(平安の苑)」から散策します。このように寒くて風が強い日に来てる人は少ないです。想像以上に少なかったですね。






































参拝記念に貰った栞です。北東の角に吊するも良いらしいです、神職さんから聞きました。まだ吊してませんが。
12時05分に出て、病院に向かいました。この日は、最高気温が5.3℃までしか上がらなかったです。どうりで寒いこと。
この記事へのコメント
訪れて以来、すっかりご無沙汰なので、
お写真が新鮮に感じられました。
御垣内が見学できるなんてすごいですね。
何せ、修学旅行はこの間の話という訳じゃ
無いので、趣ある庭園の記憶など
全く無いのが少し残念です。
それでも広大な境内には様々な建築や庭園など、やはり見所が多いですね。
創建130年ですが、それ以上の歴史の重みを感じます。
白虎楼と蒼龍楼はとってもユニークな外観。絵になります。
池のあるそれぞれの神苑が独特で非常に魅力的です。
真冬でこれだけ美しい庭というのが凄いなと思いました。
平安神宮「御垣内特別参拝」も、年末までされますが、神職さんの話しでは、最初で最後でしょうと言われてました。
本殿は火災のあとの再建のため、重要文化財に指定されてませんが、貴重な建物を間近で見られて良かったです。
何より神職さんの話しが興味引きました。
いろいろ知らなかった平安神宮の歴史のことも分かったから。
ここは、とくに修学旅行生が多いですね、まもなく神苑に枝垂れ桜が咲き誇るので、その頃に行きたいかと思います。
対局殿大極殿が工事中のため、この御垣内特別参拝を計画されたのでしょう、賛否あるみたいですが、間近で本殿を見られて良かったです。もう、多分二度と無いでしょうから。御垣内特別参拝は年末頃までされています。
本当は、昨年の9月頃に行きたかったですが、あまりにも暑くて、そして10月も。それで今回の訪問となりました。
4月上旬過ぎになると紅枝垂れ桜が咲き誇るので行ってみます。何年前かの台風の被害で、少し枝は細ってますが。