芙蓉の花咲く臨済宗 天龍寺派 等持院へ
9月25日(水)も、朝の気温は低かったです。最低気温は21.3℃と、半袖では少し寒いぐらいでした。ただ天気は朝から晴れてて、気温が上がりそうな雰囲気がありました。ただ、湿気が少ないので熱中症の心配はないかなぁ😊。
昨日もそうでしたが、今日も家族の用事で出掛けます。8時45分頃に入ったので、この日も10時頃まで空き時間があるので市バスに乗って出掛けます。ここ最近は仁和寺に行ってましたが、今日は臨済宗 天龍寺派 等持院に行ってみます。「京都花だより」で、芙蓉の花が見頃と出ていたので、来て見たわけです。
等持院には、半夏生が見頃となった6月19日(水)に来て以来です。
龍安寺前バス停で下車し、きぬがけの路を横断し、立命館大学衣笠キャンパスが建ち並ぶ路地を進みます。
いつも、この時間に行くと、立命館大学生たちが大勢歩いているのに、誰も居ません。まだ夏休みでしょぅか?。
9時2分に等持院「西門」から境内に入りました。
境内に車が止まってないので、多分、誰も来てないと思いました。さっそく「表門」をくぐります。
表門を入ると、さっそく芙蓉の花が咲いてました。まだ蕾が多いので、見頃は少し先でしょう。
庫裏を上がって、拝観受付所で拝観料600円と茶席代600円を納めました。茶席は、庭園を見てからにしました。
本当は方丈に入ってお参りしてからが正式ルートですが、私は「書院」から庭に降ります。
さっそく誰も居ない間に「芙蓉池」越しに茶室「清漣亭」が見える所から撮りました。ここからの風景を私は好きです。
今日は、少し早いのは分かってましたが、芙蓉の花を見に来ました。見たところ、少し咲いているみたいです。
まだ蕾が多いけど、白色の芙蓉の花が咲いてました。
先に述べたように、誰も居ない間に茶室「清漣亭」まで登ります。
茶室「清漣亭」前から見た「方丈」と「書院」です。今日は天気が良いので、手入れされた庭園は綺麗です。
茶室「清漣亭」です。内部には入れません。
茶室「清漣亭」の前にある、有名な石灯籠「等持院型石灯籠」といいます。竿は四角形、中台は六角形で、火袋に日月文様が穿ってあります。
こちらは、茶室横の「司馬温公形手水鉢(しばおんこうがたちょずばち)」です。昔の中国(北宋)の政治家である、司馬温公が、子供の時に水甕にはまって溺れかけた友達を石で高価な甕を割って助けた故事にちなんで名付けられました。
茶室「清漣亭」から心字池に行けますが、再び書院側に降りて来ました。芙蓉池には綺麗な錦鯉が泳いでいますし、池の周りには赤色の芙蓉の花も咲いてました。
右が「書院」、左が「方丈」です。その間にある「中庭」でしょうか。
方丈の裏手にも芙蓉の花が咲いてました。
芙蓉池から心字池に向かう途中にある「足利尊氏公のお墓」に寄りました。ここに寄るために茶室「清漣亭」から心字池に向かわずに書院側に降りて来たわけです。
室町幕府初代将軍の宝篋印塔がそれです。台座には足利尊氏の命日、延文3年4月30日の文字「延文三年」、左に「四月三十日」が書かれています。
右が「書院」、左が「霊光殿」です。霊光殿には帰りに寄るつもりです。手前は桜の老木です。
霊光殿の背後には「心字池」があって、秋には赤く染まります。
心字池の入口です。この辺りは、梅雨時になると半夏生が綺麗です。
心字池の周りをゆっくり散策します。ただ、この時期になっても暑いのは予想外でしたが。
心字池の周りを散策し、ここで池に突き出た「蓬莱島」までやって来ました。
「蓬莱島」に入りました。ここでは礎石を目にします。それには理由があって・・・?。
ここにはかつて「妙音閣」がありましたが、1950年(昭和25年)にジェーン台風により倒壊し、今は礎石しか残っていません。
ここも秋になると紅葉が綺麗です。暑いので早々と出て行くことにしました。
島を出て苑路を進むと右手には、足利家15代供養塔の「十三重塔」。その左横には、赤松柳史の高弟 青山柳為句碑「芙蓉池に風あるやなし 落下舞ふ」があります。
その横には「臨済宗天龍寺派管長 関牧翁胸像」(左)と「中興天龍牧翁和尚大禅師」(右)がありました。
今日は、茶席をお願いしているので、心字池から「書院」に戻ります。
ここ「書院」に戻ってから、受付に戻り茶席お願いしました。しばし庭を見て待つことに。
ここのは「京菓子司 笹屋守栄」さんのお菓子で、美味しいのでいつも頼みます。この日も美味しかったです😊。
ここで休憩し、ぼんやり庭を見てました。お寺の方が鯉の餌やりもやられているですね、のんびりさせても貰い、ここを出て行くことにしました。
方丈裏を通って、次に「霊光殿」に入りました。ここは撮影禁止のため写真はありません。
正面には、室町幕府初代将軍・足利尊氏公が日頃信仰されていた地蔵尊(弘法大師空海作)を本尊に左右に達磨大師像と夢想国師像が祀られてます。次に向かって右から若き日の徳川家康(東照大権現)坐像から、歴代足利将軍木像の室町幕府初代将軍足利尊氏(等持院殿)坐像、2代将軍義詮(よしあきら)(宝筐院殿)坐像、3代将軍義満(鹿苑院)坐像、4代将軍義持(勝定院殿)坐像、6代将軍義教(普広院殿)坐像、7代将軍義勝(慶雲院)坐像、8代将軍義政(慈照院)坐像、9代将軍義尚(よしひさ)(常徳院)坐像、10代将軍義稙(よしたね)(恵林院殿)坐像、11代将軍義澄(よしずみ)(法住院殿)坐像、12代将軍義晴(萬松院)坐像、13代将軍義輝(光源院)坐像、15代将軍義昭(霊陽院)坐像が安置されています。 なお、5代将軍義量(よしかず)(長得院殿)、14代将軍義栄(よしひで)(光徳院)は、ありません。
足利将軍の戒名をとった寺院に私は行ってます。初代将軍足利尊氏は等持院で、ここです。 2代将軍の義詮は「宝筐院」、3代将軍義満は、ご存じ世界文化遺産の「鹿苑寺(金閣寺)」。5代将軍義量は、相国寺塔頭の「長得院」。8代将軍義政は、世界文化遺産の「慈照寺(銀閣寺)」。13代将軍義輝も相国寺塔頭の「光源院」です。
順序は逆ですが、最後に「方丈」に入ってお参りしました。室内は撮影禁止です。本尊は「釈迦牟尼仏」が祀られています。
私が、ここに居る間は誰も来られ無かったです。次の目的地があるので9時30分に出て行きました。
行きは、あの「西門」から入りましたが、帰りは嵐電に乗るため東側から出て行きます。
こちらは方丈に入れる「勅使門」です。ここが開いているのは見たことがありません。
振り向くと、西門近くにある「鐘楼」を撮りました。ご覧のように駐車場は広いです。ただ道が狭いので観光バスが入ってくるのは絶対無理です。
こちらは「マキノ省三像」です。今は面影ありませんが、この等持院には、かつて等持院撮影所がありました。
1912年(明治45年)に誕生し、1932年(昭和7年)に閉鎖されましたが、映画の歴史は現在京都にある二つの撮影所に受け継がれています。
観光客に出会いませんでしたが、檀家さんが墓参りには来られてました。こちらは「中門」です。
9時34分に「山門」を出ました。ここから嵐電「等持院•立命館大学衣笠キャンパス前駅」まで歩いて行きます。
今日も暑かったです。最高気温は29.9℃で、真夏日になりませんでしたが、この時期にしては暑すぎです。ここからゆっくり歩いて駅に向かいました。
昨日もそうでしたが、今日も家族の用事で出掛けます。8時45分頃に入ったので、この日も10時頃まで空き時間があるので市バスに乗って出掛けます。ここ最近は仁和寺に行ってましたが、今日は臨済宗 天龍寺派 等持院に行ってみます。「京都花だより」で、芙蓉の花が見頃と出ていたので、来て見たわけです。
等持院には、半夏生が見頃となった6月19日(水)に来て以来です。
龍安寺前バス停で下車し、きぬがけの路を横断し、立命館大学衣笠キャンパスが建ち並ぶ路地を進みます。
いつも、この時間に行くと、立命館大学生たちが大勢歩いているのに、誰も居ません。まだ夏休みでしょぅか?。
9時2分に等持院「西門」から境内に入りました。
境内に車が止まってないので、多分、誰も来てないと思いました。さっそく「表門」をくぐります。
表門を入ると、さっそく芙蓉の花が咲いてました。まだ蕾が多いので、見頃は少し先でしょう。
庫裏を上がって、拝観受付所で拝観料600円と茶席代600円を納めました。茶席は、庭園を見てからにしました。
本当は方丈に入ってお参りしてからが正式ルートですが、私は「書院」から庭に降ります。
さっそく誰も居ない間に「芙蓉池」越しに茶室「清漣亭」が見える所から撮りました。ここからの風景を私は好きです。
今日は、少し早いのは分かってましたが、芙蓉の花を見に来ました。見たところ、少し咲いているみたいです。
まだ蕾が多いけど、白色の芙蓉の花が咲いてました。
先に述べたように、誰も居ない間に茶室「清漣亭」まで登ります。
茶室「清漣亭」前から見た「方丈」と「書院」です。今日は天気が良いので、手入れされた庭園は綺麗です。
茶室「清漣亭」です。内部には入れません。
茶室「清漣亭」の前にある、有名な石灯籠「等持院型石灯籠」といいます。竿は四角形、中台は六角形で、火袋に日月文様が穿ってあります。
こちらは、茶室横の「司馬温公形手水鉢(しばおんこうがたちょずばち)」です。昔の中国(北宋)の政治家である、司馬温公が、子供の時に水甕にはまって溺れかけた友達を石で高価な甕を割って助けた故事にちなんで名付けられました。
茶室「清漣亭」から心字池に行けますが、再び書院側に降りて来ました。芙蓉池には綺麗な錦鯉が泳いでいますし、池の周りには赤色の芙蓉の花も咲いてました。
右が「書院」、左が「方丈」です。その間にある「中庭」でしょうか。
方丈の裏手にも芙蓉の花が咲いてました。
芙蓉池から心字池に向かう途中にある「足利尊氏公のお墓」に寄りました。ここに寄るために茶室「清漣亭」から心字池に向かわずに書院側に降りて来たわけです。
室町幕府初代将軍の宝篋印塔がそれです。台座には足利尊氏の命日、延文3年4月30日の文字「延文三年」、左に「四月三十日」が書かれています。
右が「書院」、左が「霊光殿」です。霊光殿には帰りに寄るつもりです。手前は桜の老木です。
霊光殿の背後には「心字池」があって、秋には赤く染まります。
心字池の入口です。この辺りは、梅雨時になると半夏生が綺麗です。
心字池の周りをゆっくり散策します。ただ、この時期になっても暑いのは予想外でしたが。
心字池の周りを散策し、ここで池に突き出た「蓬莱島」までやって来ました。
「蓬莱島」に入りました。ここでは礎石を目にします。それには理由があって・・・?。
ここにはかつて「妙音閣」がありましたが、1950年(昭和25年)にジェーン台風により倒壊し、今は礎石しか残っていません。
ここも秋になると紅葉が綺麗です。暑いので早々と出て行くことにしました。
島を出て苑路を進むと右手には、足利家15代供養塔の「十三重塔」。その左横には、赤松柳史の高弟 青山柳為句碑「芙蓉池に風あるやなし 落下舞ふ」があります。
その横には「臨済宗天龍寺派管長 関牧翁胸像」(左)と「中興天龍牧翁和尚大禅師」(右)がありました。
今日は、茶席をお願いしているので、心字池から「書院」に戻ります。
ここ「書院」に戻ってから、受付に戻り茶席お願いしました。しばし庭を見て待つことに。
ここのは「京菓子司 笹屋守栄」さんのお菓子で、美味しいのでいつも頼みます。この日も美味しかったです😊。
ここで休憩し、ぼんやり庭を見てました。お寺の方が鯉の餌やりもやられているですね、のんびりさせても貰い、ここを出て行くことにしました。
方丈裏を通って、次に「霊光殿」に入りました。ここは撮影禁止のため写真はありません。
正面には、室町幕府初代将軍・足利尊氏公が日頃信仰されていた地蔵尊(弘法大師空海作)を本尊に左右に達磨大師像と夢想国師像が祀られてます。次に向かって右から若き日の徳川家康(東照大権現)坐像から、歴代足利将軍木像の室町幕府初代将軍足利尊氏(等持院殿)坐像、2代将軍義詮(よしあきら)(宝筐院殿)坐像、3代将軍義満(鹿苑院)坐像、4代将軍義持(勝定院殿)坐像、6代将軍義教(普広院殿)坐像、7代将軍義勝(慶雲院)坐像、8代将軍義政(慈照院)坐像、9代将軍義尚(よしひさ)(常徳院)坐像、10代将軍義稙(よしたね)(恵林院殿)坐像、11代将軍義澄(よしずみ)(法住院殿)坐像、12代将軍義晴(萬松院)坐像、13代将軍義輝(光源院)坐像、15代将軍義昭(霊陽院)坐像が安置されています。 なお、5代将軍義量(よしかず)(長得院殿)、14代将軍義栄(よしひで)(光徳院)は、ありません。
足利将軍の戒名をとった寺院に私は行ってます。初代将軍足利尊氏は等持院で、ここです。 2代将軍の義詮は「宝筐院」、3代将軍義満は、ご存じ世界文化遺産の「鹿苑寺(金閣寺)」。5代将軍義量は、相国寺塔頭の「長得院」。8代将軍義政は、世界文化遺産の「慈照寺(銀閣寺)」。13代将軍義輝も相国寺塔頭の「光源院」です。
順序は逆ですが、最後に「方丈」に入ってお参りしました。室内は撮影禁止です。本尊は「釈迦牟尼仏」が祀られています。
私が、ここに居る間は誰も来られ無かったです。次の目的地があるので9時30分に出て行きました。
行きは、あの「西門」から入りましたが、帰りは嵐電に乗るため東側から出て行きます。
こちらは方丈に入れる「勅使門」です。ここが開いているのは見たことがありません。
振り向くと、西門近くにある「鐘楼」を撮りました。ご覧のように駐車場は広いです。ただ道が狭いので観光バスが入ってくるのは絶対無理です。
こちらは「マキノ省三像」です。今は面影ありませんが、この等持院には、かつて等持院撮影所がありました。
1912年(明治45年)に誕生し、1932年(昭和7年)に閉鎖されましたが、映画の歴史は現在京都にある二つの撮影所に受け継がれています。
観光客に出会いませんでしたが、檀家さんが墓参りには来られてました。こちらは「中門」です。
9時34分に「山門」を出ました。ここから嵐電「等持院•立命館大学衣笠キャンパス前駅」まで歩いて行きます。
今日も暑かったです。最高気温は29.9℃で、真夏日になりませんでしたが、この時期にしては暑すぎです。ここからゆっくり歩いて駅に向かいました。
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