彼岸花咲く旧嵯峨御所大覚寺門跡 大沢池へ
10月に入ったのに、1日(火)のこの日も京都市では午前11時8分に30.1℃となり、30℃以上の真夏日となりました。この日に真夏日となったことで観測史上初めて年間100日に達しました。近畿地方では初めての記録で、7~9月のほとんどを「真夏」が占めたことに。気象庁は、最高気温30℃以上の日を真夏日としています。京都市ではこれまで、2022年(令和4年)の年間96日が最多でした。年間100日超は、沖縄県など南西諸島では珍しくはありませんが、本州では極めて珍しい。最終的に、この日の最高気温は32.5℃まで上がりました。今年の京都市は、4月28日に、12年ぶりに4月の真夏日となった後、5月に3日間、6月に16日間、7月に26日間、8月に29日間、9月に24日間の真夏日を観測。京都地方気象台によると、今夏は高気圧の勢力が強く、好天で暖気が流入しやすかったことに加え、地球温暖化や海水温が高かったことも影響し、高温になったと。ちなみに、京都市で100年前(1894~2023年)の年平均真夏日数は60・7日でした。これではっきりしたのは、夏の京都には来ない方が良いです。暑すぎます。ただ、ここ最近は朝夕に気温は下がって来ました。10月1日(火)の最低気温は21.1℃でした。ただ、これでも平年は17.5℃のため比べたら4℃ほど高いです。
そんな暑かった1日(火)の翌2日(水)、最低気温は21.℃でしたが、10月に入ったとは思えないほどの湿気で蒸し暑かったです。涼しさは感じないですね。10月に入ってもこんなに暑いのは以前なら考えられなかったでしょう、そんな朝から暑いなか、旧嵯峨御所大覚寺門跡(大覚寺) 大沢池に咲く、彼岸花を見に行きました。彼岸花も開花が半月程度遅れていると出てたので、多分、今頃が見頃かなぁと、思い行ってみることに。
大沢池は、大覚寺の東に位置し嵯峨天皇(第52代天皇)が弘仁年間(810~824)に造営された離宮「嵯峨院」の苑池の一部で、現在大覚寺境内に属している。中国の洞庭湖(どうていこ)になぞらえて「庭湖」ともいい、作庭当時は泉・滝・名石等の美を極めた池泉舟遊式庭園でした。のち次第に荒廃したが、いまなお池中に菊が島・天神島の二島のほか、巨勢金岡(こせのかなおか)(平安時代前期の貴族・宮廷画家)が置いたという庭庭石(ていこせき)などを配し、ひろびろとした大陸的雰囲気をただよわせた周囲約1kmの日本最古の庭園の一つです。池畔には弘法大師が離宮の鎮守として勧請したち伝わる五社明神のほか、桜樹かせ多く、花の名所であるとともに、古くより月の名所としても名高く、秋の観月に訪れ人は多いです。この池の北は嵯峨院があった場所で、来た約50㍍の所に嵯峨院滝殿の石組み跡「名古曽瀧」があり、藤原公任も「滝の音は 絶えてひさしくなりぬれど 名こそ流れて なほ聞こえけれ」と詠んでます。
今年の7月29日(月)以来の大覚寺ですが、この時は市バスに乗って来ました。今日は歩きです😊。北嵯峨高校西側を北に向いて歩いていると、萩の花を見つけました。
今年の7月18日(木)以来の「大沢門」に8時58分に着きました。着くと、「開門の9時まで待ってほしい」と。それで暫く、ここで待つことにしました。
9時に受付され、拝観料300円を納め園内に入ります。見たところ、当分、誰も来ないようで、ゆっくり散策すること😊。
この日も、7月18日(木)と同様に、大沢池を反時計回りで巡ります。
大沢池に出る前に、彼岸花を見つけました。開花の遅れていた彼岸花もようやく咲き出しました。
大沢池が見える所まで来ると詠碑があります。「わが友の 平田の大人の おもひもの 東をんなの 見目 うつくしも」嵐山 島田保子。
「紅を 少しのぞかせ ふっくらと 椿の蕾 只の一輪」平田春一。
ここで、ようやく大沢池が見えました。湖畔に五大堂、奥に愛宕山が見えています。
ここにも彼岸花が咲いてましてた。この先も咲いているでしょう期待できます。
大沢池に裳が一杯ですね。夏の猛暑が影響してるのでしょう。今年の夏は暑すぎました。
ここでズームで撮りました。見えているのは「嵯峨天皇陵」と奥に愛宕山の山頂が見えています。
ここからは「心経宝塔」と「天神島」が正面に見える所まで来ました。
ここでズームで撮りました。五大堂の奥に、五山の送り火「鳥居形」(曼荼羅山)が見えたからです。
「花を惜しむこころは いった何なのだろう いくつ齢をかさねたら 心はしずまり ひとり酒汲む静寂に 住むことができるのか 今日も嵯峨御所から 花信が舞ひこんできた」臼井喜之介詠碑。
ここで「菊ケ島」が見えてきました。
大沢池に浮かぶ「菊が島」には嵯峨天皇が愛した花があって、自生していた野菊です。嵯峨天皇は、この野菊(嵯峨菊)を離宮に持ち帰って花瓶にさして愛でたと言われています。これが「いけばな嵯峨御流」の始まりになりました。
ここまで来ると湖畔に彼岸花が、そしてカモも居ました。ただ近づくと飛んでしまいました。奥の「庭湖石」にはアオサギが佇んでます。
次に名勝「名古曽瀧」に向かいます。その前には、滝から流れる「鑓水」が流れていました。
名勝「名古曽瀧」です。離宮嵯峨院の滝殿庭園内に設けられたもので、今昔物語では百済川成(くだらのかわなり)が作庭したと伝わります。
「滝の音は 絶えてひさしくなりぬれど 名こそ流れて なほ聞こえけれ」藤原公任。藤原公任(ふじわらのきんとう)は平安時代の歌人。詩歌や管弦の諸芸に通じ、また故実に詳しく、書は古筆として珍重されています。和漢朗詠集や拾道和歌集などの撰に携わりました。三十六歌仙の1人。NHK大河ドラマ「光る君へ」では、町田啓太さんが演じています。
ご覧のように、10月に入っても、彼岸花は蕾が多いです。いかに夏の猛暑と残暑が厳しかったのが分かります。
今日のお目当ての彼岸花が綺麗に咲いています。今年は2週間から半月ほど遅い開花と言ってますね。
次に名古曽橋を渡って天神島にはいりまが、その前の詠碑「ひともとと おもひし菊を おほさはの 池のそこにも たれかうえけん」紀友則のです。
名古曽橋を渡って天神島に入りました。
嵯峨天皇が詠まれた漢詩「嵯峨天皇詠碑」が石碑に刻まれています。ただ掠れて読めないですね。当時弘法大師空海は神護寺の現在の大師堂に住まわれてました。その空海は、度々山を降り嵯峨天皇が住む離宮嵯峨院に会いに来られたようです。嵯峨天皇と弘法大師空海がお茶を楽しまれてて、空海が神護寺に帰るとき、嵯峨天皇が別れを惜しんで作られたのが、この漢詩だそうです。
与海公飲茶送帰山一首(かいこうとちゃをのみやまにかえるをおくる)(空海と茶を飲みて山に帰るのを送る)
御製(ぎょせい)
道俗相分経数年(どうぞくあいわかれてすうねんをへたり)(僧と俗人相別れて数年を経たり)
今秋晤語亦良縁(こんしゅうごごするもまたりょうえん)(この秋打ち解け語り合えた事は良縁)
香茶酌罷日云暮(こうさくみやすみてひここにくれる)(茶を入れては飲むのをやめ日暮れる)
稽首傷離望畑烟(けいしゅしてわかれをいたみうんえんをのぞむ)(頭を低くたれて別れを惜しみ帰って行く雲烟を眺める)
ここから大沢池を見ると、睡蓮が一輪だけ咲いてました。
天神島から、奥の「菊ケ島」と、手前「庭湖石」を見ています。さきほどアオサギや止まってましたが居ませんね。
この島に菅原道真公を祀る「天神社」があるので天神島といいます。知らんけど😊。
天神社は菅原道真公を御祭神として祀られています。嵯峨天皇第(第52代天皇)が建立された離宮嵯峨院は清和天皇(第56代天皇)の勅許を得て、876年(貞観18年)に大覚寺が開祖され創建に当たり、清和天皇への上奏文を起草され仏法の興隆と衆生齊度のため僧俗2人の別当を置くよう進言されたのが菅原道真公です。また、道真公自身も大覚寺の俗別当(俗人の身分のまま寺院を統轄する責任者)を務められたと伝わります。
右が「茶筅塚」、左に「嵯峨碑」があります。華道の先達への慰霊碑だそうです。
ここで、余談です。この天神島に、撮影のために建てられたのが金閣寺。1/2サイズで映画「炎上」(1958年作品)に使われました。主演は市川雷蔵だそです。私は知りません。よく大覚寺が許可したなぁが感想です。ここの金閣寺見たかったですね😊。
天神島を朱塗りの橋を渡ってでます。出た先が「護摩堂」が。往古の大覚寺伽藍周辺に建てられた子院の一つであった仏母心院跡に建立され、不動明王を祀られています。ここで毎月一回、10時から1時間30分程度、護摩の炎で心願成就を祈願されます。
次に、鎌倉時代中期の作と思われる「石仏群」に行きました。20基を超える如来や菩薩の石仏群。古い者は平安時代後期の作もと伝わります。
再び護摩堂の前を通って「放生池」越しに「心経宝塔」を見ています。夏場が暑かったので、異常に裳が発生したのでしょう、美観がイマイチです。
大沢池を巡っているとき、遠くから金槌の音が聞こえてました。原因は「五社明神」が修復工事中でした。工事されていた音だったんですね。
「心経宝塔」エリアに来ました。
最初に「閼伽堂(あかどう)」に寄りました。今日は、堂内を覗いてみました。
「閼伽堂(あかどう)」の前には、まだ百日紅(サルスベリ)が咲いてます。咲いていたのは、ここだけでしたが😊。
「心経宝塔」です。2013年(平成25年)7月14日「第38回 京の夏の旅」に基壇内部に入りました。真夏で窓も無かったので、吐き気するほど暑かったのを覚えてて、内部なんか殆ど覚えないです😢。
1967年(昭和42年)、嵯峨天皇心経写経1150年を記念して建立。基壇内部に「如意宝珠」を納めた真珠の小塔を安置。宝塔内部には秘鍵(弘法)大師尊像が祀られています。
基壇の右手(東側)には「頌徳(しょうとく)」松下幸之助筆が。左手(西側)には「五蘊(ごうん)」と書いてあります。
「頌徳」とは、徳をほめたたえること。 「五蘊」とは、蘊は"あつまり"の意で我々を含め、あらゆる存在を物資を精神とに分析し、さらに色・愛・想・行・識の五つに分類したもの。色は物資や肉体、愛は間隔や知覚、想は心に浮かぶ表象、行は意志や記憶など、識は認識作用をいいます。
こちらは多目的施設「蓮華殿」です。2017年(平成29年)12月2日(土)の「夜間特別拝観」に完成間近のカフェに入ることができました。
「聖天堂」です。当初は望雲亭西側に建っていますが、1962年(昭和37年)に現在池に移築されました。内部には歓喜天・十一面観世音菩薩が祀られています。
このエリア最後が、「大日堂」です。大覚寺門跡が、明治初頭まで兼帯していた安井門跡蓮華光院が管理していた洛東の岩倉山真性寺が廃寺となる際に移築されたもの。内陣には六角堂石造りの大日如来坐像が安置されています。
このエリアにも彼岸花が咲いてました。バックは護摩堂です。
お堂エリアに入るには、ここから上がりますが、今日は入る予定はありません。
行きは見てない風景を帰りに見ています。大沢池の西から東を見ています。少し逆光ですが、綺麗に撮れてます😊。
ここで大沢池巡りは終わりです。私はが、ここに入ってから今日は誰とも出会いませんでした。お堂に数名居たようですが。
この風景、度々時代劇で使われます。それで撮ってみました😊。
こちらは「津崎村岡碑」1892年(明治25年)建立。津崎矩子は幕末から維新にかけての女性勤王派。晩年は北嵯峨の直指庵に隠居。嵐山 亀山公園には、銅像もあります。
ここを出る前に「望雲亭」を覗いてみました。ここには入ったことがありません。不定期で茶会はされているようです。
嵯峨天皇(第52代天皇)から高野山に帰山する弘法大師に贈られた詩「道俗相分かれ数年を経たり、今秋晤語するも亦良縁なり、香茶酌みやみて日ここに暮れる、 稽首して離れを傷み雲煙を望む」より望雲の2字をとって命名されました。現在の建物は、裏千家の設計により1975年(昭和50年)「寺号勅許1100年」の記念事業として再建されました。
9時37分に「大沢門」から出て行きました。秋の紅葉に備えてライトアップの準備をされてましたね。
こちらが「お堂エリア」拝観の入口です。これを撮ったあと、帰路につきました。
気象の情報で、もう一つ。今年の9月、京都府と滋賀県の全17観測点で、月平均気温が9月の観測史上最高を記録したことが10月1日、気象庁のデータから分かったそうです。京都市や大津市など6観測点は、8月の平年値を上回る「異常な残暑」でした。気象庁によると、今年9月の平均気温は京都市が28・6℃、大津市が27・5℃で、ともに平年値を4・2度上回り、観測史上最高となった。8月の平年値は京都市が28・5度、大津市が27・3℃で、通常の8月よりも暑い9月となりました。京都地方気象台によると、7月以降、太平洋高気圧の勢力が強く、暖気の流入が続いています。また、日本上空の偏西風が北に蛇行しており、例年より南の暖気が長く居座っている状態という。さらに、長期的な地球温暖化や海水温の上昇も影響しているとみられ、京都府と滋賀県では他に、福知山市27・1℃と舞鶴市27・2℃、大津市南小松27.0℃、高島市今津26・6℃も、今年9月の平均気温が8月の平年値を超えました。また、好天のため雨も少なく、月の総降水量は、京田辺市31.0㍉や福知山市45.0㍉、京丹後市間人16・5㍉、東近江市21・5㍉など、8観測点で9月の観測史上最少でした。どうりで、9月が滅茶苦茶暑かったわけです。
そんな暑かった1日(火)の翌2日(水)、最低気温は21.℃でしたが、10月に入ったとは思えないほどの湿気で蒸し暑かったです。涼しさは感じないですね。10月に入ってもこんなに暑いのは以前なら考えられなかったでしょう、そんな朝から暑いなか、旧嵯峨御所大覚寺門跡(大覚寺) 大沢池に咲く、彼岸花を見に行きました。彼岸花も開花が半月程度遅れていると出てたので、多分、今頃が見頃かなぁと、思い行ってみることに。
大沢池は、大覚寺の東に位置し嵯峨天皇(第52代天皇)が弘仁年間(810~824)に造営された離宮「嵯峨院」の苑池の一部で、現在大覚寺境内に属している。中国の洞庭湖(どうていこ)になぞらえて「庭湖」ともいい、作庭当時は泉・滝・名石等の美を極めた池泉舟遊式庭園でした。のち次第に荒廃したが、いまなお池中に菊が島・天神島の二島のほか、巨勢金岡(こせのかなおか)(平安時代前期の貴族・宮廷画家)が置いたという庭庭石(ていこせき)などを配し、ひろびろとした大陸的雰囲気をただよわせた周囲約1kmの日本最古の庭園の一つです。池畔には弘法大師が離宮の鎮守として勧請したち伝わる五社明神のほか、桜樹かせ多く、花の名所であるとともに、古くより月の名所としても名高く、秋の観月に訪れ人は多いです。この池の北は嵯峨院があった場所で、来た約50㍍の所に嵯峨院滝殿の石組み跡「名古曽瀧」があり、藤原公任も「滝の音は 絶えてひさしくなりぬれど 名こそ流れて なほ聞こえけれ」と詠んでます。
今年の7月29日(月)以来の大覚寺ですが、この時は市バスに乗って来ました。今日は歩きです😊。北嵯峨高校西側を北に向いて歩いていると、萩の花を見つけました。
今年の7月18日(木)以来の「大沢門」に8時58分に着きました。着くと、「開門の9時まで待ってほしい」と。それで暫く、ここで待つことにしました。
9時に受付され、拝観料300円を納め園内に入ります。見たところ、当分、誰も来ないようで、ゆっくり散策すること😊。
この日も、7月18日(木)と同様に、大沢池を反時計回りで巡ります。
大沢池に出る前に、彼岸花を見つけました。開花の遅れていた彼岸花もようやく咲き出しました。
大沢池が見える所まで来ると詠碑があります。「わが友の 平田の大人の おもひもの 東をんなの 見目 うつくしも」嵐山 島田保子。
「紅を 少しのぞかせ ふっくらと 椿の蕾 只の一輪」平田春一。
ここで、ようやく大沢池が見えました。湖畔に五大堂、奥に愛宕山が見えています。
ここにも彼岸花が咲いてましてた。この先も咲いているでしょう期待できます。
大沢池に裳が一杯ですね。夏の猛暑が影響してるのでしょう。今年の夏は暑すぎました。
ここでズームで撮りました。見えているのは「嵯峨天皇陵」と奥に愛宕山の山頂が見えています。
ここからは「心経宝塔」と「天神島」が正面に見える所まで来ました。
ここでズームで撮りました。五大堂の奥に、五山の送り火「鳥居形」(曼荼羅山)が見えたからです。
「花を惜しむこころは いった何なのだろう いくつ齢をかさねたら 心はしずまり ひとり酒汲む静寂に 住むことができるのか 今日も嵯峨御所から 花信が舞ひこんできた」臼井喜之介詠碑。
ここで「菊ケ島」が見えてきました。
大沢池に浮かぶ「菊が島」には嵯峨天皇が愛した花があって、自生していた野菊です。嵯峨天皇は、この野菊(嵯峨菊)を離宮に持ち帰って花瓶にさして愛でたと言われています。これが「いけばな嵯峨御流」の始まりになりました。
ここまで来ると湖畔に彼岸花が、そしてカモも居ました。ただ近づくと飛んでしまいました。奥の「庭湖石」にはアオサギが佇んでます。
次に名勝「名古曽瀧」に向かいます。その前には、滝から流れる「鑓水」が流れていました。
名勝「名古曽瀧」です。離宮嵯峨院の滝殿庭園内に設けられたもので、今昔物語では百済川成(くだらのかわなり)が作庭したと伝わります。
「滝の音は 絶えてひさしくなりぬれど 名こそ流れて なほ聞こえけれ」藤原公任。藤原公任(ふじわらのきんとう)は平安時代の歌人。詩歌や管弦の諸芸に通じ、また故実に詳しく、書は古筆として珍重されています。和漢朗詠集や拾道和歌集などの撰に携わりました。三十六歌仙の1人。NHK大河ドラマ「光る君へ」では、町田啓太さんが演じています。
ご覧のように、10月に入っても、彼岸花は蕾が多いです。いかに夏の猛暑と残暑が厳しかったのが分かります。
今日のお目当ての彼岸花が綺麗に咲いています。今年は2週間から半月ほど遅い開花と言ってますね。
次に名古曽橋を渡って天神島にはいりまが、その前の詠碑「ひともとと おもひし菊を おほさはの 池のそこにも たれかうえけん」紀友則のです。
名古曽橋を渡って天神島に入りました。
嵯峨天皇が詠まれた漢詩「嵯峨天皇詠碑」が石碑に刻まれています。ただ掠れて読めないですね。当時弘法大師空海は神護寺の現在の大師堂に住まわれてました。その空海は、度々山を降り嵯峨天皇が住む離宮嵯峨院に会いに来られたようです。嵯峨天皇と弘法大師空海がお茶を楽しまれてて、空海が神護寺に帰るとき、嵯峨天皇が別れを惜しんで作られたのが、この漢詩だそうです。
与海公飲茶送帰山一首(かいこうとちゃをのみやまにかえるをおくる)(空海と茶を飲みて山に帰るのを送る)
御製(ぎょせい)
道俗相分経数年(どうぞくあいわかれてすうねんをへたり)(僧と俗人相別れて数年を経たり)
今秋晤語亦良縁(こんしゅうごごするもまたりょうえん)(この秋打ち解け語り合えた事は良縁)
香茶酌罷日云暮(こうさくみやすみてひここにくれる)(茶を入れては飲むのをやめ日暮れる)
稽首傷離望畑烟(けいしゅしてわかれをいたみうんえんをのぞむ)(頭を低くたれて別れを惜しみ帰って行く雲烟を眺める)
ここから大沢池を見ると、睡蓮が一輪だけ咲いてました。
天神島から、奥の「菊ケ島」と、手前「庭湖石」を見ています。さきほどアオサギや止まってましたが居ませんね。
この島に菅原道真公を祀る「天神社」があるので天神島といいます。知らんけど😊。
天神社は菅原道真公を御祭神として祀られています。嵯峨天皇第(第52代天皇)が建立された離宮嵯峨院は清和天皇(第56代天皇)の勅許を得て、876年(貞観18年)に大覚寺が開祖され創建に当たり、清和天皇への上奏文を起草され仏法の興隆と衆生齊度のため僧俗2人の別当を置くよう進言されたのが菅原道真公です。また、道真公自身も大覚寺の俗別当(俗人の身分のまま寺院を統轄する責任者)を務められたと伝わります。
右が「茶筅塚」、左に「嵯峨碑」があります。華道の先達への慰霊碑だそうです。
ここで、余談です。この天神島に、撮影のために建てられたのが金閣寺。1/2サイズで映画「炎上」(1958年作品)に使われました。主演は市川雷蔵だそです。私は知りません。よく大覚寺が許可したなぁが感想です。ここの金閣寺見たかったですね😊。
天神島を朱塗りの橋を渡ってでます。出た先が「護摩堂」が。往古の大覚寺伽藍周辺に建てられた子院の一つであった仏母心院跡に建立され、不動明王を祀られています。ここで毎月一回、10時から1時間30分程度、護摩の炎で心願成就を祈願されます。
次に、鎌倉時代中期の作と思われる「石仏群」に行きました。20基を超える如来や菩薩の石仏群。古い者は平安時代後期の作もと伝わります。
再び護摩堂の前を通って「放生池」越しに「心経宝塔」を見ています。夏場が暑かったので、異常に裳が発生したのでしょう、美観がイマイチです。
大沢池を巡っているとき、遠くから金槌の音が聞こえてました。原因は「五社明神」が修復工事中でした。工事されていた音だったんですね。
「心経宝塔」エリアに来ました。
最初に「閼伽堂(あかどう)」に寄りました。今日は、堂内を覗いてみました。
「閼伽堂(あかどう)」の前には、まだ百日紅(サルスベリ)が咲いてます。咲いていたのは、ここだけでしたが😊。
「心経宝塔」です。2013年(平成25年)7月14日「第38回 京の夏の旅」に基壇内部に入りました。真夏で窓も無かったので、吐き気するほど暑かったのを覚えてて、内部なんか殆ど覚えないです😢。
1967年(昭和42年)、嵯峨天皇心経写経1150年を記念して建立。基壇内部に「如意宝珠」を納めた真珠の小塔を安置。宝塔内部には秘鍵(弘法)大師尊像が祀られています。
基壇の右手(東側)には「頌徳(しょうとく)」松下幸之助筆が。左手(西側)には「五蘊(ごうん)」と書いてあります。
「頌徳」とは、徳をほめたたえること。 「五蘊」とは、蘊は"あつまり"の意で我々を含め、あらゆる存在を物資を精神とに分析し、さらに色・愛・想・行・識の五つに分類したもの。色は物資や肉体、愛は間隔や知覚、想は心に浮かぶ表象、行は意志や記憶など、識は認識作用をいいます。
こちらは多目的施設「蓮華殿」です。2017年(平成29年)12月2日(土)の「夜間特別拝観」に完成間近のカフェに入ることができました。
「聖天堂」です。当初は望雲亭西側に建っていますが、1962年(昭和37年)に現在池に移築されました。内部には歓喜天・十一面観世音菩薩が祀られています。
このエリア最後が、「大日堂」です。大覚寺門跡が、明治初頭まで兼帯していた安井門跡蓮華光院が管理していた洛東の岩倉山真性寺が廃寺となる際に移築されたもの。内陣には六角堂石造りの大日如来坐像が安置されています。
このエリアにも彼岸花が咲いてました。バックは護摩堂です。
お堂エリアに入るには、ここから上がりますが、今日は入る予定はありません。
行きは見てない風景を帰りに見ています。大沢池の西から東を見ています。少し逆光ですが、綺麗に撮れてます😊。
ここで大沢池巡りは終わりです。私はが、ここに入ってから今日は誰とも出会いませんでした。お堂に数名居たようですが。
この風景、度々時代劇で使われます。それで撮ってみました😊。
こちらは「津崎村岡碑」1892年(明治25年)建立。津崎矩子は幕末から維新にかけての女性勤王派。晩年は北嵯峨の直指庵に隠居。嵐山 亀山公園には、銅像もあります。
ここを出る前に「望雲亭」を覗いてみました。ここには入ったことがありません。不定期で茶会はされているようです。
嵯峨天皇(第52代天皇)から高野山に帰山する弘法大師に贈られた詩「道俗相分かれ数年を経たり、今秋晤語するも亦良縁なり、香茶酌みやみて日ここに暮れる、 稽首して離れを傷み雲煙を望む」より望雲の2字をとって命名されました。現在の建物は、裏千家の設計により1975年(昭和50年)「寺号勅許1100年」の記念事業として再建されました。
9時37分に「大沢門」から出て行きました。秋の紅葉に備えてライトアップの準備をされてましたね。
こちらが「お堂エリア」拝観の入口です。これを撮ったあと、帰路につきました。
気象の情報で、もう一つ。今年の9月、京都府と滋賀県の全17観測点で、月平均気温が9月の観測史上最高を記録したことが10月1日、気象庁のデータから分かったそうです。京都市や大津市など6観測点は、8月の平年値を上回る「異常な残暑」でした。気象庁によると、今年9月の平均気温は京都市が28・6℃、大津市が27・5℃で、ともに平年値を4・2度上回り、観測史上最高となった。8月の平年値は京都市が28・5度、大津市が27・3℃で、通常の8月よりも暑い9月となりました。京都地方気象台によると、7月以降、太平洋高気圧の勢力が強く、暖気の流入が続いています。また、日本上空の偏西風が北に蛇行しており、例年より南の暖気が長く居座っている状態という。さらに、長期的な地球温暖化や海水温の上昇も影響しているとみられ、京都府と滋賀県では他に、福知山市27・1℃と舞鶴市27・2℃、大津市南小松27.0℃、高島市今津26・6℃も、今年9月の平均気温が8月の平年値を超えました。また、好天のため雨も少なく、月の総降水量は、京田辺市31.0㍉や福知山市45.0㍉、京丹後市間人16・5㍉、東近江市21・5㍉など、8観測点で9月の観測史上最少でした。どうりで、9月が滅茶苦茶暑かったわけです。
この記事へのコメント
京都の暑さは飛び抜けてますね。これだけ
暑い年は、記録にも記憶に残るんじゃ無いでしょうか。
(この傾向が毎年続くような事が無いよう、
心から祈りたいと思います。)
いつもはお彼岸頃に咲く彼岸花も、さすがに
今年は時期が遅れましたね。それでも、大沢の池に
咲く彼岸花は、とてもきれいでいいなと思いました。
京都の夏は、とうとう亜熱帯の気候より暑かったようです。夏日・真夏日・猛暑日・熱帯夜、いづれも過去最高日数となりました。
9月の残暑も、けっか8月の平均気温と変わらないほど暑かったので、彼岸花の開花が遅れたのでしょう。
この日、大覚寺大沢池を散策していたのは、私だけでした。あまりにも暑いので、皆さん外出敬遠されたのかなぁ。ただ、海外の方は、ひっくりなしに京都に来られますが。