京都浄土宗寺院 特別大公開 清涼寺(嵯峨釈迦堂)へ
令和6年度 京都浄土宗寺院 特別公開が10月から始まりました。各寺院で、公開日や公開時間は異なります。私は10月7日(月)に、特に所用も無かったので、清涼寺(嵯峨釈迦堂)に行きました。
清涼寺(嵯峨釈迦堂)は、常時公開されていて、特別感はありません。案内では大方丈にて、簡易写経を無料でできるとありました。清涼寺(嵯峨釈迦堂)で写経をしたことが無かったのと「霊宝館秋の特別公開」が、10月1日から始まりました。何度か行ってますが、写真が撮れないので、久しぶりに国宝に指定されている源融生き写しの美しい仏像を見てみようとの思いもありました。
10月6日(日)は、妙心寺 養徳院に行きました。その日の最高気温は真夏日の30.9℃まであがり蒸し暑さが復活し、汗だくとなりました。翌7日(月)の天気予報は秋雨前線の通過が予想され雨降りで、最高気温の予想は27℃と出てました。朝も蒸し暑かったですね。エアコンは使用しませんでしたが、久しぶりに夜が寝苦しいなぁ・・・と。この日の最低気温は22.2℃で、清涼寺(嵯峨釈迦堂)に向かうために家を出た時の感想は「暑っつ」。もう10月に入ったのに、この朝の蒸し暑さと言うより湿気の多さ。行くの止めようかなぁと思いましたが・・・😢。一日雨降りでしたが、最高気温は28.8℃、大阪は30.4℃の今年95回目の真夏日となり、過去最多記録を更新したようです。天気がイマイチだったのに。
清涼寺(嵯峨釈迦堂)の拝観開始は、9時からです。それに間に合うように8時54分に「仁王門」前に着きました。
この日の仁王門の前に、お一人が動かずに、スマホを見てました。それなら帰りに仁王門の写真を撮ったらと思ってたら、帰りは帰りで外国人観光客の集団が入って来られ写真を撮られてます。私は清涼寺(嵯峨釈迦堂)の写真は、数多くあるので仁王門の写真だけ別の日を使いました😊。
仁王門を入ると、正面に雄大な「本堂」が見えています。まだ8時55分でしたので、少し境内を散策してから上がります。
清涼寺(嵯峨釈迦堂)は、浄土宗寺院ですので、入ると直ぐに「法然房源空二十四歳 求道青年像」があります。奥に見えているのが人気の「Bhagavan」で、まだ開店前でした。
その先に、京都府指定文化財の「多宝塔」で、非公開です。一節には、棲霞寺開山淳和天皇(第53代天皇)の皇子恒寂親王の墓ともいわれています。
多宝塔から「仁王門(京都府指定文化財)」を見ています。楼上には十六羅漢像が祀られてるみたいです。
本堂より先に東にあるの「阿弥陀堂」に寄りました。ここは堂内に入れますが、今日は上がりません。
平安時代前期、この辺りは嵯峨天皇の皇子が持つ山荘「棲霞観(せいかかん)」が建っていたと伝わります。皇子の名は源融で光源氏のモデルとされています。源融が亡くなったのち、ご子息が、ここを寺院にされ棲霞寺となりました。その本堂に当たるのが現在の「阿弥陀堂」です。現在の建物は江戸時代後期1863年 (文久3年)に再建されたもの。創建当初から阿弥陀堂の本尊として祀られていたのが国宝「阿弥陀如来坐像」で、お顔は源融を写したものと言われています。
8時58分に「本堂」に上がりました。ただ、私の前に2組の方が居て、受付して貰うのに
写経は無料でも拝観料は必要です。堂内の拝観料400円、宝物館の拝観料400円のところ、共通券700円を購入しました。
堂内のお参りは、帰りにして先に写経をします。それにしても暑くて蒸し蒸ししています。
渡り廊下を進むと、正面に軒唐破風が付いてる「弁天堂」があります。建築年代は江戸末期頃。弁天堂の周りに、池遊式庭園になっています。
渡り廊下を通って「大方丈」に向かいます。
写経の前に先に「方丈前庭園」を見ました。この庭園は、 小堀遠州の作庭とされる枯山水庭園です。
最近では、大覚寺で写経しましたが、エアコンが効いて涼しかったです。ここは何も無いので暑いこと・・・。
簡易写経のため時間はかかりません。筆ペンは自宅から持参してきました。それより、汗が噴き出てきて、汗で文字が滲みそうでした。
再び堂内に戻り、ご本尊の国宝「釈迦如来立像」にお参りさせて貰いました。
9時22分に本堂を出て、共通券を購入したので、宝物館に向かいます。
9時23分に「宝物館」に着きました。10月1日~11月30日まで「霊宝館秋の特別公開」中です。
ここに入るのは、3度目かなぁ・・・?。館内はもちろん撮影禁止です。何と言っても入口の仏像が圧巻で、何度も来てしまいます。
阿弥陀三尊坐像(国宝)
文殊菩薩騎獅像(重文)
普賢菩薩騎象像(重文)
四天王立像(重文)
国宝「阿弥陀三尊坐像」(平安時代前期)は、源氏物語の光源氏のモデルとされてる源融(みなもとのとおる)が造らせた像と伝わります。源氏物語でも「嵯峨御寺」と言われた清凉寺の前身である棲霞寺の旧本尊でした。中央に丈六の本尊阿弥陀如来、左右に観世音菩薩、勢至菩薩を従えた厳然たる尊容は他になく、嵯峨光仏と称し信仰されています。
重要文化財「文殊菩薩騎獅像」(平安時代後期)
重要文化財「普賢菩薩騎獅像」(平安時代後期)
重要文化財「釈迦十大弟子像」(平安時代後期)
重要文化財「四天王立像」(平安時代後期)
「清涼寺式釈迦如来模刻像」(鎌倉時代)
重要文化財「兜跋毘沙門天像」(平安時代後期) ここまでが1階で次に2階に上がります。
国宝「釈迦如来立像体内納入品」(中国宋時代)は、清涼寺本尊・三国伝来生身釈迦如来の体内から1953年(昭和28年)に出現したおびただしい納入品26件。特に貴重な大発見となったのが、五色のシルクで造られた「五臓六腑」で、世界最古の内蔵模型として極めて珍しい貴重なものです。
国宝「十六羅漢図」(中国宋時代)は、展示されているのは模写。宋代の遺品として名だ高く神秘的な色彩、多彩な構図と北宋画の優れた作例です。
府指定文化財「渡邊正栄尼像図」(桃山時代)
府指定文化財「市姫像図」(桃山時代)
重要文化財「蓮生熊谷次郎直実自筆誓願状」(鎌倉時代前期)
市指定文化財「狩野探幽作 花鳥図 紙本墨画金泥引 六曲一双」(江戸時代)
以上、じっくり観賞しお参りさせて貰いました。
9時32分に、ここを出ました。館内は、そんなに広くないので、これで充分です。
このあと、天気予報どおり雨降りとなりました。湿気が多いのは、そのためだったんですね。
帰りに、家族に頼まれた「森嘉」で買い物しました。いつも並ばれてますが、さいわい直ぐに買えました。
このあと、5組ほど来られたので、ラッキーでした。10月になっても湿気が多くて、全身汗だくになって帰りました。まだまだ冬物に替えるのは早そうな気候が続きそうです。
清涼寺(嵯峨釈迦堂)は、常時公開されていて、特別感はありません。案内では大方丈にて、簡易写経を無料でできるとありました。清涼寺(嵯峨釈迦堂)で写経をしたことが無かったのと「霊宝館秋の特別公開」が、10月1日から始まりました。何度か行ってますが、写真が撮れないので、久しぶりに国宝に指定されている源融生き写しの美しい仏像を見てみようとの思いもありました。
10月6日(日)は、妙心寺 養徳院に行きました。その日の最高気温は真夏日の30.9℃まであがり蒸し暑さが復活し、汗だくとなりました。翌7日(月)の天気予報は秋雨前線の通過が予想され雨降りで、最高気温の予想は27℃と出てました。朝も蒸し暑かったですね。エアコンは使用しませんでしたが、久しぶりに夜が寝苦しいなぁ・・・と。この日の最低気温は22.2℃で、清涼寺(嵯峨釈迦堂)に向かうために家を出た時の感想は「暑っつ」。もう10月に入ったのに、この朝の蒸し暑さと言うより湿気の多さ。行くの止めようかなぁと思いましたが・・・😢。一日雨降りでしたが、最高気温は28.8℃、大阪は30.4℃の今年95回目の真夏日となり、過去最多記録を更新したようです。天気がイマイチだったのに。
清涼寺(嵯峨釈迦堂)の拝観開始は、9時からです。それに間に合うように8時54分に「仁王門」前に着きました。
この日の仁王門の前に、お一人が動かずに、スマホを見てました。それなら帰りに仁王門の写真を撮ったらと思ってたら、帰りは帰りで外国人観光客の集団が入って来られ写真を撮られてます。私は清涼寺(嵯峨釈迦堂)の写真は、数多くあるので仁王門の写真だけ別の日を使いました😊。
仁王門を入ると、正面に雄大な「本堂」が見えています。まだ8時55分でしたので、少し境内を散策してから上がります。
清涼寺(嵯峨釈迦堂)は、浄土宗寺院ですので、入ると直ぐに「法然房源空二十四歳 求道青年像」があります。奥に見えているのが人気の「Bhagavan」で、まだ開店前でした。
その先に、京都府指定文化財の「多宝塔」で、非公開です。一節には、棲霞寺開山淳和天皇(第53代天皇)の皇子恒寂親王の墓ともいわれています。
多宝塔から「仁王門(京都府指定文化財)」を見ています。楼上には十六羅漢像が祀られてるみたいです。
本堂より先に東にあるの「阿弥陀堂」に寄りました。ここは堂内に入れますが、今日は上がりません。
平安時代前期、この辺りは嵯峨天皇の皇子が持つ山荘「棲霞観(せいかかん)」が建っていたと伝わります。皇子の名は源融で光源氏のモデルとされています。源融が亡くなったのち、ご子息が、ここを寺院にされ棲霞寺となりました。その本堂に当たるのが現在の「阿弥陀堂」です。現在の建物は江戸時代後期1863年 (文久3年)に再建されたもの。創建当初から阿弥陀堂の本尊として祀られていたのが国宝「阿弥陀如来坐像」で、お顔は源融を写したものと言われています。
8時58分に「本堂」に上がりました。ただ、私の前に2組の方が居て、受付して貰うのに
写経は無料でも拝観料は必要です。堂内の拝観料400円、宝物館の拝観料400円のところ、共通券700円を購入しました。
堂内のお参りは、帰りにして先に写経をします。それにしても暑くて蒸し蒸ししています。
渡り廊下を進むと、正面に軒唐破風が付いてる「弁天堂」があります。建築年代は江戸末期頃。弁天堂の周りに、池遊式庭園になっています。
渡り廊下を通って「大方丈」に向かいます。
写経の前に先に「方丈前庭園」を見ました。この庭園は、 小堀遠州の作庭とされる枯山水庭園です。
最近では、大覚寺で写経しましたが、エアコンが効いて涼しかったです。ここは何も無いので暑いこと・・・。
簡易写経のため時間はかかりません。筆ペンは自宅から持参してきました。それより、汗が噴き出てきて、汗で文字が滲みそうでした。
再び堂内に戻り、ご本尊の国宝「釈迦如来立像」にお参りさせて貰いました。
9時22分に本堂を出て、共通券を購入したので、宝物館に向かいます。
9時23分に「宝物館」に着きました。10月1日~11月30日まで「霊宝館秋の特別公開」中です。
ここに入るのは、3度目かなぁ・・・?。館内はもちろん撮影禁止です。何と言っても入口の仏像が圧巻で、何度も来てしまいます。
阿弥陀三尊坐像(国宝)
文殊菩薩騎獅像(重文)
普賢菩薩騎象像(重文)
四天王立像(重文)
国宝「阿弥陀三尊坐像」(平安時代前期)は、源氏物語の光源氏のモデルとされてる源融(みなもとのとおる)が造らせた像と伝わります。源氏物語でも「嵯峨御寺」と言われた清凉寺の前身である棲霞寺の旧本尊でした。中央に丈六の本尊阿弥陀如来、左右に観世音菩薩、勢至菩薩を従えた厳然たる尊容は他になく、嵯峨光仏と称し信仰されています。
重要文化財「文殊菩薩騎獅像」(平安時代後期)
重要文化財「普賢菩薩騎獅像」(平安時代後期)
重要文化財「釈迦十大弟子像」(平安時代後期)
重要文化財「四天王立像」(平安時代後期)
「清涼寺式釈迦如来模刻像」(鎌倉時代)
重要文化財「兜跋毘沙門天像」(平安時代後期) ここまでが1階で次に2階に上がります。
国宝「釈迦如来立像体内納入品」(中国宋時代)は、清涼寺本尊・三国伝来生身釈迦如来の体内から1953年(昭和28年)に出現したおびただしい納入品26件。特に貴重な大発見となったのが、五色のシルクで造られた「五臓六腑」で、世界最古の内蔵模型として極めて珍しい貴重なものです。
国宝「十六羅漢図」(中国宋時代)は、展示されているのは模写。宋代の遺品として名だ高く神秘的な色彩、多彩な構図と北宋画の優れた作例です。
府指定文化財「渡邊正栄尼像図」(桃山時代)
府指定文化財「市姫像図」(桃山時代)
重要文化財「蓮生熊谷次郎直実自筆誓願状」(鎌倉時代前期)
市指定文化財「狩野探幽作 花鳥図 紙本墨画金泥引 六曲一双」(江戸時代)
以上、じっくり観賞しお参りさせて貰いました。
9時32分に、ここを出ました。館内は、そんなに広くないので、これで充分です。
このあと、天気予報どおり雨降りとなりました。湿気が多いのは、そのためだったんですね。
帰りに、家族に頼まれた「森嘉」で買い物しました。いつも並ばれてますが、さいわい直ぐに買えました。
このあと、5組ほど来られたので、ラッキーでした。10月になっても湿気が多くて、全身汗だくになって帰りました。まだまだ冬物に替えるのは早そうな気候が続きそうです。
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