神武天皇 畝傍山東北陵へ
綏靖天皇 桃花鳥田丘上陵を出て、タクシーを降ろされた所までもどり、神武天皇畝傍山東北陵(うねびやまのうしとらのすみのみささぎ)に向かいました。
9時3分に、タクシーを降りた所まで戻ってきました。こちらからでも神武天皇陵に行くことができます。
先にも言いましたが、ここが綏靖天皇陵と言われてタクシーを降りたので、先に見てました。この戻って来たときは、ここは通過だけだったんですが。
最初来た時、御陵の規模が大きかったので、綏靖天皇陵とは違うなぁ・・・と思いました。手前で降ろされたのを分かった次第です😊。
宮内庁書陵部 畝傍陵墓監区事務所の前を通り、広場に出たらこの風景です。
「手水鉢」も、大きくて立派なものです。さすが初代天皇の御陵ですね。周囲約100㍍、高5.5㍍の八稜円形(はちりょうえんけい)になっていて、幅16㍍の周濠がめぐらされています。
鳥居の奥は正月三が日しか行けないようです。綺麗な描かれた砂紋、良く手入れされています。
今年の3月27日に、天皇、皇后両陛下の長女、敬宮(としのみや)愛子さまが、参拝服姿で神武天皇陵の墳丘前で玉串をささげ、深々とご拝礼されました。参拝後、東京へ向かうため、前途したとおり近鉄橿原神宮前駅に向かわれたようです。
神武(じんむ)天皇陵は畝傍山(うねびやま)の北東のふもとに位置し、正式には「畝傍山東北陵うねびやまのうしとらのすみのみささぎ)」といいます。「日本書紀」と「古事記」が伝えるところによると、初代天皇とされる神武天皇は、日向地方(現在の宮崎)から瀬戸内海を東に進んで難波(現在の大阪)に上陸しましたが、生駒の豪族長髄彦(ながすねひこ)に阻まれたため、南下して熊野へ回りました。そこで出会った八咫烏(やたがらす)に導かれて吉野の険しい山を越え、大和に入ります。周辺の勢力をしたがえた後、最後に宿敵の長髄彦(ながすねひこ)を倒して大和地方を平定されました。そして、紀元前600年の1月1日に畝傍山の東南、橿原宮(かしはらのみや)で第一代天皇として即位されました。
私は、このあと綏靖天皇陵に向かったわけです。
こちらが正式参拝の入口でしょう。
「神武天皇御陵」と書かれた、石柱が見印です。ここには「近鉄橿原神宮前駅」から徒歩約20分、近鉄橿原神宮前の一つ手前「近鉄畝傍御陵前駅」から徒歩約9分で行けます。
初代天皇陵らしく、ここでは2組の方と出会いました。
この橋の下に流れている川の名前は知りません。とりあえず鳥居が見える所まで歩いて行きます。その前に神武天皇について、こちらもウキペディアで調べました。
神武天皇(じんむてんのう、庚午年1月1日~神武天皇76年3月11日)は、初代天皇(在位:神武天皇元年1月1日~神武天皇76年3月11日)とされる日本神話上の伝説上の人物である。諱は彦火火出見(ひこほほでみ)、あるいは狭野(さの、さぬ)。「日本書紀」記載の名称は神日本磐余彦天皇(かんやまといわれびこのすめらみこと)。天照大御神の五世孫であり、高御産巣日神の五世の外孫と「古事記」「日本書紀」に記述されている。奈良盆地一帯の指導者長髄彦らを滅ぼして一帯を征服(神武東征)。遷都した畝傍橿原宮(現在の奈良県橿原市)にて即位して日本国を建国したと言われる伝説上の人物。天孫(天照大御神の孫)・瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の曽孫。彦波瀲武鸕鶿草葺不合命(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)と玉依姫(たまよりびめ)の第四子。「日本書紀」神代第十一段の第三の一書では第三子とし、第四の一書は第二子とする。兄に彦五瀬命、稲飯命、三毛入野命がいる。稲飯命は新羅王の祖ともされる。「日本書紀」によると庚午年(「本朝皇胤紹運録」によると1月1日庚辰の日)に筑紫の日向で誕生。15歳で立太子。吾平津媛を妃とし、手研耳命を得た。45歳時に兄や子を集め東征を開始。日向から宇佐、安芸国、吉備国、難波国、河内国、紀伊国を経て数々の苦難を乗り越え中洲(大和国)を征し、畝傍山の東南橿原の地に都を開いた。そして事代主神(大物主神)の娘の媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめ)を正妃とし、翌年に即位して初代天皇となる。「日本書紀」に基づく明治時代の計算によると即位日は西暦紀元前660年2月11日。皇后・媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)との間には神八井耳命(かんやいみみ)、神渟名川耳尊(かんぬなかわみみ、後の綏靖天皇)を儲ける。神武天皇76年に崩御。
ここから正面にある鳥居までは5分ぐらいかかります。前途したとおり鳥居が見える所まで行ってみます。
歩いて3分で、ようやく鳥居が見えました。入口からやっばり5分以上はかかりそうです。
鳥居が見えたので、そこから引き返しました。足元が深い砂利のため、けっこう足は疲れます。
ここから再び、南下します。タクシーから外の風景は見ていたので、橿原神宮の北鳥居まで歩いて行きます。
橿原神宮には二度目の訪問です。ただ北鳥居からは初めてです。歩いて10分ぐらいかかりそうですが、暑いなか頑張って歩きます。
9時3分に、タクシーを降りた所まで戻ってきました。こちらからでも神武天皇陵に行くことができます。
先にも言いましたが、ここが綏靖天皇陵と言われてタクシーを降りたので、先に見てました。この戻って来たときは、ここは通過だけだったんですが。
最初来た時、御陵の規模が大きかったので、綏靖天皇陵とは違うなぁ・・・と思いました。手前で降ろされたのを分かった次第です😊。
宮内庁書陵部 畝傍陵墓監区事務所の前を通り、広場に出たらこの風景です。
「手水鉢」も、大きくて立派なものです。さすが初代天皇の御陵ですね。周囲約100㍍、高5.5㍍の八稜円形(はちりょうえんけい)になっていて、幅16㍍の周濠がめぐらされています。
鳥居の奥は正月三が日しか行けないようです。綺麗な描かれた砂紋、良く手入れされています。
今年の3月27日に、天皇、皇后両陛下の長女、敬宮(としのみや)愛子さまが、参拝服姿で神武天皇陵の墳丘前で玉串をささげ、深々とご拝礼されました。参拝後、東京へ向かうため、前途したとおり近鉄橿原神宮前駅に向かわれたようです。
神武(じんむ)天皇陵は畝傍山(うねびやま)の北東のふもとに位置し、正式には「畝傍山東北陵うねびやまのうしとらのすみのみささぎ)」といいます。「日本書紀」と「古事記」が伝えるところによると、初代天皇とされる神武天皇は、日向地方(現在の宮崎)から瀬戸内海を東に進んで難波(現在の大阪)に上陸しましたが、生駒の豪族長髄彦(ながすねひこ)に阻まれたため、南下して熊野へ回りました。そこで出会った八咫烏(やたがらす)に導かれて吉野の険しい山を越え、大和に入ります。周辺の勢力をしたがえた後、最後に宿敵の長髄彦(ながすねひこ)を倒して大和地方を平定されました。そして、紀元前600年の1月1日に畝傍山の東南、橿原宮(かしはらのみや)で第一代天皇として即位されました。
私は、このあと綏靖天皇陵に向かったわけです。
こちらが正式参拝の入口でしょう。
「神武天皇御陵」と書かれた、石柱が見印です。ここには「近鉄橿原神宮前駅」から徒歩約20分、近鉄橿原神宮前の一つ手前「近鉄畝傍御陵前駅」から徒歩約9分で行けます。
初代天皇陵らしく、ここでは2組の方と出会いました。
この橋の下に流れている川の名前は知りません。とりあえず鳥居が見える所まで歩いて行きます。その前に神武天皇について、こちらもウキペディアで調べました。
神武天皇(じんむてんのう、庚午年1月1日~神武天皇76年3月11日)は、初代天皇(在位:神武天皇元年1月1日~神武天皇76年3月11日)とされる日本神話上の伝説上の人物である。諱は彦火火出見(ひこほほでみ)、あるいは狭野(さの、さぬ)。「日本書紀」記載の名称は神日本磐余彦天皇(かんやまといわれびこのすめらみこと)。天照大御神の五世孫であり、高御産巣日神の五世の外孫と「古事記」「日本書紀」に記述されている。奈良盆地一帯の指導者長髄彦らを滅ぼして一帯を征服(神武東征)。遷都した畝傍橿原宮(現在の奈良県橿原市)にて即位して日本国を建国したと言われる伝説上の人物。天孫(天照大御神の孫)・瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の曽孫。彦波瀲武鸕鶿草葺不合命(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)と玉依姫(たまよりびめ)の第四子。「日本書紀」神代第十一段の第三の一書では第三子とし、第四の一書は第二子とする。兄に彦五瀬命、稲飯命、三毛入野命がいる。稲飯命は新羅王の祖ともされる。「日本書紀」によると庚午年(「本朝皇胤紹運録」によると1月1日庚辰の日)に筑紫の日向で誕生。15歳で立太子。吾平津媛を妃とし、手研耳命を得た。45歳時に兄や子を集め東征を開始。日向から宇佐、安芸国、吉備国、難波国、河内国、紀伊国を経て数々の苦難を乗り越え中洲(大和国)を征し、畝傍山の東南橿原の地に都を開いた。そして事代主神(大物主神)の娘の媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめ)を正妃とし、翌年に即位して初代天皇となる。「日本書紀」に基づく明治時代の計算によると即位日は西暦紀元前660年2月11日。皇后・媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)との間には神八井耳命(かんやいみみ)、神渟名川耳尊(かんぬなかわみみ、後の綏靖天皇)を儲ける。神武天皇76年に崩御。
ここから正面にある鳥居までは5分ぐらいかかります。前途したとおり鳥居が見える所まで行ってみます。
歩いて3分で、ようやく鳥居が見えました。入口からやっばり5分以上はかかりそうです。
鳥居が見えたので、そこから引き返しました。足元が深い砂利のため、けっこう足は疲れます。
ここから再び、南下します。タクシーから外の風景は見ていたので、橿原神宮の北鳥居まで歩いて行きます。
橿原神宮には二度目の訪問です。ただ北鳥居からは初めてです。歩いて10分ぐらいかかりそうですが、暑いなか頑張って歩きます。
この記事へのコメント
北側の御陵は一度も入ったことが有りません。神宮の森は見通しが悪い
のでこれほど広いとは正直思っていませんでした。
歩道のジャリ道は確かに深いです。カイト君のバギーを押す時に
結構難儀しましたから。(^^♪
今回は奈良の神武天皇陵にお出かけですか。
樫原神宮やその周辺には、20代の頃に
二三度訪れてますが、大分印象も薄れて来てます。
でも、何だか懐かしい。神武天皇陵には
行ってませんが、その墓域の広さにびっくりしました。
橿原神宮に二度目の訪問でしたが、せっかく行くならと、初代神武天皇陵まで足を伸ばしました。
やっぱり初代天皇らしく雄大でした。
神話では、ここに皇居を造られたとか、古代の歴史を感じましたね。
橿原神宮は、初代天皇の神武天皇が皇居を構えた地とされ、その北方に初代天皇陵があり、その周辺に初代から4代までの天皇陵が点在しています。
古代の歴史に触れたくて、この地を訪れました。
初代天皇を祀る橿原神宮も壮大で歴史を感じます。
遠方で、そう度々は来られてないでしょうけど、近くには明日香村もあって、古代歴史好きにはたまらないです。