神武天皇の皇居があった地に鎮座する橿原神宮へ
初代天皇を祀る橿原神宮には、2015年(平成27年)11月5日に、「御本殿 特別参拝」に来て以来です。この時は、御本殿 特別参拝(参拝料1000円)&秘庭の見学と、大変貴重なものを見せて貰いました。この時は、他に貴賓館と文華殿の特別公開までありました。
奈良県橿原市の中心部に位置する畝傍山は和歌に多く詠まれ、天香具山・耳成山とともに大和三山として古来朝野の人々に親しまれきました。その畝傍山の山麓に神武天皇の皇居があった地に橿原神宮が鎮座しています。1890年(明治23年)に地元民間有志の誓願によって創建されたのが橿原神宮。明治天皇は、国の礎を築いた初代天皇を祀る社として橿原神宮を重視し、京都御所の賢所と神嘉殿を下賜され、下賜された賢所は本殿に、神嘉殿は神楽殿となりました。そして、現在本殿は国の重要文化財に指定されています。
神武天皇畝傍山東北陵の入口から、橿原神宮「北鳥居」まで、歩いて7分で着きました。
北鳥居に駒札には。「令和22年 紀元2700年」と書かれています。それは神武天皇が即位されたとされる紀元前660年2月11日から、令和22年は2040年、そして紀元2700年にあたることを意味します。
北鳥居の高さは、9㍍、直径は65㌢もあります。鳥居の形状は明神鳥居となっています。橿原神宮には鳥居は四基あって、1940年(昭和15年)に台湾の阿里山から運んできた檜で出来た鳥居でしたが、老朽化のため、2016年(平成28年)に新たに建て替えられました。その際、この鳥居の歴史を後世に残すため笠木部分はには元の鳥居の檜を使用されています。
北鳥居を入って、北参道を進むと、右手に「畝傍山登山道入口」があります。山頂まで約30分だそうです。
私の前方に2組の方が歩いてましたが、「北手水舎」は素通りされました。私は基本通り寄りましたが😊。
緑豊かな北参道の終わりには、立派な「北神門」があります。この先は神域なんでしょう、ペットを連れては入れません。
もとは正門として1915年(大正4年)に建造された唐破風造の平唐門で、1939年(昭和14年)の南神門建築に際し、北神門として現在の位置に移築されました。北神門の前に位置する1925年(大正14年)建築の手水舎も、北神門と共に移設されました。
北神門を入って、境内全体を見ています。余談ですが、私が神武天皇陵から北鳥居に向かって歩いているとき、奈良交通の観光バスに追い抜かれました。その団体さんが境内にいるようです😊。
境内側から「北神門」を撮りました。
「外拝殿」に向けて歩いて行くと、右手に「土間殿(どまでん)」がありました。
1931年(昭和6年)に新たな拝殿として建築されました。法隆寺の五重塔をはじめ、多くの国宝や重要文化財の解体修理を手掛けた宮大工の西岡常一氏によって手掛けられました。
10月20日~11月23日まで、開催される「菊花展」も見ました。残念ながら、早すぎてほぼ咲いてません。
「外拝殿」です。多分、観光バスで来られた参拝者が記念写真を撮られて、空くのを少し待ちました😊。
紀元2600年を奉祝して1939年(昭和14年)に造営され、両脇に内拝殿に連なる回廊が設けてあります。向かって右側には、高さ4.5㍍、幅5.4㍍の干支に因んだ大絵馬が掲げられます。
参拝は、ここでします。外院斎庭内に入れるのは「御本殿 特別参拝」の時だけでしょう。
御祭神は、神武天皇、媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこ)皇后の二柱。
対面で見えているのが「内拝殿」です。屋根が見えているのが「弊殿」で、ここから「本殿」は見えません。
内拝殿は勅使参向のもと行われる例祭「紀元祭」をはじめ、諸祭典が執り行われる社殿です。一般参拝者は特別拝観のときのみ拝礼できます。内拝殿と外拝殿との間には、約970坪の「外院斎庭」が広がっています。
2015年(平成27年)11月5日に、「御本殿 特別参拝」に屋根しか見えてませなが、弊殿や本殿まで行きました。神職さんに丁寧に案内していただいたことを覚えています。
幣殿は祭典の際に神饌をお供えし、祝詞を奏上する社殿として紀元2600年を奉祝して1939年(昭和14年)に造営されました。切妻造りの社殿で、屋根に千木と鰹木が設えられています。外拝殿から見えているのは、千木と鰹木です。
斜めからも見えないのが「本殿」です。国の重要文化財に指定されている本殿は、1855年(安政2年)の建物です。
本殿は、京都御所の内侍所(賢所)を明治天皇より下賜されたもの。入母屋造り檜皮葺の建物は、神武天皇が崩御されて2600年という節目の年である2016年(平成28年)の「神武天皇二千六百年大祭」に向け、2015年(平成27年)2月より1年をかけて約40年ぶりに檜皮の葺き替え工事が行われました。
この、檜皮の葺き替え工事中に、2015年(平成27年)10月5日~11月30日の間に、「御本殿 特別参拝」が行われました。
釣灯籠がかかり、外拝殿と内拝殿をつなぐ「回廊」です。釣燈篭には、橿原神宮の家紋である実付き抱き柏が見られます。
外拝殿にも授与所があったので、御朱印のこと聞きました。南神門近くでいただけるということで、そちらに向かいます。
その前に「神楽殿(かぐらでん)」を撮りました。柵があるので、非公開のようです。
入母屋造り、檜皮葺。1996年(平成8年)に竣工され、周囲には玉砂利が敷き詰められています。結婚式や開運初神楽などが斎行されます。
団体さんから聞こえた来たのは「集合時間が・・・」でした。どうりで境内が空いたわけです。
遠くから見て、御朱印も並んでましたが、私が最後のようでした。やっぱり団体さんが並ばれていたのでしょう。
広々とした境内を「南神門」から出ました。素木建ての八脚門で、切妻造、銅板葺の雄大な門構えです。
近鉄橿原神宮前駅から歩いて来ると、第一鳥居と第二鳥居をくぐり、長い表参道を進むと、「南神門」に達します。その石段を上がると、広大な空と背後に畝傍山を控えた雄大な外拝殿が眼前に広がります。
私は「北鳥居」から来たので、「北神門」手前の「北手水舎」を使いました。表参道から来ると、こちらの「南手水舎」が使えます。
南手水舎から表参道を見ています。団体さんがバスの方へ戻られるみたいです。
今回は初めて、「深田池」に来て見ました。前回来たときは、池のこと知りませんでした。
南神門広場の南方には、約5万㎡もの静かな水面が広がっています。深田池の周りには遊歩道設置され、また、休憩所もあり、遥かに葛城・金剛の山々を望む立地と、季節の花々が彩りを添え、参拝者の憩いの場となっています。深田池は歴史のある溜池で、飛鳥時代に築造されたと伝えられています。
池の周りを散策していると、右手に「長山稲荷社(ながやまいなりしゃ)」を見つけました。時間の都合で今日は寄りません。
御祭神は「迦能御魂神(うかのみたまのかみ)」「豊受気神(とようけのかみ)」「大宮能売神(おおみやのめのか)」です。橿原神宮の末社であり、橿原神宮御鎮座以前からこの長山の地に祀られてました。開運厄除・五穀豊穣・商売繁盛の御神徳を持つ霊験あらたかな稲荷社です。
この深田池には、様々な種類の野鳥も生息しているようで、野鳥を観察されている方も来られてました。
この先に「西鳥居」があります。また、その先に今日行く予定にしていた「懿徳天皇 畝傍山南繊沙渓上陵」「安寧天皇 畝傍山西南御陰井上陵」があるので、後日再訪します。
再び「表参道」まで、戻って来ました。今日は曇りの予報でしたが、不思議と今まで晴れてました。
「第二鳥居」まで来ました。境内の鳥居4基の中で一番大きな鳥居が「第二鳥居」です。
両側にカシの並木が続く表参道を進み、「第二鳥居」をくぐると、次に「神橋(しんきょう)」があります。
約300㍍ある表参道の中程にあるのが「神橋」です。神橋の下には宮川が流れており、3つある神橋のうち、中央は反橋で、両端にある橋は平橋になっています。
「神橋(反橋)」から見た「第二鳥居」です。
最後に「第一鳥居」を撮りたかったですが、予想外の園児が出てきました。この鳥居の前で写真撮影されてました。
園児を連れて来られた先生方には悪かったけど、この写真だけ撮らさせて貰いました。雄大な「第一鳥居」です。
表参道の鳥居は、高さ10㍍、直径1㍍もあります。北鳥居と同様に、1940年(昭和15年)に台湾の阿里山から運んできた檜で出来た鳥居でしたが、老朽化のため、2016年(平成28年)に新たに建て替えられました。その際、この鳥居の歴史を後世に残すため笠木部分はには元の鳥居の檜を使用されています。
園児達がいるので、一基だけですが、第一鳥居前の巨大な「石灯籠」と、手前の社号標「橿原神宮」を撮りました。
紀鉄橿原神宮前駅に向かう途中で見つけた看板です。それで「宝物館」に向かうことにしました。
「宝物館」に9時50分に着きました。入っていくと「10時からなんですけど」と。それでも入れて貰いました。平日は10時から、土日祝が9時からだったんですね。
館内は、さほど広くないので、ゆっくり観賞させて貰いました。内容は「描かれた神武天皇」でした。
今日はお休みだそうで、「Café橿乃杜割引券付」でした。なかなか来られ無いけど、割引券残しておきます😊。
このあと、近鉄橿原神宮前駅に歩いて向かいました。この日の奈良は、最高気温が24.2℃まで上がりました。予想に反して晴れたからでしょう。
私が奈良に行った翌日の23日(水)は二十四節気の一つ「霜降(そうこう)」でしたが・・・?。それにもかかわらず、京都市は気温が25℃を超える「夏日」となった。京都市の夏日は今年161日目で、年間夏日数の観測史上最多を更新。1年の約45%が「夏」とこと。これでは四季の概念が崩れるような気候となっている。京都地方気象台によると、23日午前10時現在までの京都市の最高気温は26・7℃で、早くも平年を4℃以上超えた。10月になっても偏西風が北寄りに蛇行して日本付近に暖気が居座っていることに加え、23日は日本海の低気圧や前線に向かって南風が流入して気温が上昇したという。京都市の夏日の年間平均日数(1991~2020年平均)は142・6日だが、今年はそれを大幅に超え、南国の鹿児島市(年平均160・9日)や鹿児島県・屋久島(同150日)も上回っている。南国京都ですね。気象台によると、今年は春から高温傾向が続き、4月としては12年ぶりに30度を超えたり、猛暑日数や熱帯夜数の年間記録も更新したりした。太平洋高気圧の勢力が強かったことに加え、長期的な温暖化の影響もあるという。気象台は「温暖化が続けば、年間の半分近くが夏日のような気候が常態化する懸念がある」としている。早い話、真夏の京都には来ない方が良いということ。
奈良県橿原市の中心部に位置する畝傍山は和歌に多く詠まれ、天香具山・耳成山とともに大和三山として古来朝野の人々に親しまれきました。その畝傍山の山麓に神武天皇の皇居があった地に橿原神宮が鎮座しています。1890年(明治23年)に地元民間有志の誓願によって創建されたのが橿原神宮。明治天皇は、国の礎を築いた初代天皇を祀る社として橿原神宮を重視し、京都御所の賢所と神嘉殿を下賜され、下賜された賢所は本殿に、神嘉殿は神楽殿となりました。そして、現在本殿は国の重要文化財に指定されています。
神武天皇畝傍山東北陵の入口から、橿原神宮「北鳥居」まで、歩いて7分で着きました。
北鳥居に駒札には。「令和22年 紀元2700年」と書かれています。それは神武天皇が即位されたとされる紀元前660年2月11日から、令和22年は2040年、そして紀元2700年にあたることを意味します。
北鳥居の高さは、9㍍、直径は65㌢もあります。鳥居の形状は明神鳥居となっています。橿原神宮には鳥居は四基あって、1940年(昭和15年)に台湾の阿里山から運んできた檜で出来た鳥居でしたが、老朽化のため、2016年(平成28年)に新たに建て替えられました。その際、この鳥居の歴史を後世に残すため笠木部分はには元の鳥居の檜を使用されています。
北鳥居を入って、北参道を進むと、右手に「畝傍山登山道入口」があります。山頂まで約30分だそうです。
私の前方に2組の方が歩いてましたが、「北手水舎」は素通りされました。私は基本通り寄りましたが😊。
緑豊かな北参道の終わりには、立派な「北神門」があります。この先は神域なんでしょう、ペットを連れては入れません。
もとは正門として1915年(大正4年)に建造された唐破風造の平唐門で、1939年(昭和14年)の南神門建築に際し、北神門として現在の位置に移築されました。北神門の前に位置する1925年(大正14年)建築の手水舎も、北神門と共に移設されました。
北神門を入って、境内全体を見ています。余談ですが、私が神武天皇陵から北鳥居に向かって歩いているとき、奈良交通の観光バスに追い抜かれました。その団体さんが境内にいるようです😊。
境内側から「北神門」を撮りました。
「外拝殿」に向けて歩いて行くと、右手に「土間殿(どまでん)」がありました。
1931年(昭和6年)に新たな拝殿として建築されました。法隆寺の五重塔をはじめ、多くの国宝や重要文化財の解体修理を手掛けた宮大工の西岡常一氏によって手掛けられました。
10月20日~11月23日まで、開催される「菊花展」も見ました。残念ながら、早すぎてほぼ咲いてません。
「外拝殿」です。多分、観光バスで来られた参拝者が記念写真を撮られて、空くのを少し待ちました😊。
紀元2600年を奉祝して1939年(昭和14年)に造営され、両脇に内拝殿に連なる回廊が設けてあります。向かって右側には、高さ4.5㍍、幅5.4㍍の干支に因んだ大絵馬が掲げられます。
参拝は、ここでします。外院斎庭内に入れるのは「御本殿 特別参拝」の時だけでしょう。
御祭神は、神武天皇、媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこ)皇后の二柱。
対面で見えているのが「内拝殿」です。屋根が見えているのが「弊殿」で、ここから「本殿」は見えません。
内拝殿は勅使参向のもと行われる例祭「紀元祭」をはじめ、諸祭典が執り行われる社殿です。一般参拝者は特別拝観のときのみ拝礼できます。内拝殿と外拝殿との間には、約970坪の「外院斎庭」が広がっています。
2015年(平成27年)11月5日に、「御本殿 特別参拝」に屋根しか見えてませなが、弊殿や本殿まで行きました。神職さんに丁寧に案内していただいたことを覚えています。
幣殿は祭典の際に神饌をお供えし、祝詞を奏上する社殿として紀元2600年を奉祝して1939年(昭和14年)に造営されました。切妻造りの社殿で、屋根に千木と鰹木が設えられています。外拝殿から見えているのは、千木と鰹木です。
斜めからも見えないのが「本殿」です。国の重要文化財に指定されている本殿は、1855年(安政2年)の建物です。
本殿は、京都御所の内侍所(賢所)を明治天皇より下賜されたもの。入母屋造り檜皮葺の建物は、神武天皇が崩御されて2600年という節目の年である2016年(平成28年)の「神武天皇二千六百年大祭」に向け、2015年(平成27年)2月より1年をかけて約40年ぶりに檜皮の葺き替え工事が行われました。
この、檜皮の葺き替え工事中に、2015年(平成27年)10月5日~11月30日の間に、「御本殿 特別参拝」が行われました。
釣灯籠がかかり、外拝殿と内拝殿をつなぐ「回廊」です。釣燈篭には、橿原神宮の家紋である実付き抱き柏が見られます。
外拝殿にも授与所があったので、御朱印のこと聞きました。南神門近くでいただけるということで、そちらに向かいます。
その前に「神楽殿(かぐらでん)」を撮りました。柵があるので、非公開のようです。
入母屋造り、檜皮葺。1996年(平成8年)に竣工され、周囲には玉砂利が敷き詰められています。結婚式や開運初神楽などが斎行されます。
団体さんから聞こえた来たのは「集合時間が・・・」でした。どうりで境内が空いたわけです。
遠くから見て、御朱印も並んでましたが、私が最後のようでした。やっぱり団体さんが並ばれていたのでしょう。
広々とした境内を「南神門」から出ました。素木建ての八脚門で、切妻造、銅板葺の雄大な門構えです。
近鉄橿原神宮前駅から歩いて来ると、第一鳥居と第二鳥居をくぐり、長い表参道を進むと、「南神門」に達します。その石段を上がると、広大な空と背後に畝傍山を控えた雄大な外拝殿が眼前に広がります。
私は「北鳥居」から来たので、「北神門」手前の「北手水舎」を使いました。表参道から来ると、こちらの「南手水舎」が使えます。
南手水舎から表参道を見ています。団体さんがバスの方へ戻られるみたいです。
今回は初めて、「深田池」に来て見ました。前回来たときは、池のこと知りませんでした。
南神門広場の南方には、約5万㎡もの静かな水面が広がっています。深田池の周りには遊歩道設置され、また、休憩所もあり、遥かに葛城・金剛の山々を望む立地と、季節の花々が彩りを添え、参拝者の憩いの場となっています。深田池は歴史のある溜池で、飛鳥時代に築造されたと伝えられています。
池の周りを散策していると、右手に「長山稲荷社(ながやまいなりしゃ)」を見つけました。時間の都合で今日は寄りません。
御祭神は「迦能御魂神(うかのみたまのかみ)」「豊受気神(とようけのかみ)」「大宮能売神(おおみやのめのか)」です。橿原神宮の末社であり、橿原神宮御鎮座以前からこの長山の地に祀られてました。開運厄除・五穀豊穣・商売繁盛の御神徳を持つ霊験あらたかな稲荷社です。
この深田池には、様々な種類の野鳥も生息しているようで、野鳥を観察されている方も来られてました。
この先に「西鳥居」があります。また、その先に今日行く予定にしていた「懿徳天皇 畝傍山南繊沙渓上陵」「安寧天皇 畝傍山西南御陰井上陵」があるので、後日再訪します。
再び「表参道」まで、戻って来ました。今日は曇りの予報でしたが、不思議と今まで晴れてました。
「第二鳥居」まで来ました。境内の鳥居4基の中で一番大きな鳥居が「第二鳥居」です。
両側にカシの並木が続く表参道を進み、「第二鳥居」をくぐると、次に「神橋(しんきょう)」があります。
約300㍍ある表参道の中程にあるのが「神橋」です。神橋の下には宮川が流れており、3つある神橋のうち、中央は反橋で、両端にある橋は平橋になっています。
「神橋(反橋)」から見た「第二鳥居」です。
最後に「第一鳥居」を撮りたかったですが、予想外の園児が出てきました。この鳥居の前で写真撮影されてました。
園児を連れて来られた先生方には悪かったけど、この写真だけ撮らさせて貰いました。雄大な「第一鳥居」です。
表参道の鳥居は、高さ10㍍、直径1㍍もあります。北鳥居と同様に、1940年(昭和15年)に台湾の阿里山から運んできた檜で出来た鳥居でしたが、老朽化のため、2016年(平成28年)に新たに建て替えられました。その際、この鳥居の歴史を後世に残すため笠木部分はには元の鳥居の檜を使用されています。
園児達がいるので、一基だけですが、第一鳥居前の巨大な「石灯籠」と、手前の社号標「橿原神宮」を撮りました。
紀鉄橿原神宮前駅に向かう途中で見つけた看板です。それで「宝物館」に向かうことにしました。
「宝物館」に9時50分に着きました。入っていくと「10時からなんですけど」と。それでも入れて貰いました。平日は10時から、土日祝が9時からだったんですね。
館内は、さほど広くないので、ゆっくり観賞させて貰いました。内容は「描かれた神武天皇」でした。
今日はお休みだそうで、「Café橿乃杜割引券付」でした。なかなか来られ無いけど、割引券残しておきます😊。
このあと、近鉄橿原神宮前駅に歩いて向かいました。この日の奈良は、最高気温が24.2℃まで上がりました。予想に反して晴れたからでしょう。
私が奈良に行った翌日の23日(水)は二十四節気の一つ「霜降(そうこう)」でしたが・・・?。それにもかかわらず、京都市は気温が25℃を超える「夏日」となった。京都市の夏日は今年161日目で、年間夏日数の観測史上最多を更新。1年の約45%が「夏」とこと。これでは四季の概念が崩れるような気候となっている。京都地方気象台によると、23日午前10時現在までの京都市の最高気温は26・7℃で、早くも平年を4℃以上超えた。10月になっても偏西風が北寄りに蛇行して日本付近に暖気が居座っていることに加え、23日は日本海の低気圧や前線に向かって南風が流入して気温が上昇したという。京都市の夏日の年間平均日数(1991~2020年平均)は142・6日だが、今年はそれを大幅に超え、南国の鹿児島市(年平均160・9日)や鹿児島県・屋久島(同150日)も上回っている。南国京都ですね。気象台によると、今年は春から高温傾向が続き、4月としては12年ぶりに30度を超えたり、猛暑日数や熱帯夜数の年間記録も更新したりした。太平洋高気圧の勢力が強かったことに加え、長期的な温暖化の影響もあるという。気象台は「温暖化が続けば、年間の半分近くが夏日のような気候が常態化する懸念がある」としている。早い話、真夏の京都には来ない方が良いということ。
この記事へのコメント
特に明治以降に造営された部分も多いのでしょうが、それ以前からずっとあったも確かでしょうから、非常に興味深いです。
私もいつか訪れてみたいと思っていて行けてません。
広大な敷地に荘厳さも漂う特別な場所。
気軽に行きたいなと思います。
今回の奈良の旅は、近鉄特急の会員資格が無くなるから。いろいろ行き先を考えて、橿原神宮にしました。
橿原神宮の周りには、初代天皇陵から4代天皇陵まで点在している点もありました。
古代日本の少しは雰囲気を味わえたかなぁと思います。