懿徳天皇 畝傍山南繊沙渓上陵へ

この日、最初に訪れる予定にしていたのは懿徳天皇 畝傍山南繊沙渓上陵(うねびやまのみなみのまなごのたにのえのみささぎ)です。本当は、10月22日(火)に行く予定にしてましたが、膝の状態も良くなかったので、断念してました。ただ、やっぱり行って見たく、それでこの日にセットしたわけです。

近鉄橿原神宮西口駅を出て、先ずは橿原神宮「西の鳥居」に行き、そこから北に向かって歩きます。地図では分かりませんでしたが、少し登っているですね、私はいつも地図を頭に入れて来ます。この日もそうでした。道は細かったけど、けっこう車通ります。今日は時間的な余裕があるので、ゆっくり歩いて行きました。

IMG_7779.jpg8時44分に着きました。電車を降りて5分ぐらいでした。向こうに見えているのが畝傍山で、その南麓にあたります。

IMG_7780.jpg懿徳天皇(いとくてんのう)は、第4代天皇です。実在しているかどうか、不明ですが。欠史八代の1人です。

IMG_7781.jpgIMG_7782.jpgIMG_7783.jpgIMG_7784.jpg陵形としては、山形だそうです。ここに来て、名前覚えましたが、懿徳(いとく)天皇とは読めないです。こちらもウキペディアで調べました。

懿徳天皇(いとくてんのう、綏靖天皇29年~懿徳天皇34年9月8日)は、日本の第4代天皇(在位:懿徳天皇元年2月4日~懿徳天皇34年9月8日)。「日本書紀」での名は大日本彦耜友天皇。欠史八代の1人であり、実在性については諸説ある。磯城津彦玉手看天皇(安寧天皇)の第二皇子。母は鴨王(事代主神の孫)の娘の渟名底仲媛命(「日本書紀」)。兄弟として同母兄に息石耳命(または常津彦某兄)、同母弟に磯城津彦命がいる。父帝が崩御した翌年の懿徳天皇元年2月4日に即位。懿徳天皇2年1月、軽之境岡宮(かるのさかいおかのみや・奈良県橿原市大軽町周辺)に都を移す。懿徳天皇2年2月、息石耳命(おきそみみのみこと)の娘の天豊津媛命(あまとよつひめのみこと)を皇后として観松彦香殖稲尊(後の孝昭天皇・第5代天皇)を得た。懿徳天皇34年、崩御。

IMG_7785.jpgIMG_7786.jpgIMG_7787.jpgIMG_7788.jpg8時47分に、ここを出ました。次に写真の右手、西側に向いて歩いていきます。

IMG_7789.jpg徐々に登って行く道を歩いて行くと、右手に溜池がありました。その向こうが「懿徳天皇 畝傍山南繊沙渓上陵」があるわけです。

IMG_7790.jpgご覧のように、右手に溜池を見ながら緩やかな登りを歩いて行きます。

IMG_7791.jpg緩やかに登って行く、突き当たりに「畝火山口神社」の案内が出てました。まったく調べて無かったので行きませんでしたが、歩いて15分ぐらいで行けたかなぁ?。

IMG_7792.jpg今まで登って来ましたが、ここから下ります。アップダウンの道路ですが、車もけっこう通ります。

次の目的地は、もう直ぐに見えて来そうな所まで来ました。古事記によると懿徳天皇は、その名を大日本彦耜友天皇(おおやまとひこすきとものすめらみこと)といい、第3代の安寧(あんねい)天皇の第2皇子。45歳で亡くなったとされています。次は、その第3代天皇陵です。

この記事へのコメント

2024年12月02日 21:20
またまた橿原神宮へ。そこから 畝傍山や懿徳天皇陵へ行けるのですね。
大和三山の畝傍山と聞いただけで、古代ロマンを感じます。
かつて非常に神聖な山の一つだったことでしょう。
欠史八代といいながら、立派な天皇陵がある。一体だれが埋葬されているのか。
されてないのか。気になる所です。まあ、現代日本では発掘はできませんからね。ただ明らかに古代に人工に造営された山がある。
それだけで神話のように思ってしまいます。
2024年12月04日 16:33
奈良の天皇陵古墳巡りシリーズ、
橿原神宮からそんなに離れてない所ですか。
畝傍山の麓にある古墳なんですね。
昔々、まだ大学生だった頃、香具山には
登った事がありました。万葉集の歌に詠まれた
大和三山の中でも、畝傍山の姿が
一番印象的だったことをよく覚えてます。
古代の歴史の舞台に立つと、色々想像が膨らみますね。
壬生里
2024年12月05日 04:58
ミクミティさんへコメントありがとうございます。

前回、足も疲れて行けなかったのが、心残りで再訪しました。近鉄のポイントも貯まるので。
ここに行くのに、いろいろ調べてて、懿徳天皇の名前、読めなかったです。懿徳天皇は、欠史八代の1人で、学者でもないので詳しいことは分かりませんが、多分神話の世界なんでしょう。奈良もいろいろ探すと面白いので、また見内を散策したいです。
壬生里
2024年12月05日 05:01
yasuhikoさんへコメントありがとうございます。

奈良も最近、海外の方や修学旅行生で混雑しているニュースをテレビみます。
あまり人混みが苦手で、それで海外の方が行かれそうにもない、橿原神宮を選びました。それに神話に興味があって、初代から4代までの古墳が点在していた点も、訪れた理由の一つです。