安寧天皇 畝傍山西南御陰井上陵へ
懿徳天皇 畝傍山南繊沙渓上陵から次に向かったのが、安寧天皇 畝傍山西南御陰井上陵(うねびやまのひつじさるのみほどのいのえのみささぎ)でした。
この道路の先に目的地がありますが、車が度々通るので、注意しながら向かいました。
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橿原市が設置したのでしょう、「第3代 安寧天皇陵」の看板が出てました。陵墓は、この看板の向かいです。
車に注意して、道路を横断して陵墓に向かいます。
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陵形は、山形だそうです。遠路来てみて、初代天皇陵から第4代天皇陵まで、ここは歩いて回れそうです。私は2回に分けて訪れましたが😊。安寧天皇の名も、ここに来て知ったので、詳しいことはウキペディアで調べました。
安寧天皇(あんねいてんのう、綏靖天皇5年~安寧天皇38年12月6日)は、日本の第3代天皇(在位:綏靖天皇33年7月3日~安寧天皇38年12月6日)。「日本書紀」での名は磯城津彦玉手看天皇(しきつひこたまてみのすめらみこと)。欠史八代の1人であり、実在性については諸説ある。神渟名川耳天皇(綏靖天皇)の皇子。母は事代主神(ことしろぬしのかみ)の娘の五十鈴依媛命(いすずよりひめのみこと)(「日本書紀」)。兄弟に関する記載は「日本書紀」「古事記」共にない。父綏靖天皇が崩御した年の綏靖天皇33年7月に即位。即位安寧天皇2年1月、片塩浮孔宮(かたしおのうきあなのみや・奈良県大和高田市片塩町)へ都を移す。即位安寧天皇3年2月、鴨王(かものきみ・事代主神の孫)の娘の渟名底仲媛命(ぬなそこなかつひめ・懿徳天皇の母)を皇后として息石耳命(おきそみみのみこと)、大日本彦耜友尊(おおやまとひこすきとものみこと・後の懿徳天皇)、磯城津彦命(しきつひこのみこと)を得た。即位安寧天皇38年、崩御。
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多分、もう来ることは無いかと思うので、右から左へとの移動して写真を撮っておきました。
橿原市観光協会のサイトでは「畝傍山西麓に位置する前方後円墳状の御陵です」と紹介されています。畝傍山の西の登山口にも近く、登山の前後に訪れることがでるとのことと書いてありました。
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![IMG_7807.jpg](https://mahopika.up.seesaa.net/image/IMG_7807-438b3-thumbnail2.jpg)
帰りも来た道を戻ります。自慢じゃないけど、道は一度通れば覚えるので、迷ったことはありません。帰りは、いったん登って、それから下ります、
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同じ道を通ったので、帰りも「懿徳天皇 畝傍山南繊沙渓上陵」の前を通りました。ただ寄りません。
そして、この先に橿原神宮「西の鳥居」が見える所まで来ました。
9時5分に橿原神宮「西の鳥居」に着きました。ここを8時42分に通過したので、23分で戻って来たことになります。
今日は、帰りの電車を10時22分発の近鉄特急をチケットレスで取ってます。まだまだ時間があるので、これから橿原神宮を散策しますが、10月22日(火)に行けてないところを重点に見て行きます。
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安寧天皇(あんねいてんのう、綏靖天皇5年~安寧天皇38年12月6日)は、日本の第3代天皇(在位:綏靖天皇33年7月3日~安寧天皇38年12月6日)。「日本書紀」での名は磯城津彦玉手看天皇(しきつひこたまてみのすめらみこと)。欠史八代の1人であり、実在性については諸説ある。神渟名川耳天皇(綏靖天皇)の皇子。母は事代主神(ことしろぬしのかみ)の娘の五十鈴依媛命(いすずよりひめのみこと)(「日本書紀」)。兄弟に関する記載は「日本書紀」「古事記」共にない。父綏靖天皇が崩御した年の綏靖天皇33年7月に即位。即位安寧天皇2年1月、片塩浮孔宮(かたしおのうきあなのみや・奈良県大和高田市片塩町)へ都を移す。即位安寧天皇3年2月、鴨王(かものきみ・事代主神の孫)の娘の渟名底仲媛命(ぬなそこなかつひめ・懿徳天皇の母)を皇后として息石耳命(おきそみみのみこと)、大日本彦耜友尊(おおやまとひこすきとものみこと・後の懿徳天皇)、磯城津彦命(しきつひこのみこと)を得た。即位安寧天皇38年、崩御。
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橿原市観光協会のサイトでは「畝傍山西麓に位置する前方後円墳状の御陵です」と紹介されています。畝傍山の西の登山口にも近く、登山の前後に訪れることがでるとのことと書いてありました。
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今日は、帰りの電車を10時22分発の近鉄特急をチケットレスで取ってます。まだまだ時間があるので、これから橿原神宮を散策しますが、10月22日(火)に行けてないところを重点に見て行きます。
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