綏靖天皇 桃花鳥田丘上陵へ
近鉄橿原神宮前から、当初は「神武天皇畝傍山東北陵」に行くつもりでした。ただ、地図を見ていて、神武天皇陵から歩いて15分のところに、「綏靖天皇 桃花鳥田丘上陵」があることを知りました。橿原神宮前駅から神武天皇陵まで、歩いて25分ぐらいかかります。そしてまた15分歩くのは、暑さと時間的なこと、何より足への負担を考えて、タクシーを選択したわけです。そしてタクシーに乗り、「綏靖(すいじん)天皇陵まで」と言うと、何回も聞き直されました。どうも綏靖(すいぜい)天皇のこと知らなかったみたいです。それで、「神武天皇陵の北側まで」と言って向かって貰いました。
綏靖(すいぜい)天皇は、第2代天皇ですが、私も知らなかったです。初代の神武天皇の名は知ってましたが、それで少し興味が沸き、タクシー代を払ってでも行ってみることにしたわけです。
運転手さんが「多分、ここだと思います」と言って降ろされたのが、あとで分かったことは「宮内庁書陵部 畝傍陵墓監区事務所」の入口でした。
地図を見て、ここが神武天皇陵だと分かりました。仕方無いので、ここから綏靖天皇陵に向かって歩いて行くことにしました😒。単純に考えて、ここ神武天皇陵まで往復30分も歩くことになるので、体力と時間の無駄でしね。ちなみにタクシー代は770円でした。
じつは、神武天皇陵にも寄ったので、8時52分に御陵入り口に着きました。
入口は東向きですが、鳥居は南向きにあります。御陵名は、桃花鳥田丘上陵(つきだのおかのえのみささぎ)といいます。
神武天皇陵が初代天皇で、綏靖(すいぜい)天皇が2代目の天皇です。ともに神話の世界でしょうし、専門家では無いので真意は分かりませんが、実在された天皇としては、何処にも載ってないです。そこでウキペディアで調べてみました。
綏靖天皇(すいぜいてんのう、神武天皇29年~綏靖天皇33年5月10日)は、日本の第2代天皇(在位:綏靖天皇元年(前581年)1月8日~綏靖天皇33年(前549年)5月10日)。「日本書紀」での名は神渟名川耳天皇(かんぬなかわみみのすめらみこと)。欠史八代の1人で、実在性については諸説ある。
欠史八代(けっしはちだい)とは、第2代綏靖天皇・3代安寧(あんねい)天皇・4代懿徳(いとく)天皇・5代孝昭(こうしょう)天皇・6代孝安(こうあん)天皇・7代孝霊(こうれい)天皇・8代孝元(こうげん)天皇・9代開化(かいか)天皇までの8代の天皇を指す、歴史学の用語である。「古事記」や「日本書紀」にその系譜が記されている初期天皇の系譜は、その多くが後世の創作によるものと見られ、欠史八代の天皇が実在した可能性は学術的にはほぼないとされる。
神日本磐余彦天皇(神武天皇)の第三皇子。母は事代主神の娘の媛蹈鞴五十鈴媛命(日本書紀)。同母兄に神八井耳命(多臣等諸氏族の祖)、「古事記」では加えて同母長兄に日子八井命(日本書紀なし、茨田連・手嶋連の祖)の名を挙げる。神武天皇42年1月3日に立太子。父帝が崩御した3年後の11月、異母兄の手研耳命を誅殺。翌年1月に即位して葛城高丘宮(かずらきのたかおかのみや)に都を移す。同年7月、事代主神の娘で天皇本人の叔母(母の妹)にあたる五十鈴依媛命を皇后として磯城津彦玉手看尊(後の安寧天皇)を得た。即位33年、崩御。
御陵は、思っていたより奥まった所にありました。
学者さんが調べても、実在の可能性が低いとされるので、謎の古墳ですね。陵形は、円丘だそうです。
私は、今回ここに来て初めて綏靖天皇(すいぜいてんのう)のことを知りました。まずもって、読めないですね、ふりがなが無かったら。綏靖天皇の御母の名が、皇后媛踏鞴五十鈴媛命、こちらもふりがなが無かったら絶対読めないです。
8時57分に、ここを出ました。次はさきほどタクシーから降ろされた所まで戻ります。
それにしても暑いです。半袖になりましたが、もう汗が出てきました。今日は初代から4代まで回るつもりでしたが、無理そうです。
綏靖(すいぜい)天皇は、第2代天皇ですが、私も知らなかったです。初代の神武天皇の名は知ってましたが、それで少し興味が沸き、タクシー代を払ってでも行ってみることにしたわけです。
運転手さんが「多分、ここだと思います」と言って降ろされたのが、あとで分かったことは「宮内庁書陵部 畝傍陵墓監区事務所」の入口でした。
地図を見て、ここが神武天皇陵だと分かりました。仕方無いので、ここから綏靖天皇陵に向かって歩いて行くことにしました😒。単純に考えて、ここ神武天皇陵まで往復30分も歩くことになるので、体力と時間の無駄でしね。ちなみにタクシー代は770円でした。
じつは、神武天皇陵にも寄ったので、8時52分に御陵入り口に着きました。
入口は東向きですが、鳥居は南向きにあります。御陵名は、桃花鳥田丘上陵(つきだのおかのえのみささぎ)といいます。
神武天皇陵が初代天皇で、綏靖(すいぜい)天皇が2代目の天皇です。ともに神話の世界でしょうし、専門家では無いので真意は分かりませんが、実在された天皇としては、何処にも載ってないです。そこでウキペディアで調べてみました。
綏靖天皇(すいぜいてんのう、神武天皇29年~綏靖天皇33年5月10日)は、日本の第2代天皇(在位:綏靖天皇元年(前581年)1月8日~綏靖天皇33年(前549年)5月10日)。「日本書紀」での名は神渟名川耳天皇(かんぬなかわみみのすめらみこと)。欠史八代の1人で、実在性については諸説ある。
欠史八代(けっしはちだい)とは、第2代綏靖天皇・3代安寧(あんねい)天皇・4代懿徳(いとく)天皇・5代孝昭(こうしょう)天皇・6代孝安(こうあん)天皇・7代孝霊(こうれい)天皇・8代孝元(こうげん)天皇・9代開化(かいか)天皇までの8代の天皇を指す、歴史学の用語である。「古事記」や「日本書紀」にその系譜が記されている初期天皇の系譜は、その多くが後世の創作によるものと見られ、欠史八代の天皇が実在した可能性は学術的にはほぼないとされる。
神日本磐余彦天皇(神武天皇)の第三皇子。母は事代主神の娘の媛蹈鞴五十鈴媛命(日本書紀)。同母兄に神八井耳命(多臣等諸氏族の祖)、「古事記」では加えて同母長兄に日子八井命(日本書紀なし、茨田連・手嶋連の祖)の名を挙げる。神武天皇42年1月3日に立太子。父帝が崩御した3年後の11月、異母兄の手研耳命を誅殺。翌年1月に即位して葛城高丘宮(かずらきのたかおかのみや)に都を移す。同年7月、事代主神の娘で天皇本人の叔母(母の妹)にあたる五十鈴依媛命を皇后として磯城津彦玉手看尊(後の安寧天皇)を得た。即位33年、崩御。
御陵は、思っていたより奥まった所にありました。
学者さんが調べても、実在の可能性が低いとされるので、謎の古墳ですね。陵形は、円丘だそうです。
私は、今回ここに来て初めて綏靖天皇(すいぜいてんのう)のことを知りました。まずもって、読めないですね、ふりがなが無かったら。綏靖天皇の御母の名が、皇后媛踏鞴五十鈴媛命、こちらもふりがなが無かったら絶対読めないです。
8時57分に、ここを出ました。次はさきほどタクシーから降ろされた所まで戻ります。
それにしても暑いです。半袖になりましたが、もう汗が出てきました。今日は初代から4代まで回るつもりでしたが、無理そうです。
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