「世界文化遺産 元離宮二条城 本丸御殿」参観へ
10月15日(火)に、世界文化遺産 元離宮二条城 本丸御殿の参観に行きました。このあと、ブクロの記事を書いていると、記憶が曖昧なことが分かって、それで、再度訪問すべき予約を入れました。それが10月29日(火)でした。ただ天気予報がお昼前後から雨降りと出ていて、元離宮二条城のあと、次に行く予定にしていたところを止めて所用先に向かうことにして、家を出ました。
先ずは、世界文化遺産 元離宮二条城に、いつもは開城前に行きますが、今日は本丸御殿だけにします。本丸御殿が9時30分から開くので、9時頃に着くように家を出ましたが、ギリギリに行けない性格のため、やっぱり早く着いてしましいました。
地下鉄東西線二条城前駅を出て、信号を渡ってから「東南隅櫓」(重文)を撮りました。このとき8時50分、既に開門されています。
チケット売場では、この時間でも行列ができています。ただ海外の団体客があまりも多くて、前に進めないぐらいです。東大手門(重文)、唐門(重文)を通りましたが、開城後はこんなに人が多いですね。国宝「二の丸御殿」はスルーし、二の丸庭園に入りました。
8時54分に特別名勝「二の丸庭園」に入りました。
この日の予定では、二の丸庭園に行くつもりは無かったです。清流苑から本丸御殿に入るつもりでした。ただ、前途したとおり予定より早く着いたので、急遽「二の丸庭園」に入ったわけです。
海外の方も「二の丸御殿」に入らずに、「二の丸庭園」に来られるですね、数組の方が居ました。御殿を見ないと勿体ないなぁ・・・と。帰りに寄られるかも知れませんが。
この二の丸庭園では、紅葉は期待できません。ただ、桜でしょうか少し色づきが始まっています。
「二の丸庭園」は、あっさり通過です😊。次に本丸に入って天守台を目指します。
本丸には「東橋」を渡ります。そして「本丸櫓門」(重文)をくぐると・・・?。
本日、観覧予定の「本丸御殿」が見えてきます。
「本丸御殿」も一部、ガラス戸があります。前回内部に入ってときに、あのガラス戸を通った記憶が無かったので、確かめてみました。二階は、今公開公開の予定はありません。
9時00分に天守台の下まで来ました。ここで本丸御殿が開くまで、座って待つことにします。
休憩する前に、天守台を一回りしてみます。今日は、比叡山や如意ヶ嶽の大の文字が綺麗に見えました。少々曇り空ですが。
まだ誰も天守台に来られそうにありません。私は、ここで15分程度休憩します😊。
9時15分に天守台を降りました。15分の間、けっこうな人が登って来られました。大半は海外の方でしたね。
9時17分に本丸御殿入口まで来ると、もう並ばれています。本丸御殿には15名限定で入ります。早く来ても意味が無いので、私は先にトイレを済ませます。
トイレは「西橋」を渡った先にあります。御殿内にはトレイが無いので、先にトレイを済ませるように前回案内されました。
そのトイレの前に「移築された旧二条城の石垣」があります。1569年(永禄12年)に織田信長が室町幕府15代将軍足利義昭を守るために築いた城の石垣です。
9時25分に、「本丸御殿車寄」に来ました。早く入れるかなぁ・・・と思いましたが、やっぱり本丸御殿に入れたのは9時30分でした😊。
9時30分になったら、車寄の「玄関の間」から入ります。先ずは案内に従って靴を袋に入れて上がると、右手にある「使者の間」に行くように案内されます。そこにはロッカーがあって、自分の持ち物を全て入れます。私は鞄と靴を入れました。なお、コインロッカーでは無いので料金はかかりません😊。今日は、メモ帳とボールペンは持参してきました。
次に、「公卿の間」に移動し、本丸御殿を紹介するビデオを9時30分のグループで見ますが、今日は上映?が遅かったです。前回ビデオ見たのでスルーさせてとお願いしましたがダメでした😒。見終わると案内に従って見て行きます。ただ、ガイドさんの案内はありません。ここは、写真が撮れないので、所々メモしていきます。
「玄関の間」は「取次の間」を合わせると約60平米の大空間となっています。他に、来訪者の控えの部屋として、使者の間、殿上の間、公卿の間があります。とくに、ここでは大原呑舟筆「波濤に鷲図」の衝立が迎えてくれました(この衝立は出る時に観賞します)。
最初は「御書院」です。御書院は、本丸御殿の中心となる建物。もっとも格式の高い「一の間」は、格天井で壁が金箔であり、違棚を備えています。「三の間」は畳を上げると能舞台になり、明治天皇も能を楽しんだと言われています。卍崩しの欄間は、よく似たものが桂離宮にもあり、桂宮家ゆかりの建物としてのつながりを感じます。最初に見るのは「三の間」です。障子が開いているので、「二の間」「一の間」と見渡せます。正面から横から、じっくり観賞できます。
御書院「一の間」から「三の間」は、主人と来訪者との公式な対面所として使われました。「一の間」には、床(とこ)と棚を備えます。主人は、床(ゆか)が一段高くなっている「一の間」に、対面相手は、「二の間」「三の間」に座りました。「三の間」は、畳を取り外すと能舞台になり、「三の間」の南西隅に接する廊下が、能舞台の橋掛りとされました。
次に、御常御殿に入ります。最初に見るのは「耕作の間」で障壁画は「四季工作図」(中島華陽作)す。襖絵は、田植えや収穫など日本の米作りの風景を描いています。
次に「四季草花の間」と見て行きます。障壁画は「四季草花の図」で、中島来章(円山派)の筆によるものです。
次に奥の部屋に移動し、そこは「松鶴の間」で、ここは、ひときわ目を引く「松鶴図」があります。狩野永岳(京狩野派)の筆によるものです。前回書かなかったことは、各部屋のシャンデリアも綺麗でした。シャンデリアも見所の一つですね。
そしてお隣に移動し、「雉の間」を見ます。障壁画は「春秋花鳥図」で、先の狩野永岳に師事した長野祐親(京狩野派)の筆によるものです。
次が「御納戸」で、壁や襖には、緑青地に朽木雲文様の唐紙が使われています。この「御納戸」の廊下を挟んだ向かいの部屋を見ます。そこは「御化粧の間」と呼ばれ、障壁画は「御納戸」と同様の朽木雲文様の唐紙が使われてました。
御殿の主や身分の高い女性の身支度に使用された部屋とされています。北側には、棚と押し入れが設けられていて、身支度に使う物を入れていたのでしょう。
最後が「萩の間」で耕作の間の東隣の部屋になります。「萩図」筆者の八木奇峰(やぎきほう)は、最初、京狩野の山懸岐鳳に、後に、四条派の松村景文に師事したとされる。
御殿の主のそば近くに仕えた人が使用したと考えられます。障壁画は、満開を迎えた紅白の萩の花が、水流や土坡と共に描かれ、所々に露草も部屋全体に描かれ、清楚ながら華やかな空間となっています。御常御殿で最後に見るのは「御湯殿」です。
御殿の主の浴室です。畳敷き部分は控えの間で、一段下がった板間の床には、中央に向かって勾配がついていて、溝を通じて排水できるようになっている。板間に浴槽を置き、湯呑みしたと考えられています。
そして、再び御書院に戻ります。最初に見た「一の間」のお隣の部屋から見て行きます。そこは「四季の間」と呼ばれてました。「四季の間」は、田の字形に配された4つの部屋、それぞれの障壁画に春夏秋冬の景物が描かれることから、四季の間と呼ばれます。春の間と夏の間の境にある卍崩し形の欄間は、同じく桂宮家の別邸(現在の桂離宮)との繋がりを感じさせる意匠です。
最初は「夏の間」から見て行きます。障壁画は「夏景図」で、多村挙秀(円山派)によるもの。
次の「春の間」は夏の間の奥に見え、部屋の境には「卍崩し」形の欄間があるのが特徴です。桂離宮にもよく似たデザインの欄間がみられます。前途したとおり桂宮家ゆかりの建物としてのつながりを感じます。
夏の間の隣のが「冬の間」です。障壁画の「冬景図」は、円山派の星野蝉水が描いたものです。星野蝉水は、円山応立の弟子で、明治時代に、二の丸御殿障壁画の補彩の作業にも携わりました。
「四季の間」の最後は、「秋の間」で、障壁画は「秋景図」を岸派の岸竹堂が描きました。
次に「御書院 雲鶴の間」に移動します。「四季の間」の向かいにありました。「雲鶴一の間、雲鶴二の間、雲鶴三の間」の襖が、すべて雲鶴文様の唐紙であることから、明治天皇によって「雲鶴の間」と命名されました。
ここでは「杉戸絵」も見学できます。18世紀から幕末にかけて描かれた杉戸では「花車」や「舞楽」などといった宮家にふさわしい画題が選ばれて展示されてました。この日は「花車」が展示されてました。1852年(嘉永4年)八木寺峰作と書いてありました。
杉戸は2枚1組で廊下の棟境などに嵌められる建具です。本丸御殿には、7組14枚の杉戸が遺されており、一部をここで展示されてました。杉戸絵の筆者は、室内の障壁画の筆者の他に、長沢芦洲、鶴澤探真、五井友山の名が伝わります。杉戸には、虎や獅子といった獣、鶴、亀、鳳凰といった吉祥の動物、草花や花鳥などが描かれています。
次の「雁の間」に行く途中に、台所がありますが、ここは非公開です。台所は、食事を準備した場所で、北面には、流し台と水槽が備え付けられているようです。
そして、「取次の間」と「玄関の間」に戻って参観は終了です。ロッカーから鞄と靴を取り出して出て行きました。
9時53分に出ました。前回と同じ時間です😊。公開される部屋が、季節毎に変わるとの説明が最初にあったので、また時期を見て再訪します。
帰りも本丸を通ります。ビデオで案内されたとおり、丸みを帯びた屋根が皇室らしいとありました。
本丸御殿の前を通って、「東橋」から本丸を出ました。
帰りも「二の丸庭園」を入って戻ります。ただ、ここから出てくる人が多いので、真っ直ぐに進めません。
10時1分に「東大手門」から出て来ました。やっと出られた・・・という感じ。海外の方、修学旅行生、中には小学生の遠足もあるかもです。
地下鉄東西線二条城前駅から帰路に着きました。京都市民限定の年間パスポート様々です。まさか本丸御殿も入れるとは・・・😊。
この日の最高気温は、19.2℃と今季最低を記録。やっと涼しくなりました。まだまだ夏日を記録するかも知れませんが、やっと日中出掛けても苦にならなくなりました。やっとです😊。
先ずは、世界文化遺産 元離宮二条城に、いつもは開城前に行きますが、今日は本丸御殿だけにします。本丸御殿が9時30分から開くので、9時頃に着くように家を出ましたが、ギリギリに行けない性格のため、やっぱり早く着いてしましいました。
地下鉄東西線二条城前駅を出て、信号を渡ってから「東南隅櫓」(重文)を撮りました。このとき8時50分、既に開門されています。
チケット売場では、この時間でも行列ができています。ただ海外の団体客があまりも多くて、前に進めないぐらいです。東大手門(重文)、唐門(重文)を通りましたが、開城後はこんなに人が多いですね。国宝「二の丸御殿」はスルーし、二の丸庭園に入りました。
8時54分に特別名勝「二の丸庭園」に入りました。
この日の予定では、二の丸庭園に行くつもりは無かったです。清流苑から本丸御殿に入るつもりでした。ただ、前途したとおり予定より早く着いたので、急遽「二の丸庭園」に入ったわけです。
海外の方も「二の丸御殿」に入らずに、「二の丸庭園」に来られるですね、数組の方が居ました。御殿を見ないと勿体ないなぁ・・・と。帰りに寄られるかも知れませんが。
この二の丸庭園では、紅葉は期待できません。ただ、桜でしょうか少し色づきが始まっています。
「二の丸庭園」は、あっさり通過です😊。次に本丸に入って天守台を目指します。
本丸には「東橋」を渡ります。そして「本丸櫓門」(重文)をくぐると・・・?。
本日、観覧予定の「本丸御殿」が見えてきます。
「本丸御殿」も一部、ガラス戸があります。前回内部に入ってときに、あのガラス戸を通った記憶が無かったので、確かめてみました。二階は、今公開公開の予定はありません。
9時00分に天守台の下まで来ました。ここで本丸御殿が開くまで、座って待つことにします。
休憩する前に、天守台を一回りしてみます。今日は、比叡山や如意ヶ嶽の大の文字が綺麗に見えました。少々曇り空ですが。
まだ誰も天守台に来られそうにありません。私は、ここで15分程度休憩します😊。
9時15分に天守台を降りました。15分の間、けっこうな人が登って来られました。大半は海外の方でしたね。
9時17分に本丸御殿入口まで来ると、もう並ばれています。本丸御殿には15名限定で入ります。早く来ても意味が無いので、私は先にトイレを済ませます。
トイレは「西橋」を渡った先にあります。御殿内にはトレイが無いので、先にトレイを済ませるように前回案内されました。
そのトイレの前に「移築された旧二条城の石垣」があります。1569年(永禄12年)に織田信長が室町幕府15代将軍足利義昭を守るために築いた城の石垣です。
9時25分に、「本丸御殿車寄」に来ました。早く入れるかなぁ・・・と思いましたが、やっぱり本丸御殿に入れたのは9時30分でした😊。
9時30分になったら、車寄の「玄関の間」から入ります。先ずは案内に従って靴を袋に入れて上がると、右手にある「使者の間」に行くように案内されます。そこにはロッカーがあって、自分の持ち物を全て入れます。私は鞄と靴を入れました。なお、コインロッカーでは無いので料金はかかりません😊。今日は、メモ帳とボールペンは持参してきました。
次に、「公卿の間」に移動し、本丸御殿を紹介するビデオを9時30分のグループで見ますが、今日は上映?が遅かったです。前回ビデオ見たのでスルーさせてとお願いしましたがダメでした😒。見終わると案内に従って見て行きます。ただ、ガイドさんの案内はありません。ここは、写真が撮れないので、所々メモしていきます。
「玄関の間」は「取次の間」を合わせると約60平米の大空間となっています。他に、来訪者の控えの部屋として、使者の間、殿上の間、公卿の間があります。とくに、ここでは大原呑舟筆「波濤に鷲図」の衝立が迎えてくれました(この衝立は出る時に観賞します)。
最初は「御書院」です。御書院は、本丸御殿の中心となる建物。もっとも格式の高い「一の間」は、格天井で壁が金箔であり、違棚を備えています。「三の間」は畳を上げると能舞台になり、明治天皇も能を楽しんだと言われています。卍崩しの欄間は、よく似たものが桂離宮にもあり、桂宮家ゆかりの建物としてのつながりを感じます。最初に見るのは「三の間」です。障子が開いているので、「二の間」「一の間」と見渡せます。正面から横から、じっくり観賞できます。
御書院「一の間」から「三の間」は、主人と来訪者との公式な対面所として使われました。「一の間」には、床(とこ)と棚を備えます。主人は、床(ゆか)が一段高くなっている「一の間」に、対面相手は、「二の間」「三の間」に座りました。「三の間」は、畳を取り外すと能舞台になり、「三の間」の南西隅に接する廊下が、能舞台の橋掛りとされました。
次に、御常御殿に入ります。最初に見るのは「耕作の間」で障壁画は「四季工作図」(中島華陽作)す。襖絵は、田植えや収穫など日本の米作りの風景を描いています。
次に「四季草花の間」と見て行きます。障壁画は「四季草花の図」で、中島来章(円山派)の筆によるものです。
次に奥の部屋に移動し、そこは「松鶴の間」で、ここは、ひときわ目を引く「松鶴図」があります。狩野永岳(京狩野派)の筆によるものです。前回書かなかったことは、各部屋のシャンデリアも綺麗でした。シャンデリアも見所の一つですね。
そしてお隣に移動し、「雉の間」を見ます。障壁画は「春秋花鳥図」で、先の狩野永岳に師事した長野祐親(京狩野派)の筆によるものです。
次が「御納戸」で、壁や襖には、緑青地に朽木雲文様の唐紙が使われています。この「御納戸」の廊下を挟んだ向かいの部屋を見ます。そこは「御化粧の間」と呼ばれ、障壁画は「御納戸」と同様の朽木雲文様の唐紙が使われてました。
御殿の主や身分の高い女性の身支度に使用された部屋とされています。北側には、棚と押し入れが設けられていて、身支度に使う物を入れていたのでしょう。
最後が「萩の間」で耕作の間の東隣の部屋になります。「萩図」筆者の八木奇峰(やぎきほう)は、最初、京狩野の山懸岐鳳に、後に、四条派の松村景文に師事したとされる。
御殿の主のそば近くに仕えた人が使用したと考えられます。障壁画は、満開を迎えた紅白の萩の花が、水流や土坡と共に描かれ、所々に露草も部屋全体に描かれ、清楚ながら華やかな空間となっています。御常御殿で最後に見るのは「御湯殿」です。
御殿の主の浴室です。畳敷き部分は控えの間で、一段下がった板間の床には、中央に向かって勾配がついていて、溝を通じて排水できるようになっている。板間に浴槽を置き、湯呑みしたと考えられています。
そして、再び御書院に戻ります。最初に見た「一の間」のお隣の部屋から見て行きます。そこは「四季の間」と呼ばれてました。「四季の間」は、田の字形に配された4つの部屋、それぞれの障壁画に春夏秋冬の景物が描かれることから、四季の間と呼ばれます。春の間と夏の間の境にある卍崩し形の欄間は、同じく桂宮家の別邸(現在の桂離宮)との繋がりを感じさせる意匠です。
最初は「夏の間」から見て行きます。障壁画は「夏景図」で、多村挙秀(円山派)によるもの。
次の「春の間」は夏の間の奥に見え、部屋の境には「卍崩し」形の欄間があるのが特徴です。桂離宮にもよく似たデザインの欄間がみられます。前途したとおり桂宮家ゆかりの建物としてのつながりを感じます。
夏の間の隣のが「冬の間」です。障壁画の「冬景図」は、円山派の星野蝉水が描いたものです。星野蝉水は、円山応立の弟子で、明治時代に、二の丸御殿障壁画の補彩の作業にも携わりました。
「四季の間」の最後は、「秋の間」で、障壁画は「秋景図」を岸派の岸竹堂が描きました。
次に「御書院 雲鶴の間」に移動します。「四季の間」の向かいにありました。「雲鶴一の間、雲鶴二の間、雲鶴三の間」の襖が、すべて雲鶴文様の唐紙であることから、明治天皇によって「雲鶴の間」と命名されました。
ここでは「杉戸絵」も見学できます。18世紀から幕末にかけて描かれた杉戸では「花車」や「舞楽」などといった宮家にふさわしい画題が選ばれて展示されてました。この日は「花車」が展示されてました。1852年(嘉永4年)八木寺峰作と書いてありました。
杉戸は2枚1組で廊下の棟境などに嵌められる建具です。本丸御殿には、7組14枚の杉戸が遺されており、一部をここで展示されてました。杉戸絵の筆者は、室内の障壁画の筆者の他に、長沢芦洲、鶴澤探真、五井友山の名が伝わります。杉戸には、虎や獅子といった獣、鶴、亀、鳳凰といった吉祥の動物、草花や花鳥などが描かれています。
次の「雁の間」に行く途中に、台所がありますが、ここは非公開です。台所は、食事を準備した場所で、北面には、流し台と水槽が備え付けられているようです。
そして、「取次の間」と「玄関の間」に戻って参観は終了です。ロッカーから鞄と靴を取り出して出て行きました。
9時53分に出ました。前回と同じ時間です😊。公開される部屋が、季節毎に変わるとの説明が最初にあったので、また時期を見て再訪します。
帰りも本丸を通ります。ビデオで案内されたとおり、丸みを帯びた屋根が皇室らしいとありました。
本丸御殿の前を通って、「東橋」から本丸を出ました。
帰りも「二の丸庭園」を入って戻ります。ただ、ここから出てくる人が多いので、真っ直ぐに進めません。
10時1分に「東大手門」から出て来ました。やっと出られた・・・という感じ。海外の方、修学旅行生、中には小学生の遠足もあるかもです。
地下鉄東西線二条城前駅から帰路に着きました。京都市民限定の年間パスポート様々です。まさか本丸御殿も入れるとは・・・😊。
この日の最高気温は、19.2℃と今季最低を記録。やっと涼しくなりました。まだまだ夏日を記録するかも知れませんが、やっと日中出掛けても苦にならなくなりました。やっとです😊。
この記事へのコメント