心和山 光清寺「秋の特別拝観」へ

11月2日(土)は、台風21号から変わった温帯低気圧の影響で、京都市では記録的な大雨が降りました。大雨は九州から中国、近畿、東海、関東と移り、19時現在東海道新幹線が新大阪と東京間で止まったままです。我が家では、JリーグYBCルヴァンカップの決勝を見ている時が、一番強い雨が降ってました。テレビの音も聞こえないぐらいでしたね。

京都府内は2日は、激しい雨となり、大雨、洪水警報が広い範囲に発表されたほど。京都市内の鴨川や桂川は、濁流となりました。京都地方気象台によると、2日(土)14時半までの24時間雨量は、南丹市で150㍉前後、京都市や亀岡市で100㍉前後に達し、季節外れの大雨となりました。嵯峨野線の亀岡と園部の間が、18時頃まで運転見合わせとなったほか、京都府北部の京都丹後鉄道の宮舞・宮豊線の全区間(西舞鶴-豊岡)で一時運転を見合わせたほどです。京都では夕方までに雨は上がりましたが、東海関東に移り、日本シリーズは中止となったようです。

そして、翌日の11月3日(日)は、早朝は曇ってましたが、天気予報どおり晴れてきて、予定どおり心和山 光清寺秋の特別拝観に出掛けました。心和山 光清寺は通常は非公開で、春と秋に特別公開をされます。昨年の2023年(令和4年)11月24日(金)に光清寺に行くつもりでバスに乗ったですが、そのバスが事故を起こしたので断念。今年は、11月2日(土)~4日(月・祝)が特別公開の日程でしたので、当初から3日(日)に行くことにしてました。

今年の秋の特別拝観から、カメラ時間撮影枠を設けられました。11月2日(土)~11月4日(月・祝)の午前8時30分~午前9時45分(要予約・各日15名)。拝観料は2000円でした。そして通常の拝観は、11月2日(土)~11月4日(月・祝)の午前10時00分~午後4時30分(予約不要)。拝観料800円。今年からライトアップもされ、11月2日(土)~11月4日(月・祝)の午後18時00分~午後20時00分(予約不要)。拝観料1000円。最後に、茶席もあって、お茶席は700円と 午前8時30分~午後4時30分(予約不要)とありました。

前途したとおり、11月2日(土)は京都市内は大雨が降りました。まるで梅雨末期のような大雨で、この日から特別拝観を始められた光清寺も、拝観を中止されたのかなぁ・・・と思い、HPで確認すると、「11月3日(日)のカメラ枠でございますが、現在予約が入っておりませんので、8時30分から通常拝観とさせていただきます。どなたもお越しいただけますので、お待ちしております。写真撮影は、スマートフォンのみ可能です。何卒ご理解の程、宜しくお願い申し上げます。」と書いてありました。本当は毎週日曜日に所用があるので、早い時間の方が良かったので、願ったり叶ったりでした。

光清寺に8時30分過ぎに着くように家を出てバスに乗ることができました。ただやつぱりバスは遅れたので、少し急ぎ足で歩いて見ることに。光清寺には初めて来ましたが、2023年(令和5年)10月11日(水)に「福勝寺」に行ったとき、光清寺の前を通ったので、場所は知ってましたし、迷うことはありません。

IMG_7377.jpgIMG_7340.jpgIMG_7378.jpg8時32分に「山門」前に着きました。お寺の方かスタッフの方か知りませんが、開門の準備をされてました。

IMG_7380.jpg先にお一人入って行かれましたが、堂内はどうでしょうか?。空いてたら良いのになぁと思い、門をくぐりました。

心和山 光清寺は1669年(寛文9年)に臨済宗の杲山義洋禅師(こうざんぎようぜんじ)を開山とし、皇族の伏見宮貞致親王(ふしみのみやさだゆきしんのう)が御生母慈眼院殿心和光清(じげんいんでんしんわこうせい)尼公の菩提のために建立されました。創立当初は、天台・華厳・眞言・禅の四宗を兼ね、はじめ声実庵と称したが、1706年(宝永3年)に堂宇を焼失し、貞致親王のご子息邦永(くになが)親王によって再建され、改めて祖母の法名をもって寺号とし、心和山 光清寺(しんわざん こうせいじ)と寺名を改めました。創建以来伏見宮家の帰依により無本寺格として宮準門跡に列せられ、明治初年に臨済宗建仁寺派に所属することになりました。本堂に安置する聖観音菩薩立像は、慈覚大師の作と伝えられ、弁天堂は、旧伏見宮家より遷座されたもの。弁天堂南側に架かっている絵馬は、俗に「うかれ猫」と云い出水の七不思議の一つに数えられています。本堂前庭の「心和の庭」と玄関前庭の「心目の庭」は、昭和の名作庭家である重森三玲氏により作庭されました。明治維新の元勲岩倉具視公の岩倉家が、かつて岩倉家の菩提寺で檀家様でありました。ただ現在は、西賀茂霊源寺に移転しています。

IMG_7383.jpgIMG_7342.jpg山門を入って、奥に進むと庫裏の前に「心月庭」があります。普段は、山門が開いているので、この庭はいつでも見られるかと思います。

クロマツが枯死したあとに、1974年(昭和49年)重森三玲氏により作庭されました。白砂台を設け石を組み金閣寺垣で囲んであります。「心月」は心の真実を月に例えた表現だそうです。

IMG_7385.jpgIMG_7406.jpgこれは帰りに撮った写真ですが、先ずは「玄関」から靴を脱いで上がります。上がった左手に拝観受付所がありました。

拝観料が800円、お茶席が700円、1500円を納めます。ただ御朱印は9時から受付されるとのこと。あとで分かったことですが、ご住職が不在だったら書き置きになってました。上がると、正面に案内がでており、右に行けば「お茶席」、左に行けば「本堂」に行けます。私は、先に本堂に行くことにしました。

IMG_7345.jpg本堂に行ってみると、誰も居ないことが分かりました。ただ、前途したとおり、先にお一人入られているので、お参りの前に、堂内の写真を撮っておきます。

IMG_7347.jpg本堂の東に「心和の庭」が広がっています。昨日の土砂降りが嘘のように、今日は天気が良いです。

IMG_7358.jpgIMG_7350.jpgIMG_7351.jpgIMG_7353.jpg重森三玲氏により作庭された、この庭が見たくて来たようなものです。東庭ということで、この時間では少々逆光です。

光清寺の枯山水「心和の庭」は重森三玲の晩年の作。1967年(昭和42年)に本堂前の東部に白壁を、南部に竹垣をめぐらした約100坪の空間に作庭されました。山号の「心和山」にちなんで「心」の字が心字四島を蓬莱・方丈・瀛洲(えいしゅう)・壺梁(こりょう)の四島に見立て、石組を三尊石組と七五三配石で形作し、石と砂で大自然を凝縮した枯山水庭園が特徴です。

IMG_7359.jpgIMG_7355.jpgIMG_7356.jpgIMG_7357.jpgIMG_7360.jpgこのとき、まだ2名だけだったので、堂内の写真も撮れました。「浮かれ猫」のパネルが目立ちますが、その理由は後程、ご住職さんに尋ねて分かりました。

ご本尊は、善妙寺村聖観音菩薩立像が内陣中央に安置されてました。ご本尊の撮影は禁止とありました。私はお焼香とお賽銭をし、お参りさせて貰いました。このあと「お茶席」のある「書院」に向かいました。

IMG_7361.jpg書院」に入りました。狙い通り誰も居ません、居ない間に、くまなく撮影です😊。

IMG_7364.jpgここにも「浮かれ猫」のパネルが置いてありました😊。

IMG_7373.jpgIMG_7366.jpgIMG_7367.jpg私が、ここを出るまで誰も来られ無かったです。入れ替わりに来られたのが1組2名だけでした。

IMG_7362.jpgIMG_7372.jpgこの「浮かれ猫」が茶券の代わりです。渡すのではなく、裏がシールになっているので、持ち帰りました。

IMG_7363.jpgIMG_7369.jpgIMG_7371.jpgお菓子は、塩芳軒(しおよしけん)の「聚楽(じゅらく)」で、ほうじ茶でいただきました。説明されましたが、忘れました。あと浮かれ猫の「干菓子」も美味しかったです。

塩芳軒さんには、一度行きました。何年か前に民放の連ドラだったと思います。NHKの朝の連続テレビ小説「あすか」、私は見てないので。内容も知りません。検索すると出てくるのは「あすか」ですが・・・。

IMG_7374.jpgIMG_7375.jpg8時50分に本堂に戻り、御朱印受付所に行くも、まだでした。それで、いったん外に出てみます。

IMG_7384.jpgこちらは玄関前にあった「鐘楼」です。外に出たのは、男子トイレが山門横にあったから。また、早々に戻りました。

戻ると、ご住職さんが御朱印受付所に行かれ、手招きされたので、行ってみると、受付をしていただきました。御朱印は全部の4種ありましたが、私は3種いただくことにしました。待っている間に、ご住職に猫のパネルのことを聞いたわけです。

IMG_7388.jpgIMG_7386.jpgご住職に教えて貰った「浮かれ猫絵図」です。この辺りが遊里だったとは、京都在住でも知らなかったことです。

光清寺の鎮守弁天堂に、牡丹の花のもとにやすむ猫と花に舞う蝶が描かれた不思議な絵馬があります。江戸時代のある夜、近辺の遊里から弦歌の音が聞こえてくると、その節につれて猫が絵馬から浮かれ出し、女性の姿に化けて踊り舞い始めたそうで、それを見た人がいたらしく、世に「浮かれ猫」と言いはやされるよになりました。時の住職は不快に思い、法力で「浮かれ猫」を絵馬に封じ込めてしまいます。その夜、衣冠束帯に威儀を正した武士が住職の夢に現れ「私は絵馬の猫の化身です。あたなに封じ込められた不自由に耐えられません。今後は軽はずみをつつしまみすので、なにとぞお許しください」と嘆願したそうです。和尚は哀れに思い封を解いたそうです。その後異変はなかったが、この話しはいっそう世に広まり、人気商売に利益ありとされ諸芸上達を祈願する祇園島原の名妓等が参詣したといいます。この界隈に伝わる「出水の七不思議」の一つに数えられます。

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御朱印を待ってる間に撮った展示品です。御朱印も、私のあと3組も並ばれて、忙しそうでした。

待ってる間に、ご住職に聞いた話しで、昨日の大雨についてです。拝観は通常通りされたようです。それでも、あの大雨です。庭園が水浸しになったようですし、ずぶ濡れでこちらに来られていたと言われてました。

IMG_7394.jpgIMG_7350.jpg庭園の左手に見えている「中門」は、8時30分~9時45分のカメラ枠のみ開門されたようです。通常拝観では閉められたままです。

IMG_7390.jpgIMG_7398.jpgIMG_7400.jpgここを出る前に、拝観者が「浮かれ猫」のパネルを動かして写真を撮られていたので、私も撮らして貰いました😊。

IMG_7402.jpgIMG_7403.jpgIMG_7404.jpg9時8分に玄関から出て、「中門」から「心和の庭」を見てみました。普段は、こうして見るしかないです。

IMG_7405.jpgIMG_7407.jpgIMG_7408.jpgIMG_7410.jpg帰りに「鎮守弁天堂」に寄りました。こちらに架かっている「浮かれ猫図」の絵馬です。こちらはレブリカのようですね。

IMG_7411.jpg9時10分に「山門」から出て行きました。

このあと、七本松通りを南下し、丸太町通りで迎えの車に乗り、所用先に向かいました。拝観時間が8時30分となり、行けて良かったです。

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京都府では、10月の月平均気温が観測史上1位を記録したことが1日、気象庁のデータから分かったそうです。全地点での記録更新は9月に続いて2カ月連続で、異常な高温が続いています。とりわけ京都市は冷え込みが弱く、今後紅葉の色づきなどへの影響が懸念されるという。気象庁によると、10月の月平均気温は京都市中京区21・6℃、舞鶴市19・8℃度など、京都府と滋賀県を合わせた全17観測点で観測史上最高となり、平年値を1・9℃~3・5℃上回ったそうです。京都市は冷え込みが弱く、最低気温は12日(15・1℃)をのぞいて平年より高い日が続き、例年なら、10月に10℃を下回る日が現れるが、今年はゼロでした。30℃以上の真夏日は3日、25℃以上の夏日は19日もあったそうで、どおりで暑かった・・・です。京都地方気象台によると、今夏以降、太平洋高気圧の勢力が強く、偏西風が日本付近で北に蛇行し、南から暖気が入りやすい状態が続いた。長期的な温暖化も影響しているとみられる。11月も平年より気温が高い状態が続く予想だが、12月からは「平年並みか寒い冬」になる見通しという。京都府立植物園によると、この高温で落葉樹への影響が大きく、桜などは夏以降の暑さと乾燥で紅葉前に葉を落とし、季節外れの開花も目立つという。モミジ(イロハカエデ)は、紅葉に日照と降水、寒暖差が必要ですが、少雨に加えて暑さで葉を落とす木もあり、鮮やかな色づきへの懸念がでそう。ただ、晩秋以降の冷え込み次第で、遅れながらも紅葉していくとみられるという。綺麗に色づくか、今後の気温に注視する必要ありということかなぁ😊。

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