西国薬師第三十番霊場 醫王山 多禰寺へ
景徳山 安国寺を出て、次に京都府舞鶴市に入ってきました。西舞鶴には旧田辺城跡の田辺城資料館がありますがスルーです。海上自衛隊 北吸係留所には多くの護衛艦が停泊してました。次に舞鶴赤れんがパークを通ります。こちらでお昼休憩でもと考えてますが?そして舞鶴引揚記念館の前を通りましたが、こちらもスルーです。府道27号から21号に入ると道幅が狭くなります。車はずっと登って行き、6月頃には紫陽花苑が公開される「舞鶴自然文化園」を通りました。来年に行けたらと思いながら通過すると道幅はますます細くなり、急な坂を登ります。ただ目的地の寺院の看板が出ているので安心です。そして、本日の目的地に着きました。西国薬師第三十番霊場 醫王山 多禰寺(たねじ)の駐車場に10時15分に着きました。
この多禰寺を知ったきっかけは、令和6年度「第60回京都非公開文化財特別公開」において、奥京都10か所の寺院(福知山市、綾部市、舞鶴市、宮津市、京丹後市)の公開が京都古文化保存協会から発表されたのを見たからです。多禰寺の特別公開は11月14日~24日で、先輩の休みが火曜日でしたので、期間中の火曜日は19日(火)でしたが、私に所用があるので、特別公開が始まる前に来たわけです。先の安国寺の特別公開は、11月20日(水)~24日(日)でした。
京都府舞鶴市にある真言宗東寺派の寺院。山号は醫王山、本尊は薬師如来(薬師瑠璃光如来)。大浦半島の多禰山(標高556㍍)の中腹、海抜300㍍に位置する。この地に初めて仏教を伝えた飛鳥時代の聖徳太子の弟・麻呂子親王(まろこしんのう)から始まった由緒ある古刹。江戸時代の「多禰寺縁起」などによれば、用明天皇(第31代天皇)の第三皇子で聖徳太子の異母弟麻呂子親王(まろこしんのう)は、丹後の庶民を苦しめていた豪族(鬼賊)を「七仏薬師」の力で討ち、その加護に報いるため丹後の国に七カ所の寺を建て、「薬師瑠璃光如来」を安置したとされます。往時には七堂伽藍を誇り、山並みに映えたと云います。ただ、鎌倉・室町時代の戦乱で崩壊。かつての壮観さとは比べようがないものの、七仏薬師の信仰は厚く、今も目と耳にご利益のある仏として敬われ、慕われています。
車から降りると、先ずは展望所に行きました。京都府舞鶴市も霧が出ていたようですが、そろそろ晴れてきそうな感じでしたね。舞鶴湾は霧で少し煙っています。
展望所から先ずは「山門」に行きます。ちなみに本堂は右手に進むわけです。
「山門」です。ここのは鐘が真ん中に吊されている珍しい山門ですね。
100円を納めると撞けるようですが、やりません😊。
山門の仁王像を見ようと思ったら写真でした。あとで分かったことですが、仁王像は「宝物館」にあるそうです。
道路を横断しますが、多分滅多に車は通らないでしょう。この先に多禰寺の駐車場と展望所があります。
道路を横断すると、右手に「弁財天」があります。
石段を上がる手前に御詠歌が書かれた石碑がありました。
石段を上がると正面に「本堂」がありました。ここでバッタリお寺の方と出会し、御朱印と宝物館の拝観をお願いしました。
ここでは入山料が100円、御朱印代が300円、宝物館の拝観が500円でした。
「宝物館」の鍵を開けられ入りました。館内は撮影禁止です。入るとご住職が説明されているテープを流されます。お寺の方は事務所に戻られました。
入って先ず驚いたのは、金剛力士像の巨大なことです。テープは2人で聞きました。
金剛力士像(吽形・阿形)から、鎌倉時代の慶派の作とされ、像高約3.6㍍。東大寺南大門、京都・清水寺仁王門の仁王像に次ぎ、日本で三番目の大きさという。
中央に鎌倉時代の不動明王が睨みをきかせ、右手に平安時代作の「普賢菩薩騎象像」、左に室町時代作の「大日如来」を安置。さらに左に奈良時代の「聖観音菩薩立像」が安置されてました。そして堂内に入って右手のガラス戸の中には、「五大明王」の掛け軸と「阿字」の掛け軸がありました。また、向かって左のガラス戸には「般若十六菩神」の掛け軸と「阿弥陀来迎図」の掛け軸がありました。テープを最後まで聞き、ここを出ました。
1824年(文政7年)に再建の「本堂」には本尊「薬師如来坐像」が安置されてますが、秘仏だそうです。今回の京都非公開文化財特別公開では見られるみたいですね。また堂内には、創建時のものとされる「はぎの柱」もあるそうです。
堂内には入れませんでしたが本堂前には、彫物師として活躍した中井権次一統の六代目正貞作の龍や象の彫刻は見られました。
本堂の奥にも行ってみました。もっとも奥には「観音堂」がありました。扁額には観音堂とは書いて無かったですね。
鳥居の奥には行ってませんが境内図で「熊野権現」「稲荷明神」と分かりました。あの石段を登るのは止めておきます。
こちらは扁額には「地蔵堂」と書いてありましたが、境内図では「六地蔵」でした。
このあと、寺務所に行き朱印帳を受取りました。安国寺で貰い損ねたので良かったです。
先輩がお寺の方と話しが弾んでいたので、私だけ降りました。ここの紅葉も色づきが進んでいます。
10時38分に「展望所」に戻って舞鶴湾を見てみると、随分霧が晴れました。眼下の舞鶴湾には、二羽のツルをイメージした優雅なクレインブリッジが見えました。もっと晴れたら美しい舞鶴湾が見えたでしょう。
この方向から車で登ったきたことになります。
多禰寺の奥にも、まだまだ道路は続いているようです。ただ、私らがいる間に車は1台も通ってません😊。
10時42分に、ここを出ました。帰りはずっと下りです。舞鶴引揚記念館の前を通り、鹿原交差点から国道27号にでて、東に向かいました。
この多禰寺を知ったきっかけは、令和6年度「第60回京都非公開文化財特別公開」において、奥京都10か所の寺院(福知山市、綾部市、舞鶴市、宮津市、京丹後市)の公開が京都古文化保存協会から発表されたのを見たからです。多禰寺の特別公開は11月14日~24日で、先輩の休みが火曜日でしたので、期間中の火曜日は19日(火)でしたが、私に所用があるので、特別公開が始まる前に来たわけです。先の安国寺の特別公開は、11月20日(水)~24日(日)でした。
京都府舞鶴市にある真言宗東寺派の寺院。山号は醫王山、本尊は薬師如来(薬師瑠璃光如来)。大浦半島の多禰山(標高556㍍)の中腹、海抜300㍍に位置する。この地に初めて仏教を伝えた飛鳥時代の聖徳太子の弟・麻呂子親王(まろこしんのう)から始まった由緒ある古刹。江戸時代の「多禰寺縁起」などによれば、用明天皇(第31代天皇)の第三皇子で聖徳太子の異母弟麻呂子親王(まろこしんのう)は、丹後の庶民を苦しめていた豪族(鬼賊)を「七仏薬師」の力で討ち、その加護に報いるため丹後の国に七カ所の寺を建て、「薬師瑠璃光如来」を安置したとされます。往時には七堂伽藍を誇り、山並みに映えたと云います。ただ、鎌倉・室町時代の戦乱で崩壊。かつての壮観さとは比べようがないものの、七仏薬師の信仰は厚く、今も目と耳にご利益のある仏として敬われ、慕われています。
車から降りると、先ずは展望所に行きました。京都府舞鶴市も霧が出ていたようですが、そろそろ晴れてきそうな感じでしたね。舞鶴湾は霧で少し煙っています。
展望所から先ずは「山門」に行きます。ちなみに本堂は右手に進むわけです。
「山門」です。ここのは鐘が真ん中に吊されている珍しい山門ですね。
100円を納めると撞けるようですが、やりません😊。
山門の仁王像を見ようと思ったら写真でした。あとで分かったことですが、仁王像は「宝物館」にあるそうです。
道路を横断しますが、多分滅多に車は通らないでしょう。この先に多禰寺の駐車場と展望所があります。
道路を横断すると、右手に「弁財天」があります。
石段を上がる手前に御詠歌が書かれた石碑がありました。
石段を上がると正面に「本堂」がありました。ここでバッタリお寺の方と出会し、御朱印と宝物館の拝観をお願いしました。
ここでは入山料が100円、御朱印代が300円、宝物館の拝観が500円でした。
「宝物館」の鍵を開けられ入りました。館内は撮影禁止です。入るとご住職が説明されているテープを流されます。お寺の方は事務所に戻られました。
入って先ず驚いたのは、金剛力士像の巨大なことです。テープは2人で聞きました。
金剛力士像(吽形・阿形)から、鎌倉時代の慶派の作とされ、像高約3.6㍍。東大寺南大門、京都・清水寺仁王門の仁王像に次ぎ、日本で三番目の大きさという。
中央に鎌倉時代の不動明王が睨みをきかせ、右手に平安時代作の「普賢菩薩騎象像」、左に室町時代作の「大日如来」を安置。さらに左に奈良時代の「聖観音菩薩立像」が安置されてました。そして堂内に入って右手のガラス戸の中には、「五大明王」の掛け軸と「阿字」の掛け軸がありました。また、向かって左のガラス戸には「般若十六菩神」の掛け軸と「阿弥陀来迎図」の掛け軸がありました。テープを最後まで聞き、ここを出ました。
1824年(文政7年)に再建の「本堂」には本尊「薬師如来坐像」が安置されてますが、秘仏だそうです。今回の京都非公開文化財特別公開では見られるみたいですね。また堂内には、創建時のものとされる「はぎの柱」もあるそうです。
堂内には入れませんでしたが本堂前には、彫物師として活躍した中井権次一統の六代目正貞作の龍や象の彫刻は見られました。
本堂の奥にも行ってみました。もっとも奥には「観音堂」がありました。扁額には観音堂とは書いて無かったですね。
鳥居の奥には行ってませんが境内図で「熊野権現」「稲荷明神」と分かりました。あの石段を登るのは止めておきます。
こちらは扁額には「地蔵堂」と書いてありましたが、境内図では「六地蔵」でした。
このあと、寺務所に行き朱印帳を受取りました。安国寺で貰い損ねたので良かったです。
先輩がお寺の方と話しが弾んでいたので、私だけ降りました。ここの紅葉も色づきが進んでいます。
10時38分に「展望所」に戻って舞鶴湾を見てみると、随分霧が晴れました。眼下の舞鶴湾には、二羽のツルをイメージした優雅なクレインブリッジが見えました。もっと晴れたら美しい舞鶴湾が見えたでしょう。
この方向から車で登ったきたことになります。
多禰寺の奥にも、まだまだ道路は続いているようです。ただ、私らがいる間に車は1台も通ってません😊。
10時42分に、ここを出ました。帰りはずっと下りです。舞鶴引揚記念館の前を通り、鹿原交差点から国道27号にでて、東に向かいました。
この記事へのコメント
多禰寺は舞鶴のお寺さんでしたか。
こんな古刹があるなんて、丹後地方も
奥が深いんですね。伝説に彩られてる点も、
歴史の古い仏さんが残ってる事も、
さすがだなと感心しました。展望所からの
眺めがまた素晴らしい。舞鶴湾が
こんな風に見渡せるなんて凄いですね。
私も多禰寺は知らなかったです。知るきっかけになったのは、この秋に京都北部10カ寺の特別公開を発表されたなかに、多禰寺が含まれていたから。
特別公開には都合で行く機会が無いので、先輩を誘って行ってきました。ここは常時拝観はしています。ただ本堂内に入れなかっただけ。宝物館や御朱印もいただけて、また霧に煙る綾部市、舞鶴市を見られてのは良かったです。