北嵯峨にある隠れ紅葉の名所 浄土宗 祥鳳山 直指庵へ
京都の北嵯峨にある紅葉の名所「浄土宗 祥鳳山 直指庵」は、コロナ禍前までは常時拝観されてました。コロナ禍が開けてからは、秋の紅葉の時期に特別公開されるようになり、その期間以外は閉門されています。過去直指庵には、紅葉の時期に2003年(平成15年)11月24日と2005年(平成17年)11月25日に、それ以外は2010年(平成22年)5月4日に来てました。
令和6年度特別拝観は、11月23日(土)~12月1日(日)まで。拝観料500円でした。
そして、大覚寺 大沢池を出て次に向かったのが、紅葉の時期では2005年(平成17年)11月25日以来、19年振りの訪問です。それで、本日行く前に、昔の写真を見て復習?して来ました。何故、足が遠のいたか?。理由は、交通の便です。大覚寺のバス停から歩いて20分弱。歩きの早い人なら15分ぐらいでしょう。JR嵯峨嵐山駅からは30分ぐらいかかります。直指庵には駐車場が無いので車で行くのは無理。タクシーを利用しても帰りは歩くことになりますね。
大覚寺 大沢池の「北門」を9時34分に出て、直指庵に向けて歩き始めました。計画では9時40分頃と思っていたので、少し早いかなぁと😊。
大覚寺境内の西側の道路を北に向いて歩き、そのあと東に向いて歩くと、先程まで居た大覚寺 大沢池の「心経宝塔」が見えました。

次に、北に向かって歩いて行きます。ここから基本、真っ直ぐに歩けば直指庵には着きます。先ず迷うことはないでしょう。
ここまで来ると、「直指庵」の案内が出ているので、安心です。ここから少し登って行きます。少しだけですが。
9時50分頃に着きました。タクシーで来られた方も居るようで、山門前にはタクシーも止まっています。5組ぐらいが待ってました。私が息を切らして着いた頃に、開門されました。
そして9時52分頃受付開始されました。拝観料500円。御朱印は2種あって、それぞれいただいたので、700円。合わせて1200円納めました。そして、2010年(平成22年)5月4日以来の境内に入ります。
すっかり忘れていたと言うより、長い間来て無かったので、拝観受付所の位置も変わってました。私は前の人について奥に進みます。
直指庵は、祥鳳山(しょうおうざん)と号する浄土宗の寺である。もとは黄檗宗に属し、1646年(正保3年)日本黄檗宗の開祖隠元(いんげん)禅師の法燈を継ぐ独照(どくしょう)禅師が、この地に没蹤(ぼっしょう)庵という一宇の草庵を営んだのが起りと伝える。以後、諸堂が整えられ大寺となったが、禅宗の「直指人心」の教えに従って寺名を直指庵と称し、寺名を定めなかったという。その後、次第に寺は荒廃したが、幕末の頃、近衛家の老女村岡局(むらおかのつぼね)によって再興された。局は、近衛忠熈(このえただひろ)に仕え、勤王の志士達と近衛家及びその他の公卿との連絡にあたっていたが、安政の大獄に連座し、江戸に送られた。後、許されて帰洛し、嵯峨のこの地に隠栖し、付近の子女の教育に努めた。本堂北の竹林の中に局の墓がある。諸堂は、1880年(明治13年)に焼失したが、有志の人々の手によって1899年(明治32年)再建された。本堂には、本尊阿弥陀如来像を安置し、開山堂には、独照禅師の本像を祀る円塔がある。




私は真っ先に「本堂」を目指しました。何故か、私の前に行かれた方が素通りされて・・・?。

2005年(平成17年)11月25日の写真を見ると、紅葉が散り始めてましたが、今年は紅葉が遅れています。見頃で間違いないでしょうけど、私は綺麗だと思います。

本堂から紅葉を見ています。下に19年前の同月・同日の写真と比較してみました。
2005年(平成17年)11月25日の写真です。同じ所から撮った写真と比べて随分温暖化が進んだようで、この時、紅葉が散り始めてました。

こちらは「茶席」と書いてありますが、今年は無かったです。以前はあったかどうか分かりません。
ここで、ご本尊の「阿弥陀如来坐像」が中央に安置され、あと知恵の「文殊菩薩」、右手には、あらゆる願いをかける「地蔵菩薩像」が安置されていたので、お参りさせて貰いました。


本堂にはお一人だけ来られただけで、ほぼ私一人でした。本堂を出ると、赤に色づいたモミジが綺麗でした。
玄関を出て、先程写真を撮っていた「本堂」を見ています。
その先に「愛逢い地蔵」がありました。先にいただいた御朱印のデザインでしたね。
その右手には「二河白道の庭」があります。ただ、どうしても今日は紅葉に目が行ってしまいます😊。




この池には案内があって、モリアオガエル(天然記念物)が、初夏から夏にかけて、池の周囲の樹木に白い泡状の卵を産み付けるようです。


記憶が無かったけど、この先に行ってみます。ここは「待合」と書いてありました。

こちらは「水子地蔵尊」が祀られています。背後に「想い出草観音像」があるようですが・・・?。


そして、こちらが「津崎村岡局の墓」です。大覚寺 大沢池には顕著碑、嵐山 亀山公園には胸像があります。
津崎矩子(つざきのりこ)は1786年(天明6年)嵯峨に生まれ、父は津崎左京。近衛忠煕に仕え村岡局(むらおかのつぼね)と名乗る。1853年(嘉永6年)ペリーの来航とともに幕末の政局は俄に慌ただしくなり、近衛卿は尊王攘夷派の公家として頭角を現した。局は、僧月照(げっしょう)や水戸の鵜飼吉左衛門(うがいきちざえもん)らと親交を持ち、志士相互及び志士と公家との連絡に当たり、特に、近衛卿や西郷隆盛らの運動を助け活躍した。このため、1858年(安政5年)、井伊直弼による「安政の大獄」が起こると、局も捕えられて江戸に送られ、永の慎に処せられた。その後、近衛家を辞して北嵯峨の直指庵に隠居、付近の子女の教育に尽くした。村岡局は維新の女傑といわれているが、晩年は子女の教育に尽くし嵯峨庶民の慈母でもあった。1873年(明治6年)に88才で没した。
次に、この石段を上がります。この時、まったく覚えてませんでしたが、2010年(平成22年)5月4日の写真を確認すると行ってました😊。


上がった先にあったのは「開山堂」です。この日の扉は閉まってますが、2010年(平成22年)5月4日の時は開いてました。
直指庵を開いた独照性円(どくしょうしょうえん)禅師の墓所。宝形造りの堂の中央に墓を示す大円塔がある。堂前の巨石は独照自らが「出でて吾が塔を護る・・・」と序した亀石である。




開山堂周りの狭いので、早々に降りました。次は記憶にあった「書院」に向かいます。
2010年(平成22年)5月4日には特別公開で内部に入りましたが、多分、公開されてない茅葺きの「阿弥陀堂」が見えて来ました。
特別公開時のみ入れる「阿弥陀堂」ですが、予想通り今日は入れません。

阿弥陀堂前の赤モミジ。猛暑の影響でしょうか、色がイマイチですね。







山門を入って、最初に左手を進みました。その先に本堂があったわけです。
そして拝観受付所がある「山門」まで戻ってきました。

私が出るのと入れ違いに1組来られました。それで少し待って山門を撮りました。参考までに10時12分に山門を出ました。


帰りは行きと同様に歩きです。最低でも大覚寺バス停までは歩く必要があります。常時拝観を止められたので、この日も空いてました。
再び10時27分に、大覚寺まで戻って来ました。山門から予定どおり15分で着きました。ここでバスに乗るか歩いて帰るか迷いましたが、膝は痛かったけど歩いて帰りました。
この日の最高気温は、前日より4℃高くて16.0℃まで上がったので、家に帰ると結構な汗をかきました。ただ直ぐに着替えないと体が冷えるから注意しましたが。直指庵も公開を延長されたら再訪はしたいです。可能性は低いですが😊。散りモミジも綺麗なんですけどね。
後日談。紅葉の見頃が遅れたので、12月1日(日)までを12月8日(日)に延長されました。
令和6年度特別拝観は、11月23日(土)~12月1日(日)まで。拝観料500円でした。
そして、大覚寺 大沢池を出て次に向かったのが、紅葉の時期では2005年(平成17年)11月25日以来、19年振りの訪問です。それで、本日行く前に、昔の写真を見て復習?して来ました。何故、足が遠のいたか?。理由は、交通の便です。大覚寺のバス停から歩いて20分弱。歩きの早い人なら15分ぐらいでしょう。JR嵯峨嵐山駅からは30分ぐらいかかります。直指庵には駐車場が無いので車で行くのは無理。タクシーを利用しても帰りは歩くことになりますね。
大覚寺 大沢池の「北門」を9時34分に出て、直指庵に向けて歩き始めました。計画では9時40分頃と思っていたので、少し早いかなぁと😊。




9時50分頃に着きました。タクシーで来られた方も居るようで、山門前にはタクシーも止まっています。5組ぐらいが待ってました。私が息を切らして着いた頃に、開門されました。


直指庵は、祥鳳山(しょうおうざん)と号する浄土宗の寺である。もとは黄檗宗に属し、1646年(正保3年)日本黄檗宗の開祖隠元(いんげん)禅師の法燈を継ぐ独照(どくしょう)禅師が、この地に没蹤(ぼっしょう)庵という一宇の草庵を営んだのが起りと伝える。以後、諸堂が整えられ大寺となったが、禅宗の「直指人心」の教えに従って寺名を直指庵と称し、寺名を定めなかったという。その後、次第に寺は荒廃したが、幕末の頃、近衛家の老女村岡局(むらおかのつぼね)によって再興された。局は、近衛忠熈(このえただひろ)に仕え、勤王の志士達と近衛家及びその他の公卿との連絡にあたっていたが、安政の大獄に連座し、江戸に送られた。後、許されて帰洛し、嵯峨のこの地に隠栖し、付近の子女の教育に努めた。本堂北の竹林の中に局の墓がある。諸堂は、1880年(明治13年)に焼失したが、有志の人々の手によって1899年(明治32年)再建された。本堂には、本尊阿弥陀如来像を安置し、開山堂には、独照禅師の本像を祀る円塔がある。
































津崎矩子(つざきのりこ)は1786年(天明6年)嵯峨に生まれ、父は津崎左京。近衛忠煕に仕え村岡局(むらおかのつぼね)と名乗る。1853年(嘉永6年)ペリーの来航とともに幕末の政局は俄に慌ただしくなり、近衛卿は尊王攘夷派の公家として頭角を現した。局は、僧月照(げっしょう)や水戸の鵜飼吉左衛門(うがいきちざえもん)らと親交を持ち、志士相互及び志士と公家との連絡に当たり、特に、近衛卿や西郷隆盛らの運動を助け活躍した。このため、1858年(安政5年)、井伊直弼による「安政の大獄」が起こると、局も捕えられて江戸に送られ、永の慎に処せられた。その後、近衛家を辞して北嵯峨の直指庵に隠居、付近の子女の教育に尽くした。村岡局は維新の女傑といわれているが、晩年は子女の教育に尽くし嵯峨庶民の慈母でもあった。1873年(明治6年)に88才で没した。




直指庵を開いた独照性円(どくしょうしょうえん)禅師の墓所。宝形造りの堂の中央に墓を示す大円塔がある。堂前の巨石は独照自らが「出でて吾が塔を護る・・・」と序した亀石である。
























この日の最高気温は、前日より4℃高くて16.0℃まで上がったので、家に帰ると結構な汗をかきました。ただ直ぐに着替えないと体が冷えるから注意しましたが。直指庵も公開を延長されたら再訪はしたいです。可能性は低いですが😊。散りモミジも綺麗なんですけどね。
後日談。紅葉の見頃が遅れたので、12月1日(日)までを12月8日(日)に延長されました。
この記事へのコメント
タイトルのとおり北嵯峨の直指庵は、紅葉が綺麗ですね。黄色、オレンジ、
真っ赤に染まった木々の葉が青空をバックに映え、最高の紅葉狩りだった
かと思います。2024年の紅葉散策シリーズに入れて良かったですね~。
遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
直指庵も以前は通常拝観されてましたが、今は特別公開の期間しかはいれません。それで人気があるのでしょう、多くの方が来られてました。
ただ、紅葉の色は早かったのかイマイチでしたが、それで、公開も一週間延長されましたので再訪考えましたが、行けなかったです。
やっぱり交通の便が悪いから。