藤原定家の小倉山荘跡と伝わる跡地に建つ常寂光寺の紅葉
12月13日(金)の天気予報では、翌日から強い寒波が降りてきて、14日(土)や15日(日)には平地でも雪が舞うかもと言ってます。13日(金)の朝は冷え込んで、最低気温は今季最低の2.8℃も下がりました。明日、明後日はもっと下がるかもです。そんな寒い朝でしたが多分、最後の紅葉を見に、嵯峨野では紅葉の名所で知られている常寂光寺へ行ってきました。
11日に祇王寺と宝筐院の紅葉を見に行き、もう紅葉を見るのも無理かなぁ・・・と思ってましたが紅葉情報では、東福寺や永観堂、そして常寂光寺には、まだ見頃と出てました。ここ最近の冷え込みで、落葉が進んでいるかと思いましたが、この13日(金)しか行ける日が無かったので、とりあえず行ってみることにしたわけです。結果は後程😊。
用事があったので、少し早く出てので、遠回りして常寂光寺に向かいました。こちらの写真は落柿舎前から撮りました。
その落柿舎前から常寂光寺の方向を見ています。
8時56分に「山門」前に着くと、ちょうど開門されました。待たずに済みましたね、それに誰も並んでなくて良かっです。
紅葉最盛期なら、最低でも30名ぐらいは開門前に行列ができまが、誰も居ないとは・・・山門入って直ぐの「拝観受付所」で拝観料500円を納め、境内へ。

入って直ぐの「仁王門」を撮りました。散り始めてましたが、まだまだ綺麗です。

まもなく見納めになる紅葉と「仁王門」をセットで撮れました😊。帰る頃には人が多かったので、この時だけでしたね。
仁王門をくぐって、先に本堂にむかいます。こちらの「末吉坂」は帰りに下って行くつもりです。
仁王門から山門を見ています。まだ後続の人は来られてないようです。これから本堂へ。
本堂に向かう石段を登ります。けっこう急な石段です。

石段を登り切って「仁王門」を撮りました。ここは撮影スポットで、帰る頃は多くの方が写真撮られてました。
「本堂」は非公開で普段は入れません。11月16日(土)~27日(水)まで本堂の特別公開されていたようです。


本堂前にある「鐘楼」から、下を見ると綺麗な紅葉が広がっています。こちらは帰りに寄ることにして、先に展望台まで行ってみます。
本堂前に展望所がありますが、ここより上の方が綺麗に見えます。その対面には「妙見堂」があって、1974年(昭和49年)に妙見堂本殿と拝殿の大改築がされたそうです。

妙見堂から常寂光寺の展望所まで登ります。その前に、本堂裏手の庭を見に寄りました。



この本堂の裏手には池がありますが、一面に散ったモミジが積もってて、水面が見えません。

次に展望所に登る前に、先に「竹林」に寄って行きます。


「竹林」にも紅葉が見られます。ただ、見頃は過ぎてました。竹林の参道は、ここまでです。


竹林の参道を進み、そこから引き返し本堂裏まで戻ります。
再び、苑路に戻り本堂裏の庭園を撮りました。散ったモミジが絨毯のようですね。

ここから、石段をどんどんどん登って行きます。けっこう、ここからきついです。


石段を登ると右手に多宝塔がありますが、再び「竹林」の参道を進みました。ただ直ぐに突き当たりますが。
帰りにも通る「多宝塔」に、ちょっとだけ寄りました。ただ、直ぐに登ります。

そして、再び急な石段を登ります。そこには展望所の他に・・・?。
頑張って登ると、そこには「歌仙祠(かせんし)」があります。1890年(明治23年)の建立です。内部には藤原定家、藤原家隆像が祀られており、扁額の「歌遷祠」は富岡鉄斎の筆によるものです。
その先にあるのが「時雨亭跡」の石碑が建っています。江戸時代の中頃まで、ここに時雨亭がありましたが、昭和初期の台風により倒壊したそうです。
そこから振り返ると「多宝塔」が見えます。ただ、木々があるので眺望はイマイチです。
休憩する暇もなく、最後の急な石段を登ります。展望所は、登った先にあります。
ここから下を見ると「歌遷祠」が、遠くに「比叡山」が見えています。ただ、ここは最後ではありません。
ここからは前途した「比叡山」と、視力が良かったら仁和寺の「五重塔」が見えます。老眼でも私は見えました😊。

そして、この石段が最後です。登り切ると、そこには「展望所」がありました。ここから京都市街の眺望を楽しみます。

ここからは「比叡山」を初め、「東山三十六峰」が望めます。今日は霞んでいるので、如意ヶ嶽の大の文字は分かりませんでした。
ここからは「清涼寺(嵯峨釈迦堂)」や「大覚寺」が見えます。大沢池や広沢池探したけどわかりません。広沢池は、この時期、池の水を抜かれるからかも。
ここから南を見ると、本当に小さな小さな「京都タワー」が見えました。
ここからは、あと下るだけです。滑らないように、ゆっくり下って行きました。



下ると、「多宝塔」の前に出て来ます。桃山時代建築の重要文化財建造物で、1620年(元和6年)、京都町衆によって寄進されました。内部に釈迦、多宝二仏を安置されていますが、通常非公開です。
多宝塔から「開山堂」に寄りました。2004年(平成16年)に、明石本立寺(ほんりゅうじ)野口僧正とその夫人によって建立されました。日禛上人坐像を安置しています。


開山堂から苑路を回り込んで、「多宝塔」の前に出てきました。ここからは登らずに下ります。
そこから見た本堂裏の庭園です。この時間になると人も増えてきました。

人も増えて来ましたが、本堂前まで戻って来ました。
本堂前を通って、鐘楼横から下ります。下りは「末吉坂」を通ります。

この辺りの紅葉は、まだまだ見頃です。散り始めてますが、凄く綺麗でした。

末吉坂から奥の参道から降りると、「女の碑」があります。碑には「女ひとり生きここに平和を希う」と書かれています。
その隣の碑には、第二次世界大戦では200万人という若者が犠牲になり、その若者たちと結ばれるはずの多くの女性が、戦後に独身のまま生きざるをえなかった・・・と書かれています。碑文揮毫は、当時の参議院議員市川房枝さんです。

ここの紅葉は綺麗です。散りモミジが絨毯のようになってますし紅葉の色も鮮やかで、遅いかなぁと思い来ましたが、来て見て良かったです。

こちらは「砂田明の碑」です。1928年(昭和3年)京都生まれの舞台俳優さんだそうで、常寂光寺の志縁廟への納骨を機に、砂田明を敬愛する人々の手によりこの記念碑が建立されました。



仁王門近くにある苑路なんでけど、本当に色が鮮やかで綺麗でした。





色鮮やかな紅葉を見ながら、最初の「仁王門」まで戻って来ました。



入った時、スルーした「仁王門」の「仁王像」を見ました。



9時30分頃、常寂光寺の「山門」から出て行きました。ここから皆さん、宝筐院や二尊院、祇王寺に行かれるのでしょう。
常寂光寺の紅葉を見に来たのは、「紅葉特別ライトアップ」を見に、2017年(平成29年)11月25日以来でした。昼間はもっと昔で、2012年(平成24年)11月24日以来です。
久しぶりの常寂光寺の紅葉を今日は楽しめましたし、今日は、ここだけで帰りました。
11日に祇王寺と宝筐院の紅葉を見に行き、もう紅葉を見るのも無理かなぁ・・・と思ってましたが紅葉情報では、東福寺や永観堂、そして常寂光寺には、まだ見頃と出てました。ここ最近の冷え込みで、落葉が進んでいるかと思いましたが、この13日(金)しか行ける日が無かったので、とりあえず行ってみることにしたわけです。結果は後程😊。






































































その隣の碑には、第二次世界大戦では200万人という若者が犠牲になり、その若者たちと結ばれるはずの多くの女性が、戦後に独身のまま生きざるをえなかった・・・と書かれています。碑文揮毫は、当時の参議院議員市川房枝さんです。























久しぶりの常寂光寺の紅葉を今日は楽しめましたし、今日は、ここだけで帰りました。
この記事へのコメント
苔や竹の葉の緑との対比が鮮やかです。
散り際のモミジの趣深い美しさを、
しみじみ感じさせてくれる気がしました。
昔の歌人だったら、こういう時期の紅葉こそ
ものの哀れを感じさせると言うんじゃ
無いでしょうか。12月中旬の京都旅行は
魅力的かも知れませんね。
この日の常寂光寺は紅葉のピークは過ぎていたので、開門後に行っても誰も居なかったですが、最盛期なら行列必至です。
見頃過ぎと思ってましたが、まだまだ綺麗でしたね。今年の紅葉はホント色づきが遅れました。
これも温暖化の影響なんでしょう。この先、紅葉も見られなくなるかも知れませんね。