奥嵯峨にある冬の化野念仏寺へ
12月25日(水)はクリスマス。クリスマス寒波と言われる今季最強寒波が南下してましたが、25日(水)はその寒波も緩み、北部も久しぶりに晴れマークが出てました。西日本の各地は放射冷却が効いて大変冷え込みましたが京都市内は曇って、最低気温は3.0℃でした。関西各地の降水確率は0%でしたが、京都だけは10%となってました😊。この日から京都の小学校・中学校は冬休みに入ったので、子供たちもの姿も数名見かけるなか、私は奥嵯峨にある化野念仏寺に向かいました。
今日も清涼寺(嵯峨釈迦堂)に境内を横切ります。今朝は愛宕山は完全に雲に隠れて見えません。
清涼寺(嵯峨釈迦堂)に西門を出て、愛宕街道を登って行きます。この写真を左手に行くと祇王寺があります。今日は愛宕山を緩やかに登ります。
愛宕街道を歩いて行くと、前方に「博物館 京都さがの 人形の家」が見えて来ました。冬期は休館中です。前方の集団は二尊院からずっと前を歩いている外国人観光客です。
こちらは今年の8月18日(日)に訪れた「後龜山天皇 嵯峨小倉陵」の入口になります。すっかり紅葉は落ちています。




8時57分に化野念仏寺「山門」下まで来ました。予想通り前方を歩いていた外国人観光客、先に門前に並んでいます。


少し石段を上がると、遠くに清滝街道が見えました。戦前の16年間だけ存在した愛宕山鉄道の線路跡に、現在車やバスが走っているわけです。
この「山門」は9時ちょうどに開門されました。開門されると自販機でチケットを購入し入ります。拝観料は500円でした。
化野念仏寺は、華西山東漸院(かさいざんとうぜんいん)と号する浄土宗の寺で、境内はに付近から出土した多数の石塔や石仏が建ち並んでいる。化野は古来より鳥辺野(とりべの)、蓮台野(れんだいの)とともに葬地として知られ、「誰とても とまるべきかは あだし野の 草の葉ごとに すがる白露」という西行の和歌にもあるように「化野の露」は、人生の無常の象徴として和歌などで広く使われている。寺伝によれば弘仁年間(810~824)に、弘法大師空海がこの地に葬られた人々を追善するため、小倉山寄りを金剛界、曼荼羅山寄りを胎蔵界と見立てて千体の石仏を埋め、中間を流れる曼荼羅川の河原に五智如来(ごちにょらい)の石仏を立て、一宇を建立して五智山如来寺と称したのが始まりといわれている。当初は真言宗であったが鎌倉時代の初期に法然の常念仏道場となり浄土宗に改められ、名も念仏寺と呼ばれるようになった。1712年(正徳2年)に黒田如水の外孫の寂道が再建したといわれている本堂には、本尊の阿弥陀如来坐像を安置されている、境内には西院(さい)の河原を現出した多数の石塔石仏が立ち並ぶ。なお、毎年8月最終の土曜・日曜日の両日には、これらの石塔石仏に灯を供える千灯供養が行われ、多くの参詣者で賑わう。

受付を済ませると、拝観ルートに沿って進みます。
入ると左手に進み、綺麗な苔庭を見ながら進みます。こちらは「虫塚」ですね。

その奥にある石碑には「念仏寺 都忘れの 淡さかな」(三魚)と書いてありました。
この石碑の裏手に、「吐夢(とむ)地蔵菩薩像」と「観音菩薩像」が安置されてました。振り返らなかったので、撮り損ねました。
次に案内に従って、向こうに見えている「仏舎利塔」に向かいます。
「仏舎利塔」は納骨堂のことで、この謂われについては「塔門(トラーナ)」の横の「碑文」に書いてあります。
一周すると、元の所に出ます。前途した「吐夢(とむ)地蔵菩薩像」と「観音菩薩像」が小さく写ってました。
次に順路に従って奥に進みます。

仏舎利塔から参拝順路の正面が本堂です。ここの手前には「お迎え地蔵」が祀られていました。


右手に「西院(さい)の河原」がありますが、こちらは帰りに寄ります。空いている間に竹林へと向かいます。



外国人観光客が来る前に「竹林の小経」まで、いち早く来ました。この時、9時3分でした。ただ、墓参りに来られていた檀家さんが降りて来られ、少し待つことに。




外国人観光客は、多分ここが目的なんでしょう。この時間では誰も来られてません。


竹林を抜けると、そこには「六面六体地蔵」があります。地獄・飢餓・畜生・修羅・人道・天道の6つの世界を六道といいます。


この六面六体地蔵は、それぞれに人々を救われる姿を現したものとされています。水を掛けてお参りすると罪を洗い流してくれるそうです。



「六面六体地蔵」から降りてくると、途中に予想通り海外の観光客が写真を撮ってました。やっぱり先に行ってて正解でした😊。


竹林から降りてきて、水子地蔵の前に石碑があるのを見つけました。「秋思深し 菩薩になれぬ仏たち」(一会)と書いてあります。

奥に見えている「水子地蔵」は撮影禁止と書いてあり撮りません。




遅くなりましたが「本堂」でお参りです。堂内には上がれませんが、明るいで充分見えました。
堂内の中央にご本尊「阿弥陀如来像」(鎌倉時代、湛慶作)が、その左右には「法然上人像」と「善導大師像」が祀られています。また、左の脇壇には「十一面観音像」、右の脇壇には「阿弥陀如来像」が祀られています。


本堂から次に「地蔵堂」に寄りました。この地蔵堂には藤原孚石画家の「地獄極楽絵図」が描かれています。
また「本堂」前に移動して、大きな石碑の文字を読みました。「東漸大師 咒所」と書かれています。
東漸大師とは、1711年(宝永8年)に「法然500回遠忌」に 法然上人が中御門天皇(第114代天皇)より 加諡された大師号のこと。あだし野念仏寺の正式名称である「華西山 東漸院念仏寺」のことですね。咒を調べると、「呪い」「呪文」「まじない」とありました。


「西院(さい)の河原」の入口です。入ると撮影が出来ません。何か撮影できないような雰囲気ありますね。その入口にある「茶沸かしの鐘」です。毎朝11時30分に鳴らしていて、周辺の地に時間を知らせると書いてありました。
久しぶりに来たので「寺務所」で、御朱印を書いて貰いました。
「無縁佛の浄土」と書いてあります。化野には古くから風葬の地として有名で、多くの無縁仏が埋葬されましたが何百年という歳月を経て無縁仏と化しました。そのような数多の無縁となった石仏・石塔を西院の河原に祀り供養されています。



見たところ、海外の方は一組だけ「西院(さい)の河原」に入って行かれました。殆どの方は、まだ竹林が出て来られてません。
こちらは「天満宮」でしょう。神社名は石燈籠に刻まれた文字で確認できました。
こちらが出口です。真っ直ぐに進めば石段を降りることになります。



9時23分に出て来ました。振り返ると海外の方が1組、こちらに向かわれていました。





9時25分に石段下まで降りてきました。海外の方は多分、愛宕念仏寺に行かれたようです。私は、ここから下って帰ります。

帰りも「愛宕街道」を下りました。出会った人は、殆ど海外からの観光客でした😊。
帰りも清涼寺(嵯峨釈迦堂)の境内を横切りました。9時46分に「仁王門」から出て行きました。
近くの嵯峨豆腐の名店「森嘉」も定休日のため、今日はここから真っ直ぐ寄り道せず帰りました。













化野念仏寺は、華西山東漸院(かさいざんとうぜんいん)と号する浄土宗の寺で、境内はに付近から出土した多数の石塔や石仏が建ち並んでいる。化野は古来より鳥辺野(とりべの)、蓮台野(れんだいの)とともに葬地として知られ、「誰とても とまるべきかは あだし野の 草の葉ごとに すがる白露」という西行の和歌にもあるように「化野の露」は、人生の無常の象徴として和歌などで広く使われている。寺伝によれば弘仁年間(810~824)に、弘法大師空海がこの地に葬られた人々を追善するため、小倉山寄りを金剛界、曼荼羅山寄りを胎蔵界と見立てて千体の石仏を埋め、中間を流れる曼荼羅川の河原に五智如来(ごちにょらい)の石仏を立て、一宇を建立して五智山如来寺と称したのが始まりといわれている。当初は真言宗であったが鎌倉時代の初期に法然の常念仏道場となり浄土宗に改められ、名も念仏寺と呼ばれるようになった。1712年(正徳2年)に黒田如水の外孫の寂道が再建したといわれている本堂には、本尊の阿弥陀如来坐像を安置されている、境内には西院(さい)の河原を現出した多数の石塔石仏が立ち並ぶ。なお、毎年8月最終の土曜・日曜日の両日には、これらの石塔石仏に灯を供える千灯供養が行われ、多くの参詣者で賑わう。





この石碑の裏手に、「吐夢(とむ)地蔵菩薩像」と「観音菩薩像」が安置されてました。振り返らなかったので、撮り損ねました。






































堂内の中央にご本尊「阿弥陀如来像」(鎌倉時代、湛慶作)が、その左右には「法然上人像」と「善導大師像」が祀られています。また、左の脇壇には「十一面観音像」、右の脇壇には「阿弥陀如来像」が祀られています。




東漸大師とは、1711年(宝永8年)に「法然500回遠忌」に 法然上人が中御門天皇(第114代天皇)より 加諡された大師号のこと。あだし野念仏寺の正式名称である「華西山 東漸院念仏寺」のことですね。咒を調べると、「呪い」「呪文」「まじない」とありました。




「無縁佛の浄土」と書いてあります。化野には古くから風葬の地として有名で、多くの無縁仏が埋葬されましたが何百年という歳月を経て無縁仏と化しました。そのような数多の無縁となった石仏・石塔を西院の河原に祀り供養されています。



















近くの嵯峨豆腐の名店「森嘉」も定休日のため、今日はここから真っ直ぐ寄り道せず帰りました。
この記事へのコメント
紅葉の時期で非常に混んでいた記憶があります。
それが、クリスマスの朝はこんな静寂の風景が堪能できるのですか。
人のほぼいないこの辺りの様子に驚きを禁じえません。
本来なら竹林の小経も観光客でごった返していますよね。
静かな石仏や石塔、西院の河原の風景に神々しさを感じます。
以前は空いていた奥嵯峨も、愛宕念仏寺や化野念仏寺、祇王寺が外国人観光客に人気で、いつ行っても海外の方が来られます。
「化野」も平安時代以来風葬の地であったようです。今は賑やかな東山の清水寺~大谷本廟付近の「鳥辺野(とりべの)」、そして船岡山西側の「蓮台野(紫野)」が三大葬送地だったようです。