令和七年新春特別御朱印「雪と黒猫」を貰いに世界文化遺産 仁和寺へ
ようやく私の旅日記は年が明けて、2025年・令和7年となりました。昨年の紅葉が記録的に紅葉が遅くなって、紅葉見学が12月の中旬まで見頃が続いたから仕方なかったです。
さて、1月1日(水・祝)の元旦です。この日は朝から快晴の天気で、そのため朝は冷え込みました。最低気温は1.9℃しかありません。日中は平年より気温が上がると出てましたが、さすがに出掛けるときは大変寒かった元旦の朝でしたね。
いつもは、六波羅蜜寺に初詣行ってますが、親の介護もあるので、行けそうなのは3日(金)しかありません。それで、私はだけ世界文化遺産 真言宗御室派総本山 仁和寺に行くことにし、嵐電に乗って御室仁和寺駅まで向かうことにしました。
嵐電「御室仁和寺駅」を降りて、正面に仁和寺の「二王門」を見ています。
今年の元旦は、好天気に恵まれました。青空に雄大な「二王門」(重文)が映えます。
信号のある「きぬかけの路」を渡り、「二王門」に入りました。


この時、8時36分でした。元旦のこの日来たのは、今日から授与される御朱印をいただくためです。納経所は9時から開くので時間は、たっぷりあります。それで「仁王像」を久しぶりに見に来たわけです。
元旦の早朝ですが、数名は参拝に来られています。
御殿拝観受付所前には、今日から授与される御朱印がありました。
拝観受付所は閉まっています。こちらは「勅使門」です。今日は御殿には入りません。


重要文化財に指定されている「中門」です。最近見た映画・・・タイトルは忘れましたが、この中門使われていました。
参道の正面には「金堂」がありますが、時間があるので先に、「五重塔」(重文)を見に行きます。



1月10日(金)から「京の冬の旅」で、五重塔の初層が公開予定です。その準備は出来てるようです。
ここの五重塔の初層は、狭いので多分、内部には入れません。四方の扉が開けられ内部を見ることができます。そのため、外から見えないようにカバーをされるかと思います😊。
この先に金堂に通じる参道に出られますが、まだ向かいません。
次に、仁和寺を守護する社である「九所明神」に行きます。
鳥居をくぐると正面に「拝殿」があります。

拝殿の横を通って、次に重要文化財に指定されている「本殿」に参拝です。


本殿前燈籠は「織部灯籠」で、寛永期の建立されたものと伝わります。中殿に八幡三所、東側の左殿には中央から賀茂下上・日吉・牛頭(こず、祇園)・稲荷(以下左方五所)、西側の右殿には同じく松尾・平野・小日吉・木野嶋(以下右方四所)、計9座の神々を祀っています。


「九所明神」から、そのまま北に進み「経蔵」(重文)の前に出て来ました。
先程の「五重塔」と同様に、1月10日(金)から始まる「京の冬の旅」で、内部が公開されます。多分、行くつもりにしてますが。

8時49分に国宝「金堂」にお参りしました。
納経所は9時からですが、金堂前の納経所を見ると、既に5名程度の行列ができてました。私は並ばずに、まだお参りをつづけます。

この仁和寺に来たら必ずにお参りに寄る「水掛不動尊(一願不動尊)」に寄って行きます。


ここでは柄杓に水を掬って不動明王に祈願します。また、菅原道真公が、腰を掛けて休憩したと伝わる「菅公腰掛石」も見られます。

次にお隣の「御影堂」にも寄りました。ここの内々陣に、「仁和寺第2世門跡 性信親王像」、「弘法大師像」、「仁和寺第1世 寛平法皇(宇多法皇)像」が祀られています。それでお参りに来ました。

お参りを済ませると、早々に南門から出て行きました。そして次に「観音堂」に寄ります。
非公開の「観音堂」です。ご本尊は千手観世音菩薩立像。他、両脇に脇侍の不動明王立像と隆三世明王立像が、その左右に二十八部衆立像、そして内陣の両脇には風神雷神像が祀られてて、全三十三体が祀られています。
9時2分に金堂前の納経所に行くと、行列は解消されてました。ただ、朱印帳に書いて貰うに、何冊か貯まっていたようで、「少し時間をいただきます」と。

それで、また再び境内を散策することとなりました。それで、2度目の金堂前で参拝しました。
境内をウロウロして、9時10分頃に戻ると、私の朱印帳ができてました。この日の1月1日の文字を入れて欲しかったから朱印帳持参してきました。
令和七年新春特別御朱印「雪と黒猫」です。人気があるみたいで、皆さん購入されてました。
888年(仁和4年)、父で先帝の光孝天皇(第58代天皇)の意思を継いで、ここ仁和寺を創建された宇多天皇(第59代天皇)。その宇多天皇(うだてんのう)が記した日記『 寛平御記』(かんぴょうぎょき)に、即位前に父親から黒猫を賜ったことが書かれており内容は黒猫のサイズや特徴、毎朝乳粥を与えて可愛がる様子が分かり「その毛色は類まれで、他の猫はどこかぼやけた灰黒色なのに比べうちの猫だけは墨のような漆黒の毛色で美しい」や「歩くときは音もなく、まるで雲上の黒い竜のようだ」などといった溺愛ぶりが書かれており、現代の「猫ブログ」に通じる日本で最古のペット日記だとも言われています。この日記が書かれたのが889年(仁和5年)2月頃。つまり仁和寺が創建され後も黒猫は宇多天皇と共にいた史実に基づいて【黒猫御朱印】が生まれました。
金堂のご本尊「阿弥陀如来」と書いて貰いました。





9時15分頃に「二王門」を出て、帰りは市バスに乗って帰りました。帰る頃には、そこそこの人が初詣に来られてました。
帰りのバスもガラガラでした。いつも正月は六波羅蜜寺に行ってましたが、今年は都合で1月3日に行く予定にしています。この模様は既にアップ済みです😊。
さて、1月1日(水・祝)の元旦です。この日は朝から快晴の天気で、そのため朝は冷え込みました。最低気温は1.9℃しかありません。日中は平年より気温が上がると出てましたが、さすがに出掛けるときは大変寒かった元旦の朝でしたね。
いつもは、六波羅蜜寺に初詣行ってますが、親の介護もあるので、行けそうなのは3日(金)しかありません。それで、私はだけ世界文化遺産 真言宗御室派総本山 仁和寺に行くことにし、嵐電に乗って御室仁和寺駅まで向かうことにしました。

















ここの五重塔の初層は、狭いので多分、内部には入れません。四方の扉が開けられ内部を見ることができます。そのため、外から見えないようにカバーをされるかと思います😊。














納経所は9時からですが、金堂前の納経所を見ると、既に5名程度の行列ができてました。私は並ばずに、まだお参りをつづけます。













境内をウロウロして、9時10分頃に戻ると、私の朱印帳ができてました。この日の1月1日の文字を入れて欲しかったから朱印帳持参してきました。

888年(仁和4年)、父で先帝の光孝天皇(第58代天皇)の意思を継いで、ここ仁和寺を創建された宇多天皇(第59代天皇)。その宇多天皇(うだてんのう)が記した日記『 寛平御記』(かんぴょうぎょき)に、即位前に父親から黒猫を賜ったことが書かれており内容は黒猫のサイズや特徴、毎朝乳粥を与えて可愛がる様子が分かり「その毛色は類まれで、他の猫はどこかぼやけた灰黒色なのに比べうちの猫だけは墨のような漆黒の毛色で美しい」や「歩くときは音もなく、まるで雲上の黒い竜のようだ」などといった溺愛ぶりが書かれており、現代の「猫ブログ」に通じる日本で最古のペット日記だとも言われています。この日記が書かれたのが889年(仁和5年)2月頃。つまり仁和寺が創建され後も黒猫は宇多天皇と共にいた史実に基づいて【黒猫御朱印】が生まれました。
金堂のご本尊「阿弥陀如来」と書いて貰いました。






帰りのバスもガラガラでした。いつも正月は六波羅蜜寺に行ってましたが、今年は都合で1月3日に行く予定にしています。この模様は既にアップ済みです😊。
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