「京都十六社朱印めぐり」長岡天満宮へ
1月14日(火)の最低気温は0.2℃と、大変寒かったです。ただ、最高気温は10.5℃も上がったので、日中は過ごしやすかった・・・ただ、出掛けるときの寒さは堪えました。
この日は用事があったので、四条大宮から阪急に乗ります。10時18分発の大阪梅田行き準急に乗り、桂で大阪梅田行き特急に乗り換えです。10時25分に着いて、10時28分発のに乗りました。そして目的地の長岡天神に10時32分に着きました。電車は空いているとは言いがたいですが、ともに座ることが出来ました。
長岡天神で降りると、向かうのは一つしかありません。「京都十六社朱印めぐり」の長岡天満宮まで歩いて向かいます。寒いこともあって、ゆっくり歩いて行きました。
この「京都十六社朱印めぐり」で、唯一京都市以外にある長岡天満宮には、毎年この時期しか来てません。10時42分に「正面大鳥居」が見える所まで来ました。
信号を渡ると、毎年「大絵馬」を撮っているので、その1枚です。

階段を上がって、1998年(平成10年)に建立された「正面大鳥居」をくぐります。
長岡天満宮の入り口正面にそびえる、総御影石製の大鳥居は、1998年(平成10年)10月に建立された、近隣でも数少ない石の大鳥居です。総高9.75㍍、笠木 12㍍、総重量50㌧にもなります。

この鳥居をくぐると左右に「八条ヶ池」が広がっています。こちらは帰りに散策します。
この参道には「キリシマツツジ」が4月下旬に真紅の花を咲き誇りその様は壮大で、樹齢は約170年前後と推定されており、市の天然記念物に指定されています。




途中にある石造りの「石太鼓橋」から写真を撮りました。この石太鼓橋は加賀藩「前田候」の寄進と言われています。

「あと社殿まで150㍍」の看板を見て「一の鳥居」をくぐります。
一の鳥居を進むと角に、石鳥居の残骸があります。「旧二の鳥居跡」で、2018年(平成30年)9月2日に襲来した台風21号の強風により倒壊しました。

写真には写らないようにしてますが、今日は幼稚園児がお参りに来てました。そして2021年(令和3年)11月に建立された新しい石碑を通ります。

階段を上がって「三の鳥居」まで来ました。

最後の石段を登り「四の鳥居」をくぐりますす。
本殿前には、参拝の順番待ちをしている幼稚園児が多数います。それで先に「京都十六社朱印めぐり」の御朱印をいただきました。
今年も、いろどり御朱印をいただきました。原画は日本画かの丸山勉氏。
園児の隙間に「本殿」に行き参拝しました。御祭神は、学問の神様菅原道真公です。
山城国乙訓郡長岡の地は、昔桓武天皇(第50代天皇)が平城京より平安京に遷都になるまでの皇都長岡京の跡であり、長岡天満宮の御祭神菅原道真公が在原業平と共に、しばしば遊んで詩歌管絃を楽しまれ縁深いところです。道真公が太宰府に左遷させられた時この地にお立ち寄りになり「吾が魂、長くこの地に留まるべし」と名残を惜しまれた縁故によって公御自作の木像を祀ったのが、長岡天満宮の創立です。創立年月は不明ですが、応仁の乱で兵火に罹り社殿が消失し、1498年(明応7年)に再建したとの記録があります。以来、皇室の崇敬殊に厚く、1623年(元和9年)には八條宮の御領地となり、度々の御寄進・御造営・御殊遇をうけ、1638年(寛永15年)には、参道をはさんで南北にひろびろと広がり、西山の翆緑を映す八條ヶ池が築造されました。中堤の太鼓橋は加賀・前田候の寄進になると伝えられる名橋であり、両側には樹齢170余、高さ3㍍に達する「キリシマツツジ」が多数植えられており、新緑に映える真紅のキリシマの見事さは、まさに我が国随一のものと称されてます。正面朱塗りの拝殿は既存の拝殿を増改築し、1998年(平成10年)秋竣工しました。2011年(平成23年)に御本殿が京都府の有形文化財にまた、2012年(平成24年)に祝詞舎(弊殿)、透塀、手水舎(旧幣殿)等が長岡京市の有形文化財にそれぞれ指定されました。
本殿の前は、園児で混雑しているので早々に出て行きます。

帰りは「錦景苑」に寄って行きます。
ここは「白太夫社」(右)で、御祭神が渡会晴彦翁。そして「和泉殿社」(左)の御祭神が菅原定義卿でした。


紅葉庭園でしられる「錦景苑」です。2007年(平成19年)に境内に完成しました。庭園の中ほどに南北に延びる通称弁天池があって、石橋は2㌧もあるそうです。
苑内を下って行くと、「笠松地蔵」と呼ばれるお地蔵さんが二体祀られています。1974年(昭和49年)に池を改修した際に池の底から発見され、その後1977年(昭和52年)にもさらに一体が発見され祀られました。


今日は前途したとおり「八条ヶ池」を巡ります。
この八条ヶ池は1638年(寛永15年)には八条宮智忠親王によって築造されました灌漑用の溜め池です。外周は約1㌔、貯水量は約35000㌧あるといいます。

八条ヶ池には檜で作られた「水上橋」があり、そこからは池を中心として境内を一望できます。







長岡天満宮には、この時期には毎年来てますが、池の散策は久しぶりです。今日は天気も良いので池も綺麗に映えてます。







池に設けられた「六角舎」です。誰も居なかったので、ここで休憩させて貰いました。







11時5分に「正面大鳥居」まで戻って来ました。
ここから阪急長岡天神まで戻り、準急に乗って帰路につきました。「京都十六社朱印めぐり」も、京都市伏見区にある、残り2社となりました。明日が松の内ということで、明日残り2社を巡ります。
この日は用事があったので、四条大宮から阪急に乗ります。10時18分発の大阪梅田行き準急に乗り、桂で大阪梅田行き特急に乗り換えです。10時25分に着いて、10時28分発のに乗りました。そして目的地の長岡天神に10時32分に着きました。電車は空いているとは言いがたいですが、ともに座ることが出来ました。
長岡天神で降りると、向かうのは一つしかありません。「京都十六社朱印めぐり」の長岡天満宮まで歩いて向かいます。寒いこともあって、ゆっくり歩いて行きました。




長岡天満宮の入り口正面にそびえる、総御影石製の大鳥居は、1998年(平成10年)10月に建立された、近隣でも数少ない石の大鳥居です。総高9.75㍍、笠木 12㍍、総重量50㌧にもなります。




















山城国乙訓郡長岡の地は、昔桓武天皇(第50代天皇)が平城京より平安京に遷都になるまでの皇都長岡京の跡であり、長岡天満宮の御祭神菅原道真公が在原業平と共に、しばしば遊んで詩歌管絃を楽しまれ縁深いところです。道真公が太宰府に左遷させられた時この地にお立ち寄りになり「吾が魂、長くこの地に留まるべし」と名残を惜しまれた縁故によって公御自作の木像を祀ったのが、長岡天満宮の創立です。創立年月は不明ですが、応仁の乱で兵火に罹り社殿が消失し、1498年(明応7年)に再建したとの記録があります。以来、皇室の崇敬殊に厚く、1623年(元和9年)には八條宮の御領地となり、度々の御寄進・御造営・御殊遇をうけ、1638年(寛永15年)には、参道をはさんで南北にひろびろと広がり、西山の翆緑を映す八條ヶ池が築造されました。中堤の太鼓橋は加賀・前田候の寄進になると伝えられる名橋であり、両側には樹齢170余、高さ3㍍に達する「キリシマツツジ」が多数植えられており、新緑に映える真紅のキリシマの見事さは、まさに我が国随一のものと称されてます。正面朱塗りの拝殿は既存の拝殿を増改築し、1998年(平成10年)秋竣工しました。2011年(平成23年)に御本殿が京都府の有形文化財にまた、2012年(平成24年)に祝詞舎(弊殿)、透塀、手水舎(旧幣殿)等が長岡京市の有形文化財にそれぞれ指定されました。











この八条ヶ池は1638年(寛永15年)には八条宮智忠親王によって築造されました灌漑用の溜め池です。外周は約1㌔、貯水量は約35000㌧あるといいます。


























ここから阪急長岡天神まで戻り、準急に乗って帰路につきました。「京都十六社朱印めぐり」も、京都市伏見区にある、残り2社となりました。明日が松の内ということで、明日残り2社を巡ります。
この記事へのコメント
潜ってからの参道がずい分長いんですね。
でも、古木のキリシマツツジの群落が
あったり、八条ヶ池の景色を眺めながらだったり、
とても魅力的な道程だと思いました。
水上橋からも変化に富んだ景色が楽しめますね。
ここはGW期間中のキリシマツツジが咲く頃は圧巻の風景となります。秋の紅葉も綺麗ですが、やっぱりキリシマツツジですね。
この日は、天気が良かったので、池を散策しましした。
境内には、園児が多かったので仕方ないです。
京都十六社朱印めぐりでは、唯一京都市外にある長岡天満宮。それより我が家から遠いのが伏見区にある神社です。
もう少しで満願が見えてきました。